夏の贈り物
「ちょっと邪魔」
なんて、杉村さんのグループにぶつかられることがときどきあるようになった。多対一のときを狙ってやってくる。
もともと好かれていなかったとは思う。が、最近は私を見る目に敵意を感じる。もしかしたら、私が颯大と下校しているのがむかつくのかな、と思っていたのだけれど、修学旅行中に杉村さんが颯大にコクハクしてうまくいかなかったのだと、クラスの仲の良い女子が教えてくれた。
修学旅行は梅雨の真っ最中だった。行き先は奈良京都。私は颯大とは同じ班にはなれなかったけれど、葉月とは一緒の班でホテルも同室だった。歴史や古典で出てきたお寺や神社のホンモノを見るのは楽しかったし、葉月と夜遅くまで、
「藤白の音楽科志望?」
「うん。でも、プロの音楽家なんて、なかなかなれないから、将来はふつうの会社員になりそう。だけど、夢はおばあちゃんになってもピアノやフルートを楽しく演奏することだから……だから、将来の職業と夢が一致してなくたって、別にいいよね?」
「じゃあ、私の場合は、夢は知らない世界を旅することだけど、ふだんはまじめに働いてお金を貯めて長期休みに遠くまで旅すれば大丈夫、ってことだね?」
「大丈夫だと思うけど、礼夏ってすごくまじめなのに中二病患者なところあるよね。ていうか、礼夏も藤白志望って嬉しい」
「私は特進科だけど」
「科は違っても同じ学校だから、今まで通り仲良くできるよ」
なんてたくさんおしゃべりしたのもいい思い出。
だけど、杉村さんは修学旅行の途中からずっと落ち込んでいたのだそうだ。二日目の夜に友だちを使って颯大をホテルの人気のない場所に呼び出して、私とつきあわない? と言ったら、好きな子がいてつきあっている、って断られ、泣きながら部屋に戻ってきて、それからずっと暗かったそうなのだ。
私は気がつかなかった。修学旅行中の行動は基本班ごとで、クラスそろってバスや新幹線の移動のときも座席は班ごとに決まっていて、ほかの班のことはあまり気にしていなかった。班長だったからタイムスケジュールやほかのメンバーの体調なんかを気にしつつ、ふつうに修学旅行を楽しんでいた。
それが無神経だって、杉村さんグループは怒っているんだよね──くだんの女子はそう説明してくれた。誰のせいで杉村さんが傷ついたか、わかっているの? って。
え、私のせい? 焦るように思ったら、その子が、
「知らんがな、だよねえ」
にっ、と笑ってくれたので、ほっとした。さらに、
「私は礼夏と新野、イイ感じだと思うよ、杉村たち以外はそう思ってるよ」
って。理由は、なんか、微笑ましいんだそうだ。幼稚園児の仲良しみたいで。
『イイ感じ』で喜びかけた私だったけれど……幼稚園? まあ、確かに今のところ一緒に帰っているだけだ。そういえば、デートというものもしたことがない。休日はサッカー部も吹部もわりと熱心に練習があるし、颯大には県トレセンの活動もある。
トレセンは、すっごく簡単にいうと、選抜チームみたいなものだ。私の弟は市のトレセンには入れたけれど、県トレセンの選考会には落ちてしまった。そういう感じのやつだ。
でも、いつかはマンガみたいなデートをしたりするのかな、と思い浮かんだら、ひとりで赤くなってしまって……。
「どうかしたの? 礼夏」
友だちに不思議そうに聞かれてしまった。
颯大は私に杉村さんのことは何も言わなかった。私も何も聞かなかった。颯大の修学旅行の感想は、どこそこのお菓子がおいしかった、とか、消灯後にみんなでこっそり集まってトランプしたのが楽しかった、とかで。
感想のあと、
『一緒の修学旅行に行ったのにお土産って変かもしれないけど』
少し緊張した顔でキーホルダーを渡された。驚いたのは、私も颯大にお土産を買っていたからだ。ちりめん素材のキーホルダー。颯大の買ったものとおそろいの色違い。颯大が買ったのは桜色で、私が買ったのは空色で。
胸がきゅっとする。
『私も。一緒に修学旅行に行った記念になるといいな、と思って』
急いで渡した紙袋の中を見て、颯大の顔もびっくりになる。手の甲できゅっと鼻をこすって、
『めっちゃ記念になる』
と、笑った。
キーホルダーはお財布につけた。学校に持ってくるものにはつけにくいなあ、と思ったのだ。たまたま誰かに『どうしたの、それ』と聞かれて『颯大にもらったの』と正直に答え、近くに杉村さんたちがいたら困ったことになるかもしれないし、ウソを答えたり誤魔化すのもいやだし。
杉村さんグループの嫌がらせはその後も地味に続いていた。ぶつかってくる以外にも、机の上のペンケースやノートを落とされたり、こちらを見てひそひそ話したり。
こういうときって、どうすればいいんだろう。わからない。落ちたペンケースは拾って、ひそひそ話はスルーした。そうしたら、ちっ、と舌打ちされた。どんなふうに反応しても気に入らないんだろうな、と思えた。
すれ違いざまに、がり勉は勉強だけしてろ、みたいなことも吐き捨てられた。呪いのお札がぺたり。だけど、颯大の笑顔と言葉を思い出せば大丈夫。
──好きなことをがんばるの、いいじゃん
とはいっても、夏休みに入ってしばらく杉村さんたちと顔を合わせる必要がなくなったときには、正直ほっとした。
部活に励む三年生にとっては最後の夏だ。吹部のコンクールは夏休みに入ってすぐに始まる。みんな口には出さなかったけれど、がんばろうね、という雰囲気は肌に感じた。
まずは地区大会。緊張したけれど、一生懸命に吹いた。
結果は金賞。だけど、代表にはなれなかった。いわゆるダメ金。目標だった県大会には届かなかった。泣いてしまった子もいた。最後の夏が終わって。
その数日後、葉月の家で一緒に宿題を片づけていると、颯大と蓮から『市大会優勝』のメッセージが届いた。スマホから目を上げて、私たちは顔を見合わせる。
自然に口に出た。
「県大会の応援、行きたい」
葉月もうなずく。
「私も」
というわけで、県大会の日程を送ってもらい、葉月と自分の予定を確認した。
『準決勝ならふたりで応援に行けるから、そこまで勝ち進んで!』
『了解』
『まあ、優勝する予定なんで』
返ってきたメッセージに顔を見合わせると、葉月はわくわくした表情をしていた。きっと、私も。吹部の夏は終わってしまった。だけど、サッカー部の夏はまだ続いているんだ。
県大会準決勝ともなると、試合会場は参加校のグラウンドじゃなくてちゃんとした競技場だった。
暑い。見上げれば、青い空に眩しいくらい白い雲。葉月と私はメインスタンドの日陰に座る。試合も良く見えて、ベンチの声も聞こえる場所だ。
試合開始直後、颯大たちは一点を先制された。が、前半終了間際、颯大がゴール前にこぼれたボールにスライディングして押し込んで同点! 葉月も私も歓声をあげて拍手する。
ハーフタイムが終わり、選手がベンチを出た。いくぞ、というふうに颯大が蓮の背中をたたき、蓮がうなずくのが見えた。
蓮のセンタリングに合わせた颯大のシュートはポストに当たって跳ね返り、相手キーパーが押さえた。敵のカウンターはディフェンダーがしのいだ。後半、どちらもチャンスはつくるのだけど、得点できない。
残り時間が五分を切ったとき、味方のゴール前で数人の選手が倒れた。
審判が鋭く笛を吹き、相手チームにPKが与えられる。
PK──キーパーとキッカーの一対一の勝負だ。キッカーの勝率が九割の勝負。ピンチだ。葉月も私も胸の前でぎゅっと両手を組む。キーパー、とめて……!
相手チームの10番がペナルティスポットにボールを置いた。助走をつけて、ボールを蹴る。
キーパーは左に跳んだ。方向は合っていた。けれど、キーパーの手は鋭いシュートに届かなかった。
ゴール。そして、1-2のビハインド。
私は時計を見た。ああ、もう時間がない。ダメかも……。
だけど、さっきだって、前半終了の笛が鳴る寸前に追いついたのだ。
「がんばって」
呟いていた。がんばって、颯大、蓮。──サッカー部のみんな。
中盤でのボールの奪い合い。こぼれたボールを颯大が拾った。颯大は横にパスを出す。そして、ライン際を駆け上がる。
パスを受けたのは蓮だ。颯大にボールを返した。颯大はドリブルでコーナーをえぐる。相手ディフェンダーがふたりがかりで颯大をつぶしに来る。
颯大はひとりをフェイントでかわした。
ゴール前に走りながら蓮が颯大に手を上げた。──パスをよこせ。
ふたり目と競り合いながら、颯大は低くて速いパスを蓮に送った。パスを蹴り終わった颯大の軸足にディフェンダーの足が接触し、颯大も相手もグラウンドに倒れ込む。
颯大の蹴ったボールは蓮の足元へと届いていた。蓮の強烈なシュート。けれど、ボールはゴールバーのわずか上を越えていって。
ピッチに試合終了の笛が響いた。相手チームが飛び上がって歓声を上げている。片足をひきずって立ち上がった颯大に、蓮が肩を貸した。颯大はぼう然としているチームメイトたちを促して、センターラインに向かう。
終わってしまった。私たちの夏が。私はもう放課後の音楽室へ向かうことはないし、颯大も明日からは学校のグラウンドに立たない。
物事には終わりがあって、季節は過ぎていく。──悲しくはなかったけれど、そんな当たり前のことが胸に迫り、降ってくる日差しが目に痛かった。本当に二度とない時間だったんだな、って……。
その日の夕方、颯大からメッセージが届いた。
『会える? 公園で』
自転車で公園に向かった。学校からの帰り道にある公園だ。
颯大は東屋のベンチで私を待っていた。
「足、大丈夫?」
まず、たずねた。足首に包帯が巻いてあったからだ。試合の最後にあった接触プレーでケガをしてしまったんだろうか。
「医者に診てもらったから、大丈夫。骨も腱も異常なし。しばらく湿布してろって言われたけど、この場所なら俺でも自分で湿布貼って包帯も巻けるから、問題なし」
ほっとして、少し笑っていた。湿布を貼るの、苦手なんだよね。
颯大の向かいのベンチに座った。
「試合、残念だったね」
「めっちゃ悔しい」
「私もダメ金すごく悔しかった」
どこかの一音をもっと伸びやかに出せていれば、フレーズをあと少し丁寧につなげていれば、代表だったんじゃないか──って。
颯大は浅く笑った。
「勝負だから負けちゃったのはしょーがねーんだけどさ。もう少しあいつらと一緒にサッカーやりたかったな」
胸が、つん、とした。──ああ、そういうことか。
視線を宙に浮かせば、幻が見える。中学に入学したときから一緒にがんばった仲間たちとの練習風景。高校で同じ部活に入ることはできるけど、そこに彼らはいない。
「あとさ」
颯大が続けたので、私は視線を颯大にもどした。
「ホントは勝って渡したかった。誕生日おめでとう」
渡されたのは桜貝。……よっつ、いつつ。小さな透明ビニール袋と金色の細いリボンできれいにラッピングされている。とてもきれい。
中体連で忙しかったのに、私の誕生日、覚えてくれていたんだ。でも、
「どうして桜貝?」
「前に県選抜で遠征に行ったとき、泊まったところが海の近くで、拾った」
「あ、そうじゃなくて、私、桜貝ほしかったの」
どうしてわかったの? という質問だ。
颯大は、ふーん、と素っぽを向く。あ、ひょっとして、葉月に聞いたんだろうか。葉月には話したことがある。でも、ずっと前だ。二年生のとき? 葉月、よく覚えていたなあ。
で、なぜ桜貝がほしかったかというと、
「これ、恋のお守りになるんだって」
「は?」
颯大はびくっと反応した。知らなかったみたい。それもそうだよね、ネットで拾った真偽不明の話だし、颯大ってそういうことにあまり興味がなさそうだし。私もそのときは具体的にこうなるといいなって願望があったわけじゃない。桜貝に似合うロマンティックな話にひかれてお守りにしたいなあ、と思ったのだ。
「ありがとう。大事にする」
恥ずかしかったけれど、がんばって口に出した。修学旅行のお土産のキーホルダーと一緒に大事にする。そういえば、あのキーホルダーも桜色だ。初めて話した日は桜吹雪がすごくて……夏なのに、心の中が桜色に染まっていく。
「あ、うん」
うなずく颯大の目が泳いでいた。颯大もなんだか恥ずかしそう。……確かに恥ずかしいかも、知らなかったとはいえ、男子が女子に恋のお守りを渡しちゃったなんて。私はすごく嬉しいけれど……。
会話が途切れた。何か言わなきゃ、って思った。このまま沈黙しちゃったら、もっと恥ずかしくなりそう。
颯大の誕生日プレゼントは何がいい? ──は、さすがに気が早いかな。クリスマスの一週間前なのでいつもキリストと合同誕生日会になってケーキもひとつ、って文句を言っていたやつ。
その前にあるのは、ええと……たくさんのテストだった。私たち、もう三年生じゃなくて、受験生なのだ。そう思いついて、聞いてみた。
「そういえば、颯大、高校はどこに行くの?」
「綾原は、藤白? 特進科?」
逆に聞かれて、うなずいた。私立白藤学園高校特進科。偏差値は県内トップレベルだ。
勉強は好き。新しいことを知るのは、知らない世界を探検するような気分。いつかリアルで知らない場所に行ってみたい。異世界……はたぶんムリだろうから、外国? そう思って、英語は特にがんばっている。藤白は高二の夏休みにイギリス語学研修のプログラムがあるのも私にとっては魅力的だ。
それから……ちょっとネガティブなことを言うと、藤白はとなりの市にあって同じ中学校から進学する生徒が少ない。毎年、せいぜい二、三人。つまり、私を知る人が少ない。ある意味知らない世界と言えなくもない。そこでなら『勉強ができるからがり勉』『優等生だから委員長』なんて小学校から続く決めつけも押しつけもなくて、颯大の言葉でお札から進化した羽をのびのび広げて勉強できそうな気がするのだ。
「颯大は?」
改めて進路志望をたずねると、答えが返るまでめずらしく間があった。そして、返ってきた言葉は、
「藤白からサッカー部の体験練習に誘われた。蓮も」
「えっ、スカウト?」
いや、驚くことじゃない。颯大と蓮は県の選抜チームに選ばれて、そこでも活躍したんだった。
藤白にはスポーツ科や音楽科もあって、勉強だけではなく部活動にも力を入れているのだ。ピアノもフルートも大好きな葉月は、藤白の音楽科を目指している。修学旅行で葉月とはそんな話をしたんだった。ゲームメーカーとストライカーとして。
スカウト? という私の問いに、颯大はうーんと前髪をかきあげた。
「じゃなくて、スカウト候補に入っただけ。体験練習が何度かあって、そこでのプレーで誰をスカウトするか決めるんだって」
それは充分すごい。
「いくの? 体験練習」
「蓮は、いく、って言ってた。俺はどうしようかな。北工の理工科を考えていたんだ」
県立北山工業高校のことだね。理工科は大学進学コースで偏差値も高い。
「理工科から工学系の大学を目指したい、ってこと?」
「ものづくり、って面白そうじゃん?」
「でも、藤白からだって大学はいけるし……藤白の方が、サッカー、強いよ?」
とっさに藤白を推すと、颯大は笑った。
「それな」
進路的には工学系に興味があるけれど、強いチームでサッカーしたい気持ちもある──ってことだろうか。
「迷ってるの?」
「藤白はこの辺の高校じゃ最強だからさ、子どものころは単純にあこがれてたし、高校でも蓮と同じチームでプレーできたら楽しそうだし、綾原も大畑も藤白志望なんだろ?」
ふわっ、と空想が広がった。藤白のユニフォームを着てピッチを駆ける颯大と蓮。スタンドで楽器を鳴らして応援する葉月と私。すてき、では?
家に帰ると、スマホに颯大からメッセージが届いていた。
『体験練習、いく』
と。




