三話
俺が村人へ頭を下げた少しあと。少なくとも、俺を信用してくれた老人は村の食糧庫へ案内してくれた。
そして、中を見た俺たちは絶句した。
「これは……」
「さすがに想定外、ですね」
レグルスが眼鏡をくい、とあげながら告げる。
それほどに倉庫内はひどかった。
なにしろ、倉庫のなかにほとんど食糧がなかった。埃の被った棚が哀愁を誘う。本来であれば、この時期は倉庫の壁が見えないほど食糧が積み上げられているのが普通だ。それなのに、この倉庫は壁がよく見えるほどに食糧が少ない。
それでも、おそらく。秋は食い詰めればなんとか保つだろう。だが、それだけだ。
――ぎりぃ。
歯軋りの音が聞こえた。驚いて振り向く。
そこには憤怒の表情に染まるアスガル。もはや我慢の限界を超えていた。それでもギリギリ自制できている。でなければ、やつの豪腕が倉庫の壁を破壊していただろう。
「坊っちゃん……!」
「堪えろ、アスガル」
気持ちは痛いほどよく分かる。だけど、ダメだ。
いま、搾取した犯人を捜して断罪すれば俺たちの溜飲は下がる。しかし、それは村人を見捨てることになる。それは看過できない。
「ご老人。一応の確認だが、これが蓄えの全部、なのだな?」
俺の問いかけに、こくり、と頷く。
予想はしていたことだ。問題は予想以上に悪かったことだが。
本来は早急に動きたい。しかし、もう夜になる。現代の、電気が普及していた世界であれば大丈夫だろう。だが、ここは電気の光が及ばない、宵闇が支配する世界。そして、ファンタジー的な要素まである世界だ。
この世界には、モンスターと呼ばれる人間の敵対者も存在する。
村の中まで入ってこないと思うが、それも絶対ではない。その状況で村人を、民を危険にさらすことはできない。だから、俺は。
「ご老人、感謝する。それと、お願いがあるのだが」
「なんでございましょう?」
「明日、人を借り受けたい。何人か、館へ派遣してほしい。人手は誰でも良い」
今は、俺に、俺ができることをするべきだ。
そのためにできること。それは俺が貴族である、ということ。
「アスガル、一応言っておくが今から発つなよ。明日の朝から発て」
「……ですが!」
「貴様に万一、何かあればここはどうなる? 危険性は僅かでも排除しろ。これは命令だ」
「……はっ、承知、致しました!」
悔しいだろう。俺も悔しく、嘆かわしく、そして無力感に苛まれている。しかし、施政者が感情に振り回されてはいけない。それは多くの民を路頭に迷わせることになる。
俺たちのやり取りをみて、老人の背後にいた男衆が静かに、だが、確実にざわめいている。
アスガルの義憤をみて、この人なら信じても良いかも、と考えているのかもしれない。
ともかく全ては明日だ。
「ご老人。明日のこと、よろしく頼む」
「は、はいっ……」
緊張気味に返事する老人。
明日だ、明日。俺の予想通りであれば――。
そして、俺たち三人は老人たちと別れて館へ赴く。
「レグルス、俺たちは俺たちでやれることを先にやるぞ」
「えぇ、もちろんですとも。ここまでコケにされて引き下がれる訳もありません」
やはり、レグルスも思うところがあったようだ。
当然か。レグルスはもともと官吏。内政部門が専門だ。それがここまでボロボロにされていれば怒るのは当たり前だ。
「これは私にとって挑戦状を叩きつけられたに等しい」
レグルスの中から、沸々と、静かな怒りが漏れている。
「だからこそ、だからこそだ。今はできることをやるぞ」
レグルスの怒りに同意するよう告げる。そして、俺はアスガルへ再度、指示を出す。
「アスガル、貴様は先ほど言ったように伯爵領へ走れ。そして、先に姉上へ話をあげろ」
「ご当主ではなく……?」
「あぁ、そうだ」
どうにもきな臭い。これは単独でやれる犯行ではない。間違いなく組織的なもの。そして、代官を派遣するのはパルサ王家だ。つまり、王家の腐敗はここまで来ている。
そして、大丈夫だと思うが。最悪、親父どのが王家へ忖度して握り潰す可能性は否定できない。だから、姉貴を使って外堀を埋める。
同時にこれは、王家の腐敗であろうが、国王。サルガス王の思惑ではないのは確かだ。
なにしろ、俺がこの領地へ派遣される発端となったのはサルガス王。正確に言うなら王とライナが要因だ。
そも、ライナの母。彼女は側室であったが王のお気に入りだった。もう、既に故人となっているが、その娘を王は猫可愛がりしている。
そんな娘、王女と幼馴染み関係にある俺のことを思い出した王が親父どのへ命令したわけだ。どこかの領地へ据えろ、と。
そして、王がいくつかあげた候補。その中の一つがここだった。まさか、国王も直轄地で不正が、搾取が行われているなどと夢にも思わなかっただろう。俺だって思わなかった。
しかし、これも必然だったのかもしれない。
もともと王は、王国の軍事閥筆頭。戦王の異名も持つ戦上手だった。しかし、ここ数年は病で執務を執れない時間も多いと聞く。
そんな中、水面下では次期国王を決めるべく、権力闘争が行われている。アンリは、あの娘はそれに巻き込まれて命を散らした。本人は、ただ、仲が良かったライナと共にいたかっただけなのに。
……いかん、昔のことを思い出してしまった。
ともかく、王の預かり知らぬところで搾取が行われていた可能性は極めて高い。そして、代官は焦ったはずだ。
我が世の春を謳歌していたはずが、俺が、軍事閥のなかでも懐刀と呼ばれるイオス公爵家と親交がある俺がここに来る。という寝耳に水な情報がもたらされて。
だから、捜せば見つかるはずだ。処分し損ねた情報が。あるいは、物資そのものが。
それを捜すため、俺は老人へ人員を回してくれ、と頼んだんだ。予想が正しければ見つかるはずだ。
全ては明日だ。全ては。




