三十五話
くすんだ金色の髪を流しているスタイリッシュな女性。マイア姫、マイア・ディオスクロイ子爵夫人が目の前にいる。
その想定外に、俺は一瞬頭が真っ白になる。
「むぅ……」
横から声が聞こえて、ハッとなる。そこには頬をぷくり、と膨らませているエレイン。どうやら、見とれている、と勘違いしているようだ。
それを見て、マイア姫はころころ、とおかしそうに笑っている。
「まったく、姉さん。今度はなにさ? 僕が商談中なのは分かってるだろ?」
「お父様にアインを連れていけ、と頼まれたのよ!」
語気を荒げるエレイン。あきらかに不機嫌になっている。それより、姉さんか。つまり、あの少年。赤い髪をオールバックにして、きつい目付きの彼がエレインの弟。次期公爵家当主のイクリル・イオスか。
しかし、本当に俺と同い年。17歳の少年か?
あきらかに年の割には落ち着いて、いや。落ち着きすぎている。いくら閣下のもとで帝王学を修めている、とはいってもここまで落ち着き払っていると薄ら寒いものがある。
「ふぅん……」
エレインの言葉を聞いたイクリルくんは、こちらをじぃ、と見る。値踏みする目だ。それに、少し敵意が混じっている。特に関わりもなかったはずだが……。
値踏みが終わったのか、イクリルくんは俺へ近づくと手を差し出してきた。
「初めまして、イオス公爵家嫡子。イクリル・イオスです」
「……失礼しました、アルデバラン伯爵家。アイン・アルデバランでございます。サルガス王、ならびに閣下の命を受け、辺境領の差配を任されております」
こちらが先に名乗るべきなのに、一手遅れてしまった。失態だ。無礼と咎められるだけで、こちらは主導権を握られてしまう。
その証拠に、イクリルくんはにこやかに笑いながらも、目は笑っていない。
じわり、と背中に冷や汗が滲む。気取られないようにしなければ。
エレインはぽかんとしているし、マイア姫は薄く笑いながら、場の推移を見守っている。うまく介入して貸しを作りたいのだろう。一手の間違いだけで、ここまでの劣勢になるのだから、やってられない。
そして、イクリルくんもマイア姫の思惑を理解しているのだろう。敢えて、俺の失態については口に出さず、話を続けてくれた。
俺に、ではなくエレインに、であったが。
「それで、姉さん。父上からアインさんを連れていけ、と言われたのはなぜ?」
「あぁ、うん。あんたたちの商談に口を噛ませろって。アインの領地なのに、本人がいないのは片手落ちでしょ?」
露骨に顔をしかめるイクリルくん。マイア姫がいなければ、盛大に舌打ちをしてそうだ。
……しかし、失態を演じたのは確かだが、まだ挽回は可能だ。そのためにも、まずは発言権を得なければ。
それとなく、場を観察する。あまり、露骨にやってはいけない。マイア姫に悟られれば、貸しとして利用されてしまう。
幸いにして、いま。イクリルくんとエレイン、二人の雑談。とでも言うべき状況になっている。介入するなら今だ。
俺は敢えて、空気を読めないふりをして会話に参加する。
「申し訳ありません、本来重要な情報なため、自ら閣下のもとへ馳せ参じたのですが。領地のことはイクリル殿へ一任しているため、こちらに話せ、と」
俺の言葉にイクリルくんは、はぁ、とため息を吐いた。
公爵閣下がイクリルくんの顔を立てた、と言う意味でもそうだが、敢えてこちらが会話に挟まってきた思惑に気づいたのかもしれない。いくぶん表情を和らげていた。
「……なるほど。そういうことですか。あぁ、僕のことはイクリル、と。敬語も結構。アマテルさんの実弟、つまり、いずれ僕の義弟となるのですから」
巧い、と素直に思えた。マイア姫に俺がイクリルくんの婚約者である姉貴。アマテルの弟であることを然り気無く示しつつ、こちらを未来の一門。すなわち、イオス派閥の人間だ、と宣言した。
その証拠に、マイア姫の表情が少し引き攣っている。こうも堂々と派閥の人間だ、と宣言されてはちょっかいは出せないだろう。
こちらも、そのイクリルくんの思惑に乗っかるしかないだろう。下手に我を出そうとして足元を掬われるのは御免だ。
「そうです――そうか、わかった。では、イクリルくん、と」
そしてつぎにマイア姫。ディオスクロイ子爵夫人を見る。
「そして、ディオスクロイ夫人。あなたがここにいたのもまた、天の采配なのでしょう。ヴァン頭取には悪いことをしましたが、好都合なのかもしれません」
「好都合……? ヴァンが、なにか?」
先ほどまでとは違い、本当に不思議そうな顔をして、こてん、と首をかしげるマイア姫。やはり、情報は得ていないらしい。それも当然か。通信技術などいまだ発展していない。ヴァンから情報を得られるわけもない。
つまり、ここがチャンス。ここで、情報を叩きつける。
「はい、自分が公爵領へ自ら馳せ参じた理由。それがマーネン商会。なにより、イオス公爵家に重要となり得るものでしたので」
「公爵家にも重要になり得る……?」
俺の言葉にぴくり、とイクリルくんも反応する。気のせいか、エレインもごくり、と緊張した面持ちとなっていた。
「あぁ、だからこそ俺が直接ここへ赴いた。マーネン商会へ情報を与えると共に、いち早く公爵家へ伝達するために。結論から言おう、領地にて砂金が発見された。今後、マーネン商会から派遣された山師と調査する予定だが、金鉱がある可能性が高い」
いまのは間違いなく爆弾のような情報だ。現にエレインは慌ててこちらへ詰め寄ってきた。
「ちょっ、アイン! どういうこと。あたし、聞いてないんだけど! って、いうか。お父様がここに連れてけ、ってそういうこと?!」
「あぁ、そういうことだ。それに、仮に金鉱がなかったとしても、砂金だけでも十分大事だからな。だからこそ、再三言うように俺が急ぎでここに来た」
エレインとの気の抜けたやり取り。しかし、それを抜きにしても場の空気は確実に凍っていた。あきらかに一領地で留めておいていい情報ではないからだ。
イクリルくんも、一瞬だけ愕然とした雰囲気を出したが、すぐに思案顔になっていた。
「なるほど、そういうことですか。確かに、火急の用件ですね。父上もこちらへ振るわけだ」
どうやらイクリルくんは納得したように頷いていた。まさか、マイア姫本人と調整しているとは思わなかったが、肘鉄する話題程度にはなっただろう。
「と、いうことで。ディオスクロイ子爵夫人。どうやら、新しく調整する事柄が増えたようですね。アインさんを交えた上で、ね?」
「どうやら、そのようね……」
ふぅ、とため息をつくマイア姫。そこには、まさか、という驚きと、やられた、という感情がありありと乗っていた。
……しかし、ここからこの二人と折衝か。胃が痛くなりそうだ。
そんな考えが浮かび、辟易とするのだった。




