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1 崖の上の少女

家出をした。

 いや、一応書置きをしているが大体家出であっている。

 そんな俺は今、なけなしのお小遣いを使ってわざわざ遠くに住まう祖父のいる島に訪れている。とりあえず隠れ家欲しかったのだ。我ながら浅はかな考えだと思うし、ガキが考えるようなことだと思う。

 まあ、俺はそこまで大人ではない。齢十六、高校生になったばかりのなのだから、まだまだ俺は子供だ。

「おう、着いたぞ坊主!」

 子供なのは分かっているが、せめて名前で呼んでくれないだろうか。船の中で話し掛けられてから俺はずっと、自分の名前を名乗っているのだが一向に聞き入ってもらっていない。

「おじいさん……坊主じゃなくて、信太だって」

「おう、そうだったな。信太(しんた)坊主着いたぞ」

「……、」

 合成された。

 二つを一緒にされた。

 信太と坊主を。

「どうした、信太坊主」

「……いえ、何にもないです」

 もう何を言っても無駄だと悟った俺は、訂正することを止めた。諦めたわけではない。ただ、単純に無駄だと感じたからである。

 俺は気が付かれないように大きく息を吐くと、最低限の荷物を入れたバッグを背負い、船から降りることにした。来る途中に穏やかだとは思ったが、それでも少し船が揺れている所為で体がふらつく。

 そんな俺の背中を、ずっとお酒を飲んでいた女性が両手で支えてくれた。口から出る言葉の割には、良い人ではないか。

「ちょっと、ふらついてないでさっさと降りなさいよ。今にも吐きそうなんだから」

 先程思ったことは却下。

 尊敬して損した。

 背中から手を離すと、彼女は口元を手で抑えた。そして、必死に吐きそうになる物を抑え込んでいる。

 俺ははあ、とため息を吐きながら、

「大丈夫ですか、お姉さん?」

 そう尋ねると、彼女は蒼い顔を俺に向けながら、

「な……なんとかね」

 それから数分間、俺は見ず知らずの女性を見捨てることが出来ずに看病をしていた。さすがに降りた場所で(うずくま)らせている訳にはいかないので、近くにある観光案内所で連れて行って休ませる。

 そして、横にさせると案内所の人に念のためにとバケツを借り、しばらく面倒を見た。

「悪いわね」

 一時間ほど経って落ち着いた頃、彼女は上半身を上げながら礼を述べる。

 対する俺は、

「いえいえ」

 と当たり障りのない言葉を返しておいた。

 その返答に彼女は、ありがとう、と呟きながら口の端を綻ばせる。思わず俺は頬を朱に染め照れてしまった。

 不覚だ。完全に不覚だ。

 初対面の人にこんな表情を見せてしまうとは。

 恥ずかしさから顔を背けながらそう思った。

 が、そんなことを知ってから知らずか、彼女はにんまりと笑いながら、

「私は淡島(あわしま)(しおり)。よろしくね」

 手を伸ばし自己紹介をしてきた。

 俺は差し出された手を握りながら、

「俺は(なか)(みね)信太(しんた)といいます。よろしくお願いします」

 と丁寧に名乗った。

 淡島さんはその態度にさらに満足したのか、先ほど以上の笑みを浮かばせ呟く。

「やっぱり、似ているわ」

「え?」

 首を傾げる俺に、淡島さんは首横に振りながら、

「なんでもないわ。そうだ、看病してくれたお礼に私のことを特別に淡島先生と呼ばせてあげるわ」

「いえ、別に淡島さんでいいんじゃないですか」

 そうかしらねえ、と淡島さんは呟きながら、腰に手を当て(ささや)いてきた。

「きっと、助けになれると思うんだけど」

「はい?」

 訳が分からず首を傾げる。

 今までの中で一番の謎だ。さっきみたいに言葉の端々から、誰かを懐かしむような感情が感じられない。別の感情が言葉の中に込められている気がする。

「まあ、いいわ。しばらく、ここの海岸の屋台でアルバイトするつもりだから、悩み事があるなら相談しに来てね」

「は、はい」

 そう言って彼女は荷物を持って、観光案内所から出て行った。

 そして、何の根拠がないにもかかわらず、とても優しい人だと思った。

 ただ、俺はでもと思いながら、

――優しい人なのは確かだろうけど、公務員ってアルバイトして良かったけ?

と心の底から疑問に思った。




 海が波を引くとともに潮の香りが鼻孔を燻る。

 それに、耳には海沿いで遊ぶ人々の声も聞こえた。そんな状況を見ると、本当にこの島も観光地として盛り上がっているのだと思う。

 幼い頃――約十年前はここまで盛り上がっていなかった。今よりもずっと寂れた島の印象を抱いていた。

 そんな島だが、俺はこの島で過ごすことはそんなに嫌いではない。縁側で風鈴の音を聴きながら寝るのは気持ちがよかったし、海で泳ぐのも楽しかった。

 それにお盆にやる祭りも楽しかった。焼きそばに焼き鳥とリンゴ飴、それに金魚掬や射的もすごく楽しかった。

 頭の中にその時の光景を思い浮かべながら、海沿いを俺は歩いていた。

「建物や景色は変わらんでも、人口密度と言うのは変わるな」

 のんびりとした調子で呟く。

 変化するものもあれば、変化しないものもある。歴史はどんなに抗いても流れる。それは当たり前のことで、どうやっても変わらない。

人口密度は変わっても、こうやって景色が変わらないというのは正直な話嬉しい。家出中の身としては、落ち着けるのでありがたい。

 そんな中俺はある光景に視線が移った。

「ん?」

 視線の先は崖だった。今自分がいる場所からそんなに遠くはないので、様子がはっきりと目に映る。

そんな場所に一人の少女がいることに俺は気が付いた。ささらとした長い黒髪を海から吹く潮風になびかせ、白いワンピースのスカートの部分を揺らしながら踊っている。とても楽しそうに。

まるで妖精のように。

その様子を眺めていた俺は。すごく綺麗だ、と思った。

思わず見とれる程に。

「なーに、見とれてんだ」

「んあ!?」

 突然背後から声を掛けられ、俺は盛大に驚く。その反動で話し掛けてきた相手も驚き、尻餅をついた。

「いてててっ……驚かすなよ、信太」

「は? 何で俺の名前を知ってんだよ?」

 尻餅をついた少年の言葉に驚きながら、俺は思わず尋ねた。

 すると、少年は今にも泣きそうな顔を浮かべると、

「おいおい、俺のこと忘れちまったのかよ!」

 勢いよく立ち上がり、俺の両肩を強く掴み前後に揺らす。頭がくらくらするので、俺は毒に書こうにか引き剥がすと、少年の顔を良く見据えた。

 すると、頭の底の方に眠っていた記憶が呼び出された。

「お前は……ひょっとして、(きょう)()か?」

「おうよ。やっと思い出したか。それにしても久しぶりだな」

 話し掛けてきた、高校球児のように髪の毛を短く切った少年は(たちばな)(きょう)()。初めてこの島に訪れた時からつるんでいる友人だ。

――三年ぶりか。

中学一年の時に会って以来だ。

「三年ぶりだな。で、お前は何やってんだ?」

「言うに及ばずだと思うが」

 まあ、確かに。

 こいつの姿――というより持ち物は、片手にバケツと肩に担ぐように釣竿を運んでいる。どこからどうみても、釣りをしに行こうとしていることが丸わかりだ。

 そんな様子を眺め俺はわしわしと後ろ髪を掻きながら、大きくため息を吐いた。

「お前さ、漁の手伝いしなくていいのか」

「うっ……」

 恭弥は思いっきり顔を引き攣らせた。

 どうやらサボってきたようだ。いや、分かっていたことだが、呆れても仕方がない。

 恭弥の家は俺がこれから訪ねようとしている祖父――藤田小次郎と同じで漁業をやっている。本来なら漁家の息子であるこいつも手伝いをしなければいけないはずだ。それがこうしてここに居るということは、どう考えてもサボっているとしか考えらない。

「い、いや、これはだな、体をリフレッシュさせてるんだ」

「ものは良いようだな」

 まあ、釣りで漁をやっているとでも考えて目を瞑ってやるか。狭いうえに歩いて移動しなければいけない、面倒な漁場ではあるがな。

 昔から面倒なことはやらない奴だったが、数年たっても変わらないとなると、こいつにはやれやれだ。

「そう言うお前こそ、こんなとこで何やってんだ?」

 反論とばかりに恭弥は尋ねてくる。

「これから、じいちゃんの家に行く途中だ」

 ふーん、と恭弥は呟く。

 その声を聞いて俺は安堵の息を吐いた。その先の理由に、深く踏み込んでこられなくて良かったと思いながら。

 そんな俺を見て恭弥は目を細めたが、俺はそれ以上悟られぬよう表情をいつもの物へ切り替える。

「そういえばさ、あの崖の上にいる子って誰だ?」

 視線だけでなく顔も、あの崖の上に向けながら尋ねた。

「ん? ああ、あの子は綾瀬(あやせ)明日香(あすか)っていうんだ」

 綾瀬……明日香、聞いたことがないな。

 この島には幾度となく訪れているが、あんな子一度も見たことがない。それにたとえ見ていたとしても、遠目からわかる通りあんな可愛い子のことを忘れるわけがない。

だから、あの子は一体……?

「ふーん。あのさ、昔からあんな子いたっけ?」

 何気ないつもりで尋ねたのだが、恭弥は難しい顔をすると、うーんと唸りながら答える。

 そんなに難しいこと尋ねた覚えはないのだがな。恭弥は一体何が原因で顰め面を浮かべているのだろう。

「居たには……居た」

「居たには居た?」

 どういう意味だ。

 答えが曖昧すぎて、俺の問いの答えのゴール地点には程遠い。本当に『居たには居た』とはどういう意味だ。

 俺の内心を読み取った恭弥は、つまりだな、と呟きながら、

「体が弱いんだよ、あの子。俺も詳しくは知らないんだけど、結構重い病気なんだってさ」

「へーそうなのか……って、おいおい!」

 俺は両目を見開いて驚いた。

 だって、何故なら、

「あいつ、体が弱いのにあんな危ない所で踊ってんのか!? 何考えてんだ!?」

 そもそもあんな足場の悪そうなところで踊っていること自体が、可笑しいことなのだが今はどうでも良い。

 対して恭弥は俺の驚き声に、さあ? と独り言のように言葉を返した。

「ったく、あの馬鹿!」

「お、おい! どこ行くんだよ!」

「危ないから連れ戻しに行くんだ!」

 そう言葉を返し、俺は恭弥を置き去りに勢いよく走り出した。

 別にほっとけばいい、あそこから落ちたら自業自得だ。

 でも、不思議と俺の身体は動いていた。

 ――本当……不思議だ。

 人が信じられなくなり、もう他人のことなんてでも良くなった俺なのに、何故だか走り出していた。




 意外と遠いもんだ。

 恭弥をほっといて駆け出してきたものの、俺は少しばかり後悔していた。それは単純に予想以上に、海岸から崖までの距離が遠いことにだ。

 海沿いの道でがけの様子を眺めていた時は、あのワンピースの少女の姿がはっきりと見えていたのに、ここまで遠いとは。

 いやはや、目測という名のものさしがここまで役に立たないとはな……。

「それに……暑い」

 額から伝い流れる汗を服の袖で拭いながら、俺は呟く。

 もう崖までの距離は目と鼻の先ではあるが、足を一歩踏み出すたびに額から汗が流れ出た。あと、空に浮かび地上を明るく照らす太陽が、恨みでもあるかの如く俺の肌を焼く。はっきり言って、何やっているのだと思う。

 いや、あの子を止めに行っているのは分かる。

 けれど、この暑さのせいで頭の中がすっかり煮えたぎっているので、上手く自分が今何をしているのかを把握できていないのだ。

「……やっとここまで来たか」

 絞り出すように俺は呟く。

 今俺は足取りが亀のようになりながらも、崖の前にある林を抜け、どうにかこうにか崖の上までに辿り着いた。正直な話、少し腰かけて休みたいところだが、俺の視線の先ではいまだに彼女は軽やかに踊っている。

 重病人が足場の悪いこんな所で怪我をしたらどうなるか、考えるまでもないことだ。だから、俺は止めねばなるまい。ここまで体が動いた理由は分からずともだ。

「あれ、あの子何処にいるんだ?」

 俺は明日香と言う少女がいないことに気が付いた。

 未だに流れ出る汗を拭いながら、きょろきょろ周りの様子を窺う。だが、あの特徴的な白いワンピースを着た少女は何処にもいない。

 可笑しい。

 確かにここに居たはずだ。何より、恭弥も目にしているのだからいるはずなのだ。

「どうい――わっ!?」

 俺は眼を見開き絶叫した。

 その理由は簡単だ。周りの様子を窺っていた俺の背中を、誰かが突然押したのだ。いきなりのことなので、先程の恭弥と同じように地べたに倒れかけそうになるが、どうにかこうにか耐えた。こんな突起物の多い所で転ぶのはさすがに勘弁である。

 持ちこたえた俺は、身体ごと振り返る。そして、俺はさっきとは別の意味で驚いた。

 視線の先――つまり、俺の背後で背中を押した人物があの少女だったのだ。

「あはは、君面白いね! うん、本当に面白い!」

 何故だか馬鹿にされている気がする。

 いや、今はそれよりも、

「どうやって、近づいてきていることに気が付いたんだ?」

 本当に疑問だ。別に気が付かれないように隠密に動いていたわけではないが、向こうは俺に気が付いている風な感じはしなかった。

「それはね――」

 彼女は両手を後ろに回しニコニコと笑いながら、のんびりとした調子で答える。

「なんとなくだよ」

「なっ!」

 何となくだとー!?

 いやマジで、嘘だろ! と思ってしまう。

「お、おい、そんなんで分かってたまるかよ!」

 自分が何に対して叫んでいるのかは分からないが、それでも彼女はどこ吹く風とばかりに聞き流している。

「つ、つーか、なんでお前初対面の人間を驚かしているんだよ‼」

「……、」

 一瞬だった。 

場の空気が、瞬きとほぼ同じ時静まり返った。

 そして俺の双眸にはあるものが映る。

それは、初対面のはずの彼女が悲しそうな表情を浮かべているというものだった。

本当に、ほんの一瞬だった。

「あははは、何となく驚かしたら面白そうだと思ったからかな」

 彼女は刹那の瞬間に、今までの表情が嘘だともう思うくらいにニコニコとした表情に切り替えていた。

「私は綾瀬明日香。初めまして」

 彼女は今まで以上にニコリと微笑むとそう名乗った。

 さながらその笑顔は、太陽に向ってかざした透明なビー玉のようにきらきらと眩しく輝いていた。

 思わず俺は。

 見とれていた。


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