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4話でも終わらなかった。ちーん。

あと少し応援よろしくお願いします。お気に入り登録して下さった方、ありがとうございます*


「マリアンヌ様とエインリッヒ様のお話を聞きまして?」


「ええ。あの侯爵家とその次に栄えある伯爵家とが縁続きとなると、よもや社交界は今のままの状況というわけにいきますまい。これから貴族界は大きく変容するでしょうな」


「まあ縁談が進めば、だろう」


「いやいや。必ず婚約なさるに違いないよ。でもなあ、マリアンヌ様は王太子のお気に入りと伺っていたから、そのうちに王太子妃になられると思っていたんだが」


「まあ。では三角関係?王太子と侯爵家のご嫡男、そして伯爵家のご令嬢の恋愛劇ということになりますわね。まあまあ、なんてドラマチックな」


「お、噂をすれば王太子の登場だぞ」




 ツィアベルは最後の男の言葉に伏せていた顔を上げた。派手なファンファーレと共に、扉からひとりの青年が会場へと姿を現した。濃茶の髪に琥珀色の瞳。この国の貴族ならば誰もが一度は絵姿などで見ている、今年18歳になる王太子だ。 


天使の如く繊細な美しさを持つエインリッヒとは少し違う美を持った王太子。王族の威厳を身に纏い、白を貴重とした軍服に身を包んだ王太子にはどんとした静けさがある。エインリッヒが笑みの天使ならば、王太子は氷の人形。まさにそう例えるのがふさわしい対称的なふたり。そのふたりが今、お互いに黙ったまま対峙していた。



 ツィアベルはその様子をはらはらしながら見守っていた。


 今、彼女は王家主催の春の夜会に招かれ、城へやって来ていた。エインリッヒと駆けっこをした日・・・伯爵が令嬢を伴って屋敷に現れ、婚約を提案した日から、もうひと月余りが経っていた。その間、ツィアベルはどの夜会への出席も断り、エインリッヒからの会いたいという旨の手紙にも返事をせずにすべて机の奥にしまい込んでいた。そうしてひと月ほど、ひきこもりになっていたのである。

しかし今回の王家主催の夜会はさすがに断れず、しぶしぶやって来たのであった。



 ツィアベルはエインリッヒと王太子が幼なじみであることを知っていた。彼から聞いていたのである。その王太子と今、彼が無言で対峙している様子に、不安を禁じえなかった。仲がいいはずのふたりの間の無言が、不安を煽る。

貴族たちが言うように、三角関係なのだとしたら、エインリッヒは大丈夫なのだろうか。絶大な権力を誇る侯爵家とはいえ、彼もまた王家の仕える国民のひとり。その主と仲違いしてしまったら、彼は・・・無事でいられるのだろうか。



「――おお、何か喋られたぞ。笑みを交わしておられる」

「恋敵とはいえど、やはり幼いころから仲良しでいらっしゃるものね」

「微笑ましいわね」



だが、ツィアベルの懸念はすぐに晴れた。一言二言、言葉を交わすと、エインリッヒの顔にあどけない笑みが浮かんだのだ。それを見た王太子が目元を緩める。

ふたりは和やかな雰囲気で話を始めた。それを貴族たちが遠巻きに見つめる。

みな伯爵が令嬢を伴って縁談話を侯爵家に持ち込んだことを矢のように駆け抜けた噂で知っているのだ。その眼は好奇で輝いていた。



侯爵家と伯爵家、それに王太子が今後どのように動くかを当事者を遠巻きにして話しだす大人たち。世上が今後どのようなものになるかを真剣に話し合っているのだ。

ツィアベルはそのなか、ひとり壁の花と化して、物思いに耽りながらグラスを傾けていた。




 この前の夜会で伯爵家の令嬢の手を取って笑みを浮かべていたエインリッヒを思い出す。つきんと胸が痛んだ。



―――彼は、やっぱりあの令嬢を好きなのだろう。その気持を本人からはっきりと聞いたことはないが、ツィアベルは真剣にそう思っていた。

出会った日、エインリッヒが照れたように顔を赤くしながら、ツィアベルを茶会に誘ってくれたことを思い出す。


あの時、エインリッヒは自分に好意を持ってくれたのだと分かった。それから遊びの誘いが増えるのにつけて、ますますそう思った。ツィアベルも純粋にエインリッヒの好意が嬉しく、庭で迷子になったとき以来彼に恋心を抱いていたので、エインリッヒと過ごせる日々はとても幸福だった。



 しかし、エインリッヒの好意は「愛」ではなかったのだ。そう思い至って、自分が恥ずかしくなった。消えてなくなりたいほどに。彼から愛を囁かれたことなど一度もないのに、何を思い上がっていたのだろう。どこか漠然と彼の愛を信じていた自分が、卑しく感じられて仕方がなかった。


「馬鹿ね・・・わたしったら」


そう呟き、自嘲の笑みを浮かべる。エインリッヒをぼんやり見つめた。あんなに素敵な少年が自分の事を愛しているわけがないではないか。あまりにエインリッヒが気易いから、彼が他の貴族のようにツィアベルを遠巻きにしないから、勘違いしまったのだ。



話し込むエインリッヒと王太子のところへ、噂の伯爵令嬢がやって来た。広間が少し静まる。ぼんやりとしていたツィアベルも息を呑んで彼らを見つめた。

エインリッヒが床に膝をつく。その横で王太子も同じように膝をついた。ふたりが令嬢の手を取る。エインリッヒの横顔が、陽光のように眩しく輝き、彼が何かを言うと、令嬢は柔らかな笑みを浮かべた。その笑顔の美しさに思わずため息が漏れる。



やっぱりエインリッヒ様は、令嬢のことを・・・。

ツィアベルは締め付けられるような胸の痛みを感じながら、その光景を見つめた。

三人が笑みを交わし合い、ホールに音楽が響き始めると、かたまっていた貴族たちがそろそろと踊りだす。王太子が王族の席に戻り、エインリッヒと令嬢も踊りだした。この前の夜会と同じように、微笑みながら踊るエインリッヒに涙腺が圧迫された。


そんな彼女のところへ、父男爵がやって来る。父はツィアベルに気遣わしげな視線を向けたが、彼女が気丈な笑みを浮かべるとその背に手を置いて歩き出した。




「陛下にご挨拶を申し上げねばならない。すまないが頼むよ。挨拶が終われば、すぐにでも屋敷へ帰してやろう」

「―――・・ごめんなさい。お父様」

「なにがだ?」

「気を使わせてしまって・・・役に立てなくて」



内気で貴族の中に溶け込めない自分を責めるツィアベルに、男爵は小さく笑い、そして娘の頬を撫でた。眼を見開くツィアベルに男爵が眼を細める。


「そういうところは母さんにそっくりだな。相手の事ばかり考えていつもすまなさそうにする」

「お母様に?」

「ああ――ベル。私はお前を役立たずなど思ったことはない。母親を亡くしてから、弟達の面倒を文句ひとつ言わず見てきてくれたお前にはとても感謝している。貴族になったことで、お前が苦手な世界に送り込むようになったことにはむしろ、申し訳ないと思っているんだ。それなのにお前はよく頑張ってくれている。ベル、あまり自分を落とすな。お前は自慢の娘だよ」



その言葉に、ツィアベルは涙を流さずにはいられなかった。化粧が流れるので、慌てて止めたが、男爵の優しい笑みに何度も涙腺が緩んだ。


「ありがとう・・お父様」


「ああ。お前はお前のままであればいいよ。それと――お前はネルグイスワールの令嬢でもあるが、ツィアベルというひとりの人間でもある。お前の人生だ、思う道を進みなさい。今まで苦労ばかりかけさせてきたからな。恋のひとつやふたつ、冒険してみてもいいんじゃないか」


「・・・お父様」


「恋が駄目とは言わないさ。若い内はどんな無謀そうだと思うことでも、やってみる価値がある。失敗しても長い人生だ、いくらでも巻き返せる。父さんはそうやって、ネルグイスワールの家を大きくしてきた。高嶺の花と言われていた母さんも、それで手に入れたんだぞ。・・・・大事なのは挑戦だ、ベル。挑戦しないものには何も与えられない。欲しいのなら自分から手を伸ばせ」



男爵はそう言うと、ツィアベルを馬車に乗せた。力強い父の笑みに、涙を拭き取る。

負け犬、と罵られても何も感じない。エインリッヒから飽きられたのだと嗤われても、気にならない。むしろ、父の言葉でツィアベルは何かから解き放たれて気が軽くなった心地がしていた。



―――家訓を思い出せ。

馬車に乗り込む際に、囁かれたその言葉。


ツィアベルは馬車に揺られながら、心を決めた。



強請るな、勝利とは自ら勝ち取るものである。




「エインリッヒ様・・・・」


叶わなくてもいい。ただ、この気持だけは伝えたい。強請るだけでは、待つだけでは何も変わらないのだから。

内気な少女の瞳が強く輝く。その表情(かお)は決意に満ち溢れていた。



「っ――ごめんなさい! 馬車を止めて!」


ツィアベルは御者台へ続く小窓を力強く叩いた。だが、馬を動かしている御者は気がつかない。どれだけ叩いても気がつかない御者にしびれを切らし、ツィアベルはとうとう思い切った行動に出た。

内側から馬車の扉を開いたのである。駆ける馬ほど速さがないとはいえ、飛び降りれば怪我は免れない速度で走る馬車。おまけに暗闇で地面がはっきりと目視できない。

動きにくいドレスに身を包んだ彼女では受け身すら取れないだろう。


だが、ツィアベルは覚悟を決めた。弱気になっている場合ではない。

気持ちを伝えなくてはならないのだ。それは、今でなければいけないような気がした。

息を止める。目をつぶり、神に祈りを捧げる。



『ツィアベル。今度の生誕記念パーティで、僕と一緒に踊ろう』


『私、ダンスが踊れません』


『じゃあ教えてあげる。こっちに来て』


『え、あ――エインリッヒ様! 無理です、踊れないんです。ほんとうに苦手で・・』


『僕がリードしてあげるから大丈夫。君ならうまく踊れるよ。――そう、そっちの足を動かして。次はターンだ。右足を引いて・・・・本当に苦手なんだね。糸が切れた人形みたいな動きだな』


『言ったじゃないですか。馬鹿にするのならやめてくださって結構です!エインリッヒ様なら踊ってくださる方なんて選り取り見取りでしょう』


『ごめんごめん。・・それってもしかして妬いているの?』


『――妬いてません!もう、踊りませんから離してください』


『冗談だよ。怒らないでくれ。・・・それに踊ってくれなきゃ困るんだ』


『?どうしてですか?』


『踊ってくれたら分かるよ。話したいことがあるんだ―――って痛い痛い。両足を踏むっていったいどんなステップなんだ?!これは・・・凄まじい特訓が必要だな』


呆れながらも柔らかな笑みを零していたエインリッヒの言葉を思い出す。

そうだ。ダンスを踊り終えたら話してくれると言っていたあの言葉はなんだったのだろう。

結局、約束を放り出して逃げ帰ってしまったせいで聞けていない。

エインリッヒに思いを告げたら、そのことも聞いてみよう。

そして今度こそ、必ず彼とふたりで踊るのだ。



「待っててエインリッヒ様。必ず会って、気持ちを伝えるから―――」


もう迷わない。周りなんて気にしない。――貴方のことだけを考える。

ツィアベルは暗闇の中に身を投じた。







「え?ツィアベルはもう帰った?」


その頃、幾多もの女性とのダンスに疲れ果て、なんとかネルグイスワール男爵を見つけたエインリッヒは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で男爵に対面していた。華のようなかんばぜには、疲労の色が浮かんでいる。

ネルグイスワール男爵は、はい、と頷いた。


「そう――ですか。分かりました。また、手紙を送りますとご令嬢にお伝い願えますか」

「もちろんでございます。屋敷に帰り次第、すぐにお伝え致しましょう」

「ええ。お願いしました。・・では失礼致します」



エインリッヒは小さく笑みを浮かべ、美しい所作で礼をするとくるりと背を向けた。

その顔には落胆と焦燥の色が伺える。足早に会場を出ていこうとした彼を、背後から呼び止める声にエインリッヒは少し吃驚しながら振り返った。

ネルグイスワール男爵である。


――まだなにかお話があるのだろうか?


内心首を傾げるエインリッヒに、ネルグイスワール男爵は歩み寄り、世間話という軽い感じで喋りかけてきた。



「実は先日、ルドモン子爵家より縁談のお話を頂いたのです」

「――ルドモン子爵から?」



だがその内容は、エインリッヒにとっては稲妻に打たれたような衝撃を与えるものだった。ひくり、と彼の目元が強張る。子爵家には、自分と同じくらいの年の息子がひとり居たはずだ。その子爵家からの縁談ということはもちろん、ツィアベル宛であろう。



「ええ。最近あちらは所有の鉱山から銀が採れたとかで盛り上がっていましてね。小さな鉱山なのですが、私としてはこの話をありがたく感じておりまして。ぜひ近日中にも承諾のお返事を返そうかと――――」

「だめだ!!」

「――駄目?それはなぜでしょう?」



きょとん、とした様子の男爵が尋ねる。エインリッヒは声量を抑えながらも声を荒げた。

あまりの剣幕に金の前髪が揺れ、その下の碧い瞳がきりりと男爵を睨み上げる。

ツィアベルが見れば、腰を抜かしそうな“天使様”の恐ろしい形相だが、男爵は全く動じていない。意味がわからないという顔をしたまま、彼は内心で小さく笑みを浮かべていた。

 

神秘的な美を持ち、人間離れした侯爵家の嫡男だが、意外にも感情は豊かでまだまだ幼い。感情のままにそれを表すエインリッヒを好ましく思いながら、男爵は無表情を貫いた。



「ツィアベルにはもっとふさわしい相手がいる。その人物を私は知っているのです」



ちらり、と辺りに視線を配ったエインリッヒがさらに声を抑えて言った。

辺りには数人、このふたりの組み合わせを興味深げに見ている者がいる。それを忌々しく思いながら、エインリッヒは哀願するように男爵を見上げた。



「ほう! その相手とは例えばどんな?」

「それは―――」


エインリッヒの願いもむなしく、男爵は面白そうに片眉を上げると、声を張り上げるようにして尋ねてきた。何事かと周りの貴族の視線を集める。



「私としては子爵家のご長男が最善の相手と考えているのですがね――そうですか、エインリッヒ様のお見立てするところによると、そのご長男よりも優れた相手がいるのですね。―――して、それはどんな?」



途中で男爵がこの状況を楽しんでいるのだと気がついたエインリッヒは、思いもよらない男爵の内面に吃驚した。

――真面目で善良そうな人だと思っていたが案外、(たち)が悪い。まんまと男爵の手中に収まってしまったな。・・ああもう、なんとでもなれ!


エインリッヒは半ばやけくそになって言い放った。碧い瞳が男爵の眼を見据える。


「―――私です。ツィアベルの夫には、私が一番適している。彼女を幸せにできるのは、私しかいない」



エインリッヒの言葉に、静まり返っていた会場がざわざわとざわめきだす。

ご婦人方の悲鳴のような声が上がるなか、エインリッヒは真摯な眼差しで男爵を見上げていた。

ふたりの間に無言が満ちる。しばらくして男爵が口を開いた。


「ベルは半刻ほど前、屋敷に帰しました。 馬でなら追いつけるでしょう」

「――ありがとうございます。男爵!」


エインリッヒが華が咲いたような笑顔を浮かべ、反転する。そのまま、そんな細い足のどこにそんな力があるのかと疑いたくなるほどの速さで会場を駆け抜けていった。

どうやら運動は得意らしい。3年程前までは、ドレスを着せれば少女のようだと思っていた少年の成長に軽く眼を見張りながら、男爵はやっと肩の荷が下ろせるなと息をついた。



若者たちには若者たちの物語がある。熱い青春に、男爵は今は亡き奥方との恋の日々を思い出した。高嶺の花と呼ばれた少女を、平凡な男が手に入れるには、それはそれは多大な努力を用した。情熱の日々、駆け抜ける愛おしさ、眩しいひかり。


彼らの恋は今、始まったばかりである。





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