毎日に刺激が足りないと嘆く姉御系ギャルを田植えに誘ってみた
「あ~だりぃ~」
やる気をゴミ箱にでも捨ててしまったかのように、とある女子生徒が頬を机にくっつけてぐったりしている。
そんな彼女に向けて隣の席の男子が、柔らかな笑みを浮かべて気軽に話しかけた。
「つまらなそうだね。GWに楽しみなことないの? 萌ちゃん」
その言葉に彼女は勢い良く上半身を起こし、顔を真っ赤にして抗議する。
「池田ぁ!名前で呼ぶなって言ってるだろおおおお!」
「かわいいのに」
「またそうやって揶揄いやがる!」
「ぐえ、ぐるじい」
両手で首を掴まれて前後に揺さぶられているにも関わらず微笑みが消えないのは、少女が手加減してくれているからか、あるいは彼がドМなだけか。
そんな彼の表情を見て、効果が薄いと判断した彼女は諦めて距離を取った。
「まったく、あたしのことはルカか瑞原って呼べっていつも言ってるだろ」
「ルカが先に出て来るあたり、モデル名気に入ってるんだね」
瑞原 萌は高校生の読者モデルをやっており、本名では無くルカというモデル名で雑誌に載っている。
女性としては長身で美人系。
全体的にスラっとしていて様々な服装が似合う体型。
これらに加えて本人がオシャレ好きということもあり、モデル業を堪能している。
「おうよ。だって格好良い名前だろ?」
ちなみに、威勢の良い姉御肌ということもあり、女性ファンが多く、クラスでも人気者。男子からの評価は美人という点では一致しているが、彼女にしたいかどうかという点では好みが分かれる性格であるため半々だ。
瑞原と会話をしているこの男子、池田 和弥がどちらなのかは、彼の様子を見ていればすぐに分かる。
「そうだね。かわいいよ」
「おま!そっちじゃないだろ!?」
「好きな子ならどんな愛称でもかわいく思えちゃうからしょうがない」
「っ!またそういうことを!」
ベタ惚れしているのであった。
しかもそのことを包み隠さず好意を素直にぶつけ、瑞原の顔を真っ赤にして戸惑わせる。
それが二人の教室内での恒例のやりとりであった。
「あたしは誰とも付き合う気が無いって言っただろ」
「うん、分かってる。でもこうして強気で押せば堕ちる気がして」
「堕ちねーから!そんなにチョロくないから!」
「かわいいよ」
「ああああ!そういうの止めろよもう!」
頭を抱えて真っ赤に照れる様子を見ると、確かに堕ちてしまいそうだと思っても不思議では無かった。
「でも真面目な話、ううん、かわいいっていうのも真面目な話だけど」
「余計なフォロー入れるな!」
「萌ちゃ……瑞原さんが恋愛に興味が無いって不思議だね。恋愛第一!みたいなギャルっぽい感じなのに」
「ギャルが全員恋愛脳だと思うな。あたしは恋に恋する系のギャルじゃなくて、人生をとにかく謳歌したい系のギャルなんだよ。恋なんてしたら、それだけで一杯になっちまうだろ?」
恋もまた人生を謳歌するために必要な要素ではあるが、一度恋をするとそれに大半の脳内リソースを割かれてしまう。瑞原はそれが嫌で、敢えて恋する気持ちを封印し、沢山の楽しいを堪能して生きたいタイプだった。
「だから色々なことにチャレンジしてるんだね」
「おうよ!」
「でも今はやる気が出ないと」
「おうよ……」
最初に戻り、瑞原は自席に顔を突っ伏してだらけてしまった。
「チャレンジしても刺激を感じられなくなっちゃったのかな」
「おうよ……ってなんでお前にそんなこと分かるんだよ」
「好きな人の事なら」
「そういうの良いから」
ツッコミにも元気が無い。
余程気分がノらないのだろう。
「また tiktok にダンス動画をあげたら?」
「もう何度もやったよ。最初は面白かったけど、もう飽きた」
「カフェ巡りとか」
「もう何度もやったよ。最初は面白かったけど、もう飽きた」
「ネズミの国に行くとか」
「もう何度も行ったよ。まだ飽きてねーけど高くなりすぎだ」
この高校は都内にあるため、遊ぶ場所には事欠かない。
だが瑞原は小さい頃から遊びまくってしまったが故に、高二の今、刺激が物足りず、悶々とした生活を送っていたのだった。
「なんか生き急いでる感じがするね」
「はは、言われてみればそっかもな」
「死なないでね。死んだらすぐに後を追うから」
「こえーよ。ストーカーかよ」
「僕は萌ちゃんが嫌がることはしないよ」
「それが嫌だって言ってんだろ!?」
またしても名前呼びして来た池田に天誅を下すかと思いきや、瑞原は口で抗議するだけで身体を起こそうとはしなかった。
「重症だね」
「……だな」
それならやる気が出るような刺激的なアイデアを考えてあげれば喜んで元気になってくれるのではないか。そう考えた池田は彼女が考えもしない提案をしようとした。
「ならこういうのはどうかな。か……」
『きゃああああああああ!』
池田が何かを言おうとしたその時、教室中に女子達の悲鳴が響いた。
「うわ!出た!」
「きも!」
「いやああああ!」
「お前なんとかしろよ!」
「俺虫は嫌いなんだよ!」
「きゃああああ!」
男達も焦って戸惑い、全員が何かから逃げるように教室を飛び出そうとしていた。
だがまったりと話をしていて何が起きたのか分かっていない池田と瑞原は逃げるタイミングを見失った。
「瑞原さん逃げて!」
慌ててクラスメイトがそう声をかけたがもう遅い。
それはすでに瑞原の近くまで移動して来ていた。
このままでは瑞原も恐怖で叫び逃げ出すことになるだろう。
ほとんどのクラスメイトがそう感じたのだが。
「なんだ、こいつか。ふん!」
なんと彼女は全く臆することなく、それを踏み潰した。
「「「「は?」」」」
あまりにも予想外だったのか、廊下に避難したクラスメイト達から間抜けな声が漏れた。
「別に騒ぐほどのものじゃないだろ」
瑞原はそれから足をどけると、拾おうと手を伸ばした。
「ストップストップストップストップストオオオオオオオップ!」
「それはダメだろおおおお!」
「何やろうとしてるの!?!?!?!?」
慌てて廊下から瑞原の友人達が突入して来て、彼女の行動を止めたのだった。
「あたしは平気だから気にすんな」
「気にしなきゃダメ!女の子でしょ!」
「百億万歩譲って踏みつぶすのがありでも、手で触るなんて絶対にありえねぇ!」
「病気になったらどうするの!」
「…………絶対なし」
「お、おう。そうか。なんか、すまん」
彼女達が泣きそうなものだから、流石にそれを素手で拾うのは諦めたようだ。
「あはは、じゃあ僕が片付けるね。ホウキとチリトリ持ってくるよ」
彼女達の様子を微笑まし気に見ていた池田が、教室の後ろから掃除道具を持ってきて、それを素早く回収してゴミ箱へと捨てた。
その様子を見ていた女子達は少しだけ驚いた様子だ。
「池田くんってアレ平気なんだ」
「瑞原に絡む変な奴ってだけじゃなかったんだな」
「むしろ見直したかも。二人して動じなかったの、なんか安心感あったよね」
「…………分かる」
これまで池田に対する女子達の評価は高くは無かった。
人畜無害そうな雰囲気ではあるが、頼りない印象が強く、瑞原とは釣り合わないと思われていたからだ。
だが今日、それが出現しても動じず、冷静に処理したことから、評価が少しだけ改善されたのだった。
その状況に困るのは瑞原だ。
池田の告白を友達が後押しなんかしてきたら面倒なことこの上ない。
「おいおい、この程度でこいつを持ち上げるな。調子に乗るだけだ」
「ま、そうだよね」
残念。
害虫を駆除しただけでは、まだ彼女達に認められることは無かったのであった。
「それで、さっき何話してたの?」
「池田がまた口説いてたのは見てたが、瑞原だるそうだったよな」
害虫についての話が終わったので彼女達も元の席に戻る、ということはなく、このまま瑞原と会話を続ける様子だ。四人の女子が残り、彼女の周りに立って話かけていた。
そんな彼女達にも臆することなく話しかけられる池田。
「瑞原さんに、今度モデルでフリフリの超かわいい服を着たらって話をしてたんだ」
「してねーよ!」
「あれ?そうだっけ?」
正確にはその話をしようと思っていた矢先に虫騒ぎが起きたのである。
「ま~たそんなこと言って揶揄ってる」
「池田って、瑞原をかわいいって揶揄うの好きすぎだろ」
「反応が面白いから揶揄いたくなる気持ちも分かるけど、ほどほどにしておきなよ」
「…………うんうん」
瑞原の友人達が池田のかわいいを止めていないのは、彼女達も瑞原の反応を楽しんでいるからだった。そうでなければ友達が男からちょっかいかけられて困っているのであればさっさと止めに入っただろう。
「揶揄ってるわけじゃなくて本気なんだけどなぁ。ほら、想像してみてよ。瑞原さんがフリルたっぷりのアイドルみたいなミニスカ衣装を来て、くるって回ってからアイドルスマイルを浮かべ……」
「絶対そんなことやらないし似合わねーから!」
食い気味で否定した瑞原だが、いつも以上に反応が大きいのではないかと池田は訝しむ。
「そんなに慌ててるってことはもしかしてやったことが……」
「ねぇし!想像したこともねーし!」
「想像したことはあるんだ」
「お前は何を聞いてるんだ!」
「聞かれてないのにやってないって瑞原さんが言う時は、実際はやってる時だから」
「う゛っ!」
池田は『やったことがあるか』とは聞いたが、『想像したことがあるはず』なんてことは瑞原に対して一言も言ってない。『想像』はあくまでも彼女の友人達に向けたものだ。それにも関わらずそれを否定したと言うことは、それが実際は正しいということになる。それが瑞原の特徴であることを池田は気付いていた。
「そ、そそ、そんなことねーし!おい、お前らも何か言ってやれよ!」
たまらず瑞原は仲間達に助けを求めた。
いつもならばこうすれば池田を窘めてくれるからだ。
だがしかし。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
彼女達は少し俯いて無言で肩を震わせているではないか。
「お、おい、お前ら!?」
予想外の雰囲気に慌てて瑞原が追加で声をかけるが、反応は無い。中には口を手で押さえて何かを必死に我慢している人もいる。
「冗談は止めろって!その反応はシャレにならないから!」
池田から『想像して』と言われてのこの反応。つまりは彼女達の脳内ではアイドル服を着た瑞原が踊っているということになる。そしてそれを否定しないということは、似合うということに納得しかけているということ。瑞原としては断固認められないことだった。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………いい」
「冴咲てめぇ!」
ただ一人、万感の思いをこめてぽつりと漏らした、冴咲と呼ばれた女子がいた。その子に向かって瑞原は容赦なくヘッドロックをかけたが、彼女は変わらず恍惚の表情を浮かべたままだった。
「お前らも……マジで勘弁してくれよ……」
ここには味方が居ない。
そう感じた瑞原は、冴咲にヘッドロックをかけたままシュンとしてしまった。
その様子が逆効果になっていることを彼女は気付いていない。
彼女のかわいらしさを目の当たりにして、ようやく冷静になってきた友人達が話し始めた。
「不覚。池田くんに納得させられるなんて」
「でもありかなしかで言えばありだわ」
「ねぇねぇ瑞原さん、GWに服を……」
「絶対行かねぇからな!? お前らのおもちゃになるのが目に見えてるじゃねーか!」
自分には似合わないかわいい系の服をたっぷり着せられて弄ばれるに違いない。そうと分かっていて誰が遊びに行くかと憤慨する瑞原。
ワイワイと仲良く盛り上がる女性陣。
そんな彼女達に向かっても遠慮なく話しかけられるのが池田の強みの一つだった。
「え~でも瑞原さん、刺激が欲しいって言ってたでしょ」
「あたしが求めてるのはそういう刺激じゃねぇ!」
普段は着慣れない服を着ることが新たな刺激になり楽しめるかもしれない。
それは確かに正しいのかもしれないが、『かわいい』が照れくさい瑞原にとっては無理難題だったようだ。
「だったらさ」
どうせまた揶揄ってくるに違いない。
そう思い、池田の言葉なんかまともに聞くかと思った瑞原だが、次の言葉に興味を惹かれることになってしまったのだった。
「田植えとか、してみない?」
ーーーーーーーー
「すごーい!本当に田んぼと畑しかない!」
「いやいや、驚くところそこじゃないだろ!何だよあの豪邸!?」
「池田君ってお金持ちだったの!?」
「…………いい」
「うおおお!超面白そう!」
福城県のとある村。
見渡す限り田畑が広がるそこは、池田の実家がある場所。
池田は高校生になると上京し、叔父さんの家に住まわせてもらっていたのだった。
GWになると帰省し、田植えの手伝いをする予定だったのだが、それに瑞原を誘ったのだ。
『男の家になんか泊まれる訳ないだろ!?』
などと最初は断ろうとしていたが、それなら友人達も含めておいでよと言ったら、ミニ旅行が実現してしまった。都会っ子達にとって、田舎暮らしというのは興味があることだったのだろう。
ちなみに、一番はしゃいでいるのが瑞原である。
「お、おい、池田。お前んちでかすぎね?」
これから田植えするとは全く思えない程に着飾ったギャルが、恐る恐る池田に声をかける。
典型的な木造和風家屋なのだが、敷地があまりにも広く、離れや蔵のようなものも見え、松やらなんやら高級そうな植物も植えられていて、都会のマンションや猫の額にしか馴染みが無い彼女にとっては、まるで異世界にでも来たかのような感覚なのだろう。
「うん。だって僕の家、豪農だから」
「ごうの……?」
「この辺りの土地の権力者ってこと」
「マジか……どうりで交通費が出るわけだ……」
田植えを手伝ってくれるならと、なんと池田は女性陣五人分の交通費を支給したのだ。
その時点で金持ちかもとは思っていたが、想像を遥かに超えていて驚いていた。
「玉の輿……でも農家はなぁ……」
別の女子は池田をチラチラ見ながら何かに悩んでいる。
金が彼女達をハンターへと変貌させようとしていた。
「なぁなぁ、池田。お前ん家、でかすぎて超笑える!」
一方で瑞原は金のことなど何も気にせず、変わらず楽しそうだ。
その様子を見て池田の笑顔が普段よりも明るいものになっていることなど気付かずに。
「かず兄ちゃん!」
「おかえり!」
「お母さ~ん!かず兄が帰って来たよ~!」
「かず兄!遊んで!遊んで!」
玄関付近で会話をしていたら、家の中から子供達がやってきた。
「皆、ただいま。元気にしてた?」
「うん!」
「都会の話聞かせて!」
「先に僕と遊んでよ!」
「こらこら、お客様がいるんだから、かず兄に遊んでもらう前に案内しないと」
見た感じ、小学生から中学生までの四人の男女。
だれもが元気一杯で、都会色に染まっていない子供達を見るのは女性陣にとって新鮮なのだろう。興味津々といった雰囲気で彼らを観察していた。
「そうだね。皆、僕のクラスメイトに挨拶して」
「「「「いらっしゃいませ!」」」」
「え……あ……よ、よろしく」
元気の良い挨拶に圧倒された女性陣は、戸惑いながらもどうにか返事を返す。
「それじゃあ僕は父さんと母さんに挨拶して田植えの準備してくるから、双葉達は皆を案内してくれる?」
「「「「はーい!」」」」
池田はクラスメイト達と別れ、鼻歌交じりに家の中に一人入って行くのであった。
「ねぇねぇ!かず兄の彼女って誰?」
「もしかして全員とか!?」
「わぁ!都会って大人!」
「「「「「ちがーう!」」」」」
背後でこんな会話が聞こえて来たが、気にしないふりをして。
そんなこんなで田植えの時間がやってきた。
「うええ……だっさい……」
「これはないわぁ」
「あの泥に足を入れるの!?」
「髪に土がついたらどうしよう」
汚れるからと言って支給されたのは、ファッションに拘りがある年頃の女性陣にとっては納得ができないものばかり。特に嫌なのが、長靴を履いた足元のダサさである。上半身は汚さないように気合をいれるとのことで自前の服のままだが、オチが見えていると池田は苦笑している。
「よ~し!やるぞ!」
一方で、モデルとして人一倍ファッションに気を使っているはずの瑞原は、支給された野暮ったい汚れても良い服を着ていて、それでも楽しそうだ。
彼女達は池田に田植えのやり方を教わり、横一列に並んで田植えを開始する。
「足が!足が抜けない!」
「うお!?ずっと中腰なのか!?」
「いやああああ!泥が跳ねた!汚れちゃうううう!」
「…………爪の中に…………泥が」
始めてから一分経たずに、阿鼻叫喚の図がそこにはあった。
だがそれでも彼女達は決して心の底から嫌というわけではなかった。
嫌なことを楽しむという感覚が確かに彼女達の中にはあったのだ。
今回田植えをする田んぼの広さは五十メートルプール程の広さがある。
このままなら文句を言いいながらも対岸まで到達できるかもしれない。
彼女達にとっての『絶対的な敵』がいなければ、の話だが。
「いやああああ!かえるうううう!」
「私カエルだめなのおおおお!」
「ひい!何この足が長いの!」
「…………アメンボ…………気持ち悪い」
そう、都会育ちの彼女達は『虫』に耐性が無いのだ。
だがそれと遭遇して逃げようにも、足は泥に囚われてまともに動かせない。
半ばパニックになった彼女達は、尻餅をついてしまい、体中を泥でぐちゃぐちゃにして、せっかくのオシャレな服装が台無しになってしまうのであった。
「しくしく」
「うう……もう無理ぃ」
「虫とかありえない」
「…………気持ち悪い」
結局、四人の女子は早々にギブアップし、泥だらけのまま田んぼの脇でいじけることになってしまった。
「なんだよなんだよ。情けねーなー。こんなの簡単だろ?」
一方で、教室でアレを踏みつぶし、あまつさえ手で拾おうとした瑞原にとって虫など全く気にならない。経験者の池田に負けず、テンポよく苗を植えて行く。
「つっても、あたしたちだけじゃ終わらねーなこれ」
「大丈夫。こんなこともあろうかと……ほら、来たよ」
「「「「「おーい!」」」」」
「誰!?」
やってきたのは、何人もの老人と池田の弟妹達だった。
「こうなると思ってたから、最初から呼んであったんだ」
「はは、なるほどな」
「さぁ強力な援軍が来たことだし、僕達もペースをあげようか」
「おうよ!」
二人は息のあったコンビのように、同じペースでリズム良く、談笑しながら田植えを進める。
そんな二人の様子を、泥だらけの女性陣が観察していた。
「私、前から池田くんは瑞原さんに合わないって思ってたんだよね」
「分かる。瑞原が付き合うならイケメン俳優とかじゃないと釣り合わないって私も思ってた」
「だってあんなに格好良いんだからしょうがないでしょ」
「…………池田は…………普通」
決して悪口というわけではない。
ただ、瑞原という彼女達にとっての『特別』と比べると、どうしても相手にも『特別』を求めてしまうのだ。
「でもさ。今の二人を見てると……」
「瑞原、楽しそう」
「お似合いだよね」
「…………いい」
お互いに楽しく会話しながら田植えをしている様子を見ていると、釣り合わないどころか相性が良すぎて、二人が隣り合っているのが自然なことのように見えて来る。
「あ~あ、私もあんな風に一緒に楽しんでくれる彼氏欲しいな~」
「分かる。たいていの男なんて女を性欲の対象にしか思ってねぇしな。そういやあいつ、そういう目で瑞原を見てたの見たこと無いな」
「金持ちで、顔はまぁまぁで、毎日かわいいって言ってくれて、一緒に楽しんでくれて、性的な目で見て来ない」
「…………いい」
ここに来て、四人の中での池田の評価が爆上がりだった。
だが残念ながら、彼の頭には瑞原しかない。瑞原に一途であることをこれまでずっと見て来た。
「「「「はぁ~」」」」
泥塗れの四人は、謎の敗北感に襲われて、深い溜息を吐くしか無かった。
ーーーーーーーー
田植えを終えた一行は、池田家で盛大な宴でもてなされ、お風呂に入り、割り当てられた部屋に戻っていた。
池田もまた自室に戻ったが、彼にとってはこれからが本番だ。
「よし」
鏡の前で気合を入れて部屋を出て、彼女達の部屋へと向かった。
そしておそるおそる入り口をノックする。
「あ、あの、僕だけど……」
寛いでいる女性陣の部屋に入るなんて以ての外だ。
ゆえに瑞原を個別で呼ぼうと思ったのだが、先に中から声がかけられた。
「は~い。入って良いよ!」
「え!?良いの!?」
まさか許可が出るとは思わず驚きながらも扉を開けると、女性陣が薄着の部屋着を着て座っていた。
健康的な男子なら食い入るように見つめてしまうところだろうが、池田は普通に瑞原を探して彼女に目線を向けた。
「あ~あ、やっぱりそうだよね」
「分かる。悔しいわ」
「私達だって悪くはないと思うんだけどなぁ」
「…………でもこれで…………瑞原さんの負け」
「な……な……!」
「何の事?」
彼女達の反応の意味が分からず戸惑う池田だが、彼にとっては瑞原の方が大事なので気にしない。その態度こそが、彼女達の『賭け』の結果に関するものだったのだ。
池田が瑞原に会いに来ることは彼女達は想像出来ていた。
その時に、薄着の私服を来た他の女子に目移りするようなら追い返そう。そうでなくて、瑞原しか目に入らないのであれば、快く送り出そう。
池田は彼女達の最終試験を知らずと突破したのであった。
「瑞原さんに用事があるんでしょ。遠慮なく連れて行ってよ」
「ちょっ……お前ら……!」
抗議しかける瑞原だったが、彼女達は彼女を無理矢理立たせて池田に押し付けるように移動させる。
「何がどうなってるのか分からないけど、それじゃあ遠慮なく」
「あ、ちょっと待って」
扉を閉めて瑞原と二人きりの時間を堪能しようと思ったら、女性陣から声がかかった。
「今のうちに言っておく。私達、交通費払うよ」
「え?どうして?」
「だって私達、田植えの手伝いをするからって来たのに、役に立たなかったから……」
彼女達は瑞原のこととは別に、今日の失敗の事をずっと気に病んでいたのだった。
池田は瑞原に向かって笑顔で告げる。
「良い友達だね」
「当然だろ」
池田の顔も見ずに照れ臭そうにそう言う瑞原の顔は、何処か自慢気だった。
そんな彼女の様子をたっぷり堪能した池田は、女性陣に向けて告げる。
「別に気にしなくて良いよ。あれはイベント用の田んぼで、普段は機械を使って一気に田植えしているし」
「そうなの?ってあんなに田んぼが多ければそりゃあそうか。でも、田植えをするって約束だったんだし、そういうわけにはいかないでしょ」
「本当に気にしなくて良いんだよ。むしろお礼を言うのは僕の方だから」
「え?」
それは一体どういう意味なのだろうか。
女性陣の脳裏に疑問符が浮かぶ。
まさか瑞原と二人っきりで邪魔が入らず楽しめたから、ということだろうか。
だが池田が告げた理由は、彼女達が全く想像していないことだった。
「みんな、おじいちゃんやおばあちゃんの話し相手になってくれてたでしょ? 田舎って若い人が少ないから、久しぶりにたっぷり若い人と話せて元気が出たって皆とっても喜んでくれてたよ。この地域の人は、みんな僕にとって家族みたいなものなんだ。だから家族を喜ばせてくれてありがとう」
「「「「…………」」」」
池田の評価にまた一つ、『家族想い』という内容が加わった。
二人が去った後の部屋はしんと静まり返り、もっとしっかりと池田のことを知るように努力すれば良かったと後悔するのであった。
「いや、後悔したところで、最初から瑞原さん狙いだったし」
「だよなー」
そしてその後悔に意味はないとすぐに気付き、笑い合うのであった。
ーーーーーーーー
「うわぁ!すっげええええええええ!」
呼び出され、何をされるのかと顔を赤くしていた瑞原だが、今は興奮して両手を広げ、幼子のようにテンション高く畦道を駆け回る。
周囲からは大量の虫の音色が聞こえており、都会では味わえない自然のオーケストラにうっとりしていた。
「ここは灯りが少ないから、星が綺麗に見えるんだ。今日は新月じゃないからいまいちだけどね」
瑞原が喜んでいるのは、満天の星空が見えているため。
都会では絶対に見ることが出来ないそれは、月灯りがあるにも関わらず頭上を埋め尽くしていた。
「やっぱり萌ちゃんは田舎暮らしが合ってるんだね」
「だからその呼び方は……え、そうなのか?」
モデルとして都会を全力で楽しんでいるのに、まさか田舎暮らしが合っているだなど言われるとは思わなかったのだろう。萌ちゃん呼びよりも、そのコメントの方に食いついた。
「正確には農業かな。空気感も合ってそうだけど」
「そうかぁ?全然ピンと来ないんだが」
「じゃあさ、今日田植えの時に、何を感じてた?」
「何をって……なんだろう?色々考えてたと思うけど」
「この苗が成長したらどうなるんだろうかって思わなかった?」
「そりゃあ思うだろ。自分が植えた苗がどんな米になるか、気になるのが普通だろ?」
確かにそうだろう。
植えることだけに興味があり、収穫された物はどうでも良いなんて考えの人は少数派に違いない。
だがその間はどうだろうか。
「萌ちゃんは、植えた苗がお米になるまで、毎日成長を確認したい、自分で育ててみたいって思わなかった?」
「…………」
野菜などを育ててみたい。
でも毎日面倒を見るのは大変だ。
世の中にはそう考える人の方が多いのではないだろうか。
植えるところと、収穫するところ。
その美味しいところだけを堪能出来れば良いから、後は自動でやれないだろうか。あるいはきまぐれに水をあげるくらいで勝手に育ってくれないだろうか。なんて人もいるかもしれない。
実際、植えることと収穫だけを自分で実施し、それ以外を他の人が管理して育ててくれるサービスなんてものが存在するくらいだ。
でも瑞原はそうではない。
自分で毎日こまめに面倒を見て育てたい。
そういうタイプであることを池田は見抜いていた。
池田の言葉を受けた瑞原は、何かを深く考えながらゆっくりと歩く。
そして池田は寄り添うように並んで歩く。
やがて瑞原の口が開いた。
「……なぁ……池田はあたしのことを本気で……か、か、かわいいって……思ってるのか?」
「うん」
茶化すことも無く、優しく答えた。
本当の本当に、心からそう思っているということを伝えるために。
余計な言葉を使わず、想いを込めた一言を。
「…………どうして、なんだ?」
「え?」
「どうしてお前は、私の事をそんなに……」
好きなのか。
自分が美人であると評判なのは自覚している。
何しろ女性からも告白されるくらいなのだ。
だが何度もかわいいと評し、そのことを口にして伝えてくれて、己の性格に適したことを勧めてくれる程に自分の事を理解してくれている。
果たして見た目だけで、そこまで想ってくれるものなのだろうか。
それが瑞原には不思議だったのだ。
「(こんなことを聞いても、かわいいから、なんて言われるだけかな)」
いつもの池田ならばきっとそう言うに違いない。
だが彼の口から漏れた言葉は、全く別のものだった。
「実は僕、お嫁さんを探しに都会に来たんだ」
「え?」
それが一体先ほどの質問とどう繋がるのか。
不思議に思ったがひとまずじっくりと話を聞くことにした。
「長男だし、農業が好きだから、家を継ぎたいと思ってた。そうなると跡継ぎを残すために結婚して子供を作らなくちゃならない。でもこの辺りには若い人はほとんどいないし、いてももう彼氏がいる人ばかり。だから都会に出たんだ。それに、僕達とは違う感性がある都会の人なら、農業を違う視点で活性化させてくれるかなって思って」
農業高校に通わず、一般の高校に通ったのもそれが理由だった。
いくら都会に出ても、農業系の学校に通ってしまったら、同じタイプの人しか見つからないと思ったのだ。
「農業が好きだからなのかな。僕には誰が農業に向いているかがなんとなく分かるんだ。そして見つけたのが萌ちゃんだった」
誰もがモデルとして輝いている彼女に目を奪われる中、池田だけは彼女を農業従事者の資格ありとして見ていたのだった。
「まさかこれまでのはずっと、私に農業に興味をもってもらうための行動だったのか!?」
本当はそこまで好きでは無かったのかもしれない。
好感度を上げるためにかわいいだのなんだの言ってたのかもしれない。
そう思うと瑞原の胸がチクリと痛んだ。
「ううん。違うよ。正確には、そうするつもりだったのに、出来なかったってところかな」
「え?」
どうすれば彼女を嫁として迎え入れ、農業の世界で楽しんでもらうか。
そのための策を考え、努力するつもりではあった。
だが池田はそれをしなかった。
いや、出来なかった。
「萌ちゃんがあまりにも輝いていて、綺麗でかわいくて、本気で好きになっちゃったから、農業とかそういうのはどうでも良くて、ただ単に幸せにしたいって思っちゃったんだ」
「な!!!!」
つまりは単に一目惚れをしたというだけのお話。
刺激を求めて新しいことにチャレンジする瑞原の姿を見て虜になってしまった。
二人は足を止めて向かい合う。
「僕はそんな萌ちゃんの隣で、一緒に輝いて一緒に幸せな人生を歩みたいって思った」
「そ……それって……プ、プ、ププ、プロ……」
きっとまた告白されるのだろう。
そう思っていた。
しかしここまで真っすぐに想いを伝えてプロポーズしてくるとは、流石に予想外であり、焦る瑞原。
池田はそんな彼女の混乱が落ち着くのを待ち、たっぷり時間をかけてからもう一度告げた。
「萌ちゃん。好きです」
「!」
かつて断られたその言葉をもう一度。
そして今回は更にその先を用意してあった。いや、自然と言葉が口から出た。
「僕は世界で一番あなたを幸せにできます」
それは事実の説明では無く、宣言。
一生をかけてそうあろうと誓う覚悟の言葉。
そして最後に、そっと優しく右手を彼女に向けて差し出す。
「僕のお嫁さんになってください」
月と星と多くの虫たちが見守る中、たっぷりと時間をかけ、彼女は普段の威勢の良い姿からは信じられないくらいかわいらしく小声で答えた。
「こ……恋人からでお願いします」
小さく震える彼女の手が、そっと置かれた瞬間、まるで祝福するかのように虫たちが一際大きく音色を奏でたのであった。
ーーーーーーーー
「ただいま」
「た……ただいま」
家に戻り、彼女を女性陣の元へ送り届けると、彼女達は首をギュルンと勢い良く回して二人に目線をやった。そしてしばらく無言で眺めると、やがて何かを納得したかのように言葉をかける。
「「「「おめでと~!」」」」
瑞原の照れくさそうな態度と、二人の距離感から、何があったのかを察したのだろう。
「いや~まさか成功するなんて」
「池田の言う通りだったな。今の瑞原、マジでかわいいわ」
「あれだけ毎日かわいいって言われてたらそりゃあ堕ちるでしょ」
「…………ちょろ」
「お・ま・え・ら!好き放題言いやがって!」
顔を真っ赤にして抗議するものの、祝福してくれているのだから、甘んじて受け入れるしか無いのである。
「瑞原さんが農家に嫁ぐことになるなんてびっくりだよ」
「ま、まだ付き合い出しただけだ!」
池田渾身のプロポーズに対し、恋人からとしか返事が出来なかった彼女にとって、その冗談はスルーできなかった。ただそれだけのことだったのだが、彼女は更に知ることになる。
池田がどれほど彼女のことを想っているのかを。
「そうだよ。それに別に農業に拘る必要なんて無いよ」
「え?」
「萌ちゃんが他にやりたいことがあれば、そっちをやって欲しいもん。もちろん僕も一緒にやるよ」
「ちょっ!お前長男だろ!?嫁探しに都会に来たって言ってたじゃないか!」
「うん。でも僕にとっては萌ちゃんを幸せにすることが一番だから」
「な!?」
それに僕が継がなくても弟妹がいるしね。
とフォローするつもりが、思わぬ甘い一言に女性陣が爆発してそれどころでは無くなってしまった。
「きゃああああ!私も言われてみた~い!」
「うっわ。あれがあの瑞原かよ。完全に乙女じゃん」
「さっさと結婚しろ」
「…………いい」
皆の前で恥ずかしいだろと、ポカポカと可愛らしく彼氏を叩いて抗議するものだから、女性陣のはしゃぎようは止まらない。
結局、彼女は夜遅くまで詰められて、根堀り葉掘り聞かれることになってしまったのだった。
数年後、『アグリモデル』と呼ばれる、農業とモデルを掛け合わせた職業が大バズり。
『ギャルだって農業が好き』を合言葉に、若者受けする斬新なファッションや手法が多数生み出され、人手不足や後継者不足に喘いでいた多くの農家が息を吹き返すことになる。
そしてそのバズりの中心にいるのは、いつもニコニコしている温和な男性と、キラキラ輝く美しくもかわいらしい女性であった。
「今日もかわいいよ」
「配信ではそれやめろっていつも言ってるだろ!?」
二人はきっと永遠に、おじいちゃんやおばあちゃんになっても、このやりとりを続けるに違いない。
福城県 すっごい怒られそう。