七話
アスガルは今ごろ、城へ。アルデバラン領へ着いた頃だろうか。あいつが出発して一日が経過している。無事についているといいんだが。
「おにーちゃん、どうしたの?」
こちらを見上げ、不思議そうに首をかしげているメル。
……よそう、現実逃避したところで意味はない。とはいえ。
「おぉ、ありがとう。ありがとうございます」
目の前に跪いて、涙を流しながらこちらを拝んでくる老人がいたら、現実逃避もしたくなる。と、いうより。さらに後ろでは夫婦であろう男女が抱き合って喜んでいたり、蹲って泣いている男までいる。
感謝されている、というのは嬉しくはある。しかし、原因が前の代官にある以上、こちらとしてはいたたまれない気持ちの方が強いのだが……。
なにしろ、館から見つかった物資は前の代官が着服していた、搾取していた物資なんだ。それを解放したから、と拝まれても。こちらとしては、マッチポンプしている気分だ。
奥でレグルスもなんとも言えない、いたたまれない表情になっている。きっと、俺も同じ顔になっているに違いない。
「ご老人、顔を上げてくれ」
しかし、老人。村の顔役は泣くばかりでこちらの声が届いていない。ここで声を張り上げるのも何か違うし、と困っていたのだが。
「おじーちゃん、おにーちゃんが顔上げてって」
メルが老人の服を引っ張りながら話しかける。グッジョブだ。これなら角が立たない。
孫娘の言葉だからか。老人はすぐに顔を上げてくれた。俺は老人の前に跪くと、両手で彼の手を包み込む。
「すまない、あなたたちには苦労を掛けた。本当に申し訳ない」
「……ふ、ぐぅ」
俺の謝罪に感極まったのか、老人は再びうつむく。それとととに手に、ポタポタ、と水滴が落ちる。きっと……、いや。絶対辛かったはずだ。
もっとまともな領主、代官がいれば彼らは子供を人買いに売るなんてこと、しなくてよかった。慎ましやかだが、幸せな生活を送ることができた。
それを護るべき貴族が、代官が彼らを虐げていた。
……この国は、ここまで腐っているのか。
王位のため、幼子を、アンリを殺した国だ。あり得ない話じゃない。しかし、同時に俺にとってこの国は、前世の故郷と同じく、ここもまた故郷なんだ。できれば、悪く思いたくなかった。なかったんだ。でも……。
サルガス王が病に侵される前はここまでじゃなかったはずだ。少なくとも、あの方は戦ばかりしている民に優しくない王だったが、暴虐ではなかった。
だが、今の王は執務を執る時間も少なくなっているという。その代わりを王子たちが行っているとも。だが……!
「…………っ!」
ぎり、と歯が軋む。苛立ち、無力感で腹立たしい。
民は国の礎だぞ。王家のおもちゃじゃなければ、点数稼ぎの駒でもない。
かつて、前世には王は国の奴隷、という言葉があった。俺もそこまでやれ、とは言わない。だが、その真意は知るべきだ。
国、という箱は民という名の中身があって、始めて機能する。民なき国など空虚な空箱だ。裸の王さまなどじゃあるまいに。
そして、それは領主。代官も同じこと。代わりはいるから、と苛烈な統治をすればいずれ領地は荒廃する。
いわば、これは俺の戒めでもある。あり得たかもしれない、俺の統治。その末路なのだ。
俺はいまだに泣いているであろう老人へ、優しく声をかける。
「ご老人、すまないがたてるか?」
「は、はいっ……」
聞こえてくる涙声。それで、老人は緩慢な動きで立ち上がる。それに合わせて、俺も立ち、それで辺りを見回す。
そこにはいまだ泣き、笑っている村人たちの姿。
俺は彼らに宣言しなければならない。領主として、統治者として。
「皆、聴いてほしい」
一拍、止まる。村人たちがこちらに注目するのが分かった。続きを話す。
「まず、申し訳ない。あなたたちが苦しい思いをしたのは、我らの不徳とするところ。謝ってすむ問題ではないが、それでも謝らせてほしい。すまなかった」
そのまま頭を下げる。空気が少し重くなるのを感じる。メルがその空気を感じ取ったのか、身体を強張らせている。
すぅ、と息を吸う。ここからが本番だ。頭を上げ、胸を張る。
「そして、その上でこんなことをいうのは無能の極みだが、助けてほしい。俺は、この村のことをよく知らない。あなたたちの助けが必要だ」
はっ、と老人が息をのむ。先ほど蹲って泣いていた男が険しい顔になる。
「ご領主さま、あんたには感謝してる。だがよ……」
男の顔がくしゃり、と歪む。泣き笑いの表情だ。
「そんな、情けないこと言わないでくだせぇ。あんたは命令してくれりゃあいい。手伝えって。少なくとも、あんたは、あの糞代官より信用できる」
「すまない……いや、違うな。ありがとう。君の名は?」
「デトローフ、デフと呼んでくだせぇ」
名乗ってくれたデフは男臭い笑みを浮かべる。後ろの村人たちも、同じように笑みを浮かべる者。こくり、と頷く者。真摯にこちらを見つめる者と様々だ。
彼らからは一様にこちらを信頼する気持ちが窺える。ありがたいことだ。彼らの信頼を裏切ったのはパルサ王国だというのに。
だからこそ、今度こそ彼らの信頼を裏切らないようにしなければならない。
「じゃあ、デフ。それに皆も手伝ってくれ。そして、より良くしていこう。ここが、この場所こそが我らの故郷、楽園だと誇れるように」
俺の決意、そして宣言に村人たちは顔を綻ばせる。その中で、メルは嬉しそうに笑っていた。
……これで、正しいんだよな。ライナ、アンリ。
俺は俺で出来ることを。そして、いつか、きっとお前を……。




