五話
風を切るように駆ける。木の枝が鎧に当たり、乾いた音と共に折れる。ガチャガチャ、と鎧から耳障りな金属の擦れる音が響く。
俺、アスガル・メシャンは坊っちゃん。いや、主君。アイン・アルデバランさまの命により、急ぎ伯爵領へと帰っていた。
最初、近くの村落で馬の徴発も考えたが、それをするとおそらく主君は怒るであろう。
「ふっ……」
思わず、頬が綻ぶ。あの方、アインさまは貴族に珍しく、本当の意味で民を慈しんでいる方だ。
それ以上に、平時の奇行があるゆえ、常人には侮られているが。
だが、俺は知っている。あの方の奇行は全て、民たちを思えばこそ、ということを。
少しでも民が楽になれば、富むことができれば、と試行錯誤していることを。
だが、さしもの俺も、坊っちゃんが人の糞をを汲み取ってきた時は正気を疑ったものだ。ただ、その後。数年かけてそれや木炭も含めて火を放つ秘薬になるとは驚きだった。
「だからこそ、仕え甲斐がある」
今こそメシャン、という家名があるが俺はそもそも平民だった。傭兵だった俺は、武功をあげご当主。トラスさまに召し上げられたのだ。
だが騎士になった俺が見た光景は失望だった。
騎士とは、弱き民を護るための剣であり盾である。
そのはずなのに、己が武功を、手柄のみを求める俗物がいかに多いことか。
敵の首を取る、それはよかろう。しかし、その首が民の首では意味がない。彼らは徴兵されただけの農民だ。
それを殺して、誇ってどうする。なんのための騎士だ、なんのための貴族だ。
本来、貴族とは。平民を護るため、武を鍛え上げ、慈しむことにより、民より税を、生きるに必要なものを得る、という契約だったはずだ。
だからこそ、貴族と分かるように、ここが自身の支配地であると分かるように家名を名乗るのだ。それなのに、その護るべき民を弑してどうする。
その点、アインさまは違う。彼は間違いなく民を護るために行動している。俺が理想とする貴族なのだ。
だからこそ、俺はアインさまが領地を持つと知った時、あの方の従者として志願した。
仲間たちからは出世を棒に振るのか。考え直せ、と言われた。だが、これでいい。これがいい。
腐ったまま出世するより、俺は納得したかった。それに、あの方なら、きっとなにかをやらかしてくれる。それが楽しみなのだ。
だからこそ、酔狂などと言われるのだろうが。
そういう意味では奇行と酔狂。似た者主従なのかもしれない。
そろそろ、領地の中心。アルデバランに近づく頃合いだ。遠くに街も見えてきた。あと少し、あと少しだ。
俺は足にぐっ、と力を込める。気のせいか、身体が軽くなるのを感じる。街道も見えた。馬車が、商人たち、そして旅人や冒険者たちの姿も見えてきた。
あと少し、あと少しで到着する。もっとも、到着してからがお仕事なのだが。
その後、領内へ入るのに順番待ちで少し手間取ったものの、無事に入ることができた。場合によっては強権で順番を無視することもできただろうが、アインさま。主君の騎士として無法を働くわけにもいかない。
俺の行動が、そのまま主君の評価に繋がるからな。それ以前に、そんなことをしたとバレようものなら、俺が叱責されてしまう。それは避けたいものだ。
それはともかくとして、城下町へ入った俺はその足でアルデバラン城の門前まで来ていた。
「すぅ……」
思い切り息を吸い込む。
「開門、開門! アスガル・メシャンである。主君、アイン・アルデバランさまの命により帰還した。開門せよ!」
大きな声を張り上げる。なんだなんだ、と後ろでは民たちがこちらを見ている。戦時中なら珍しくもない光景だが、今は平時だからな。珍しくも見えるだろう。
その事もあって城門の近くでは兵たちが目を白黒させていた。
「どうした、アスガル! アイン坊っちゃんに嫌気がさしたのか?!」
この騒ぎを聞き付けたのかもしれない。かつての同僚騎士が俺を姿を確認して、坊っちゃん。アインさまのことを揶揄してきた。一瞬、鼻白むがすぐさま言い返す。
「はっはっはっ、いや、なに。坊っちゃんについていって正解だったわ! 毎日、楽しませてもらっているとも! それより、開門願おう、主君の命を受けているゆえ!」
その返しは予想してなかったようだ。今度はあちらが不愉快そうに顔を歪めている。その間にも重い音を響かせ、城門が開く。俺は待ち遠しかった、とばかりに身を捩らせて開く途中の城門へ滑り込ませる。
「ちょっと、アスガル騎士! 危ないですよ!」
「すまん、すまん。急ぎでな!」
怒ってくる兵士へ謝ると、再び駆ける。さて、ご命令ではアマテルさまへお会いしろ、だったがどうしたものか。メイドにでも言えば、謁見の許可が下りるだろうか




