ー第9話 人質
ー第9話人質
岐阜市北部の山際に造られている、老人ホームひだまりの里。末次 勝利よしこ夫妻は、日当たりの良い食堂でボンヤリとしていた。
昼過ぎから、岐阜県警は竹山の情報を受けて、警戒態勢をとっていた。しかし、この清美の両親まで考えが及んでいなかった。
夫の勝利は、5年前に脳梗塞を患い、左半身が不自由で、言語障害でうまくしゃべれなくなった。ただしリハビリによって自力歩行ができ、身の回りの事も自分で出来る。妻のよしこは、足の関節が悪く、車椅子での生活になっている。
ひだまりの里正面玄関に、練馬ナンバーのタクシーが停まったのは、13時過ぎだった。中から運転手が降りて来て、何の事やらわからないまま、よしこの車椅子を押して走り出し、追いかける職員を振り切って、よしこをタクシーに放り込み、タイヤの軋む音を残して走り去った。
街中から練馬ナンバーのタクシーを見たとの通報を受けて、小谷がひだまりの里の前まで来た時、そのタクシーが前をかすめていった。
「先輩っ!。誰を狙ったんすか?分部は!。」
危うく衝突を免れた三ツ矢は、タクシーを追いながら、怒った顔で怒鳴った。
「知らん。ともかく誰か人質が乗ってたぞ。」
裏道を二つ曲がった所で、タクシーを見失った。
「またか!。いい加減腹が立ってきましたよ、分部には。クソッ!」
「ひだまりの里に戻って、誰が誘拐されたか確認するぞ。」
小谷には見当がついていた。
ひだまりの里の入り口には、老人が立って意味不明の叫び声を上げていた。職員が中に戻そうとしても、聞き入れない様子だった。
小谷が警察手帳で身分を示すと、職員が事情を話してくれた。
「110番でも言ったんですが、末次よしこさんが誘拐されました。この方がよしこさんの旦那さんで勝利さんなんですが、うまく言葉がしゃべれなくて…。」
「奥さんを追いかけたいんでしょう?」
叫んでいた老人は、急に静かになり首を縦に振った。
「行きましょう、我々と。」
職員が慌てた。
「待って下さい!。許可無く入所者を出せません。」
「では許可を頂きたい。末次さんに捜査協力を要請します。」
「はぁ…。」
小谷は、戸惑う職員を無視して、勝利を覆面パトカーに手を引いて乗せると、三ツ矢に告げた。
「雨屋だ!。三ツ矢。」
「どういう繋がりです?。」
「清美さんの名字は末次だ。この方はお父さんで、よしこさんはお母さんだ。」
「いちいちアドバンテージを穫ろうって魂胆ですか!。あの野郎。」
「こんなもんがアドバンテージでもなんでもない事を思い知らせてやるさ…。」
16時には、雨屋交差点に通じる道路は、封鎖された。ただ、分部が入って来れるように、北側だけバリケードではなくパトカーで封鎖してあった。さらに交差点自体は、コンクリートブロックの車止めとフェンスで囲んであった。
名目は不発弾処理で、1キロ以内の住民は避難させられていた。分部とその事情は、県警本部長と幹部だけが知らされていた。こんな話をいきなり信じられる人間は居ないと判断されたからだ。
かつて、この幹部全員が、清美の失踪事件の捜査員だった。その為、小谷の説得は難しくなかった。ただ警察庁に対する報告は微妙なものがあった。
竹山達は、県警の官舎で身を潜めていたが、16時には機動隊の車で雨屋に入った。
16時10分。分部のタクシーが北側に現れた。パトカーが道を開き、ブロックとフェンスまで分部は入って来た。
分部は叫んだ。
「竹山ぁー。ガキの顔を見せてもらおう。17時にガキが交差点に入らなかったら、母親の命はない。」
小谷がハンドマイクでネゴを始めた。
ー清美さんはここに来ている。まず、よしこさんを、こちらに渡して欲しいー
「ガキを交差点に入れろ!。交渉はそれからだ。」
立ち上がった清美を竹山が押さえた。
ー分部。ここに君のお姉さんが来てる。話しがしたいそうだ。ー
ハンドマイクを渡すノイズが響いた。
ー豊。やめなさい。こんな事が何になるの?。あなたは何で、姉ちゃんを苦しめた犯人と同じ事をするの?。ー
「逆に聞きたい。姉ちゃんを見捨てた警察に、なんで協力してる!。こいつらは市民の味方でも何でもない。自分達の組織が平穏無事なら、あとはどうだっていい連中だ。見ろ!。高いパトカー何台も使って、この俺を捕まえられない。証拠の書類を積み上げても、何も防げない。…俺はな!。こいつらの無能を世の中に教えてやるのさ!。」
ー違うわ!。犯人は携帯に細工してたの。警察だと思って話してたのは犯人だったの。それに偽物の110番で、別の場所に刑事さんをおびき寄せてたの!。ー
「目に浮かぶぜ。その間抜け振りが!。」
ーやめなさい。刑事さん達は、何年もかかって犯人を捕まえてくれた。卑劣なのは、私達のスキにつけ込んでくる犯人なの。私達がスキを見せなければ、犯人は犯行を犯せない。あの時の私にも事件を防ぐチャンスはあったの。ー
「待てよ…。そんな理屈は被害者の言う事じゃないだろう。」
ーこの街は。国や県や市の物じゃないの。私達の物なの。その全てを丸投げして、うまく行く訳ないじゃない。私達も犯罪に対して何かすべきなの。犯行をさせない努力をねー
分部は大声で笑った。竹山にも、その論理は筋の通ったものだと思えた。しかし、それで納得する分部ではない事も、竹山は知っていた。
「姉ちゃんの理屈はわかった。好きにすれば良い。しかし、俺の理屈は違う!。…セレモニーは終わりだ。ガキを交差点に入れろ!。」
小谷のガッカリした背中が、くるりと回って言った。
「すいません、竹山さん。清美さんをお願いします。」
二人は機動隊の輸送車を降りた。暖冬とは言え、冬の空気は冷たかった。
竹山はフェンスを越えて、先に交差点に入った。三ツ矢が抱き上げた清美を、中で受け取った。
「あの人が入ったら…お別れだね。」
清美は小さな声で言った。
「いいか?。大切なのは、清美はもどり、あいつは刑務所に入る。それだけだ。」
分部はタクシーを離れた。父親の勝利が警官を振り払って、タクシーに駆け寄って行った。小谷の顔から血の気が引いた。
「分部!。清美さんは交差点に入った!。その人に手を出すな!。」
分部はフェンスによじ登りながら、振り返った。
「両親が居りゃあ、ガキのパワーも上がるってもんさ。」
タクシーの中から、妻を救い出した勝利が交差点の中を見た。動かないはずの口から、言葉が洩れた。
「キ…ヨミ…キヨ…ミ…。」
連呼する勝利に、よしこは勝利に寄りかかりながら立ち上がった。
「あなた…清美なの?。ねー清美なの?。」
「ソダ。キヨミダ。モドテキタ。キヨミダ。」
二人は信じられないスピードで、フェンスに向かって突進し始めた。
分部は不気味に笑いながら、フェンスをまたぐ所だった。その残っていた左足に二人の手がかかった!。小谷の腕時計が17時00分を示した。
交差点の中がボヤケ始める。分部は、自分の足に絡まってくる4本の手を、振りほどこうと暴れ始めた。しかし、振りほどくどころか、二人の老人は分部につかまって、フェンスを越えようとしていた。分部に二人がのしかかり始めた。
勝利の不自由なはずの左手が、分部の持っていたノートをつかんだ。慌てた分部が、ノートの手を引き剥がそうとして、力を入れるとスッポリ抜けた。その反動で、ノートは分部の手を離れ、清美が手を伸ばした右手に入った。
すでに雨屋は、クッキリとその姿を見せていた。
「行くんだ!。清美。奴が動けないうちに!。」
「うん…でも、私…行きたくない。とおるちゃんを一人にできない。」
「いまさら…俺は大丈夫だ。お前との思い出で充分生きて行ける。」
「思い出なんて…思い出なんていらない。私はチクザンとの明日が欲しい。」
「お前の世界のとおるちゃんと明日を生きるんだ!。奴には清美が必要だ!。清美にもとおるちゃんが必要だ!。ほら…この先で待ってる。とおるちゃんが。中学校に居るはずだ。先生に助けを求めに行ってる。」
「うん。」
清美は、竹山の手から離れて、雨屋に近寄った。
離したくなかった…できれば。そんな気持ちを、二人の老人を振り払った分部がぶち壊しにした。
「じゃまするんじゃねーたぁけやぁまぁー。」
ナイフが向かってきた。スッと体を落として、ナイフの軌道から体を外した。
しかし。それはフェイントだった。体を落として、移動出来なくなった竹山を見て、分部は雨屋に向かって走った。
「しまった!。」
同時にその場にいた全員が叫んだ。
「ふっ。はっはっはっはっ。じゃな!。ガキはたっぷり、楽しませてもらうぜ!。」
絶望に叩きのめされた竹山は雨屋に行こうとした。三ツ矢と小谷が後ろからタックルして竹山を止めた。
「とめるな!。清美を渡してたまるかよ!」
「竹山さん。行ったら戻れなくなる!。」
小谷の声に竹山は、その場で崩れ落ちた。
ー第10話小谷刑事ー
に望みをつなげ!




