風を待つ日
二年生になった。
四月は慌ただしく過ぎていく。新しいクラスで委員や係を決める。保護者会やら健康診断やら細かな行事がいろいろある。新入生を部活に勧誘したり、歓迎会を開いたり。
そんな中、朝礼で壇上に上がることがあった。語学研修メンバーの紹介だ。ひとりひとり名前を呼ばれたら全校生徒に向かって一礼する。
私の番がきた。名前の前に『二年四組』とクラス名を読みあげられたとき、講堂の雰囲気が『え?』となった。四組って、普通科? なんで?
かすかに足が震えた。やっぱり悪目立ちしているのでは。普通科のくせに、って。
去年もこういう朝礼があったはずだけれど、覚えていない。あのころは周りを見ることができなかった。下ばかり向いていた。目立たないように息をひそめて。
だけど、今は。
深呼吸して背筋を伸ばした。背中の羽を広げるつもりで。そして、全校生徒に向かって、礼。
普通科だって問題ない。がんばって条件をパスしたんだ。私は、私の行きたい場所へ行く。
研修メンバーの紹介のあとは、インターハイの壮行会だった。各運動部の部長と副部長が代表でステージに立つから、二年生の蓮の姿はなかったけれど。
地区予選がすでに始まっていることは、蓮に教えてもらっていた。課題テストの結果報告『セーフ!』のメッセージと一緒に。サッカーの場合、県を三つに分けた地区予選の上位校がゴールデンウィーク明けの県大会決勝トーナメントに進むのだが、藤白はシード枠で決勝トーナメントから参加するそうだ。
北工は予選からの参加だけど、絶対に決勝トーナメントにあがってくる。──蓮のメッセージにはそんなことも書いてあった。中三の夏に見た颯大のプレーが鮮やかに思い浮かんだ。あのとき降っていた強い日差しより鮮やかに。
けれど、蓮に聞いた颯大のケンカの理由が心におおいかぶさって、思い出の光を陰らせる。
中三の春、颯大は男子のケンカをとめようとした私をかばってくれた。ひとめ惚れだと告白してくれた。私はそれを同じクラスになってからのことだと思っていた。だけど、同じクラスになる半年前にも、颯大は私を助けてくれていた。私の知らないところで、ケンカをとめるより危険な場面で。蓮は、颯大が同じクラスになる前から私を知っていた、と教えてくれたけれど──それはいつ?
胸がきゅっとなる。颯大はいつ私の存在に気づいたのだろう。知りたい、と思う。だけど、同時に、自分が颯大を危険な目に遭わせたんだ、と浮かんで、心が重くなる。一度ならず、二度も。その結果、高校受験の特待もダメにしてしまった。それは、事実。
やっぱり、合わせる顔がない。クリスマスに蓮や……杉村さんにまで会ったのに颯大に出会えなかったのは、きっと会う資格がないってことなんだろう。
なのに、颯大のことを考えると、申し訳ないという胸の痛みに甘さが混じる。颯大と過ごした時間、そのときどきに感じた想い。痛みと甘さが堂々巡りを繰り返し、いろんな感情が現れては消えていき、やがてとてもクリアな気持ちに辿りつく。
──颯大に会いたい。颯大が好き。
颯大が好き──日ごとに明るくなっていく太陽の光の下で、私はそう思った自分自身を持て余している。綾原って、今も颯大が好き? という蓮の問いは消えない傷みたいに心に残っている。答えは、好き、みたいだ。だけど……だけどね?
私が知っている颯大は、私の記憶の中の颯大だ。思い浮かべるのも、話しかけるのも、中学三年生の颯大。葉月が渡してくれた手紙も、颯大が卒業前に書いたものだ。あれから一年以上がたった。今の颯大がなにを思い、考えているのか、私にはわからない。
蓮はお正月休みに颯大と遊んだ、と言っていた。変わってなかった、と。
変わってないのかもしれない。冴えたまなざしや、まっすぐに次のプレーを目指すところ、とか。だけど、高校で新しい友だちもできて、いろんな経験をして、変わったこともあるだろう。もしかしたら……カノジョがいる可能性だってある。たとえば、同じクラスの女の子。たとえば、サッカー部のマネージャー。たとえば……。想像すると、気持ちがぐらつく。縮こまる。私の気持ちは迷惑かもしれない。
それに……本当をいえば、自分の気持ちにしっかりした自信があるわけじゃない。今の颯大を私は知らない。私が恋しているのは思い出の中の颯大だったりはしないだろうか。私、楽しかった過去を懐かしんでいるだけだったりはしないだろうか。
颯大はきっと前を見ている。私は? イギリス語学研修は勝ちとった。前を向けていると、思う。でも、颯大への気持ちは? 会いたい、と思う。偶然出会うシーンを想像すると、ときめく。でも、会ったら、どうする? どうしたい? ……中学生のときみたいにまたつきあいたい、ってこと?
語学研修の参加者向けに英会話のレッスンが始まった。特進科の生徒の中に普通科がひとりだったけれど、となりの席になった女子と話すことができた。オンライン英会話も続けている。英語以外の科目もしっかり勉強している。漫研部の活動はゆるゆるだけど、楽しい。
ただ、颯大のことを考えると心が揺れる。同じ悩みをひと回りして、また揺れる。
蓮がユニフォームの写真を送ってきた。背番号は9。エースストライカーとして試合に出るということだ。おめでとう、とメッセージを返す。
北工は地区予選を勝ち進んだ。県大会決勝トーナメント出場を決めた。ゴールデンウィークが終わって、トーナメントの組み合わせが発表された。藤白と反対のブロックに北工の名前があった。両チームの対戦があるとすれば、六月初めの決勝戦。
家から通学電車の駅に自転車で向かう途中、頭上からたくさんのさえずりが降ってきた。自転車をとめて見上げると、青い空を背景にして十数羽のスズメが電線に止まっている。
青い空に引かれた五線譜と音符みたいだった。雀たちはしばらくそこでさえずっていたけれど。
音符たちが一斉に飛び立ち、静寂とまっさらな五線譜が青い空に残る。
新しい音符を待っているように見えた。
藤白と北工はトーナメントをひとつ、またひとつ、勝ち上がった。北工が去年の優勝校を1―0で破ったときは地元サッカー番組で大きくとりあげられた。ゴールを決めたのはほかの選手だったけれど、颯大がディフェンダーをふたりかわしてからゴール前に通したパスが絶賛されていた。
決勝戦は、藤白対北工。
明日の土曜日が決勝という日、私は昼休みにスポーツ科のある校舎に行った。スポーツ科の校舎に入るのははじめてだ。面識のないスポーツ科の生徒に蓮を呼んでもらうのは恥ずかしかった。蓮もちょっと面食らっているようだったけれど。
「何かあったの?」
スマホのメッセージとかデンワとかじゃなくて、ちゃんと顔を見て伝えたかったのだ。
「明日の決勝、応援に行くから」
蓮の目が瞬く。まじめに聞かれた。
「どっちを応援するの?」
「藤白。蓮」
即答。それから、すっかり遅くなっちゃったけれど、もしかしたら蓮はそんなこと忘れちゃっているかもしれないけれど、『綾原って、今も颯大が好き?』の答えを。
「あとね、私、サッカーしている颯大に、会いにいく。今の颯大に会いたい。そのあとどうするかは、まだわからないけど」
颯大を見て感じたとおりに動こう、と思う。
一瞬の沈黙。真剣な表情のまま、蓮がうなずいた。
「わかった。北工にも颯大にも負けねー」
「がんばってね、蓮」
「綾原もな」
最後は合言葉のようないつものあいさつ。
サッカーの応援に行くこと、葉月には、夜、メッセージで伝えた。葉月はコンクールメンバーを決める部内オーディションに落ちて、次のチャンスまで依頼演奏班になる、と言っていた。地域イベントや運動部の応援で演奏をする班だ。だから、サッカーのインターハイ決勝にも応援演奏にいく。
『礼夏、サッカーの応援、行くんだ』
ちょっと驚いたような返信。続いて、
『じゃあ、四人全員がスタンドにいるんだね』
四人全員……葉月と颯大と蓮と、私。
『中体連のときみたい』
中三の夏の青空を思い出しながら、メッセージを返す。吹部の葉月と一般生徒の私の応援席は離れているし、颯大と蓮は敵チームだけれど。
『私、めっちゃがんばって吹くよ。もちろん、蓮を応援する。だけど、颯大も応援する。礼夏の語学研修がうまくいくように応援して、それから、次のオーディションには受かるように自分も応援する。フルートなんてスタンドじゃ全然響かないけど、がんばる』
胸が温かくなる。
『音楽、すごいね。音楽でみんなを応援できる葉月もすごい。スタンドにいる人、全員応援できちゃいそう』
メッセージが返ってくるまで、少し、間があった。
『ありがとう』
『それ、私のセリフ。オフの日、また遊んでね』
『もちろん』
スマホを置いて、視線を上げた。
考えて迷っているだけじゃ、何も変わらない。どこにも行けない。
行動しよう。その結果、傷ついたとしても、それは、私の新しい最初の音符にきっとなる。




