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最終話です*
途中、残酷表現入ります。お気をつけくださいm(__)m
「う・・・・」
「なんだぁ? なかなか可愛げのある顔してるじゃねえか。これなら金貨一枚で売れそうだ」
「いいや。コイツの着てるドレスと装飾を売れば、金貨三枚は堅いぜ。――おい、そこらに着古したシャツがあっただろう。それを着せておけ」
手下に顎で指図する男を見上げる。顔を地面に押し付けられている状態では片目しか使えなかったが、それでも男が醜い顔をしているのが分かった。
顔の造形ではない。――心の醜さが、顔に現れているのである。
―――なんとかして、逃げないと。
ツィアベルは馬車から飛び降りて、あまりの衝撃に立ち上がれないところを、夜盗に捕まってしまったのだった。身なりのいい格好をした貴族の女を見つけるなり、夜盗達の眼は輝いた。久方ぶりの獲物である。場所を目立たない草むらにわざわざ移動して、どうにかして高値で女を売ろうと算段する男たちに、ツィアベルは吐き気がした。嫌悪感が溢れ出てくる。
そんな彼女の表情に気づいた男が、かっと顔を怒らせた。
「なんだお前。その顔は―――」
「・・離して。私は今すぐにでも行かなきゃならないところがあるの!」
「さてはお前、駆け落ちだな? いい身分の女はすぐこれだ。馬鹿で単純で自己評価だけは阿呆みたいに高い。――いいか女、お前みたいな貴族の女を俺は何十と見てきたがなぁ、みんな最後は同じ末路だ」
男がにやりと笑みを浮かべる。その笑みに、サッと寒気がした。
ツィアベルの周りを、夜盗達が取り囲む。その顔すべてに男と同じ笑みが浮かんでいるのを見て、ツィアベルは全身が冷たくなった。
「――どういう、こと」
「金になるのさ。俺達が酒を買って肉を買って、女を買う金貨になるんだよ」
「ああそうさ!ちがいねえ!みーんな宿屋に売られちまったよ」
ガハハハと笑いだした男たちに、嫌悪感が最高潮に達した。
売られていく女の泣き声を真似する男を睨み上げ、その顔に唾を吐いた。笑い声がピタリと止まり、辺りがしんと静まり返る。
目の前の男は、底冷えするような眼でツィアベルを睨んだ。
「あなたみたいな男、生きている価値もないわ! 人は物じゃないのよ!お金でなんて扱っていいものじゃない。あなたがそうやって手に入れたお金でいったいどれほどの人が、苦しんできたと思ってるの?あなたが生きるように、あなたが売り飛ばしてきた女の人達にも人生があるのよ、それを―――」
「うるせえ! おい、コイツを縛り上げろ!!気が変わった。この偽善者ぶった女を此処で殺す」
「っ殺せるものなら殺してみなさい!私は死なないわ・・・あの人に会うまで、絶対に死なない!!」
男が手下から剣を受け取る。ツィアベルはその切っ先を睨み上げた。
死なない。絶対に、死ねない。
あの人に会うまで―――エインリッヒ様に愛していると伝えるまで。
切っ先が振りかざされる。鈍い銀色が光った。
男の怒りと憎悪に満ちた顔が歪む。ツィアベルはぴくりとも表情を動かさなかった。
抵抗しようと体をがむしゃらに動かす。
「この女!手こずらせるんじゃねえ!」
背中を蹴られて、息が止まった。
エインリッヒの顔が浮かぶ。
初めて会った時の物憂げな横顔。迷宮のような庭園で座り込むツィアベルを見つけた時の真っ青な表情。誕生日に花を贈ってくれた時の彼の耳の赤さ。冗談を言って、いたずらに煌めく瞳。ダンスを踊る時の見守るような視線。
そしていつもの、優しい微笑。
好き。大好きだった。
いつまでも一緒に肩を並べて笑っていたかった。
――会いたい。でも、もう会えないのかしら・・・・。
赤い血が暗闇に舞った。肉を切り裂く音が、耳に届いた。
「―――う、ぐっ・・・あ」
「え・・?」
やってこない痛みに、はっと思考を戻す。目の前には、喉を抑えて喘ぐ男の姿。そこからは赤い血が音を立てながら吹き出していた。
「な、んだぁ?! てめぇは!!?」
「お、お頭!しっかり!!!」
眼を見張るツィアベルの前で、男たちが次々に崩れ去ってゆく。
屈強な男たちに剣先を向けるのは、華奢な少年だった。あれだけ背が伸び、男らしくなったと感じていた彼は、全身傷だらけで筋肉がついた男たちの前では、まるで子供のようである。だが、迷いのない剣捌きで男たちを仕留めてゆく少年は、今まで見てきたどんな彼よりも、逞しく格好良かった。
ツィアベルが眼の前が霞んだ。
どうして・・・エインリッヒ様―――その言葉が喉元から出かかった。
「ツィア! 立って!」
と、初めて聞いた彼の怒声に、ツィアベルはハッと現状を思い出す。
まるで剣舞が舞うように男たちを斬り付けてゆくエインリッヒ。美しさは此処に来ても健在だったが、見惚れている場合ではない。
ツィアベルは痛む腰に気合を入れ、なんとか起き上がる。エインリッヒは退路を塞いでいた男の腹を切り裂き、蹴りつけると、ツィアベルに手を伸ばした。
掌と掌が合わさって、強い力で引き寄せられる。
―――エインリッヒはあの豪速で走りだした。
*
「はぁ?!馬車から飛び降りた?――君は何を考えてるんだ!」
「ご・・・ごめんなさ・・・ケホっ」
「城から君の屋敷のあるブリスタまでの道はあまり治安が良くないんだ。知らなかったのか?」
「ケホケホ・・・し、知ってました。でも忘れてました・・・ゲホっ」
「――ああもう! どうして君はちょっと抜けてるんだ」
お怒りのエインリッヒの前で、二十一歳のツィアベルはぜえはあと荒い息を繰り返す。
侯爵家の玄関で地面に手をつくという醜態を犯す彼女を咎めるものはいないが、かれこれ30分近く説教を続けるエインリッヒを止めるものもいない。
使用人は皆気を使って引っ込んでいた。
ツィアベルはエインリッヒのあまりの足の速さに、走りだして一分で音を上げたが、少年は走るのをやめてはくれなかった。エインリッヒが皆斬ってしまったおかげで追手はなかったが、気を緩めるわけにはいかないと彼は侯爵家まで走り続けたのである。
降りた馬のことは失念していた。尋常でない速さで、尋常でない距離を走らされたツィアベルは今にも倒れそうだった――倒れなかったのが不思議なくらいである。
――、一生分の運動をした気がするわと内心つぶやいていると、仁王立ちしていたエインリッヒが急に彼女の前に屈みこんだ。
「鈍感だし、ちょっと抜けてるし、そのくせ変なところで強気で負けず嫌いだし」
「――あの、それってどなたの事ですか?」
「もちろん君の事だよ」
「あ、そうですか・・・ケホケホ」
「正直、君以上に美しい人はたくさんいると思う。それはたくさん」
「・・なにげに失礼な事を仰ってますよ――エインリッヒ様」
「自覚はあるから許してくれ。―――でも、君以外に僕の心を掴む令嬢はいないんだ。いつだって君に眼が行く。何処にいたって君が気になる。君を思うと苦しいくらいに心が締め付けられる」
エインリッヒの細い指が咳き込むツィアベルの顎をすくう。
ツィアベルは唖然とした。なんだろう、この貴公子の甘い視線は。
「君が欲しいと思う―――この気持ちは、なに?」
問うように眼が細められる。口端には微かに笑みが滲んでいて、わざとツィアベルに答えさせる気のようだ。ツィアベルは信じられないという思いで彼を見つめながら、小さく唇を震わせた。声が掠れて出ない。眼をぱちくりして口をぱかぱかと開閉する彼女の言葉を、エインリッヒは根気よく待った。
「エインリッヒ様、・・実は私もエインリッヒ様と同じような気持ちで貴方の事を思っていました」
「へえ、それは奇遇だね」
エインリッヒの顔に、天使のような微笑がほわりと浮かび上がる。だが別段、驚いた様子はない。どうやらツィアベルの気持ちなど、お見通しだったらしい。
人のちょっとした感情の機微にも敏感なこの少年には当然かもしれない。ツィアベルは少しだけ悔しく思いながらも、それはそうかと納得した。
エインリッヒが再び黙り込んだツィアベルを急かす。
「それで? 君はその気持ちの名前が分かった?」
「――エインリッヒ様なら本当は既に、分かっていらっしゃるんじゃないのですか?“賢い”エインリッヒ様ならそれくらい簡単でしょう?」
「いいや?分からない。僕は阿呆だから」
「――嘘です」
「本当だよ。傑作の阿呆なんだ。さ、いいから言ってごらん。恥ずかしくて声が小さくなってしまうなら、耳を貸してあげるから。さあ」
ちょいちょいと耳を叩いて、口元に寄せられる。
ツィアベルは真っ赤になった。なんでこんな恥ずかしいことを言わなくてはならないのか。
素直に好きだ、愛していると言う方がまだマシである。
「早く早く」
「―――~~っああもう!エインリッヒ様が言ってください!」
「だから僕はわからないんだって。やっぱり君は諦めが悪いなあ。ほんとうに。一言言うだけだろう?ささっと言ってしまえば良いんだ。そうしたら恥ずかしくなくなる。林檎みたいに赤くなってないで――諦めが肝心だよ」
5歳も年下のエインリッヒに呆れられ、困った人だと肩を竦められる。
悔しい。その思いが胸の内でぐつぐつと湧き上がった。どうしていっつも自分ばっかり。どうしていつも、こうも年下の侯爵家の少年に心を揺さぶられてしまうのか。
どうしてどうして―――。私はエインリッヒ様が好きなのか。
唐突に、音が鳴るほど強く彼の両頬を掌で挟んだ。エインリッヒの唇がむにゅっと突き出る。その碧い瞳は丸くなって目の前の彼女を見つめていた。頭の上に疑問符が浮いているのが分かる。
小さな子どものような顔に、ようやくツィアベルにも心の余裕ができた。
いつもリードされてばかりでは年上の立つ瀬がない。
此処は年上の余裕よ―――ツィアベル。
言い聞かせ、ツィアベルはウンウンと頷くと物は勢い――というように、エインリッヒの顔を引き寄せ、大胆にも唇を合わせた。
少年の眼が点になる。
色気もへったくれもないような、唇の痛いキスだった。
「痛い・・・」
「いじめたお返しです」
彼女はその顔を見て、にこやかに笑った。してやったりである。
実のところ、お返しも何も仕方が分からなかったので、ただぶつけてみただけなのだが、とりあえずそういうことにしておいた。
そうして、少女は高らかに宣言した。阿呆だというエインリッヒの為に、教えてやった。
清々しいくらいの笑顔と共に、侯爵家のエントランスで、満月の夜、彼女は言い切った。
「――エインリッヒ様はね、私に恋しているの!」
その晩、ふたりの会話をこっそり聞いていた使用人達によって盛大な拍手がふたりに贈られた。元商家の娘は長い片思いをしていたが、侯爵家の坊ちゃんも長い片思いをしていたのである。
涙ぐむ筆頭執事をはじめとして、坊ちゃんの片思いを知っていた使用人達が祝いの言葉を投げかける。
「――そういえば、エインリッヒ様のお話したい事って何だったのですか?ダンスが終わったら話してくれるってお約束の・・」
「ああ、あれ―――」
「ダンスは踊ってませんけど、教えてください」
ツィアベルが上目遣いに見上げる。少年は困ったように視線を彷徨わせ、そして覚悟を決めたように彼女の耳に囁いた。
「うふふ。私もです。エインリッヒ様」
「・・そうじゃないと困るよ」
エインリッヒが恥ずかしそうに顔を赤らめるその横で、ツィアベルは光輝かんばかりの笑顔を浮かべていた。
とりあえず此処で完結とさせて頂きます。続編は考え中です。
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