ー第3話君が戻ってきた理由
ー第3話君が戻ってきた理由
その日竹山は、実家に清美を連れ帰った。明日17時に、また雨屋が現れるかもしれない。彼女を帰さなければならないと竹山は考えていた。問題は、実家の両親だったが、それは拍子抜けもいい所だった。玄関に出て来た母親は、竹山の後ろから姿を現した清美にあっさりこう言った。
「アラ清美ちゃん。お帰り。あがって。」
「ありがとう、おばさん。」
清美は何の迷いもなく、30年前と同じように居間に入って行ってしまった。
「待ってよ。少しは驚いたらどうなんだよ。」
「えっ?。あ〜でも清美ちゃんじゃない。どう見たって。透は驚いたの?。」
そう言われると、さほど驚いていない自分を思った。
「俺は現場に居て、全部見てたからだけど、お母さんは突然だろ?。」
「30年、私だって透がこうやって、清美ちゃんと入ってくるのを夢見てたのよ。毎日。だから驚かないわ。」
「居なくなった日のままでも?。」
「透だってあの日の清美ちゃんしか思い浮かばないでしょ?。大人になった清美ちゃんを思い浮かべられる?。だから、思ってたままだからね。」
そう言われると納得するしか無かった。
奥の居間から、すご〜いという清美の声が聞こえてきた。母親は台所に行き、竹山は居間に入っていった。
父親がコタツに居て、清美は液晶テレビを横から覗き込んでいた。
「なに?。このテレビ。なんでこんなに薄いの?。透ちゃん。すごく綺麗だし。」
父親がそれに答えた。
「ブラウン管じゃないんだ。液晶だから。」
「えきしょう?。すごいね。」
「まあ座って。こっちに。」
清美は、30年前と同じ窓を背にした位置にチョコンと座った。竹山は、父親をまじまじと見て言った。
「お父さんも驚かないのかよ。」
「何を驚く?。30年も行方が判らなかった女の子が戻ってくるとしたら、これくらいの事はあっても良いだろう?。行方不明のまま戻らない人も居るのに文句を言うな。」
「そういう問題じゃないよ。」
「馬鹿が。今、清美ちゃんが消えたらどうする。」
「…なる程。」
(多少の異常性よりも、そっちの方を心配してるわけか)
竹山は、そんな気持ちを、何となく嬉しく思った。
「明日。もう一度雨屋交差点に行って、清美を帰してくるよ。」
テレビを見入っていた清美が竹山を見た。
「多分、帰れないと思う。」
「なんでさ。」
「私、透ちゃんとの約束守らせてってお願いしたら、ノートが爆発して、毛糸の帽子の人を吹き飛ばした。その次に木の戸を突き破って、今この世界に穴を開けた。私怖くて夢中で、ノートを拾ってこなかった。あのノートが無いと穴は開かないよ。」
「…わかった。拾いに行くよ。まだある。」
「でも、毛糸の帽子の人がまだ居るかも。」
「清美はここに居ろ。玄関のドアは鍵を掛けておくから。おじさんとおばさんのそばに居れば怖くないだろ?。」
「うん。」
竹山は母親の自転車で、雨屋交差点に戻った。
激しく車が行き交う交差点を、竹山はノートを求めて探した。その視線の先で、交差点のど真ん中に人が走り込んで行くのが見えた。
激しくブレーキの音が鳴り、ドンドンと追突する音が竹山の怒りを爆発させた。ヘッドライトに照らし出されたニット帽の男が立ったまま竹山を見た。その右手には、マスメの入った茶色い表紙のノートが握られている。
「テメエは、どこまで喰えねえ野郎だ!。」
竹山も交差点に走り込んで行った。ニット帽は、追突されて車を降りてきた若い男を突き飛ばして、その車を奪うと竹山に向かってきた。
間一髪で車をよけて、車道に倒れ込んだ。顔を上げると、車は走り去ってゆく所だった。竹山は車に向かって叫んだ。
「クソッ。俺から逃げられると思うな!。俺は小谷さんから事件を引き継いでるんだ!。」
事故処理にパトカーがやってきて、車を盗まれた男に頼まれた竹山も証言した。しばらくして、覆面パトカーがもう一台やってきた。
中から降りてきた刑事は、竹山を見つけると走り寄ってきた。
「透さん、僕が判りますか?。」
「えっ?。いや、判りません。」
「通夜で会ってます。小谷の息子です。」
竹山は、はっきり顔を覚えている訳では無かったが、息子が刑事になったという奥さんの話を思い出した。
「…あ〜そうですか。」
「挽かれかけたそうじゃないですか?。例の奴なんですね。ダブルスターズのニット帽でピンときましたよ。今日は12月24日だし…。後ろが潰れた車で逃げたって、逃げ切れやしません。ナンバーも分かってるしね。」
「奴にノートを盗られました。取り返したいんです。」
「ノート?。どんな?。」
「茶色い表紙でマス目が入ってます。それから、奴はナイフを使います。腕はプロ級です。油断すると殺されますよ。」
「分かりました。手配しますよ。」
二代目小谷刑事は、覆面パトに戻って、無線を手にした。
「手配しました。すぐに捕まりますよ。…正直、ダブルスターズのニット帽を見せられた時、信じられなかったですよ。親父は死に際に、僕だけに言ったんです。犯人は未来から来たって…。だから、いつか雨屋の有った交差点に現れるって…。奴を過去に逃がすなって、息をひきとりました。」
「盗られたノートが、過去と今を繋ぐ穴を開けるんです。」
「なら、奴はここに戻ってくる。親父が言ってた事は全部本当なんですよ。でも…奴はノートを持ってたのに過去に戻れなかった…って事なのかな?。」
「…そんな感じがしました。交差点の真ん中で、ノートを握って立ってましたから…。」
「ノートだけじゃなくて、他にも何か必要かもしれない…。」
「例えば、清美自身とか…。清美が過去からその穴を通って、戻って来てるんです。」
「驚いた。…本当ですか?。」
「自分の目で見ますか?。」
「ぜひ。被害者以上に、事件を知ってる人物はいません。実は、あのニット帽の男の人相と手口…5件の事件で指名手配されてる人物と似てるんです。それに、清美さんが失踪する前の、変質者によるいたずら事件4件にも絡んでいると、僕は見てます。」
竹山は実家に戻って、清美に引き合わせた。小谷刑事はさすがに驚いた様子だったが、すぐに自分を冷静にコントロールして聴く態勢を作った。
「この刑事さんに、何が有ったか話して欲しい。」
清美は風呂から出て、子供の頃の竹山のパジャマを着て、テレビを見ていた。
「刑事さん?。」
「犯人を捕まえる為に必要なんだ。」
「ウン。5時に透ちゃんと雨屋で会う約束してた。雨屋に行く途中声がしたの。タスケテ。タスケテ。ヤダって。そしたらノートが爆発したの…。」
「さっきみたいに、飛んだのかい?。」
「…真上に飛んで、ノートは落ちてきた。かがんで拾うと…上から人が落ちてきた。」
「誰が?。」
「毛糸の帽子の人。」
「それで?。」
「そしたら、その人がノートよこせって言うの。でもこれは、透ちゃんの大事なノートだから、渡したくなかったの。それで逃げたの。雨屋に透ちゃんが居ると思って、中に入ったけど…居なくて。その人に押し倒されて、ノートが盗られそうになったから、神様にお願いしたら…ノートがまた爆発して…逃げたの。」
清美は小さく震えていた。竹山はそっと手を握ってやると、強く握り返してきた。小谷刑事はメモを執りながら言った。
「雨屋交差点の西にアパートが有りまして…その二階の廊下で、小学生の女の子が襲われてるんです。4年前ですけど…その子が、犯人は真下に落ちたって言ってるんです。混乱してたんだろうという事になったんですが…もう一度話しを聞くと、悪戯されそうになって、助けて嫌だって言ったら、茶色いノートが犯人の後ろから舞い上がって、犯人が真下に落ちたって、ノートも一緒に…話しが繋がりますよね?。」
父親が口を開いた。
「…そして犯人は30年前に落ちた。戻る為に清美ちゃんを襲った。しかし、もう一度ノートを使って30年前に戻ろうとしているのは何故だ?…もう戻る必要は無いだろう?。」
「30年前なら、犯人は捕まらない。変質者の悪戯事件は犯人が捕まっていない。今のようにオンラインでデータベースを見たり、DNA鑑定の捜査が出来ない。現行犯逮捕しか方法がない。奴は捕まらないばかりか、犯行を繰り返せる。」
小谷刑事は冷静に言った。
「死んでも帰さない。一生刑務所に叩き込んでやりますよ。小谷刑事。」
「それは警察の仕事です。お任せ下さい。…一応、今日は帰ります。犯人がここに来る可能性は小さいですが、戸締まりはしっかり御願いします。」
小谷刑事は帰っていった。
その夜。二階のかつての子供部屋にある、二段ベッドの中。
清美は下に、竹山は上で布団に入った。灯りは消さないでと言う清美の言葉で、部屋は明るかった。
「清美?。あのノート…俺のだって言ってたけど、何が書いてあったんだ?。」
「え〜っ?。覚えてないの?。」
「覚えてないんだ。」
「ひど〜い。じゃあ、ふたりでした約束も?…。」
「あぁ。正直言うと。」
「思い出して。」
「えっ?。」
「思い出して。あんな大切な事忘れるなんて…ひどいよ。私はゼーッタイ言わないからね。」
「まいったな。俺はさ、清美が居なくなったショックで、それ以前の事がまったく思い出せなくなった…。本当に思い出せないんだ。なんで雨屋で待ち合わせたかも…まったく。」
「じゃあ、しょうがないか…ねぇ。」
「うん?。」
「上に行っていい?。」
「待て。中学生が言う事じゃないだろ。」
「好きな人と触れていたいって、そんなにいけない事なの?。透ちゃんは手も握ってくれなかった。でも、大人の透ちゃんなら、私の気持ちを許してくれるんじゃないの?。」
「俺は。15才の透ちゃんじゃない。何人も女と寝て、汚れきったロクでなしだ。誰も幸せに出来なかった。清美に触れる資格は無い…。」
下で清美が起き上がる音がした。
「そんな事ないよ。透ちゃんは透ちゃんのままだよ。何も変わらない。私には分かる。私が逃げ出した時、しがみついたら、ちゃんと抱いて安心させてくれた。幸せに出来なかったわけじゃない。自分だけが幸せになれないって思ってただけ。だから自分を汚そうとしてきたけど…ちっとも汚れてなんかない。私は。透ちゃんに触れる権利がある。」
竹山はしばらく沈黙して言った。
「…なら。上がってこい。」
清美はスッと上がって来て、竹山の上で目を閉じた。
「ありがとう…やっぱり透ちゃんだ。どこまでも透ちゃんだ…。」
そう言うと、清美はすぐに寝息をたて始めた。
「変に心配した俺が考え過ぎか…。これは犯罪だぞ、明らかに。とてもじゃないが寝られないな。」
まんじりともしないで、清美の寝息を竹山は聴いていた。
そして…明け方の6時に時計を見ながら、竹山もスゥーと清美ちゃんの下で、眠りに落ちていった。
ー第4話30年前のプロポーズにつづく