9.塩
「ここが一番の安宿だ。金は有るか?」
「ない」
「困ったな」
「ああ、困った」
困ったと言うは、宿に泊まれんからではない。
塩が買えんからだ。
角や鱗を売れば、買えるやもしれん。
その旨を伝える。
「塩? いくらでも分けてやる。泊まらせてやるから、家に来い」
有り難い。
この大男との縁は、きっと善きものだ。
必ず報いねばなるまい、まずは名を聞かねばなるまい。
「有難う。名を教えてくれ」
「イワンだ。お前は?」
「ツバクラという」
「妙な名前だな」
「そうだろうか」
「随分小さいが、子供じゃなかろうな」
「ここの人間がでかすぎるのだ」
「そうだろうか」
大なる背丈なイワンの家に行く。
奥方がいた。大きい。丁重に挨拶をする。
童もいる。こいつは小さい。丁重に挨拶をする。
「塩? これぐらいでいいかしら」
「有難う、有難う。名は?」
「マラーニャよ」
「せむぉおおりゅ」
塩をいただく。
舐める。舌が驚いている。
良いものだ。塩とは良いものだ。本当に。
「倭人のお客様なんて珍しいわ。わかっていれば、もてなせたのだけれど」
「構わん。それより、なにか報いたいのだが」
「なんなら子の相手でもしてくれ」
「心得た」
童は苦手だが、致し方なし。せむぉおおりゅと遊ぶ。
自慢の総髪を存分に引っ張られる。痛い、困る。
バシバシ叩かれる。これも痛くって困る。やはり苦手だ。
「そうだ。この肉を使ってくれ」
「まあ。上等なお肉ね」
「ほう。狩ったのか」
「蜥蜴の肉だ。それも大蜥蜴だ」
「大蜥蜴?」
大蜥蜴なぞ、この地には居らんという。
奇怪なことだ。化かされたか。
が、肉は確かにここに在る。
「食べたことがないな、こんな肉」
「食べたことがないわ、こんな肉」
「奇怪だ」
狩人も知らん肉。
昨日食ったよりも、遥かに美味かった。
マラーニャの焼き方がいいのだろう。柔らかさが段違いだ。
あと塩味なのがいい。塩とは良いものだ。