ある月夜の物語
真夜中。一人の少年が鬱蒼と生い茂る草木を掻き分け、ほのかなカンテラの灯りを頼りに歩いている。薄い桃色の髪が枯れ枝に擦れ揺れる。灯りに照らされた少年の横顔はどこか悲痛で、長いまつ毛が大きな瞳に影を落としていた。それでも歩みは止めない。覚悟を決めるようにカンテラを強く握り直した。
吐き出す息が白い。遠くで獣が吠える声が聞こえ、思わず振り返った。じっと身を潜め、獣の気配が近付いてくるのを警戒する。しかし少年のいる方向へは何も近付いて来なかった。もう一度短く息を吐き出し、前だけを見て歩み始める。
震える指先をカンテラの僅かな火が温めていた。
道を進んだ先に、錆びつき歪んだ鉄製の門が現れる。少年は迷うことなく冷え切った門に手を伸ばす。ぐっと力を入れれば手のひらに錆が着いてざらざらとした。ギィっと金属の擦れる音を響かせながら、鉄製の門はゆっくりと開いた。
門の中に足を踏み入れた瞬間、少年の耳に届いていた音が途絶えた。静寂に包まれた墓地に圧倒され立ち竦んでしまう。
どのくらいそうしていただろうか。ふいに頭上から物音がする。少年は上を向き、灯りを持ち上げた。枯れ枝に一羽のカラスが止まっている。艶やかな羽がカンテラの灯りに反射し、妖しい輝きを放つ。賢く光る瞳と目が合うと、カラスは漆黒の羽を広げ月夜の空に飛んでいった。
少年は飛び立ったカラスを見送り、再び墓地に目を向ける。
静かに並ぶ墓標は純白で傷ひとつない。繊細な彫刻が施され、わずかな灯りに反射する。月明かりに浮かぶ彫刻は今にも色づき、動き出しそうなほどだった。
不意に墓石が揺れる。ガタガタと動き、湿った土の下で何かが動いているようだった。墓石に黒い土が飛び散っている。
少年は固唾を飲んでその様子をじっと窺う。その表情はどこか祈るようにも見えた。
土を掘り地表に現れたのは青白い人間の腕だった。並ぶ墓標の数だけ、一人、また一人と地面から這い出てくる。
「……っ」
少年は次々と姿を現した死者の姿に体が強張る。整えられた眉が眉間に寄るのはひどい死臭のせいだった。冷たい空気に混じって、むせ返るほどの匂いが漂う。それでも少年は動かない。ただじっと待っている。
墓地の奥、一際大きな大理石で作られた墓標の下から這い出た死者が月明かりに照らされた。土埃に汚れていても、なお輝く赤い髪。青白い肌と対照的で思わず見惚れてしまう。完全に地表へと出てくると丸まった背筋でも長身であることがわかった。虚ろな瞳はどこを見ているのかがわからない。
それでも、赤髪の死者はおぼつかない足取りでゆっくりと確実に少年に近づいていく。同じように地面から這い出た死者たちは、道を開けるように脇へ移動していた。
少年も震える足をなんとか動かし一歩、また一歩と前へ進む。
少年と赤髪の死者が手を伸ばせば触れ合えそうな距離まで近づく。少年は大きな瞳でまっすぐ死者を見た。死者の青白く、土に汚れた手が震えている。その腕にはかつて少年が贈った銀細工のブレスレットが鈍く光っていた。それを見つけると、少年は諦めにも似た笑顔を見せた。
「……兄さん。会いに来たよ」
赤髪の死者は顔を上げた。少年の持つカンテラの光でグレーの瞳に光が宿される。瞳には少年の顔が映し出されていた。
「……」
死者は口を開くがただ空気の音がするだけで、言葉にはならない。それでも少年は涙をこぼし大きく頷く。
「うん。うん……!」
手にしたカンテラが地面に落ちた。カシャンとガラスが割れ灯りが消える。
少年は死者を細い腕でしっかりと抱きしめる。冷たい体は生前までの兄と似ても似つかないが、確かにそこに兄がいた。腐った死体の匂いはもう気にならない。
静寂に包まれた薄暗い墓地に死者の兄と生者の少年。決して交わってはいけない者たちが静かに抱き合っている。
月明かりに照らされた二人は、どこか幻想的で美しかった。
墓地に静かな風が吹き込む。枯れ枝が揺れ、カサカサと音を立てる。どこからか黒猫が現れ、異様な光景を金色の瞳で捉える。呑気にニャアと一鳴きし、またどこかへ姿を隠した。
不気味に輝く月を背景に二羽のカラスが、まるでワルツでも踊るように寄り添いながら飛んでいた。
誰も少年の行く末を見届けたものはいなかった。
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