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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

幽霊と恋

作者: パピロケニス
掲載日:2017/05/01


 薄暗い公園。少し強い風が無人のブランコをゆらゆらと揺らした。五時はとっくに過ぎて、他の子供たちはあっという間にどこかへ行ってしまった。少し前まであんなに騒いでいたのに、そんな喧騒さえなかったかのような静けさが広がっている。

だが、寂しさはなかった。いつもはもっと早い時間に帰るが、その日は少し嫌なことがあって、ぼーっとジャングルジムのてっぺんから、いつもより高い景色を、文字通り時間を忘れるほど楽しんでいた。なんだか、自分が世界に独りだけになったような心地がした。

それに加えて、少し大人になったような気分になった。みんなは帰ってしまっている時間に、自分だけが遅くまで残っている。広い公園のジャングルジムのてっぺんからぐるりと全体を見下げた。その時のことだった。

「帰らないの?」

 誰もいないと思っていたのに、突然見知らぬ大人に声を掛けられつい身構える。声を掛けてきたのは若い男性だった。ちょっとでも大人になった気がしていたが、それは一瞬にして消え去った。

「だれ?」

「ここで人を待ってる、ただのお兄さんだよ」

「ふぅん」

「ここ、お邪魔していいかな?」

 そう言って男は公園内のベンチを指差した。そんなの勝手にすればいいのに。

「公園はみんなの場所だから、ぼくにそんなこと聞く必要ないと思う」

「そっか、ありがとう」

 そうして男はそのままベンチに腰掛けると鼻歌を歌いながら、ずっと空を見上げていた。なんだか切なそうなその横顔を見ると男のことが気になって、ゆっくりとジャングルジムから降り男のそばに寄った。よくよく見ると男はなぜか大きな傘を持っていた。

「今日はあめふらないってテレビが言ってたよ」

「え? ああ、そうだったんだね。通りでこんなに綺麗な夕焼けだ」

「ねぇ、何かいやなことがあったの?」

 男は一瞬きょとんとすると、笑って答えた。

「そんなに辛そうな顔してたかな?」

「うん。すごく寂しそうな顔をしてた」

「そうなのかもしれないな。でも、それは君もおなじなんじゃないかな?」

「え?」

「君もすごく辛そうな顔をしていたよ?」

「うん…」

「なにかあったの?」

「うん…ともだちとケンカしたんだ。大したことじゃないんだけど、でも、すごくいやなことだったから…」

 不思議なことに、全く自然に男に何があったのか打ち明けていた。お父さんの作ったお弁当を馬鹿にされたこと、仕返しに別のことを言ってやると友だちを怒らせて殴られてしまったこと。悔しくて仕方がなかったこと。言いたいことをすべて話せて、すっきりした。なんだ、言葉にしてしまえばこんなにもくだらないことだった。

男は優しく頷いて、ずっと聞いていてくれた。心地のよい時間がゆったりと流れていた。

 そうこうしているうちにあっという間に日も暮れてしまい、空は暗くなっていった。かと思えば、突然ぽつぽつと雨が降り出しはじめた。

「うそだ! 雨ふってきた!」

「ほんとだね!」

時計の針は八時を指していた。今更我に返って、一体こんな時間まで何をしていたのかと冷や汗が溢れ出した。いつもならとっくにお風呂に入っている時間だ。ああ、早く帰らなければ、お父さんに怒られてしまう。

そう思った瞬間、真っ青な顔をしたお父さんが公園の目の前で息を切らしながら自分の名前を呼んだ。

「ひかる! なんでこんなところに!」

「おとうさん!」

「こんな時間までこんな所にいて、危ないだろう! 心配したんだぞ!」

父親のほうへ走って向かっていくと、その日二度目のげんこつを頭に食らった。普段は決して暴力を振るうような親じゃないので驚いた。そんなことをさせるほど自分は悪いことをしてしまったんだ。

 お父さんは何度も何度も、殴って悪かったと頭を撫でた。優しいお父さんをこんなにも心配させてしまったことを悔いた。お父さんに抱きかかえられて帰りながら、触れ合う肌のぬくもりを感じて涙がこぼれた。汗ばむお父さんの背中にしがみつきながら、どれほど自分を捜してくれたのかと申し訳なく思った。



 自分には母親がいない。出産と共に亡くなってしまったとお父さんから聞いた。父子家庭であることを嫌だと思ったことは一度もない。だが、それが原因かも分からないが、寂しいと思う時が頻繁にあった。そんな寂しさを胸に抱いて、夕方のあの公園へ行くと、いつもあの男に会った。

「また、何かあったんだね」

「最近気づいたことがあるんだ。笑わないで聞いてくれる?」

「まさか! ひかるくんの悩み事を笑ったりなんかしないよ」

「ありがとう。実は、俺、ホモかもしれないんだ。よく分からないけど、多分俺は女の子のことよりも男の子のほうが気になるんだ」

 お父さんにも相談ことがなかったことを、この人の前でははっきりと自分の口から言う勇気が出た。この告白に彼は一瞬目をまん丸に見開くと、やさしく微笑んだ。

「笑わないよ。なんにもおかしいことじゃない」

「でも、普通は女の子を好きになるのが当たり前じゃん! 俺っておかしいのかもしれない! 俺は普通じゃないんだ!」

「ううん。じゃあさ、もし生まれてきたときから右腕がない人がいるとするよ? まわりの人は大抵、生まれてきてから普通の身体ではないなんてとてもかわいそうだって思う。でもね、その人にとってはそう生まれてきたことは赤ん坊のころから当たり前なんだ。つまり、なにが当たり前で普通かなんて、とても主観的で曖昧なことなんだよ。だからね、一番に君自身が自分のことを認めてあげるんだ」

「…そんなこと、考えたこともなかった」

「とにかく、僕は君を笑ったり蔑んだりしないよ。だから、ひかるくんも自分を悲観したり蔑んだりしちゃいけないよ」

「うん。…うん!」

 彼の話は自分にとって目から鱗だった。今まで何かしら身体や脳に欠陥を負って生きている人間を哀れみの目線で見ていた気がする。しかし、そんな同情はただの自己満足であり、本人たちは「欠点」なんて思ってもいないのかもしれない。どんな完全な状態から何が抜け落ちたというのか。完全、不完全なんて誰が定めたのか。

 自分自身が当事者になり、今まで哀れんでいた側の存在になってしまったと、自分が哀れだと思ったが、結局は自分自身を受け入れるか否かなのだと気づかされた。

 このときの言葉で、俺は強く生きることができた。誰を蔑むこともなく、悲観することもなく、哀れむこともなく。



そうして俺は成長し、いつからか歳を取るとともに、ごく当たり前にそこへはあまり向かわなくなった。それでも、高校も大学も今通っている地域から離れなかったのは、なんとなくこの人がいるからと言う理由もひとつにあった。また、あの公園へ行けば、あの人に会えると思った。そんなことはありえるはずはないのに、いつからか俺は間違いなく彼はあそこにいると確信していた。


 大学の卒業式を終え公園に寄り道した日のことだった。

「待ち合わせ時間はまだ来ないのか?」

 変わらない時間、変わらない風貌、変わらず傘を携えて、彼は公園のベンチに座っていた。

「ひかるくん…ああ、随分大きくなったね。それに、雰囲気も随分変わった」

「それくらい時がたってるからさ」

 彼だけは、全く時がたっていないように見えた。初めて会ったあの日からもう十年近くたっているのに、彼はいつまでも大学生くらいの雰囲気を放ったままだ。いいや、雰囲気ではない。事実彼の時は止まったまま、いつまでも若者でいるのだ。

公園の時計の針は二十三時を指している。待ち合わせでこんな時間まで待っているはずがない。

「時なんて、早く去ってしまえばいいのに。楽しいことが来る前は、とてもとても時間が長く感じる。でも、楽しかったあの日々は流れ星みたいにあっという間に通り過ぎていっちゃうなんて、皮肉だよなぁ」

「待っている人が、早く来てくれるといいな」

「うん。首を長くして待ってるんだ。ああ、でも、…そうだなぁ、楽しい時はゆっくりすぎて欲しいから、やっぱり欲張って早く過ぎて欲しいなんて思わないようにするよ」

 そんな人はいつまで経っても来ないんじゃないか、なんて指摘することは出来なかった。それを言ってしまえば、彼は二度と自分の前に姿を見せないのではないかと思った。そんなことだけはいやだと思った。俺の中で、彼の願いが叶うことを望みつつ彼には消えてしまってほしくないと、矛盾した気持ちが交差していた。



 さらに時は経った。会社勤務中の昼間、突然父が倒れたとの連絡が入った。早退して病院へ向かったが、なんとか意識はあるようでひとまず安心した。だが、診断結果はステージ4の末期がん。かなり進行しており手術は施せないそうだ。もって一ヶ月だろうと医者から当人にも告げられた。突然突きつけられた父の死が目の前にあるという現実を、俺はすぐに受け入れることはできなかった。

 見舞いのあと、とぼとぼと家路を辿っていたはずが、ほとんど無意識に俺はあの日の公園へ足をのばしていた。やはり彼は変わらず誰かを待ち続けている。

「懲りないやつだな」

「ああ、ひかるくんだ」

「…久しぶりだな」

「暗い顔をして、何かあったの?」

「ううん。ちょっと家族のことでばたばたと忙しくて。それだけ」

「今日は相談を持ち掛けてこないんだね」

「何かに悩んでいるわけじゃないから。ただ、いつか向き合わなければいけない問題と今向き合わなければいけないってそれだけだ」

「大人になったね。君はもう、僕がいなくても十分に生きていけるよ。安心した」

「なんだよ。最後の別れみたいな風に言うなよ」

「そうだね。もうすぐここには来なくなるかもしれない」

「…え、どうして…!」

 彼は黙ったままこちらの目を見て微笑んだ。彼は成仏するのだろうか、はたまた諦めてしまうのだろうか。いずれにせよここでこれ以上誰かを待つことを、彼はやめてしまうらしい。

 所詮、命あるものとないものの接点だ、今まで過ごしてきた時間はただの幻想でしかなかったかもしれない。だが、俺にとってかけがえのない時間だった。彼からはたくさんのことを学んだ。俺は、彼が好きだった。

「何か僕に言っておきたいこと、あるんでしょ? 早く言わないともうすぐ会えなくなるかもしれないよ」

「急になんだよ…そんなこと言われたって」

「凄く焦っているよう見えたからさ。まさかこんな反応をしてくれるとは思わなかった。ほら、なにかあるんだろう?」

「ふ、二つだけ言っておきたいことが、ある…」

「なに?」

「実は、俺、あんたが好きだったんだ。気になった人は大概どこかあんたに顔や雰囲気が似ていた。馬鹿みたいな話だけど、こんな時あんたならこう答えるだろうなっていつも誰かをあんたと比べてた。これを伝えたところで、どうにかなる訳がないのにな。でも、ただただ言っておきたかった」

「おっかしいの。こんな得体の知らない奴を好きなっちゃうなんて。僕に求めても何もないのに」

「だから、分かってる。たぶん、あんたへのこの感情は憧れのようなものだったのかも知れない。ううん、それだけじゃない。誰か大切な人を待ち続けてるあんたに惚れてたんだと思う」

「そっか。ありがとう? こういうときになんて返せばいいんだろうね? なんだか照れちゃうな…。うーん、とりあえず聞くよ、もうひとつは?」

「あんたの名前、結局いつも聞けずにいたんだ。聞いたりしたらなんとなく消えてしまいそう気がしたから」

「消えるって何でさ。そもそも、君に名前を教えていなかったことすら知らなかった。あーあ、名前くらい簡単に教えたのに。聞いたら君はすごく驚くだろうよ?」

「構わない。教えてくれ」

「えっとね、僕の名前はね、――」




それから一週間とたたずに、父は随分小さくなってしまった。よく病院食も残した。今にも肺が上下するのをやめてしまいそうな気がして、夜もあまり眠れなかった。

少し雨の降っている夕方頃。雫が窓を叩いていた。その日父はやや元気を取り戻しており、久しぶりに完食して喜んだ。


「ひかる。父さんな、実は昔母さんと結婚する前に本気で愛していた人がいたんだ」

「珍しいな、父さんが昔話なんて」

「そういえばそうだな。こんなに落ち着いてお前と話すこと自体久しぶりだったな」

「そうだね。倒れるまでずっと働き詰めだったしな」

「ああ。本当はその人のことは今も愛しているんだ。きっと、母さんを早く亡くしたのは、私があの人を忘れられなかった報いだったんだろうな」

「どうして、忘れなきゃならなかったんだ? 母さんじゃなくその人と歩む未来だって会ったかもしれないのに」

「雨が降っている日だった。その日の交通事故を境にもう会えぬ人となったよ。ずっとその日のことを後悔し続けてる」

「…」

「ひかる、お前は大切な人はいるか?」

「ああ、いるよ」

「そうか、いたか。そうかそうか…。ひかる、その人を幸せにしてやりなさい」

「もちろんだよ、父さん」



 結局、回復の兆しが見えたのはその日だけで、一日と経たずガクリと体調を崩した。その夜はずっと父さんのそばで見守った。

「しっかりしろよ、父さん!」

「…せ…る…」

「なんだよ? 父さん! 今なんて言ったんだよ」

「……る…」

「父さん!」

 涙の滲んだ瞳は焦点が合っていない。俺はただただ皺くちゃの父の手を強く握ってやることしかできなかった。

 乾いた唇がかすかに動く。それが何か言っている。口元に耳を近づけた。

「…せ、――」

「なに? もう一回言ってくれ! 父さん!」

「――」

 線香花火の最後の輝きのように、父は儚く旅立って行った。幸せそうに優しい笑みを浮かべながら、彼は最期にはっきりとこう言った。


『おまたせ、ひかる』


それ以来、俺はあの孤独な幽霊の姿を見ていない。

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