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  作者: 葵月詞菜


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夏休みの初め<前編>

【主な登場人物紹介】

・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校1年生。

高瀬たかせ 也梛やなぎ…同上1年生。キーボードを弾く。

海中わたなか 諷杝ふうり…同上2年生。ギターを弾く。

【その他】

・イツキ…白い鳩。諷杝に懐いている。

一.

 とうとう夏休みが始まろうとしている。

 一学期最後の終業式の日、ホームルームを終えた矢㮈はいつものように屋上に向かった。

 屋上の扉は開け放たれていて、生暖かい風がふわふわと流れている。青空が広がり、真上からの太陽の光も刺すように強い。

「――痛っ」

 空を見ていたせいで、足元が疎かになっていた。脹脛の辺りを何か尖った物に突っつかれた。

「イツキさん!」

 矢㮈が突きの犯人――いや犯鳥か? ――を捕まえようと腰を屈めると、すぐに白い鳩はトコトコと逃げて行った。

「全く逃げ足は速いなあ」

 矢㮈がクスクス笑った時、

「そんなトコでしゃがまれると邪魔なんだけど」

 後ろから声がした。振り向かなくても誰かはすぐに分かる。

「はいはい、どーもすみませんでしたぁー」

 矢㮈はわざとらしく言い、すっくと立ち上がった。そしてふり返って、高瀬の顔を見上げ「あっかんべー」をする。

「……ガキ」

 高瀬は呆れたように矢㮈に向かって一言呟き、とっとと傍らを通り過ぎた。その背の高い後ろ姿をしばらく睨んで、ふと彼がいつものキーボードを背負っていないことに気付いた。

「キーボードは?」

 前を行く彼に尋ねてみるが見事に無視される。

 矢㮈はため息を吐いた。


 お決まりの丸太のようなベンチに諷杝は座っていた。白鳩のイツキが、彼の膝の上でふてぶてしく猫のように丸まっている。

「あ、二人共来た来た」

 諷杝が微笑んで高瀬と矢㮈を見る。そして、小首を傾げて見せた。

「やっぱり也梛がキーボード持ってないと何か違和感を感じるなぁ」

「……お前が持って来なくて良いって言ったんだろ」

 高瀬が呆れたように言って、ベンチの端に腰掛けた。

「あ、矢㮈ちゃんも座ったら?」

 諷杝が高瀬とは反対側の端に寄って、丁度真ん中を開けた。

 向かって左側が高瀬、右側に諷杝。

 二人の間の空間だけが、ただぽっかりと空いている。

 矢㮈は知らず知らずのうちに、ごくりと唾を呑み込んでいた。

 ――何だこの変な緊張は。

 自分でもよく分からないが、思うように足が動かない。

「これだけの幅じゃ収まらないか?」

 高瀬の茶々が飛んで来た。その瞬間、

「うるさいっ!」

 矢㮈は緊張もどこかに、空いた空間にストンと腰を下ろした。高瀬がからかった幅は少なくとも矢㮈が二人並べるくらいはある。

 だが心持ち、少し左にいる諷杝寄りの位置だった。

「全く也梛は……」

 諷杝が困ったようにため息を吐いて、膝の上のイツキの白い羽を撫でた。

(ホント、高瀬って何でこういらんことばっか言うんだろう)

 矢㮈も嘆息し、結局は彼の性格が悪いせいだと思うことにしておく。

「で、今日の本題なんだけど」

 諷杝の言葉に矢㮈がそちらに顔を上げると、思ったよりすぐ目の前に諷杝の顔があった。頬に血が上ると同時に反射的に少し横に飛び退いた。――と、背中がドンと何かにぶつかる。

 はっとして振り返ると、今度は目の前に高瀬の顔があった。

「ッ!?」

 一体自分はどこに収まればいいのか――頭の中が真っ白になって、矢㮈の身体がふらついた。

「バカ、しっかりしろ」

「大丈夫!?」

 気付くと両側からそれぞれ腕を掴まれていた。

 矢㮈の身体から力が抜ける。しかし反対に急激に恥ずかしさが込み上げてきて思わず俯いた。

 なぜか、ものすごく心臓がドクドクとうるさい。

 しばらくしてようやく、

「……ごめん、大丈夫。何でもない」

 かろうじて矢㮈が呟くと、右側の腕が解放された。だが左腕の方はまだそのまま掴まれたままだ。

「……ホントに大丈夫?」

 諷杝の心配気な声が耳に入って来る。きっと顔も心配気な表情をしてこちらを見ているのだろう。

「……っ、だ、大丈夫っ!!」

(……多分、多分大丈夫だから……だからとりあえずこっち見ないで諷杝―っ!!)

 何かよく分からないが、恥ずかしい。頬が熱いのが分かる。

 矢㮈は心の中で思い切り叫んだが、もちろんその心の中の焦りは彼に伝わらない。

「で、何だって? 諷杝」

 高瀬が突然話題を戻した。諷杝がようやく矢㮈の腕をつかむ手を離して、高瀬の方を向いた気配がする。

 矢㮈はほっと息を吐き出した。ゆっくり、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 そんな矢㮈を置いて諷杝は話し始めた。

「まず、矢㮈ちゃんのお母さんが言ってた、副理事長のことなんだけど。……これがなかなか捕まらなくて」

 自分の名前を呼ばれて再びドキッとしつつ、彼の話に耳だけ傾ける。

 諷杝はかつてこの学園の卒業生である父親が残した楽譜を探している。彼の父親は当時、『ZIST』という名のバンドを結成していたらしいが、バンドメンバーの一人の死によって解散したそうだ。

 先日、矢㮈の家に諷杝と也梛を招待した時に、図らずも矢㮈の母親もこの学園の出身であり、丁度『ZIST』がいた時期だったことが判明したのだ。母親曰く、現在の学園の副理事長が当時のことを何か知っているのではないかということだった。

 これを聞いた諷杝は、後日何度か副理事長に接触を試みたようだが、どれも失敗に終わっているようだ。

「何で?」

 当然の如く高瀬が尋ねる。

「副理事の仕事の内容はよく知らないけど、何か今のトコ出張が多いらしくて、僕が連絡つけようとしても学校にいないんだよね」

「伝言とかは頼めないのか?」

「一応頼んだけど、さすがに緊急とは言えないし、気長に待つしかないかも」

 諷杝が苦笑する。高瀬は「ふーん」と相槌を打って、

「ま、お前がいいならゆっくりでいいんじゃないの」

 特に感情もこもらない口調で言った。

「うん、そうだね。まだまだ時間はあるしね」

 諷杝もさらりと返し、「さて」と次の話に移った。

 ここでようやく矢㮈も顔を上げて諷杝の方を見られるようになった。

「実はね、今朝並早先生に声をかけられて提案されたことなんだけど」

「……あのトライアングルの先生か」

 高瀬がボソリと呟く。諷杝は曖昧に微笑んで続けた。

「二人共、夏休みの予定はもう決まってる?」

 夏休みの予定、か。

「今のところ、来週三日間だけ夏期補習と、後はバイオリンの練習とか」

 矢㮈が答えると、高瀬がまた余計なことを口走った。

「あー、やっぱりお前も補習か。松浦と衣川もだけど、あいつらはサボりそうだな」

「……秀才高瀬君はもちろん行かなくていーんでしょうねぇー」

「当たり前だろ」

(ああ、ムッカつくー)

 矢㮈が心の中で唇を尖らせていると、諷杝もしらっと白状した。

「大丈夫、僕も二年連続補習常連だから」

「全然誇れることじゃねーな、お前も」

 高瀬が眉をしかめる。

「で、也梛は?」

「え、ああ……。バイト入れるつもりだけど、まあそっちの都合に合わせられるよ」

「八月上旬から、お盆前の間だと思うんだけど、帰省とか大丈夫?」

「……ねえ、一体何やるつもりなの?」

 矢㮈が首を傾げて尋ねると、諷杝はにっこり笑った。

「うちの学園、他校といろいろ交流あるのは知ってる?」

「ああ、そういえば何か聞いたことあるような……」

 矢㮈は千佳と依然話していた内容を思い出した。

 ここ彩楸学園の部活動の中には、日々の練習において、他校との合同練習があるところも結構多いらしい。特に文化部の、人数が少ないところなどは他校と共同で何か作品を作り上げることもあり、文化祭やその他の行事でも交流活動が活発だと言う。

「まあ少し大学のサークル的な要素も入ってるってのが、この学園の部活動の特徴でもあるわけ」

「へえ……そういえば同好会的なものも多いよね」

 こうして矢㮈たちが集まっているのも、傍目から見ればそう見えている可能性がある。正確には、どこにも所属していないただの音楽好きの集まりである。

「でね、毎年夏に音楽祭が企画されるんだよ」

「音楽祭?」

「うん。吹奏楽部とオーケストラ部を除く、フォークソング部やジャズ同好会、軽音楽部とか――その他諸々の演奏会をする企画。何校か合同でやるんだけど、今回の会場がうちの学校になったらしくて。しかも並早先生が担当なんだって」

「あの先生ヒマそうに見えたんだろうな」

 高瀬の感想は相変わらず気遣いを知らない。諷杝は苦笑して、

「まあそゆことで、もし君たちが良ければ参加してみないかなと思っただけ」

 簡単な説明を終えた。

 なるほど音楽祭のことは分かったし、楽しそうではある。

 だが――

「で、八月上旬からお盆までの期間ってのは何なんだ」

 まさに矢㮈も疑問に思っていたことを高瀬が先に質問した。

「音楽祭としては二日間だけなんだけど、それまでに準備とかいろいろなことを考慮して、皆で合宿ってことになってるんだ」

 諷杝の淡々とした答えに、矢㮈と高瀬は思わずポカンとした。

(……はい? 合宿?)

「合宿のイミが分からん。そもそも音楽好きの寄り集まりだろ? そこまで大々的にやるのか」

 高瀬が眉をひそめる。だが諷杝は涼しげな顔でうなずいた。

「まあ合宿っていうより、お泊り会って言った方がいいかもしれない」

「それ、学校でか」

「うん、当たり前じゃん」

 矢㮈は返す言葉もなく二人の会話を聞いていた。

(でも学校でお泊り会って、ちょっと楽しそうで怖そう)

「さっきも言ったように、参加はうちの学園だけじゃなくて、よその学校からも結構来るんだ。そこそこ離れた所から来る人たちもいるから、多分面倒になって合宿みたいな形にしたんだと思うよ」

「それにしたってさっきのでいくと一週間ちょっと期間があるぞ」

「ああ、それは僕の中での予定」

「は?」

 高瀬が身を乗り出して、諷杝の顔を訝しげに見遣る。

「他校の人たちが来るのは開催日の五日前から三日前くらいだよ。ただ、会場校としての手伝いも少々頼まれるだろうし、何より――」

 そこで一旦、言葉が切れる。諷杝が困ったように自分の髪をくしゃりとした。

「僕たちが演奏する曲、用意しないといけないでしょ?」

 その時になってようやく、矢㮈の中でもそのことに気付いた。

 思えばいつも適当な感じで気の向くままに奏でていたので、三人でまともに曲と言う曲を演奏したことがなかった。

 高瀬も黙りこみ、その場が静かになった。

 今までどこにいたのやら、白い鳩のイツキがまた諷杝の膝の上に戻って来ていた。

「――てわけで、どうする?」

 ごく自然な流れで諷杝が問うた。

「あたしはやりたい!」

 矢㮈が挙手と共に答えると、彼は微笑んだ。

「すごい意気込んでるね」

 意気込むに決まっている。――そう、良く考えてみたら、彼らと一緒にちゃんと演奏ができるということなのだから。

 諷杝が少し身を乗り出して、矢㮈の右隣にいる高瀬に意を求める。

「也梛は?」

「俺は……」

 高瀬は何か言いかけて、ふいに口を噤んだ。

 諷杝と矢㮈が首を傾げるのを前にして、軽く息を吐き出す。そして、

「……どうせもう参加する気満々なんだろ? 分かった、参加する」

 渋々という形で賛同した。

 矢㮈はだいぶ彼の性格を掴んできていたので、何で素直に参加すると言えないのだろうかと呆れた。

 だが、諷杝は束の間じっと高瀬を見つめ、心なしか心配するような感じだ。

「諷杝?」

 矢㮈が小さく呼ぶと、彼ははっとしたように我に返り、矢㮈と高瀬に微笑んだ。

「じゃ、参加決定ってことで。並早先生に伝えとく」



二.

 終業式も終わり、夏休みがやってきた。

 夏期補習に出ている生徒は代わり映えなく、せっせと学園に通っている。――そう、也梛のルームメイトもまた然り。

 部屋で也梛が呑気に雑誌を捲っている横で、諷杝がせっせと用意をしている。たまに何かを訴えてくるような恨みがましい視線が飛んで来るが、也梛は涼しくそれらを無視していた。しかしついに、

「ねぇ也梛―、一緒に行こうよー」

 諷杝が雑誌を取り上げて言う。それを呆れた顔で見返してやった。

「何バカなこと言ってんだ。たとえ行っても教室は別だろ、センパイ」

「……冷たいなあ。じゃあとにかく僕の視界の中で楽しそうに雑誌を見ないでよ」

 ひどい難癖だ。也梛は彼の手から雑誌を奪い返し、二段ベッドの上段に避難した。

「ああ……不公平だー」

 諷杝は最後までぶつぶつ言いながら、仕方ないように登校して行った。出て行ったのを見て、ほっと息を吐く。

「全くアイツは……。そんなに嫌なら勉強しろっつーの」

 どうしようもない弟に手を焼く兄の気分で独り呟いた。

 そして、枕元の自分の携帯に手を伸ばした。ベッドから降りて時刻を確認し、多分出るだろうと踏んで電話をかける。

 五回程のコール音の後、相手が出た。

『……はい、もしもし。おはよう』

 まだ眠たげな妹の声に、也梛は小さく笑った。

「おはよう。何だ、まだ寝てたのか」

『……寝てないよ、ちゃんと起きてたもん。まだ朝ご飯は食べてないけど』

 妹の若葉は反抗するように言ったが、時計はもう九時半頃を指す。

「高瀬家の朝は最低八時半起床じゃなかったか?」

『今日はお父さんがいないからいいの』

 若葉がムキになって、それから急に大人しくなった。そして少し探るように尋ねてくる。

『そっちもう夏休みに入ったんだよね? 家、いつ帰って来るの?』

 恐る恐るという感じが声から伝わってきた。昨夜彼女から入ったメールもその用件で、今こうして電話で返事をしている次第である。

「それなんだけど……」

 也梛は言葉を詰まらせた。それに反して、妹は今度は一気に捲し立てた。

『帰ってくることはくるんでしょ? だってお父さんたちと約束してたもんね。お盆の週と、正月の何日間かは絶対顔見せるって』

 確かに約束はした。大半が母親の要望に応えるためだったが。

「お前、親父が家にいる日分かるか?」

 さすがに盆と正月辺りは父親の休暇も長くなる。母親は家族が揃っているのを好むので、きっと也梛もそれに合わせなくてはならないだろう。

 いくら父親と会うのが嫌であっても、だ。

『んー、この前聞いた感じでは、八月の六日辺りから、十七日頃までじゃないかな。今回は休みを多く取ったらしくて』

「へえ……何考えてんだろうな。で、……姉さんは?」

 父親と同じくらい会いたくない姉のことも訊いておく。

『お姉さんは分からない。明日帰って来るみたいだから、聞いとこうか?』

「頼む、そうしてくれ」

 一番良いのは也梛が直接聞くことだろうが、生憎全く気が進まない。也梛はこれからの予定にどうバイトを入れようか悩みながら、若葉との通話を終えようとした。

『お兄ちゃん。これだけは絶対忘れないでよね。絶対家に帰って来るんだよ』

「はいはい」

 妹の訴えるような声もそこそこに、也梛は電話を切った。

(姉さんの休暇がどうなることか……)

 とりあえず若葉からの連絡が入るまで、どうにもなりそうになかった。



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