第10話 トー横界隈
実質第一部最終回です。第二部に続きます
Part 1 貧困と不条理の境界線
新宿の雑踏を、一戸天馬と相棒のジーンは進んでいた。ジーンはボーリング玉サイズのぬいぐるみのような姿で、常に天馬の頭上をふわふわと浮遊している。新宿一番街の、決して治安がいいとは言えない通りを颯爽と抜け、二人はトー横界隈へと足を踏み入れた。トー横とは東洋横丁の界隈の通称だ
その場所は、天馬よりもまだ年若い、あるいは同い年くらいの若者たちで溢れていた。ガスコンロを囲み、何やら肉を焼く匂いが漂っている。少し離れた場所では、天馬と同い年くらいの少女が、獲物を狙うように静かに佇んでいた。こちらから何かアクションを起こさなければ、特に動き出す気配はない。
天馬は俯きがちに呟いた。「俺さ……ひょっとしたら親ガチャ外してないのかも……ちゃんと習い事受けて勉強して、少し嫌なこともあったけど、こうやって高給のバイトしながらちゃんとした高校通ってる……俺は正直後ろめたい……」
トー横の惨状を目の当たりにし、天馬は自己嫌悪に陥っていた。その心情を察したように、ジーンが宙に浮いたまま言った。「見下すところはあるけど、きっぱり割り切って見下すタイプじゃないんだね……天馬って」
ジーンは言葉を続けた。「日本は、いや世界は、こうやって隆盛と荒廃を繰り返してきた……今の状況は荒廃に近いんだ……だからそういう状況だからこそ、君みたいな人間が貧困層を助けるべきなのでは?」
天馬は顔を上げた。しかし、その視線はまだ定まらない。「俺は正直、弱者を退いてうまくやっていく人生を歩むかもしれない……」下を向いたまま、自分のふがいなさを吐露した。
だが、ジーンは一喝した。「下を向いて許しを乞うなよ! 天馬の卑怯者!」
ジーンの言葉に、天馬ははっとした。その目には再び光が宿る。
「君のそのジュブナイルの葛藤に対して、世界は、いや日本も貧困撲滅を目指している……天馬がやってきたC級ナチュラルの討伐こそ、今の現状を打破するために貢献してるんだよ」
ジーンの言葉の具体的な意味はまだ分からなかったが、天馬はおおよそを把握したようだった。彼は顔を上げ、前を見据えた。「これから支援ボランティアのゾフィさんって人のところに向かうんだろ? 俺はくよくよ悩んで立ち止まるタイプじゃない。前進すれば状況を改善できることぐらい知ってる。だって勉強だけは努力してきたからな」
ジーンは少し微笑んだ。「勉強もそうかもしれないけど、このバイトしてきて人間的に成長したね……じゃあもうすぐだから、ボランティアの事務所に着くよ」
互いの言葉を交わす中で、天馬とジーンの間には確かな連帯感が生まれていた。二人は支援ボランティアの事務所へと向かう。
Part 2 天馬のバイト・シンギュラリティとは
ジーンと天馬が訪れたのは、都内の一角にひっそりと佇むボランティア団体の事務所だった。簡素だが清潔な室内には数名の職員が目を上げ、彼らを出迎えた。その中央に立っていたのは、ゾフィという名で呼ばれる、30代前半ほどの知的な面持ちの男だった。
「gene社の方ですね。こちらの応接室へどうぞ。」
ゾフィの穏やかな口調に導かれ、ジーンと天馬は小さな応接室へと通された。湯気の立つ粗茶が静かに差し出される。天馬は手をつけず、ゾフィの話に耳を傾ける。
「話は伺っています。一戸天馬様ですね……お若いですね。トー横の年齢層の中でも、どちらかと言えば低い部類ですね」
ゾフィの言葉にはどこか慎重さと、責任を背負う者の冷静さがにじんでいた。
「長く続く不況、社会的な格差、精神的支援の欠如……。正直に言えば、私たちはトー横の若者たちに就職を斡旋するのは難しいと思っています。」
その意見に、天馬が静かに反論する。
「でも……資本主義の世界で、労働の価値を放棄してしまえば、やがて生きていけなくなってしまうんじゃないでしょうか?」
一瞬、空気が張り詰めた。ゾフィは目を細め、厳しい表情で問い返す。
「天馬君、日本中に“界隈”が発生している理由を知っていますか? 大阪にも、名古屋にも、そしてここ東京にも。なぜあれほどの数の若者が“裏側”へ向かうのか。」
ゾフィの声には、諦めと怒りが同居していた。
「彼らは“労働”という入口に、そもそも立てないんです。資本主義の常識に合わせろと言われて、そのレールにすら立てずにいる者たちを……誰が責められますか?」
しばしの沈黙ののち、天馬は素直に自身のことを口にした。
「確かに…僕も……“裏バイト”みたいなことを今しています。飲食とか物流はやったことないし、自分の経験が浅いのはわかってます。」
ゾフィは天馬の告白に大きくうなずき、肩を少し落とした。
「もし、神様という存在がこの世にいるとするなら――AIこそが、私たちのわだかまりを解く神なのかもしれない。」
その言葉に、ジーンが小さく笑って言葉をつないだ。
「実は、それに近いことを僕達は考えているよ。2045年にシンギュラリティが起こるといわれているけれど、私たちgene社は“そこまで待たない”という立場なんです。」
ジーンの目はどこかすごく真剣だった。
「だから、今からトー横に協力してもらってデータを取得する。もし、もっと早い段階で技術的特異点が訪れれば――社会問題が、加速度的に解決へ向かう可能性がある。」
天馬は知識として「シンギュラリティ」を理解していたが、ジーンの語るそれはどこか異質で、現実的だった。
そして、ゾフィが深く頭を下げた。
「……どうか、この問題を早期に解決してくれることを期待しています。
お願いします。」
その真剣な眼差しに、ジーンは天馬の方を向きながら言った。
「この作戦は、“C級ナチュラル”掃討の締めくくりね。トー横に潜むナチュラルを、各個撃破してもらう。準備はいいね?」
天馬は一瞬考え、そして口を開いた。
「どうやればいいんだ? 毎回プロンプトを手打ちしてたら、こっちの身が危ないかもしれない。」
ジーンはふっと笑いながら、天馬の疑念を払った。
「今回は個体の特徴がすべて共通なんだ。スマコンの“メビウス”には“リピート”ボタンがある。プロンプトで破壊に成功したら、あとはそれを押し続ければいい。」
天馬の目にわずかに光が宿る。
「なるほど……つまり、最初の突破が一番の鬼門ってことか……」
そして彼は、少し口元をゆるめながら言った。
「……少しワクワクしてきたよ。」
天馬とジーンは、やがて夜の帳が降り始める一番街――トー横へと歩を進めた。そこには、多くの若者と、まだ見ぬ“答え”が待っていた。
Part 3 勝ち組というまやかし
天馬とジーンは、人の集まるトー横の中心部に足を踏み入れた。独特の匂いにたじろぎながら、天馬はジーンに話しかけた。
「俺、この案件を請け負う前にODの女性の案件、売春の案件をクリアしてきた……だから正直、俺はこのトー横の奴らを見下すことは心底できなくなったと思う」
ジーンは「よっしゃ」とばかりに、天馬に言った。「少し反芻しようか? 君がもしgene社のバイトをやっていなかったら、君はこういう層を見下しながら生きていったと思う。だって、名門の高校行って名門の大学に進むような人間だから、負の側面を見ていかないと、やがて君は驕っていただろうね」
天馬は感心したようにジーンに言った。「じゃあ、恵まれてる俺がやらなきゃな! 『貧困 売春 ドラッグ トー横 save the gene!!』」
そうスマートコンタクトに入力すると、今までとは比べ物にならないほどの数のナチュラルがトー横に発現した。天馬はひどく驚き、声を上げた。「集団を相手にするとは言ってたけど、こんなに多いの!?」
ジーンは冷静に言った。「今までC級一体だけ相手にし続けていたでしょ? それねぇ? ルーキーの範疇を出ないから。これらを処理できれば、ルーキーから昇格したみたいになるからね」
天馬はハッとした。「ちょっと待てよ? じゃあこれをクリアしたら次はひょっとしてB級?」
ジーンは頷いた。「もう君は給料泥棒できないよ。この仕事も熟練してきたし……」
天馬は決意したように言った。「でも、さっきゾフィさん達と面談してもう拘束時間を消化してお金をもらうという卑怯なことはやめる。俺もシンギュラリティに賛成する!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、大量のネズミが天馬とジーンに襲いかかった。天馬とジーンは足早に逃げ出した。しかし、ネズミたちは執拗に追ってくる。天馬はネズミたちの特徴を把握した。
「でかい、ただのネズミじゃん……待てよ……ネズミは伝染病を媒介する?」
ジーンはにやりと笑った。「もうそろそろ天馬はC級は楽勝だね。さあ、入力して」
天馬は躊躇なく入力した。「ネズミ 追跡 伝染病 destruction!!」
メビウスに入力すると、一匹のネズミが砂のように溶解していった。天馬は要領よくリピートボタンを押し続けた。すると次々にネズミが消滅していく。
「へへ、楽勝」
天馬はたまに調子に乗る性格である。それが油断につながることもあった。
Part 4 有賀鉄平
天馬はリピートボタンを押し続け、怒涛の勢いでナチュラルを殲滅していった。しかし、目の前のことばかりに注視し、周囲の気配に全く気づいていなかった。
「数が多すぎる……リピートボタンを押し続ければいいから簡単だと思ってたけど、人差し指が痛い……」天馬は思わず漏らした。
ジーンが忠告した。「周囲もよく見て! 四方八方ナチュラルがいるから……ちなみに言っとくけど、全滅させる必要はないから……そろそろ始末班が来てくれて復元を行って終わらせる予定だからね」
始末班。それは、任務の失敗や特殊事例の際に駆けつけてくれるgene社の特殊部隊だ。
「じゃあ別にコンプリートする必要はないってことか……よかったあ」天馬は安堵し、少し肩の荷を下ろした。
その一瞬の気の緩みが命取りになる。ジーンが慌てて注意を促したが、間に合わなかった。「後ろも確認して!」
天馬の背後にナチュラルが忍び寄っていた。鋭い牙が天馬の足に噛みつき、天馬はバランスを崩して崩れ落ちる。大量のネズミが、一斉に天馬に襲い掛かってきた。
「やべ! 移動しながらやらねえと! 集団で襲われちまう! 油断した!」
その時、大量のネズミが半透明に透けながら、やがて蜃気楼のように消滅していった。
「大丈夫! 始末班が来てくれたから!」ジーンの声が聞こえた。
そして、始末班という部隊が到着する。彼らは復元を行ったようだ。復元とは、ナチュラルを本体に戻す作業のことだ。
その始末班の一人、有賀鉄平が天馬に声をかけた。「俺の他に若い奴いるんだ? 若者は俺だけだと思ってたのに」
有賀という少年は、様々な髪色に染めており、どこか天馬とは対照的な雰囲気を持っていた。天馬は有賀にお礼を言った。「始末班の方ですね。ありがとうございます。おかげで助かりました」
有賀はお礼に対して、どこか探るように言った。「こちらこそ……で、君の給料はいくらくらい?」
唐突なマウントに天馬は少し驚き、戸惑いながら答えた。「基本的には日給三万円位ですが、何か?」
有賀は鼻で笑った。「ふーん、低いね。俺は月七十万円! 僕がgene社の期待のホープだと思ってたのに……」
何か腑に落ちない様子の有賀は、初対面の天馬に対してあまり良い印象を持っていないようだった。
ジーンがその場の空気を和ませるように答えた。「この人は始末班の新人、『有賀鉄平』君ね。二十二歳。見かけたら仲良くしてね。競い合うライバル同士になるとか、そんなんじゃないから」
有賀鉄平と紹介された有賀は、軽く手を振って答えた。「じゃあまたね……」
有賀鉄平と始末班は、足早に去っていった。
天馬は安堵の息をついた。「いや、助かった……噛みつかれたからウイルスが入ったと思うけど、ヒールで治せる?」
「はいはい……」ジーンは呆れたように言いながら、天馬の足にヒールを照射した。瞬く間に天馬の怪我は元通りになった。
「これでC級卒業か……以前にB級の強さに圧倒されたことがあったから、少し自信が湧かないな」天馬は呟いた。
ジーンは言った。「だって、対峙する場合、僕のAIのアップデートが必要だし、天馬自身も訓練が必要だから」
そして、ジーンは念を押すように続けた。「じゃあこれでB級の案件を受けるということは、さっきの有賀君と同じ立ち位置になったということ……つまり」
ジーンはにやりと笑った。「日給も歩合制で加算してあげるよ!」
B級退治に不安はあったものの、天馬は気を持ち直して言った。「失敗は成功の元だと父さんが言ってた! 以前の悔しさをバネにして乗り越えれば、難題もクリアできるはず!」
やる気になっている天馬に対して、ジーンは水を差した。「会社に忠誠心を誓うとかそんなことしなくていい、ただ仕事こなして……うちは会社を信仰しろじゃなくて、単にやることやってくれる?」
天馬は拍子抜けして、いつもの調子に戻った。「わかった……じゃあいつも通りにするよ……今度は仕事が難解になるんだろ? 死ぬ可能性も高くなる……でも、弱者を見てきてると……正義感を出さずにはいられないよ」
ジーンは咄嗟に言った。「弱者って言わない! 差別用語だぞ!」
天馬とジーンは、わずかなアクシデントはあったものの、無事C級最後の案件を終え、新たな展開を迎えることになった。
To Be continued!!
どうだろう?いかがだったでしょうか(;^ω^)
ニッチ過ぎて申し訳ない(;^ω^)