六話
「騎士アスガルが面会を求めている?」
昼過ぎの茶会のおり、茶葉の香りを楽しんでいた私、アマテル・アルデバランは従者の報告に驚きで、目を瞬きました。
彼は確か今、末弟アインの従者として、共に任地へ赴いているはずですが……。
「なんでも、そのアインさまの命、とのことで……」
「そうですか」
アインの命。なんとも不思議なものです。あの子が積極的に動くなど。城では、目立たぬよう過ごしていたはずです。その分、城下町ではなにかと動いていたようですが。
それに、あの子が時たま素っ頓狂な行動をするのはご愛敬でした。弟、三弟のアルニはよく振り回させていたようですし。
それはともかく。
「まぁ、良いです。こちらにお通ししてちょうだい」
あの忠義の騎士。お父様のもとへ残っていれば、我がアルデバラン伯爵家騎士団の団長となれた殿方がわざわざ、弟の命で訪ねてきたのです。会わない、という選択肢はありません。
それどころか、なにかアインが突拍子もないことを始めたのかもしれません。
ほどなく、従者が件の騎士。アスガル殿を連れてきました。連れてきた従者に目配せします。そのまま、彼女は音もなく立ち去ります。
あの子が動いた、ということはなにか余人には聞かせられない内容、という可能性が高いです。
もしもの時、従者を処分。というのは私もやりたくありません。危険な橋をわざわざ渡らせる必要もないでしょう。
「お久しゅうございます、お嬢さま。本日は我が願いを聞き入れてくださり感謝いたします」
「構いませんよ、騎士殿。あなたはアインの名代なのでしょう? それで、今回はどんな突拍子のないことを始めたのか、話してくださる?」
私が話を促すと、騎士アスガルは一瞬、苦い表情を浮かべました。あら、珍しい。アインの事だから、何かしらのお願いだと思ったのだけど、違うのかしら?
でも、騎士アスガルはすぐにいつものおおらかな顔に変わると笑いました。
「はっはっはっ、申し訳ございませんお嬢さま。今回は坊っちゃんの奇行、というわけではないのです」
「そう……。それなのに、あなたが来た。なにか問題が起きた、ということね。では、改めて話してくださる?」
「詳しくはこちらに――」
そう言うと騎士アスガルは書状を渡してきました。本当、徹底していること。この城も、以前に比べると噂好きが増えました。万一にでも聞かれては困る内容、ということね。従者を下がらせた正解だったわ。
そうして渡された書状に目を通して――。
「騎士アスガル、これは本当に?」
「はっ、誠に残念ながら」
笑顔にも陰りが見えます。声も張りがありません。それほどひどい状況、ということね。それにしても……。
「王国直轄領で不当な搾取などと、その代官。正気なの?」
「さて? 我らはその代官の尊顔を見たわけではありませんので。ただ、ひとつ言えることがあるとするなら……」
「するなら?」
場に重苦しい沈黙が流れます。そして、騎士アスガルが口を開きました。
「件の代官、坊っちゃんとは比べるのも失礼なほどの愚物、ということでしょう」
「ふふっ、そうね」
相変わらず、騎士アスガルはアインのことが好きみたい。きっと、あの子の中に光を見たのでしょう。それにしても。
「秋に収穫したはずの食糧が冬には尽きる、なんて異常どころの話ではないわ。それに、アインの領主就任はサルガス王の肝いりよ? 本当に何を考えているのか」
背任、どころの話ではないわ。完全な反逆、国家に、王に対して反旗を翻している、ととられてもおかしくない。それをあえてやる理由とはなにかしら?
でも、それを今考えても意味ないわね。それより。
「それで、アイン。弟は私に何を望んでいるのかしら?」
「はっ、手紙を一筆書いていただきたく」
「……それは、公爵家に?」
「御意にございます」
騎士アスガルが一切の躊躇なく肯定する。
あの子、正気? それは、アルデバランがイオス公爵家に弱みを見せる、ということよ?
いえ、あの子の事だから、たとえそうであったとしても必要だ、と判断したのね。
あの子、そこら辺りの嗅覚に優れていたし。でも……。
「それで、公爵家には何をお頼みするつもりなの? 食糧支援?」
何だかんだで、公爵家は軍事の名門として名を馳せているわ。常時4000の兵を養える。我が伯爵家の保有兵力が800前後で限界な状況で、それだけの兵を養えるのです。それだけ豊かなら、辺境のひとつの村程度、食糧を用意するのは簡単だわ。
「いえ、公爵家には黒鍬をお借りしたい、と」
「はい……?」
黒鍬? あの土木部隊を? それより、食糧の手配をする方が重要……まさか?
「騎士アスガル。あの子、もしかして……」
「ご明察の通りに。坊っちゃんは伯爵家に食糧支援をお願いしたい、と」
思わず、頭がくらり、と揺れる。
あの子、とことん使い倒すつもりね? 借りを作る、というなら骨の髄までしゃぶろうだなんて、私が公爵家の婚約者じゃなかったらどうするつもり――。
「いえ、私が婚約者だから。そこまで考えた、ということ?」
使えるものはとことん使おう、という腹積もりね。なら……。
「分かりました、騎士アスガル。少し待ってちょうだい。すぐに書くから」
私は騎士アスガルへ告げならが、テーブルに置かれたベルを鳴らしました。その音を聴き、参上した従者に必要なものを持ってこさせます。
そのまま、私はさらさら、と書状を二枚書きます。そして、それを騎士アスガルに。
「こちらは公爵閣下へ。もうひとつは婚約者のイクリルくんへお願いできる?」
「はっ、承知しました」
騎士アスガルが受け取った書状をいそいそ、と胸元へ仕舞います。
「では、すぐに出立してちょうだい。急ぐのでしょう?」
「はっ……? いえ、ですが……」
今日、始めて騎士アスガルの困惑した顔を見れました。おおよそ、アインにお父様の説得もお願いされていたのでしょう。ですが、ここでそんな時間を無駄にさせるわけにもいきません。
「お父様の説得はこちらで請け負います。急がないと間に合わなくなるわよ?」
今は晩秋、もう少しすれば冬が訪れるわ。いくら公爵家の黒鍬が優秀だとしても、雪が降れば街道整備の難度も上がる。
それに、食糧が届かなければ最悪あの子。アインが餓死する可能性だって。そんなこと、認めるわけにはいかないでしょう。忠義の騎士さん?
……私だって、認められない。だから動いてもらうわよ。あなたが、あなたこそがアインの騎士なのだから。




