第十四章 出会いたくない出会い
「じゃあ、行ってくるよ」
『うん、行ってらっしゃい!』
いつものように私の頭のてっぺんにキスをして、レオンは仕事に出掛けて行った。ぱたん、と閉じられた扉を見ながら、私は小さくため息をついた。
…ついに闇の夜の日になってしまった。時間は限られているけど、私が人間に戻れるかもしれない日。
「もし失敗してた時のダメージがでかいから、あんまり期待はするなよ」ってグロリアは言ってたけど、やっぱりそれなりに期待してしまう。だって、この瞬間をどれだけ待ちわびたことか。猫になった事での不便は深刻なほどは感じない。レオンやグロリアが上手い具合に配慮してくれているから。それに猫の姿だとさして怪しまれずに城内をうろうろ出来る。これもレオンが自分の飼い猫だから自由にさせろとお触れを出してくれたおかげだと知って感謝した。幸い、今まで会った侍女さんや騎士さんは私の事を頬を緩ませて可愛がってくれている。
でも、どれだけ可愛がって貰えていても、ふとした瞬間に寂しさが沸き上がる。私もこの人たちと同じように二本の足で歩きたい。レオンと向かい合って楽しくご飯を食べたい。
(……そういえば)
私が人間に戻ったら、一緒にお風呂入りたいとか言ってたような…それに、組敷くとかどうとか危険な発言もしてた気がする…
『……とりあえず、出来る限りの覚悟はしておいた方が良さそう、かな』
とは言っても、レオンが戻って来るまでかなり時間がある。レオンはグロリアに私を預けたがっていたけど、どうやら彼は研究に集中しまくっているらしくバッサリ断られてしまったそうだ。セレスさんも侍女の仕事が忙しく、昼食は一緒に食べられるものの、付きっきりという訳にはいかない。結果、私は昼食までとレオンが戻る夕方まで一人きり。
『……散歩でも行こうかな』
扉には全て猫ドアが付けられているから出入りは自由だ。これまでも何度か一人で近場をうろうろしていた。
『そうだ、中庭に行こう』
今日は良い天気だし、緑がいっぱいの場所で考え事しながら日向ぼっこしよう!
私は簡単に毛繕いをして、中庭に向かうため猫ドアをくぐり廊下へ出た。
『うーん、気持ち良いー!』
噴水のヘリに座り、大きく伸びをする。ついでにあくびをひとつ。
見渡す限りの緑。暖かな木漏れ日。噴水からは絶えず澄んだ水が噴き出し、そよそよと過ぎていく風がとても心地良い。絶好の日向ぼっこ日和だ。
目を閉じ、小さな鼻いっぱいに木々の匂いを吸い込む。はぁ、癒されるわ。
そのまましばらく何も考えずにボーッと揺れる葉っぱを見上げていた。と、どこか遠くの方から誰かの声が聞こえて来て、そちらに目を向ける。と、木々の隙間からチラリと黒いローブらしきものが見え、心臓が凍り付きそうになる。
慌てて近くの植え込みに飛び込み、身体を縮ませて息を潜める。
「……本当にここか?」
「生体反応があった。間違いない」
しばらくすると噴水の前にローブ姿の人間が現れた。それも、二人。
「全く…せっかく捕らえたというのに、邪魔が入ってしまったせいで又も見失ってしまった」
「まぁでも、この城内にいる事は間違いないんだし、探せばいつか見付かるでしょ」
なんだろ…何の話をしているの?
恐る恐る顔を上げて二人組を窺う。フードを深く被っているせいで詳しい顔立ちは分からないが、二人とも男性であることは喉と顎で判断出来た。一人は身長が物凄く高い。身体は全体的にごつごつな筋肉質な感じ。もう一人はローブ越しでも分かる程細い。まるで枝みたいだ。大柄な方は耳の辺りから鮮やかな青色の髪が見えている。
(青色の髪なんて、珍しい…)
「お前は本当に楽観的だな。リンクスの尻拭いなんて俺は御免だがね」
「まーまー。メシエは頭が固いなぁ。もし俺らが先に見付けたら、俺らの手柄になるんだぜ?もしそうなったら山ほどの報償金が全部まとめて手に入るんだ。しばらくは遊んで暮らせるぜ」
「カラス。あまり余計な事をべらべら喋るな。誰かに聞かれていたらどうする」
メシエと呼ばれた青色の髪を持つ男は盛大にため息を吐く。
「そもそもリンクスが失敗しなければ、俺達が城に潜り込む事もなかったんだ」
「俺はちょっと楽しみなんだよねー、今回の任務」
カラスと呼ばれた男は、細い顎にこれまた折れそうな程細い指を当て、にやりと笑う。
「何がだ?」
「すっごい可愛いらしいじゃん、今回のターゲット。もし先に見付けられたらちょっと遊びたいなーって思ってさ」
「遊ぶ?」
「そ。だってどっかの姫様なんだろ?こんな時でなきゃお近づきになれないじゃん。抵抗する気力もなくなるぐらい滅茶苦茶に虐めたいなー」
……このカラスって男、かなり危ない思想を持ってるみたい……三日月みたいにつり上がった口が怖い。
「……お前の趣味は分からん」
呆れたように呟いたメシエは噴水に近づき、屈み込んで私がさっきまで座っていた場所に触れる。
「そう?楽しいよ?虐めた後はちゃーんと甘やかしてケアするし、長い時間をかけて調教した相手の心が俺んとこ堕ちて来た瞬間なんて人を殺した時みたいにゾクゾクする。あぁ、最近味わってないなー、そんな感覚」
「…………」
わざとらしく身をくねらせて語るカラスを完全に無視し、メシエは何やら指先に集中しているようだ。ややあって、
「…まだ城内にいるようだ。だが、強い保護の魔法が掛けられているらしいな。存在が曖昧になっている」
「かくれんぼって訳か。どうやら姫様には厄介なバックアップが付いちゃったようで」
「そうなる事は予想通りだ。帰って老師に報告するぞ」
「へいへい」
メシエが立ち上がった瞬間、二人の姿が絵の具に水を垂らしたみたいに滲んだ。そして完全に消える間際、カラスが呟いた言葉に私は戦慄した。
「早く見たいなぁ、金の瞳」
カラスとメシエが完全に消え去ってからどれぐらい経っただろう。私は長い時間うずくまったまま固まっていた。
……最後にカラスが呟いた言葉が頭から離れない。金の瞳って…私の事を探していたんだろうか。恐らく二人は黒兎の一員だろう。噴水から逃げておいて本当に良かった。今すぐレオンの部屋に帰りたいけど、まだこの辺にいたらと思うと怖くて身体が竦んで動けない。
どうしよう、もしカラス達が狙っているのが私だとしたら、レオンやグロリア、セレスさんに更なる迷惑をかけてしまうかもしれない。
それに、今日は闇の夜。人間の姿に戻っている時に見つかってしまったら…
(レオンに…報告しに行かなくちゃ)
そう思うんだけど、足が震えて上手く立てない。気持ちだけが焦る。と、
「シルヴィア?シルヴィア、どこにいるの?」
聞きなれた声に耳がぴくんと動く。セレスさんの声だ!
『セレスさぁん、ここ、ここですー!』
「シルヴィア!?」
私の切羽詰った声に驚いたのか、すぐにがさがさと近くの茂みを探す音が聞こえ、やがて
「ここにいたのシルヴィア!どうしたの、怪我でもしてるの!?」
物凄く心配そうな顔のセレスさんが視界いっぱいに映りこむ。その途端緊張が緩み、私はその場にへたり、と突っ伏した。
「シルヴィア、大丈夫!?」
慌ててセレスさんが私を抱き上げてくれる。その温もりに、目尻からほろりと涙が一粒零れ落ちた。
「大丈夫よシルヴィア、すぐにグロリアのところに連れて行ってあげるからね!」
泣きじゃくる私を胸にしっかり抱き締め、セレスさんは医務室へと足を速めた。
「………なるほどな」
一通り私の話を聞き終えたグロリアが、深いため息とともに呟いた。
血相を変えて医務室に飛び込んできたセレスさんを驚きながら迎えたグロリアは、その腕に大泣きしている私を見付けた瞬間駆け寄り、すぐに診察してくれた。もちろん外傷はなく、何かおかしいと思ったグロリアは私が泣き止むまで背中をずっと撫でてくれていたのだ。そしてようやく落ち着いた私の話を聞き、今に至るというわけだ。
「まぁまず間違いなく黒兎の一味だろうな。よく頑張ったなシルヴィア、怖かっただろ」
「本当に、よく耐えたわシルヴィア。何事もなくて本当に良かった…」
セレスさんが私をぎゅうっと抱き締めてくれる。その温もりにまたじわりと目尻に涙が浮かぶ。
「しかし困ったな。今日は闇の夜。シルヴィアが人間に戻れる日なんだが…」
グロリアが頭をがりがりと掻く。
「人間に戻らないという選択肢もあるにはあるが、それはきっとレオンの奴が拒否するだろうな。本当は俺とセレスもレオンの部屋で祝うつもりだったんだが…」
「あまり人が集まると、その分黒兎の目に付きやすくなるでしょうね。私たちは遠慮しておいた方が良さそうだわ」
「そうだな、祝うのは次の機会にしておこう。とりあえず保護の魔法を強化しておいた。それからシルヴィア」
私がグロリアを見上げると、
「お前には姿を消すという技も使えるようになっている。いざという時は念じて姿を消すんだ。いいね?」
『念じる…?』
「そうだ。自分の姿が透明になるイメージを作るんだ。そうすると首輪が反応して魔法がかかるようになってる」
『わ、分かりました』
「今日はもうレオンが戻るまでずっとここにいろ。迎えに来るよう連絡しておくから。セレス、礼を言う。お前が見付けてくれなければシルヴィアがどうにかなっていたかもしれない」
「お昼ご飯の時間になっても部屋に戻ってこなかったから、おかしいと思って探していたの。…間に合って良かった」
セレスさんの表情がきゅっと引き締まる。私は感謝を示す為にすり、と頬ずりした。
『セレスさん…本当にありがとう』
「これからは一緒にお散歩行きましょうね。侍女長様にお伺いを立ててみるわ」
「それなら俺から言っておこう。その方が手っ取り早いだろ」
「そうですね、では申し訳ありませんがよろしくお願いいたします」
そう言って一礼すると、セレスさんは仕事に戻って行った。
「…さて、シルヴィア。レオンが戻るまで暇だろ。ちょっと付き合え」
『え?』
「こないだの検診じゃまだ足りないって言っただろ?ちょうど俺の手も空いてるし、調べさせてくれ」
『あ、う』
グロリアの目つきが一気に研究者のそれに変わり、思わず一歩後ずさる。
「はーい、じゃあまず最初はこっちな」
『最初!?』
かくして私はグロリアにがっちりホールドされ、得体の知れない機械に押し込まれたのでした…