砂糖菓子の放課後
次の一日は平穏に過ぎた。新学年が始まったばかりだからか、授業中はみんなわりとまじめに先生の話を聞いている。休み時間も、まとまりつつあるグループで平和におしゃべり。私は葉月や大人しめの女子たちと。杉村さんグループは話す声も笑う声も大きいけれど、こちらに何か言ってきたりはしない。うん、平和。
新野颯大のグループは運動部員多めだ。昼休みは外に出ていった。バスケしよう、と話しているのが聞こえた。昼休みが終わり、授業開始のチャイムに少し遅れて仲間たちと教室に駆け込んできて、すでに教室にいた先生に注意されていた。予鈴で戻ってくるように、と。すみません、と謝った新野颯大の目が教室の中を見て、彼を見ていた私の目と合った。あわてて視線を逸らす。彼も、私も。
今日の私、気がつくと新野颯大を目で追っていた。そのせいか何度も目が合う。視線を感じて振り向くと、新野颯大がこちらを見ているときもある。互いに急いで目をそらすのだが、私はそのたびに保健室での彼の言葉を思い出す──俺はすげえ好きだけど
わかっている。人としての話だ。でも、嬉しい。『まじめ』って、褒めているというよりバカにするニュアンスで言われることの方が多いから。だが、それはそれとして……新野颯大と目が合い過ぎる気もする。彼はなぜひんぱんに私を見るのだろう。もしかして、昨日の『好き』を私が恋のコクハクとカン違いしてしまったんじゃないかと、心配しているのではないだろうか?
いやいや人柄のことだってわかっているから──なんて心の中で思っても、テレパシーは届かない。心配しなくて大丈夫、と口に出して伝えるべきだろうか。だけど、そんなことで話しかけるのはさらにイタイよね?
そうだ。新野颯大の方を見ないようにしよう。そうすれば、時が解決してくれるかもしれない。だけど……そもそも私は、なぜ、新野颯大を見てしまうんだっけ?
吹部での私の担当楽器はユーフォニアムだ。今日はちょっとミスが多かった。理由には心当たりがある。新野颯大のことが気になるからだ。私が『好き』の意味を誤解したと誤解しているんじゃないだろうか。
気になるあまり、休憩タイムに窓からサッカー部の練習風景をぼんやり眺めていたら、
「何を見ているのかな? もしや、新野?」
葉月にそう聞かれてしまった。私は反射的に、
「え? サッカー、サッカーだよ? 新野って、なんで?」
「礼夏、今日、教室でときどき新野を見てなかった? ていうか、新野も礼夏を見てなかった? 私の気のせい?」
「……めちゃくちゃ気のせいでは」
「でも、礼夏、サッカー、好きだっけ?」
「す、好きだよ。弟もやってるし……」
本当のことなのに、葉月にふふっと笑われた。なぜ。
部活が終わり、葉月と一緒に校舎を出て正門へと歩く。そこで、ばったり、新野颯大に会った。
部活終了時刻はどの部も同じなのだから、正門を出るタイミングが一緒になることはふつうにありうる。もしかしたら、今までにもあったかもしれない。意識していなかったから気づかなかっただけで。
「……吹部も、今、終わり?」
声をかけられて、どきっとする。
新野颯大はもうひとりのサッカー部員と一緒だった。名前は、確か、岡村……岡村蓮。サッカー県代表の壮行会のとき、新野颯大のとなりに立っていて、一緒に校長先生に紹介されていた。つまり、彼も県代表に選ばれていたということだ。背が高くて、前髪が長めで、近くで見ると目つきがちょっと大人っぽい。
岡村蓮以外は同じクラスだからだろうか、そのまま四人で歩き始めた。
ふたつ目の信号で葉月だけ道が分かれた。葉月はにこにこと手を振って角を曲がっていった。なんだか意味ありげな笑顔だったが、その意味を考察するよりも今は……。
私は男子ふたりと歩いていく。どきどきしているのは、男子との下校が初めてなのもあるが、新野颯大の誤解を解くチャンスがあるかもしれないと思いついたからだ。どう切り出すかは未定だが、とりあえずはクラスメイトらしくフレンドリーな会話を試みよう。
「新野くん……」
ぽん。気軽に肩がたたかれた。
岡村蓮だった。びっくりして、何を話そうとしたか忘れちゃったけれど。
「こいつに『くん』なんてつけなくていいぞ。そーた、って呼んでやって。な、そーた?」
「え? おう。で、こいつは、蓮、な」
そういえば、杉村さんたちも颯大って呼んでいた。なるほど。
「……じゃ、私は礼夏?」
ここはノリよく──思い切って言ったら、新野颯大の顔がこわばった。
頭の芯がすうっと冷たくなった。馴れ馴れしすぎたか? 男子に対するフレンドリーの加減がわからない。だけど、岡村蓮が颯大の表情を見て吹き出していて。
「綾原、それ、そーたにはハードルが高いかもしんねー。俺は『れーなちゃん』でも、全っ然、平気だけど」
「……蓮っ」
鋭く呼んだ颯大を無視して、蓮は、新野颯大、自分、私の順に指差した。
「颯大、蓮、綾原──で、おけ?」
「お、おけ」
そこからは部活の話になった。新入部員どのくらい入るかな、とか、吹部ってどんな練習しているの、とか。
そうして、桜並木がきれいな土手沿いの公園に差しかかったとき、蓮がひょいと片手を上げた。
「じゃな」
一拍おいて、
「おう」
新野颯大が軽く返事をする。ここで岡村蓮も帰り道が別れるのか。
つまり、新野颯大と私、ふたりきりになった。『どきどき』が『どきんどきん』になる。願ってもない、誤解を解くチャンスだからだ。自然に、さりげなく……。
部活の話を続けた。私の担当楽器がユーフォニアムだと話したら、新野颯大がユーフォニアム? って反応をしたので、スマホで画像を検索して見せたり、新野颯大が自分のポジションはトップ下だと教えてくれたり。
「あ、トップ下ってのは……」
「大丈夫。弟もトップ下だから、だいたいわかるよ」
FWにラストパスを送り、自分もシュートを打ち、守備の最前線もこなして、ゲームメイクの中心になる選手だ。
「綾原の弟もサッカーやってるの?」
「うん、少年団で」
よし、話はうまく続いている。ここから、自然に、さりげなく……。どうやって?
夕焼け空の下、桜満開の土手を歩き、高架下のトンネルをくぐり……ひたすら部活の話を続けるうちに、自分の家が見えてきた。ああ、もう誤解を解く時間が。
「そこ、私のウチ」
内心しょぼんで家を指差して、そういえば、と気づいた。
「新野くん……颯大の家は、どこ?」
この辺りはすでに学区の外れなのだ。というか、今さらだけれど、颯大の出身小学校の学区的にこちら方面はナイのでは?
颯大は困ったような顔をした。
「川原町」
「川原町?」
そこなら、さっき蓮と一緒に公園の角を曲がるべきだったのでは。
不意に、颯大がまっすぐに私を見た。
「綾原、昨日、俺が保健室で言ったことだけど……」
視線も言葉も心臓直撃。だが、大丈夫、問題ない。むしろ、ウェルカムだ。私もその話をしたかったのだ。誤解していないと伝えなきゃ。フレンドリーさを心がけて、急いで言った。
「うん、人として、でしょ? ありがとう」
「え?」
目を丸くして聞き返された。私も、
「え?」
そして、ふたりで沈黙。
私は焦っていた。もしかして、『好き』のことじゃなかった? めっちゃ恥ずかしい早とちり? ええと、ほかに何を言われたっけ……。
先に口を開いたのは、颯大だった。
「あー、うん、もちろん、人としても好きなわけだけど、女子としても好きで」
感想はひと言──なぜ。
「口がすべったコクハクなんてダサすぎってわかってるけど、本気だってことは言っておきたくて」
私は言葉が出ない。けれど。
瞬きするくらいの時間私を見つめ、颯大は、じゃあ、と背を向けた。行ってしまう、と思った途端、口が動いていた。
「颯大」
振り向いた颯大に言っていた。
「私、颯大のこと表面的にしか知らなくて」
サッカーがうまいとか、女子に人気があるとか、先輩を返り討ちにしたとか。だけど、昨日と今日だけで、それだけじゃない部分をいくつも知って。
「だから、それで……もっと知りたいって思ってる」
颯大が驚いたような顔をしている。今の私の正直な気持ちだったのだが、へ……変だったんだろうか。自分の心臓の音が耳のそばで聞こえる。
「そんなこと言われたの、初めて」
一瞬目を伏せ、颯大が言った。手の甲で鼻の頭をきゅっとこすった。私に視線を戻して、小さく笑った。
「じゃあ、明日も一緒に帰らね?」
呼吸がとまった。でも、颯大のことを知りたいと言いだしたのは、私だ。
「うん」
去っていく颯大を見送る私の目の前を、たくさんの桜の花びらがひらひらと過ぎた。どこかの庭から風に吹かれて舞ってきたものだった。花びらは夕日を浴びてとてもきれいなオレンジピンク。
桜吹雪はきれいなだけじゃなくて知らないことが始まる予感がするところが好きだった。予感が当たったことはなく、そういう気分になるのが楽しかったのだけれど。
ふと思った。知らない物語が始まるかもしれない。
「グループつくろうぜ」
颯大と蓮、そして葉月と私──四人で帰るようになってしばらくして、そう言ったのは蓮だった。メッセージアプリのグループのことだ。異論はなかった。葉月も楽しそうにグループの登録をして。
部活のある日もない日も四人で一緒に帰った。ふたつ目の信号で葉月が『ばいばい』する。公園の手前で蓮が『じゃあな』と片手を上げる。そこから私の家まで颯大とふたりで歩く。そんな日々。
いろんなことを話した。その日教室や部活であったおもしろいこと。好きなゲームやアニメや音楽……。
私が対戦アクションゲームに詳しいことが、颯大にはちょっと意外だったみたいだ。よく弟につきあっているだけなんだけど。
「じゃ、綾原とサッカーの話もゲームの話もすいすいできるの、弟くんのお陰?」
「かな? あ、でも、アニメは自分が好きだよ。好きな作品の劇場版をリピートしたり、小説やマンガを読むのも好きで……ええっと、わりとオタク?」
「俺もまあまあサッカーオタクでゲームオタクだけど」
颯大がサッカーを始めたのは小三のときだそうだ。蓮とは幼なじみで、少年団のときからトップとトップ下のコンビ。それから……ゲームは対戦ものが好きで、食べ物の好き嫌いはあまりなくて、勉強は数学と理科が好き。
宿題は忘れがちだけれど、勉強が苦手じゃないのは知っていた。女の子たちのうわさ話によると、テスト順位はトップグループのすぐ下らしい。でも、今のいちばんは、もちろん、ゲームよりも勉強よりもサッカー。
「県大会には何度かいったけど。最後の中体連はその先までいきたい」
できれば全国、って。
「すごいね。吹部の目標は県大会出場」
「綾原は勉強すごいじゃん。テスト、いつもトップだろ?」
「いや、いつもってわけじゃ……」
たまに、二位もとる。
てへへ、と笑おうとした。『まあ、がり勉なので』と口にしようとした。保健室で『男子のケンカをとめなくていい』と言われたときに『でしゃばっちゃったかな』と自虐っぽく流そうとしたように。
だけど、颯大の冴えた明るい目を見たら、本当の気持ちが言葉になっていた。
「私、勉強するの、好きなの。新しいことを知ったり、筋道を立てて考えたりするの、楽しい」
要するにがり勉じゃん、というすんとした反応をされるかな、って、ちょっと不安だったけれど。
「あー、俺が数学や理科好きなの、それかも。筋道を立てて考える」
そう笑ったあと、颯大は屈託なく言葉を続ける。
「好きなことをがんばるの、いいじゃん」
気持ちがほわっとした。
『がり勉』や『優等生女』のレッテルは──勉強は好きだし、係の仕事もきちんとやりたい方だからその通りかもしれないけれど──小学生のときから言われ続け、積み重なって少し重い。体中に貼られた封印のお札みたいになっている。がり勉で優等生以外の私は出てきちゃいけないみたいな。アニメの影響で吹部に入ってがんばったり、読書で時間を忘れる私は存在を認められないみたいな。
颯大の言葉はお札を軽くしてくれた。好きなことをがんばるのはいいこと。お札が羽に変わった気分だ。
実際は、多かれ少なかれみんなレッテルを貼られているとは思う。颯大だったら……女子からは『サッカーがうまくて顔がいい』かな。颯大はそんなレッテルは気にしていなそうだけれど。……だけど。
思い出す。
『颯大のこともっと知りたいと思っている』
『そんなこと言われたのはじめて』
という、最初に一緒に帰ったときの会話。
あのときの颯大はちょっと嬉しそうだった。貼られたお札、私みたいに重くはないけれど、メンドクサイとは感じているのかもしれない。そこに女子に塩対応な原因が隠れていたり? 不思議なのはそんな颯大が……。
「なぜ、私のこと、好きになったの?」
ふわふわと考えていたら、浮かんだ疑問がどストレートに口に出てしまった。かあっと熱くなった顔を、とっさに両腕で隠した。
「ごめん……! 今のナシで!」
颯大が立ち止まっていた。腕のスキマからおそるおそる見上げると、颯大は片手を鼻に当てていて。
「……ひと目惚れ?」
誰に? どこに? まじめなところが好き、とは言われたが、見た目もまじめっぽいのが好きなのだろうか。
土手道で立ち止まって見つめ合う。とんでもないことを言わせてしまった。私も言わなければ。今の気持ちをちゃんと言わなければ。
「私、そのくせ、好き」
「くせ?」
「照れたとき、鼻をこするくせ。歩くとき速さを合わせてくれるのも、サッカーのこと楽しそうに話すのも……」
私をまっすぐに見てくれるのも好き──は、胸の中でだけ。
きみがとなりにいるのが心地いい。きみのとなりにいるのが好き。胸がぎゅっとして痛いときもあるけれど。
颯大が笑った。
「前に綾原のまじめなところが好きって言ったけど、話せるようになったらときどきおもしろくて、そこも好き」
私は土手にしゃがみこんだ。颯大があわてたように横にしゃがむ。
「綾原? 大丈夫?」
「心臓が、マラソンを走り終わったあとみたいで」
深呼吸して、颯大を見る。
「まとめると、同じクラスになってから知った颯大のこと、全部好き」
颯大が真顔になった。
「つきあってください」
私もまっすぐ颯大を見た。
「はい」
鼻をこすろうとして、颯大がその手をとめた。顔を見合わせて、ふたりで笑った。桜並木の花はとっくに散って、今は青々と葉を茂らせている、その下で。




