六月の空に笛は長く響いて
初夏の日差しが競技場のピッチに降り注いでいる。
芝生の緑の輝気がまぶしくて、私は少し目を細めた。
全国高校総体サッカー、県大会決勝戦が始まる。組み合わせは、私立藤白学園対県立北山工業高校。
両チームの選手たちがベンチを出て、ピッチに散った。
藤白は校名の通りに藤色と白のユニフォーム。北工のユニフォームはオールブルー。
私はバックスタンドの藤白応援席に座って、北工の選手を見つめている。ボールを置いたセンターマークに立つ7番。
中学生のときよりも背が高くなっている気がした。体のラインも、私の記憶にある十五歳の少年とは違っている。
二年、経ったんだ。息が詰まるように感じて、私は目を閉じた。瞳の奥に浮かんだのは、中三の春の桜景色。
風がさあとスタンドを渡った。試合開始を告げるホイッスルが鳴って、私は目を開く。
颯大がボールを軽く蹴り出していた。そのボールに素早く寄せていった藤白の選手は、蓮だ。背番号はエースストライカーの9番。
ボールを受けた北工の10番が蓮を引きつけてから颯大にパスを返した。颯大はドリブルで藤白フィールドへ切り込んでいく。
青いユニフォームの5番が颯大のドリブルを止めに来た。颯大は右足を踏み込み、右にかわそうという動きを見せる。5番がその動きに合わせて体重を移動する。颯大は左足のアウトサイドで踏み込んだのとは逆の方にボールを押し出す。
5番はあわてて上体の向きを変えた。だけど、体重を乗せた足がもどらない。バランスをくずす5番の横を、颯大は流れるようにすり抜ける。
うまい、と近くで声が上がった。私がいるのは藤白の応援席で周りは全部藤白の生徒。颯大は敵チームのプレーヤー。だけど、思わずほめてしまうくらい、ホントにうまいプレーだったのだ。
5番を抜いた颯大の前には、藤白の4番が走り込んでいた。颯大は急停止して、前をふさいだ4番の足の間に鋭いパスを通した。股抜きされた4番があわてて体の向きを変えたときには、ボールは北工の選手に渡っていた。
颯大は右腕を上げてゴール前を指し示す。
シュート。だが、キーパーが正面でがっちりとキャッチする。
「あっぶねー」
藤白の応援席がほーっと大きなため息に包まれる。
私も息をついていた。というか、息をするのを忘れていた。高校生になった颯大のプレー、テレビの画面越しじゃないプレー。なんていうんだろう……。スピードがあって、キレがあって、印象的。記憶と心に残る感じ。
試合開始前、新聞やテレビの予想は圧倒的に藤白優位だったのだけど、どちらも得点できないまま前半を終えた。ゲーム内容は、互角、だろうか。
ハーフタイム、近くの席の男子の会話が耳に入った。
「いいところまでいくんだけどなあ。あと一本が出ないな」
「中盤での岡村のマークきつくね? 北工の7番」
男子の口から出た言葉に、心臓が跳ねる。岡村は蓮の名字、そして、北工の7番は颯大のことだ。
颯大と蓮のマッチアップは、前半、何回もあった。今のところ、颯大は蓮に仕事をさせていない。逆に、颯大が藤白フィールドに攻め込むシーンもあった。
けれど、ベンチに引き上げてくる藤白の選手たちの表情には、余裕があった。蓮にも。
北工は善戦している。でも、地力の差って後半に出るものだ。北工は集中力と運動量で藤白の技術と戦略についていっているけれど、後半に入って疲労がたまり、集中力がそがれ運動量が落ちれば……。
ふと胸が痛くなった。颯大と蓮が同じ藤白のユニフォームを着てピッチを走る未来だってあったかもしれないのに。一緒のチームで、ひとつの勝利を目指して。もし、私が……。
後半が始まった。キックオフは藤白だ。短くて速いパスをつないで北工フィールドに攻め入った。攻撃を後押しするような吹部の力強い演奏がスタンドに響く。私は無意識に胸の前で両手を組んでいた。葉月、がんばれ。
ゴール前で蓮がボールをもらった。ディフェンダーを背負ってボールをキープ、振り向いてシュート……ではなくて、サイドのスペースにパスを出した。そこに藤白の5番が走り込む。ゴール前に高いボールを上げる。北工のディフェンダーとキーパー、そして蓮がボールに向かってジャンプする。
藤白の応援席が、わっ、と盛り上がったけれど。
ボールは北工のキーパーがパンチングではじき返した。落ちたボールを北工の2番が素早くゴールエリアの外に蹴りだす。北工の5番がそのボールをトラップする。前線に長いパスを送る。
パスの先には、藤白フィールドへと走る颯大がいる。
だけど、そのパスは藤白の6番に読まれていた。当然といえば当然だ。前半、北工の攻撃の起点はほとんど颯大だったから。6番はボールを鮮やかに奪い取り、ドリブルで北工ゴールに向かう。
颯大は足を滑らせるようにして体の向きを変えた。6番を追う。
6番は8番にボールを渡し、ゴール前に走り込む。8番から6番に低いパスが返る。北工のディフェンダーが6番のシュートコースをふさぐ。が、6番はシュートにはいかず、そのボールをスルーして。
逆サイドから蓮がゴール前に詰めていた。キーパーもディフェンダーも6番に気をとられすぎていて、蓮はほとんどフリー。
キーパーがあわてて体の向きを変え、横に飛んだ。けれど、その手は蓮のシュートに届かなかった。ボールがゴールネットを軽やかに揺らす。
藤白、先制。ゴールを決めた蓮がガッツポーズでチームメイトに囲まれる。藤白の応援席が歓声に包まれる。
颯大は6番に追いついくことができなかった。味方がゴールから蹴り出したボールを片足で止めた颯大の横を、蓮が走って過ぎる。
一点を先制して、藤白はペースをつかんだようだった。ボールを支配し、北工フィールドに深く攻め込む。颯大のプレーも守備にさく時間が多くなる。
北工ゴール前に高いセンタリングが上がった。空中戦は北工が競り勝った。落ちたボールに、颯大と蓮が寄りを見せた。ほかにもボールに向かう選手がいて。
スタンドからは数人の選手が交錯したように見えた。そして、藤白の9番と北工の7番が倒れる──蓮と颯大。
思わず腰が浮く。颯大、蓮。
先に立ち上がったのは颯大だった。蓮に手を差し出す。その手をとって蓮も立ち上がった。颯大はチームメイトを励ますみたいに蓮の背中を軽くたたいた。前線に向かって走りだす颯大を、蓮が一瞬見送る。
ほっとした。ふたりとも、ケガはない。安心したあと、じわり、とこみ上げてくる気持ちがあって……ああ、颯大も蓮も全力プレーだ。ふたりの視線の先にあるのは、あったかもしれない未来じゃなくて、今この瞬間のプレー。
がんばって。蓮も、颯大も。
北工ボールで試合が再開した。だけど、すぐに藤白がボールを奪う。北工ゴールに攻撃をしかける。いつのまにか、北工は防戦一方になっている。
残り時間が十分を切ったとき、藤白に2点目が入った。
蓮の二点目だった。
藤白の生徒が歓声を上げる。残り十分で2点差。勝った、と。
北工の選手の動きに焦りが感じられるようになった。攻め込まれるシーンが多くて、北工の守備が雑になる。そして、試合終了間際、藤白にPKを与えてしまった。
残っているのはアディショナルタイムぐらいだろう。やった、追加点だ、これで3-0になる──そんな空気が藤白の応援席を包んだ。
PKを蹴るのは藤白のキャプテンだ。ボールを置き、助走をつけ、キックした。
北工のキーパーは右に跳んだ。シュートを、止めた。
おお、と私の周りで感嘆の声が上がった。PKを止めるのは、すごいから。
声には余裕があった。PKを失敗しても、2点リードしている。試合時間はほとんど残っていない。藤白の勝利は揺るがない。
けれど、ボールはインプレーだ。ピッチの選手たちは反応していた。キーパーが弾いたボールに詰める藤白の選手。ゴールを守ろうとする北工の選手……。
PKを止めたキーパーは転がったボールにおおいかぶさるように飛びついた。素早く立ち上がって、ボールを大きく蹴り出した。
ボールを受けたのは、前線に残っていた颯大。そして、颯大の前方にパスを送る味方は誰もいなかった。
キーパーからのロングパスを、颯大は走り出しながらワントラップで足もとに寄せた。同時にディフェンダーをひとり抜いた。ドリブルの二歩目でトップスピードに乗った。攻めていた藤白のディフェンスラインは薄い。颯大は残ったディフェンダーをフェイントでかわし、スピードで置き去りにして……。
ゴールキーパーと一対一になった。シュートコースを狭めるために、キーパーは前に出る。その脇をライナーで抜いた颯大のシュートが、ゴールネットに突き刺さる。
ホイッスルが響いた。短く長く、ゴールの笛。そして、長く、長く、とても長い、三回のホイッスル。
試合、終了。
藤白の選手たちが集まってひとつの塊になる。泣き出す選手もいた。去年は夏も冬もあと一歩で届かなかった優勝なのだ。喜びの輪の中心に二つのゴールを決めた蓮がいる。そして──。
私の視線は藤白のゴール前へと動いた。
颯大は両手を腰に当て、空を仰いでいた。深く呼吸するような間があって、ゆっくりとセンターラインに歩き出す。
すでに並んでいたチームメイトたちが、颯大を迎えた。PKを止めたキーパーが颯大の肩を抱く。0-3の試合を1-2にしたふたり。けれども、敗北は敗北でしかなくて。
礼を終えると、颯大はユニフォームの袖で顔をこすった。
ぬぐったのが涙なのか汗なのか、私のいる場所からはわからなかった。──そばに行きたい、と強く思った。




