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ネイル  作者: 活動停止
2/4

 私の気分は晴々としていた。あのネイル屋へ行った翌日から、私は社内のアイドル的存在になった。

 声を掛けてくる男性は増し、『綺麗だね』と言ってくれる。ネイルを見て、ではない。私の目を見て、だ。


 青年が施してくれたネイルは、私の好きな色であるピンクが使われていた。クロスのモチーフが描かれ、嫌味のない程度にラメとストーンが散りばめられている。

 私の好みぴったりのネイルだ。

 仄かに香るのは、ネイル屋で漂っていた匂い。微かに甘くて嫌味の無い、心を落ち着かせてくれる香り。

 今までのネイルサロンとは明らかに違った。何故あの様な素晴らしい店が、閑散としているのだろうと疑問に思う。


「美知子、最近綺麗になったわね。何かあった?」


 ぽんと私の肩に手を置いて話し掛けて来たのは、私にネイルサロンを紹介してくれた横山里沙だった。彼女はいつも華やかで、同じ制服であるにも関わらず、その存在感は別格だった。


「そぉ?」


 だからこそ、彼女に『綺麗』と言われた事が堪らなく嬉しかった。心が弾むというのは、こういう事を言うのか。

 私は満面の笑みを彼女に返した。彼女も私に微笑み返す。


「うん。あ、そのネイルも綺麗!いつもの所の新しいデザイン?」


 そう言って、彼女は私の指先をじっくりと眺めた。彼女の指にも綺麗なネイルが輝いている。白地に、鮮やかな蝶々が舞っていた。


 違う、と言いかけて、私は躊躇した。


 彼女は普段から綺麗だ。綺麗な上に、綺麗なネイルをしている。あのネイルサロン、いや、ネイル屋を教えたら、彼女は益々綺麗になってしまう。


 些細な邪心が私の中で生まれた。彼女に教えたくない。綺麗になるのは私だけで良い。


「う、うん。そうなの」


 多少の罪悪感を覚えつつも、私は嘘を吐く事にした。大した嘘ではない。これくらいなら許されるだろう。

 彼女は何の疑問も抱く事もなく、あっさりと信用してくれた。



 夜はディナーに誘われた。私にとっては初めての経験だ。同性と食事に行く事はあっても、異性と行く事なんて全くない。しかも、あの識井達也に誘われるなんて。


 識井達也は、営業一課の稼ぎ頭だ。甘いマスクと饒舌な口述で、いくつも契約を取って来ている。

 そんな彼は勿論、モテる。社内は勿論、社外の女性からも声をかけられる程だ。密かにファンクラブまであったりするらしい。

 おまけに独身とあれば、女性達は必死だ。バレンタインの時等は戦争となる。

 私もバレンタインチョコをあげた事があった。だがそれは、他のチョコにまみれて、きっと彼の口には入らなかった事だろう。


「でね、うちの部長が…。…あれ、中島さん?あ、ごめん、僕ばかり喋っちゃって。つまらなかったよね」


「えっ、い、いえ、そんな、こ、ことない、ですッ」


 思わず声が上擦る。緊張の所為で、思考があっちこっち飛んでいたらしい。今の識井さんの話は全く耳に入っていなかった。


「ご、ごめん、なさい」


 言葉を覚えたての赤子の様に、言葉を区切って喋る。緊張で、上手く舌が回らないのだ。


「美知子さん。あ、美知子さんって呼んでも良いかな」


 その言葉に、私はこくこくと頷いた。恐らく顔は真っ赤になっていた事だろう。

 憧れの人物が、私に微笑みかけている。それに『美知子さん』だなんて。今まで男性に一度として呼ばれた事の無い呼び方に、私は興奮した。


「そんなに緊張しないで。僕はもっと美知子さんの事が知りたいんだ。美知子さんも僕の事を知って貰いたい。

 迷惑でなければ僕の事も達也と呼んで欲しいな」


 嬉しい!素直にそう思える。まるで口説き文句の様だ。

 頬に手を当てると、顔が火照っているのが解った。

 識井さんも照れているのだろうか。落ち着き無い仕草で顔を背けて鼻の頭を指先でなぞる。それが愛しくて、つい笑みを漏らしてしまった。


「それ!」


「え?」


「美知子さんは笑っていた方が、絶対良いよ」



 帰りは識井さんがマンションまで送ってくれた。最後に『楽しかったよ。また今度、食事に付き合ってね、美知子さん』という言葉を残して去って行った彼の背中を、私はいつまでも見つめていた。

 嗚呼、こんな事ってあるだろうか。まるで夢の様だ。いや、夢の世界に居る様だ。


 夢見心地のまま部屋へ戻り、自分の顔を鏡に映してみる。特別変わった所は見受けられない。だが、綺麗になったと言われれば、確かに綺麗になったのかも知れない。 角度を変え、ポーズを変え、私は自身の姿を映した。


「あっ、やだっ!」



 頬に手を当てたポーズを取った時、ほんの少し欠けたネイル目に入った。早速明日ネイル屋に行って、新しいネイルにして貰おう。今度は何が良いかしら。


 私は夢見心地のまま、明日のネイルを夢見て、本当に夢の中へと誘われて行った。

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