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35 復原の力

 サラエボ市庁舎前の車列に、続々と人が乗り込み始めた。小野とワタルは、姿を消して、大公夫妻の乗る車――前から三台目のオープンカーのすぐ近くで待機する。


 大公夫妻が車の進行方向右側にある市庁舎から出てきた。二人はそのまま車に乗り込む。


 車は右ハンドルだ。大公が後部座席の左、ゾフィーがその右側に座った。総督は助手席に、随行一名は大公の横――川側の乗降用踏板に立ち乗りした。


「よし、行こう」


 ワタルが小声で言った。小野がワタルの手を持って車に近づく。二人は、車の右側の乗降用踏板に立ち乗りした。ワタルが運転席の横、小野がゾフィーの横だ。


 車列が出発した。運転手は、車がかなり重く加速しないことをいぶかしんでいたが、随行が立ち乗りしているせいだと思っているようだ。


「車列が市庁舎を出発しました。大公は三台目。我々も乗りました。川沿いの通りを西に、来た道を戻っています」


 小野がインカムに囁いた。すぐそばにゾフィーがいるが、幸いエンジン音で聞こえていないようだ。


 スナリッチから連絡が来た。


「了解。こちらはプリンツィプを見つけた。史実どおり、君達から見てラテン橋の交差点を右折してすぐの店の前だ。私はプリンツィプの近くに立って、不測の事態に備える」


「分かりました」


 小野が答えた。それから少しして、小野は思わず叫びそうになった。車列の先頭、一台目がラテン橋の交差点を右折したのだ。くそ、総督の調整不足だ。


「右折じゃない、直進だ!」


 ワタルの声がインカムから聞こえた。どうやら、指向性マイクで運転手に向けて話しかけたようだ。


「あれ、総督、右折じゃないんですか?」


「ばかもん! 直進だ」


 運転手が総督に聞くと、総督が怒鳴った。


 車列の二台目もラテン橋を右折した。小野がインカムでスナリッチに連絡する。


「三台目、大公の車は直進予定です」


「分かった。プリンツィプはまだ動いていない」


 スナリッチが答えた。


 大公の車がラテン橋の交差点に差し掛かった。



 † † †



 突然、ラテン橋の交差点右側から、男の子が飛び出してきた。運転手が急ブレーキをする。大公の横に立っていた随行が、車から転落してしまった。


 小野はオープンカーのドアを掴み、何とか落ちずに済んだ。ワタルもどうやら落ちずに済んだようだ。


 子どもの父親と思われる男が慌てて道路に出てきて、子どもを抱きかかえてラテン橋を走り去って行く。


 運の悪いことに、車がエンストしてしまった。ラテン橋前の交差点で立ち往生する。


「何をしている! 早くエンジンをかけろ」


 総督が叫ぶ。イヤな予感がした小野は、車の右側に伸びる通りを見た。群衆をかき分けて、若者がこちらに走ってくるのが見えた。


 若者が群衆から飛び出す直前、後ろから赤いトルコ帽の男性が追いすがった。スナリッチだった。


 スナリッチが必死な形相で若者の服を掴む……ということは、この走ってきた若者がプリンツィプ⁉


 プリンツィプは、スナリッチの手を乱暴に振りほどくと、こちらに走り出した。懐から拳銃を取り出す。


 それを見た小野は、姿を消したまま車を降りてプリンツィプに向かって走った。考えるよりも先に、体が動いていた。


 プリンツィプが拳銃を構える。


 ……頼む、間に合ってくれ!


 小野がプリンツィプに真正面から飛びついた。プリンツィプが後ろに倒れそうになりながら発砲した。


 バン!


 群衆から悲鳴が聞こえた。背中から地面に倒れ込んだプリンツィプが、体の上に乗った小野に構わず、無理矢理上半身を起こし、なお発砲しようとする。


 その直後、プリンツィプの拳銃が宙に浮き、プリンツィプの背後にフワフワと飛んでいった。プリンツィプが驚き、顔をしかめる。姿を消したワタルが拳銃を奪い取ったようだ。


 プリンツィプのところへ、官憲や群衆が走ってきた。小野は急いで立ち上がると、大公の車へ走った。どうか、無事であってくれ。


 大公は、ゾフィーを守るように覆い被さっていた。一見する限り、怪我はなさそうだ。


 オープンカーのフロントガラスが割れていたが、運転手も総督も、車の向こう側の随行も怪我はなさそうだった。


「小野さん!」


 ワタルの叫び声が聞こえた。小野が後ろを振り向く。プリンツィプが腰の辺りから何かを取り出すと、地面に叩きつけた。パンッとタイヤがパンクしたような音がした。


 プリンツィプを取り押さえようとしていた官憲や群衆が、それを見て慌てて逃げる。


 その直後、プリンツィプがその何かをこちらへ投げ飛ばした。


「死ねえ!」


 プリンツィプが叫んだ。小野の足下に何かが転がってきた。小野に知識はなかったが、どう見てもこれは爆弾だった。


「二度も死んでたまるかあ!」


 小野は大声で叫んだ。足下の爆弾を持ち上げ、川に向かって思いっきり放り投げた。

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