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季節は傍らを過ぎていく

 春休みは入学の準備に忙しく、けれども淡々と過ぎていった。新しい教科書を手にしても、新しい制服のリボンを結んでも、私の心は動かない。

 ──動いたのは、通学電車で入学式に向かったとき。

 ガタン。車両が揺れて緩いカーブを通過したとたん、窓いっぱいに線路沿いの桜並木が現れた。電車の起こす風に花びらが舞い散った。花びらが自分に向かって飛んでくるような錯覚で息が詰まった。中学の校舎から見た桜吹雪。颯大を連れていった保健室に蝶が舞うように飛び込んだ桜の花びら。

 桜吹雪が好きだった。ただきれいなだけじゃなくて、胸がどきどきするような不思議な気持ちになった。知らないことが始まるような感じがした。

 中三の桜吹雪の中で知ったのは、颯大という男の子だった。私に貼られた『がり勉』『優等生ぶってる』なんてお札を好きなことをがんばる羽に変えてくれた。小さいころ、山の向こうを空想したことをばかにしないで、自分もいつか見たことのない景色を見たいと言ってくれた。高校が違ってしまってもずっと近くにいられると思っていた。だけど……。

 気がついたら頬に涙がこぼれていて、となりにいた葉月を驚かせてしまった。目にゴミが入って、とウソをついた私に葉月は黙って折り畳みの手鏡を渡してくれた。

 葉月と駅で待ち合わせして電車に乗る通学は、一週間で終わった。葉月が吹奏楽部に入って。

「明日から朝練があるの」

 だから、もっと早い時間の電車に乗らなければならない。

「もう入部したの?」

「昨日、入部届を出した」

 入学後のガイダンスでは、入部届は四月の最後の週に提出するという話だった。それまでは見学と仮入部期間。ずいぶん早い入部届けだ。

「私も、吹部、見学に行こうかな」

 何気なくつぶやいた私に、葉月は申し訳なさそうな顔をした。

「吹部、音楽科しか入れないの。ていうか、音楽科は全員吹部」

 少し驚いた。

「そんなきまりがあったんだ」

「きまり、っていうか、暗黙のルール」

 葉月の顔が真剣だった。暗黙のルールって、公のルールよりも破ると怖いものかもしれない。

 ふと、葉月の胸のリボンが目に留まった。藤白の制服はグレーのジャケットに、女子は紫紺のリボン、男子は同じ色のネクタイ。葉月のリボンには片端にサックスブルーの差し色が入っている。音楽科だから。特進科にはゴールドの、スポーツ科には濃紺の差し色。

 私のリボンは紫紺一色。普通科の無地。

「そうなんだ」

 吹部に入れなくてがっかりした気持ちは感じなかった。もともとアニメの影響で入った部だ。中学での活動は楽しかったし、一生懸命に練習もしたけれど。

 葉月がちょっと唇をゆがめた。泣き出す前みたいに。

「ごめんね。一緒に通学できなくて」

「ううん」

「でも、通話とかで、いつでも話せるから」

「そうだね」

 微笑んだ。部活が忙しくて私をかまっていられなくても、大丈夫だよ? むしろ、私のことなんか気にしないで、葉月は吹奏楽をがんばってね。

 私はどうしよう。部活動は全員参加だけど、やりたいことが思いつかない。

 次の日から、私はひとりで電車に乗り、ひとりで学園まで歩いた。電車はいつも混んでいたけれど、何もない空間にひとりでいるみたい。カーブを曲がって現れる桜並木も葉桜に変わって心を乱すことはない。

 教室でも私はひとり。誰も私を知らなくて、杉村さんたちのような人もいないから、何かの委員に推薦されることもない。でしゃばらないように、余計なことをしないように、休み時間は静かに本を読んで過ごす。

 部活は漫画研究部に入った。登校時の校門で新入生に配っていた入部勧誘のチラシが風に飛ばされて、拾うのを手伝ったのがきっかけ。──落ちたものを拾うくらいはでしゃばりじゃないよね?

「ありがとうー。ちなみに、もう部活は決まった?」

 満面の笑顔の質問に、まだ、と短く答えると、拾って渡したばかりのチラシをさっと差し出されたのだ。見てなかった紙面を見ると、『新入部員大歓迎! 漫研部』の文字。

「すみません。マンガは描いたことがなくて」

「読んだことは?」

「……あります」

「大歓迎ー! 今日の放課後、説明会をするのでぜひ見にきて」

 押しつけるように渡されたチラシには、美少女と美少年と『ゆるゆるだけど、楽しい部だよ』というセリフがあった。美少女は中学のときに劇場版をリピートしたアニメのキャラだった。そういえば、最近はマンガもアニメも見ていない。

 ……教室でチラシを眺め、少し考え、『ゆるゆる』にひかれて説明会に行くことにした。やりたいことがなくても部活には入らなければならないのだから、『ゆるゆる』が正解だろう。

 漫画研究部の活動は、週に一回のミーティング以外、ほぼ自由。多目的室でマンガを描いたり、読んだり、語り合ったり。六月後半に学園祭があって、忙しいのはその準備のときだけ。けれど、部員の半分はそれにも顔を出さない幽霊部員。

 幽霊部員でもいいなんて、ホントに『ゆるゆる』なんだ。

 入部することにした。とりあえず、週一のミーティングには出席しよう。いつでも幽霊部員になっていいんだと思うと、楽な気持ちで活動できそう。

 新入部員がそろっての最初のミーティング内容は、自己紹介と六月の学園祭についてだった。

「漫研部の伝統的な出し物は、お絵描きコーナーの設置、ポストカードとしおりの販売、部誌の無料配布です。ほかに意見がなければ、今年もこれでいきます」

 と、部長が全員を見回す。ほかに意見は出なくて、部長はうなずいて続けた。

「部誌の原稿はひとり一ページ。ショートマンガでも一枚絵でもカラーでもモノクロでもいいけど、版権とかあるので、オリジナルでお願いします。部員全員に配布するので、自己紹介要素を入れてください。〆切は──」

 絵やマンガで自己紹介? 難しそう。だけど、前に座った新入部員同士が、

「自画像っぽいイラストを描いて、自己紹介を入れればいいんじゃない?」

 とささやきあっていた。ああ、そのくらいならできるかも。

 だけど、いざ描こうとするとやっぱり難しかった。……少女マンガっぽい女の子はなんとか描けたけれど、メガネがうまく描けない。どうにか女の子にメガネをかけさせて、次は自己紹介文だ。クラスでの自己紹介は簡単に名前と出身中学だけだった。部の自己紹介は何を書こう? 名前と出身中学と……ほかに何を書けばいいんだろう。何か書くようなこと、私にあったっけ? ……考えようとしたら、『優等生ぶって』『でしゃばり』なんて単語が浮かんで、何も書けなくなって……。

 漫画研究部なのだから、好きなマンガのタイトルやキャラを書けばいいんだ──そんな単純なことにやっと気づいたのは、原稿〆切の直前に去年の部誌を見せてもらったときだった。



 高校に入って初めての定期テストが終わると同時に、学園祭の準備が本格的に始まった。藤白の学園祭は、クラス参加は三年生だけ。けれど、一、二年生は学園祭の広報活動や当日の来客の受付や誘導の係仕事があって、部の出し物と併せて慌ただしく日々が過ぎていく。

 忙しいのは、楽しかった。やらなきゃならないことが次々と出てきて、考え込んでいる時間がない。

 そして、六月。お天気は今にも雨が降りだしそうな曇り空だったけれど、想像していたよりもずっと華やかに学園祭が始まった。正門や展示室の飾りつけも凝っていて、お化け屋敷や縁日屋台や喫茶店、いろいろな出し物があって、他校生や近所の人がたくさんやってきて、キッチンカーも出て……とてもお祭りっぽい。

 オープニングは藤白生だけの講堂での開幕式だった。実行委員長の開幕宣言のあとは、吹奏楽部の演奏があった。国歌と校歌のあとは学園祭らしくノリのいい曲が続いた。葉月はフルートを吹いていた。学園祭で演奏するのは大会メンバー落ちの部員、というのは葉月からのメッセージで知っていた。

 大会落ちのメンバー。それでも、迫力があって、中学の吹部とは全然違った。吹部に入れるのは音楽科だけ──暗黙のルールの意味を知らされた気がした。

 学園祭は土日の二日間だった。漫研部の受付当番をやって、来客の誘導係をやって……合間にほかの部活やクラスの出し物を少し回った。漫研部の受付を一緒にやった同じ一年生の女子と。彼女のリボンの差し色は特進科のゴールド。推しキャラについて熱く語ってくれて、私はほとんど聞き役だった。

「オタトーク聞いてくれてありがとー」

 と、感謝されたけれど、こちらこそ、だった。笑顔をつくってうなずいているだけで、穏やかに時間が過ぎるなんて。うっかり余計なことを言うのが怖くて、私、無口なヒトになっていたのだ。

 日曜日の五時からは、学園生だけの後夜祭。講堂で有志参加のバンド演奏やダンスがあった。漫研部でまとまってステージを観ていたのだけれど、盛り上がりがすごくて……少し疲れた。ちょっと外の空気を吸ってきます、と断って講堂を出た。

 講堂と校舎の間にある花壇の石に腰かけた。外灯がつくる光の輪を体半分浴びて。講堂の音楽は聞こえてくるけれど、辺りには誰もいない。グラウンドの方に明かりが見えるのはまだ残っているキッチンカーだろう。雨が降らなかったから野外の催しもあって、そっちでわいわいしているグループもあるみたいだ。

 外の空気を吸おうと出てきたのだけれど、空気はちっともさわやかじゃなかった。湿気が多くて、むっとしている。

 いつの間にか、もう六月なのだ。桜が咲いて散って、制服が夏服に変わった。通学路で見かける花はツツジから紫陽花に変わった。学園祭こそ雨に降られなかったけれど、先週から梅雨入りして雨や曇りの日が続く。高校生になって三か月が過ぎた。その間、私は何をしたんだっけ。電車に乗って授業を受けて部活に入って……。やらなければならないことを流されるようにやっただけな気がする。梅雨が明けたら暑い夏がやってきて、私は何をするんだろう……。

 ぴた。不意に冷たいものが頬に当てられた。

「ひゃっ……?」

 あわてて身を引いて、もう一度びっくり。すぐそばに蓮がいる。手にペットボトルを持っていて、私の頰に触れたのはキンキンに冷えた炭酸だったようだ。

「ひっさしぶり」

 歌うように言って、蓮が私のとなりに座った。

 声が出ない。体が動かない。ただ、片頰で笑う表情に、ああ蓮だ、と思った。杉村さんたちに呼び出された教室で会って以来の、蓮。そのときの気持ちがよみがえって、私の胸が苦しくなる。

「同じ学校にいても、科が違うと全然会わないもんなんだな。大畑も、昨日の吹部の演奏で、入学してから初めて見た」

 ふたをきゅっと外して、蓮が私にペットボトルを差し出した。渡されるままにペットボトルを受け取った。蓮に目を向けられなくてペットボトルを見つめ、炭酸をひと口飲んだ。細かな泡が喉でしゅっと弾ける。ああ、そうだ、言わなければならなくて、まだ言ってない言葉があった。

「……ごめんね」

 私のせいで颯大が特待をとれなくて、一緒に藤白でプレーできなくて、ごめん。だけど、声が小さくて聞こえなかったのだろうか。私の言葉はスルーされて、

「サッカー部の試合、観た?」

 試合? 学園祭のプログラムのひとつとして行われる招待試合のことだろうか。昨日の土曜日はサッカー部、今日は野球部がグラウンドで試合をしていた。

「……少し」

 ウソじゃない。漫研部の受付をしているとき、窓からちらっと見えた。すぐに目を逸らして、そのあとはなるべくそちらを見ないようにしていたけれど。

「俺のゴールは? 観た?」

「試合に出たの?」

 思わず蓮の顔を見ていた。一年生で、もう試合に出たんだ。しかも、ゴールを決めた?

 蓮は穏やかに私の視線を受けとめる。

「招待試合はセカンドが出たから」

「セカンド?」

「二軍」

 講堂でフルートを吹いていた葉月の姿が浮かんだ。学園祭で吹くのは大会メンバー落ちの部員。

「トップチームはリーグ戦があって、そっちに行ってた。高校のサッカーって、ピラミッド型のリーグがあって……」

 全国区のプレミアリーグ、関東や東海などの地方リーグがプリンスリーグ。その下に県のAリーグ、Bリーグがあって、さらにその下に県東部とか中部の地区リーグがある。リーグ戦の成績によって、Jリーグのように上位リーグと下位リーグのチームの入れ替えがある……。

「藤白のトップはプレミアで、セカンドは県のA、颯大の北工は県のB」

 思いがけない相手から話しかけられ、戸惑いながら聞いていた私だったけれど、突然出たその名前に胸がきゅっと締めつけられた。颯大は私が自宅療養している間に北工の理工科に合格し、北工のサッカー部に入った。──それは葉月に聞いて知っていたけれど。

 ふっと数秒沈黙したあと、蓮が首をかしげて私の顔をのぞきこんだ。

「な、綾原がちゃんと受験できなかったの、俺のせい?」

「え?」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。だけど、

「しょうもない話を杉村たちに聞かれた。ていうか、しゃべった」

 蓮が続けた言葉に、胸がもっと苦しくなった。杉村さんたちが聞いた蓮の言葉は──颯大が特待をとれなかったのは綾原のせい。

 ペットボトルを持つ手が少し震えた。ペットボトルをしっかりと握りしめて声を押し出した。さっきよりも大きく、はっきりと。

「……ごめんね……」

「いや、謝るのは俺の方」

 謝るのは……蓮の方? おそるおそる蓮を見た。

 蓮はまじめな顔をしていた。

「今さらだけど、そのときのこと、説明していい?」

 ちょっと迷ってから、うなずく。まだ中学生だったとき、葉月を通して『話したい』と言ってきた颯大と蓮に、私は会おうとしなかった。合わせる顔がないと思ったからだ。だけど、ここでこうして蓮に会ってしまったのは、逃げないで話を聞け、ということかもしれない。覚悟を決めよう。

「そのとき、俺、同じクラスのサッカー部のやつらと話しててさ。サッカー部のやつらは颯大のケンカのホントの理由を知ってて『あのケンカがなければ颯大も藤白だったかな』なんて冗談っぽく言ったやつがいたの。で、ケンカのときのことをあれこれ話して、俺が『綾原のためなら、颯大はケンカぐらいするっしょ』って言って、そこにいた全員で『それはしょうがない』って笑って……」

 蓮は小さく息を吐いた。

「綾原の『ため』って言ったの。『せい』なんて言ってない」

 ……同じことだと思えた。私が原因でケンカした事実もその結果も変わらないなら。黙っていると、不意に聞かれた。

「俺のこと、怒ってる?」

 びっくり。あわててかぶりを振った。

「なぜ、私が蓮に怒るの? 逆でしょ。怒りたいのは私じゃなくて蓮……」

「怒ってないなら、また、俺に勉強を教えてくれない?」

 言いかけた言葉をさえぎられ、話が予想外の方向に急展開した。私は目をぱちぱちする。 

「水曜日に定期テストの追試があるんだけど、そこで赤点をとると、試合に出られなくなる。俺、すげえピンチ」

 追試、赤点、試合……う、うん、ピンチなんだ。

「私でよければ……?」

 ピンチを助けることができたら、ほんの少しでもお詫びになる……だろうか?

「さんきゅ」

 と、蓮は立ち上がる。そのときはじめて、蓮が飲み物をたくさん入れたビニール袋を提げているのに気がついた。買い出しの途中だったんだろうか? 部のみんなの分を頼まれたとか? 私、一本もらっちゃったけれど、大丈夫?

 蓮が私を見下ろして笑った。

「早くセカンドで結果を出して、トップチームに上がりたいんだよね。颯大はもう北工で試合に出ている。あいつはきっと北工を強くしてくるだろうから、俺も負けられないの」

 落ちてくる外灯の光がスポットライトみたいに蓮を照らしている。

「綾原、明日はヒマ?」

 明日は月曜日だが、学園祭の代休で授業はない。誰かと遊ぶ予定もない。うなずくと、

「俺も明日は部活が休み。昼に駅前のバーガーショップでいい? あ、〇〇駅の」

 学園の最寄り駅ではなくて地元の方の駅だ。うなずいてしまった。つい、うっかりと。

「あ、じゃなくて……」

 あわてて訂正しようとした。ヒマだけれど、ホントに私が勉強を教えていいの? 蓮と颯大と、ふたりの夢を潰した私といていやじゃないの? けれど、気持ちをうまく言葉にできないでいるうちに、蓮がにっとした。

「じゃな」

 片手を上げて走り去る。私は呼び止めることができなくて。

 これは……約束したことになるんだろうか? 


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