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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
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朝倉 誕生日 2023

作者: 佐伯ひとや
掲載日:2023/12/06

 駅前のケーキ屋の前にひんやりと佇む雪だるま。ちょうどその前を通りかかって、朝倉は彼を一瞥してから立ち止まりもせずに視線を戻した。

 前方から俯きがちに早足で歩いてきた青年を何食わぬ顔で躱し、緩く巻いたマフラーに顔を埋めてこっそりとあくびをかみ殺す。


 つい一週間前まで、そこには確かにかぼちゃが置いてあった。三角にくり抜かれた目と視線がかち合ったのを覚えている。屋根と外壁だけでじゅうぶんすぎるほど派手な店だから、一瞬だけ、しかしそこを通るときはいつでも一瞬だけは必ず意識を奪われるのだ。

 入り口を挟んで反対側にはいつでもパティシエ姿の三頭身の老人がいるが、彼はすっかり様変わりした隣人に戸惑っているように見えた。


 たった一週間で、街の様相はがらりと変わったと思う。いや、浮かれた雰囲気はそのままなのだが、どこか焦燥のようなものが光の形を成して街路樹に絡みつき、また飛び交う言葉の速度に表れていた。

 押して返す人の波は忙しないが、朝倉の歩みは一貫してゆったりとしたものだ。滑らかな書体の英字を眺めていると、橙と紫のポップ体が不思議と懐かしくなる。




 深夜の仕事はその名のとおり真夜中に行われることが多いのだが、今日は珍しく明るいうちから駆り出されていた。場所も郊外の倉庫群で市街地からのアクセスも良好。おまけに殺しを前提にしないシンプルな制圧業務ときた。

 おかげで片付くのも早かったが、そのせいで帰りの車は大通りに出たところで渋滞に捕まり、一メートル進むのに数分を要するほどだった。


 そこで今日の部隊を取り仕切っていた深夜兵は早々に朝倉たちを車から降ろし、帰宅ラッシュが本格化するまえに電車で帰るようにと促した。彼らがいま軍服の上に着ているのは飾り気のない濃紺の外套で、前を閉めれば軍人ということを隠して平然としていられる。


 そして浄雨市本部の最寄り駅はそれなりに辺鄙なところにあるので、数駅だけ満員電車に耐えられれば快適な帰路になるだろう。そういうわけで、彼の指示に逆らうものはいなかった。


 とはいえ同行していた深夜兵たちは翌日に遠方で仕事があったり、ついでに街で用事を済ませようとしたりで、結局、朝倉はひとりで駅に向かうことになった。


 イヤホンを忘れた耳には狂ったように同じ音楽ばかり流れてくるのでうんざりしながら、世の中のすべてに無関心だといったふうな顔で歩く。


 そんなとき、ぐちゃぐちゃの人波と四列の車道の向こうに見覚えのある姿を見つけた。比喩でなく頭ひとつ抜き出たその男を見間違えるはずもない。ああして俗世を歩く姿を見ていると、自分たちはあの男の異質さにすっかり慣れてしまっているのだと痛感する。


 高崎はひとりだった。彼以外が着ようものなら誰しも裾を引きずってしまうだろう黒いコートをなんでもないように着こなして、まっすぐ前を向いて歩いている。こちらまで足音が聞こえてきそうなほどの堂々とした歩みだった。

 数多の障害物と数十メートルを隔ててすれ違う瞬間、朝倉はようやく高崎に意識を向けすぎたことに気づいてはっと顔を背ける。向こうは朝倉に気づいた様子はないが、雑踏と車の騒音がなければとっくにばれていたかもしれない。


 ふと顔を上げると、右前方には今にも点滅し始めそうな青信号があった。

 朝倉が駆け出してその横断歩道を横切ったのは半分くらい無意識だった。この歩道がもうすこしだけ長ければ、途中で我に返って引き返していたかもしれない。

 なんにせよ、朝倉は今日はじめて人にぶつかった。


 あの大きな背中を見失うはずがないと思っていても、朝倉はときどきペースを調整しなければならなかった。ほんのすこし周りに気を取られると標的はいつのまにか建物の角を曲がっていて見えなくなるが、近づきすぎても勘付かれる。

 さっきの仕事よりよっぽど難易度の高いミッションだ。付かず離れずの距離を保ちながら、朝倉は視界の中心ではなく、あくまで片隅に高崎を捉え続けていた。


 果たしてほんとうに休日があるのか疑わしいほど高崎という男は多忙である。誰よりも困難な任務を誰よりも多くこなしながら一切の疲労を感じさせないおそろしい男だ。

 ところが聞いた話によると、休日は日課のトレーニングのほかには酒を片手にゲームをしたり、あらゆる漫才番組を半日以上も費やして観たりと拍子抜けするほど平凡に過ごしているらしい。いつでも誰かの部屋で飲み会ができる環境だからか、プライベートでの外出は日用品の買い出し程度だというのだ。


 そんな高崎が大きな街まで出掛けているからにはそれなりに重要な用事があるはずだ、と朝倉はにらんでいる。思えば服装もちょっと小綺麗な感じで、軍服ばかり見てきた朝倉にとってはとにかく見慣れない。


 ぱっと思いつくのは特定の相手、付き合っているひとがいるとかだが、不躾にも噂話を嗜む深夜兵たちからも高崎に相手がいるなんて聞いたことはない。


 しばらくして、高崎はとある店の前で立ち止まった。足取りから察するに、はじめからそこを訪れると決めていたようだ。


 店先にでかでかと掲げられたアルファベットを辿々しく目で追いかけ、心の中でいろいろな読み方を試していると、ふと聞き覚えのあるブランドの名前にぴたりと当てはまった。

 大多数の平凡な人間は一大決心をしなければ入り口の前に立つことも憚られるような敷居の高い店だ。同年代の学生たちなんて相手にならない稼ぎのある朝倉でもネットで眺めるのが精一杯の、数年かけて金を貯めてやっとスタートラインに立てるような店。


 高崎がガラス扉に近づくと、中にいた白い手袋をはめたスーツの若い男がすすんで扉を引いて彼を招き入れる。高崎は鞄を下ろして慣れた様子で彼に手渡すと、やはりまっすぐ歩いて店の奥へと進んでいった。そこへまた別の男が近づいていく。今度は紳士然とした中年の男で、扉を開けた店員より明らかに立場のある風貌だった。たおやかな笑顔のあとで深々と頭を下げている。


 朝倉は驚きを隠しきれず、いつの間にか道端で立ち止まっていた。誰にも迷惑がられなかったのは、そこがたまたま赤信号の手前だったからだ。

 さすがに店の中まで追いかけるわけにもいかず、しばらく信号待ちをするふりをして留まっていたが、そのわずかな時間が彼を正気に戻す。

 せっかく早く帰れる日に、わざわざ寒い思いをしてまでいけ好かない上司をつけ回すなんて、酔狂にもほどがある、と。

 自嘲するように吐いた息は驚くほど白く、色とりどりのイルミネーションを薄くぼかした。


 高崎はしばらく店を出てこないだろう。すぐ近くに時間を潰せそうなカフェがあるがかなり混んでいそうだし、そこまでくるとほんとうにストーカーじみている。

 駅は逆方向だ。

 いますぐ引き返すべきだった。




 すっかり周囲の歩調に流されながら駅にたどり着くと、朝倉はうろ覚えの道順を辿って複雑な地下街を流れていった。何度か訪れたことのある場所だが、いつも西来とか歳の近い深夜兵が先導していたので朝倉自身はそこまで土地勘はない。順調にいけば乗れるはずだった電車を五本も逃したことなんて知る由もなく、案内板を頼りにホームへ行き着くと、電車が来るまでの時間を後悔のために消費した。


 ホームは身動きが取れないほど人で溢れかえっていた。みな厚着をしているせいで圧迫感はかなりのもので、すでに電車の中にいるような感覚だ。もうすこし早く来ていれば多少はましだったかもしれない。


 そう思うと、高崎を追っていた無意味な時間が余計に恨めしくなっていった。あんな行動をとったのは一から百まで自分の意思で、誰に強いられたわけでもないというのに。


 何度も電光掲示板を見上げているうちに、ようやく次の電車がやってくる。アナウンスを聞き流しながらぼんやり待っていると、銀色の車両がごうっと音を立てながら目の前を通過し、やがて苦しげな音を立てて停止した。


 扉はまだ閉まったままだが、後ろに気が早い客がいたのか、朝倉が自ら動き出すまえに背後からぐっと押し込まれる。ところが朝倉の体幹は日々鍛えられており、なんとなくを装って押されたくらいではびくともしなかった。扉がひらくまでのんびり待って、疲れた顔の乗客が吐き出されていくのをまだまだ待って、前の客が動き出したらしれっとついていく。


「そっちじゃねえよ」


 耳元で声がしたのと同時に、人の群れが勢いよく動き出した。せっかく開放的になった車両を再び肥らせる段階になったのだ。我先にと乗り込んでいく人々の頬は、寒さか熱気か化粧のどれかでほんのり赤みがかっていた。


 何百もの人間の入れ替えがすっかり済んだあと、ホームは嘘のようにがらんとした。満員電車での立ち乗りを嫌ってわざと一本見送った者たちがぽつぽつと残っている。


 そんなホームのど真ん中に朝倉は呆然と立っていた。

 わざと乗らなかったわけではない、というのはその表情から明らかである。

 彼の右腕は何者かにがっちりと掴まれ、まるで袖に釘を打ち付けられたようにその場に固定されていた。振り返れば見覚えのありすぎる顔があったが、その近さにぎょっとする。


「っ、た――」


 いつものように呼ぼうとした朝倉の唇に、ひとつ、人差し指がそっと触れた。


「色気のねえ呼びかたすんな。こちとらプライベートなんだよ」


 わざわざ身を屈めてそう囁いて、朝倉が硬直したのを確かめてから高崎は静かに指を離した。

 さっきと同じコート姿で、左手にはあのブランドのロゴがあしらわれた黒の大きなショッパーを提げている。いつも朝倉を相手にするときの憎たらしい笑みをたたえ、高崎は朝倉の腕を掴んだまま彼の顔を覗き込んでいた。

 反射的に腕を引こうとすると、倍の力で戻される。朝倉はひくりと喉をひきつらせながら、あらゆる感情を抑圧したことでわずかに震えた声で言った。


「なんで、いるんです」

「こっちのせりふだっての。おまえ仕事帰りだろ」


 深夜部隊に支給される外套を見下ろして高崎が言い放つ。朝倉はすこし落ち着きを取り戻して、


「そう、だからただの仕事帰りです。車だったけど、道が混んでたから電車で帰れって岸さんに言われて……」


 ここまで朝倉は事実のみを話しているのだが、なぜが自分のことばがすべて言い訳がましく聞こえる気がして尻すぼみになる。高崎がそれを聞き逃すはずがない。顎に手を添えて考え込む姿勢をとるが、口角はよりはっきりと弧を描いていた。


「迷った、ねえ。ああ、たしかにあの通りは駅とは真逆だよなあ」

「……の、野郎」


 まあなんとなくそんな気はしていたが、あえて遠回しな言いかたをされたことで朝倉のなかで屈辱と苛立ちが台頭してせめぎ合う。いつから気づいてたんですか、とはおそろしくてとても訊けなかった。どうせ「最初から」と答えられることはわかっていたし。


 そのとき、朝倉と同年代くらいの青年たちが大声でおしゃべりをしながら真横を通り過ぎていった。ひときわ大きな笑い声に頬を打たれ、それにより朝倉は自分がいまどこにいるのかを思い出す。周囲を見渡し、電車を待つ人が増え始めていることに気がついた。

 人目につくこの場所から離れようとしたが、彼の右腕はまだ高崎に絡め取られている。おもちゃで綱引きをする犬のように、引けば引くだけ引き返された。このままでは埒があかないと、朝倉は渋々、直接の交渉に挑むことにする。


「とりあえず離してくれませんか」

「そうだな……」


 そう言って高崎が黙り込む。ややあって、


「おまえがおれのこと、ちゃんと呼べたら考えてやるよ」


 いやな予感が的中して、朝倉は全身から血の気が引くのを感じていた。高崎の表情をちらりと見て確信する。この手の顔をしているときの高崎はとびきり頑固だ。彼の理想に即しているという意味で「ちゃんと」呼ばないと、たとえ腕を切り落とされても朝倉を離しはしないだろう。


 しかし、それが逆に前向きな諦めにつながった。ひらき直ったともいえる。このまま人混みの中心で恥を晒すくらいならと、朝倉はまっすぐ高崎を見つめ、「離してください、高崎さん」とはっきりした声で言った。

 高崎はまたしばらく考え込んだかと思うと、にたりと笑い、


「残念」


 ああ、そうだろうよ、と朝倉は思った。

 高崎が求める答えはわかっている。


「呼ぶだけだよ。簡単だろ」

「…………」


 今度はOL風の女性が横を通る。彼女は携帯に夢中のようだったが、そのすぐ後ろからジャージ姿の少年がやってきて、真面目に前を見て歩いていた彼は朝倉たちをちらっと見た。

 そのたった一瞥が、朝倉にはとても耐えられなかった。


――久志さん。


 これで勘弁してくれ、という思いを込めて絞り出した声は、周囲にもう五、六人も多く人がいれば届かなかったかもしれない。

 幸いにも高崎の耳には届いたようで、彼は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにいつもの調子に戻った。

 どこか満足げなのは気のせいではないだろう。天地がひっくり返っても「一世一代」なんて言えないようないたずらが大成功したのだから。


「やればできんじゃねえか、瀬良」

「…………」


 朝倉は言いたいことをぶちまけようと大きく息を吸ったが、次の瞬間すべて飲み込んで、ぐっ、と唇を噛んだ。言い出したら止まらないだろうと確信していたからだ。大丈夫、さっきのもいまのも、ただの音声の羅列だと自身に言い聞かせることで自分を抑える。

 血こそ出なかったが、下唇に赤みがさしていた。


 そんな朝倉をよそに、高崎は指をゆっくりと焦らすように一本ずつほどいて朝倉を解放する。

 そして高崎はなんともいえない表情で見上げてくる朝倉を心ゆくまで眺めてから、


「ほらよ、褒美だ」


 と言って例の紙袋を朝倉の胸に押し付けると、袋を持つ手をさっと離してしまった。重力に従って落下するところだった袋を朝倉は反射的に受け取ったが、状況を把握しきれず困惑しっぱなしだ。


「ねえこれ、どうもっつってもらえるようなもんじゃないんですってば。もしかしてあんた知らねえで買ったのかよ」

「なわけあるか。やるっつってんだからもらっとけ。行くぞ」


 高崎は朝倉の肩を引き寄せ、有無を言わさずホームを出る階段のほうへと歩き出した。周囲の視線が突き刺さる。さっきよりも状況は悪化していた。


「行くってなに……おい、大将!」


 しばらく抵抗を続ける朝倉だったが、すぐに無意味だとわかって静かになった。


 駅の外に出ると、高崎は先ほどとはまた違った通りのほうへ足を進めた。道中には信号がいくつもあるのだが、それらは高崎の歩みを妨げないようにとばかりに青く光り続けている。


 朝倉の左肩は高崎の手に掴まれたままで、右肩は厚い胸板と隙間なくぴったりくっついている。高崎はたばこを吸わないので、その身体から不快な匂いはしなかった。

 前からやってきた通行人を避けるために高崎がすこし左に逸れると、朝倉の頬までもが彼の胸に押し付けられる。いつもすれ違ったときにだけ感じる香りに噛みつかれ、朝倉は一瞬だけ息が詰まった。


 首に回された腕の重さのせいで朝倉は自然と俯きがちになる。なんとか見上げてみたところで高崎は見向きもしないが、その口角がほんのすこし、勘違いかと思うほどわずかに緩んでいるような気がした。

 見てはいけないものを見てしまった気分で目を逸らすと、頭上でかすかに笑う気配がした。

 

 思い出したのは、いま自分たちがいるこの場所もまた、焦燥と期待に染め上げられた一二月の途中だということ。

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