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「それで、いつから始める?」
「それより、私でいいんですか?」
「立川のお墨付きだからね」
須藤は全面的な信頼を立川においているようだ。
その二人の期待にこたえられるか鈴乃は少しばかり不安だった。
病院の自分の部屋で思わず頷いてしまった事に、少し後悔していた。
あの日の立川の気迫は鬼気迫るものがあった。
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「須藤圭介?」
「あぁ、もちろん知ってるよな」
「そりゃもちろん。 それの専属リハビリスタッフに? 私が?」
「そうだ」
「立川のチームには、専任のトレーナーがいるでしょ」
高校時代の友人の立川は、小さいころから大学までずっと野球を続けてきたが、
プロを見据えた時に、自分の力量を悟り、プレーヤーとしての道を諦め、
現在、神海リバティーズの球団スタッフの一人として、しっかりと野球に携わっている。
「いるにはいるんだが、そいつ、今度大リーグへ研修に行くことが決まっていて、
このオフはいないんだよ。
それに、須藤は泊まり込みで、生活から全てを任せて見てもらえるトレーナーを探しているんだ」
「・・・・・そういうのを仕事にしている人だっているらしいじゃない?」
「何人か当たったんだが難しくてね・・・・」
「私には、仕事があるわ」
「その件だが、リハビリ課の医局長さんには球団を通して、お願いは済んでいるんだ」
「何ですって!」
初めて聞く話に鈴乃は、目を吊り上げた。
自分の知らない水面下で話が進んでいたなんて。
「医局長も誉めてたぞ。 何人もの同じ症状の患者を見てきて、
どの人も、完全に復活して日常に戻っていっているって」
「それは普通の人が日常生活をって意味だし・・・・」
「瀬戸になら、太鼓判を押すって。 医局長じきじきに推薦状でも何でもだそうだって」
「でも・・・・・」
確かに、今まで担当した患者は鈴乃とともに良く頑張ってくれたので、
皆、思ったよりも良い成果を得られていた。
「何よりも、瀬戸お前の夢だったじゃないか?」
「・・・・・・・」
「高校の時、野球部のマネージャーをしながらずっと勉強していただろう?
スポーツトレーナーになりたいって。
野球選手を支えたいって」
「そんな、昔の事・・・」
「そして、お前はあの時、患者第1号を、まだ、未熟ながらも支え、
励まし立ち直らせたじゃないか?」
「・・・・・・・」
「あの時のお前の奮闘ぶりは、今でも俺はしっかり覚えているぞ、
そして、あいつが復帰後、初ホームランを打った時の事は忘れられないよ」
立川の熱い言葉がかえって苦しかった。
自分だって、その当時の事は痛いほどよく覚えている。
だが、忘れたいと思っていた時もあったのは、事実だ。
いや、今もまだそうかもしれない。
その自分の思いを気づかせぬように鈴乃は笑う。
「そんな、昔の事、よく覚えているね。
立川って、相変わらず野球の事になると熱いね~」
「昔って・・・・。俺たちにとっては、青春まっただ中だった日々だろ?
それに、熱くもなるって。須藤はチームの、いや日本球界の宝だ。
奴が望めば大リーグだって充分に通用する。
それを、こんな怪我ぐらいで埋もれさせてたまるか!」
あまり野球を見ない鈴乃にさえも須藤の非凡さは聞こえてくる。
「そんな人の事だからなおさら、一流の医者やトレーナーに託した方がいいよ」
「俺はお前が適任だと思う。頼むよ。瀬戸!『うん』といってくれよ」
お昼は時間切れとなり、結局、返事を保留したまま、別れた。
家に帰り、書棚からアルバムを取り出す。
何年振りだろう。
高校生の頃の、笑顔の自分に出会う。
何事にも一生懸命で、頑張れば何でも叶うと信じていたあの頃。
全てにまっすぐで、恐れる事を、疑う事を知らなかったあの頃。
パタンとアルバムを閉じる。
決して、今の生活に不満がある訳ではない。
ただ、あの頃の様に、キラキラした目で今を送って入れているかと
自問した時、いつも思っていた。
私はまだ、夢の途中かもしれないと・・・・・。
これは、もしかしたら夢が掴めるチャンスかも。
それなら、一歩踏み出してみるべきだ。
経験を基に、スポーツ医学の勉強も続けてきた。
鞄を逆さにした。
バラバラと、中身が床に散らばる。
その中から、小さい一枚の白い紙を拾い上げ、じーっと見た。
昼間もらった立川の名刺だ。
携帯にその番号を打ち込んで応答を待つ。
「立川君? 瀬戸だけど・・・・。うん。そう。やってみる。
ううん、やらせて下さい。お願いします。」
鈴乃は新しい道を歩き始めることにした。