009 被害者第一号
カーティア=ロジエ? ベルティーナと同じ赤茶色の髪をした胸のはだけた下品なドレスを着た女が屋敷に現れた。
誰だこいつ。俺は父と顔を見合わせて固まった。
ロジエ伯爵の話だと、ベルティーナはとても優しい(知ってる)姉で、可愛い(とは思わない)妹の結婚が決まるまでは嫁にいきたがらないから、今日は妹と縁談を進めたく連れて(意味分かんねぇよ)きたそうだ。
途中で心の声が漏れかけたが、多分我慢した。
学生時代、ロジエ伯爵はベルティーナの婚約を渋っていた。ベルティーナは学園内で孤立していたが、それを高嶺の花として捉えている者も数多く、縁談は俺の耳に届くほど沢山出ていた。というより、アルドを通じて常に最新の縁談情報を収集していた。
だからこそ誰よりも早く最初の縁談に取り付けたのだが、俺が思っていたより、ロジエ伯爵は上手なのかもしれない。
ベルティーナ自身は優秀だが、家格は並み。アーノルトとの婚姻は好条件である筈だが、この狸親父はより良い条件を得たいが為に妹を連れてきたのかもしれない。
優秀なベルティーナを手に入れたければそれ相応の待遇を用意しろとでもいいたいのだろうか。
腹の探り合いをしつつ、謎の妹推しの後、俺はカーティアと二人で庭を散策することになったのだが――。
「きゃんっ。つまずいてしまいましたわぁ~」
右腕に抱きつかれて蕁麻疹が出た。
何だこの拷問は。
「私、昔から病弱でぇ、すぐに転んじゃうんですぅ」
病弱と転倒の繋がりが見えない。どうやったらベルティーナとアルドの間にいて、こんな女が育つんだ。
「俺に触るな。何故お前が来たのだ? 俺はベルティーナに婚約を申し込んだのだ」
「知ってますわ。でも、ベルティーナお姉様は、ヨハン様には私の方がお似合いだって仰ったの」
「ベルティーナが?」
「はい! ほら、ベルティーナお姉様って、何でも一人で出来るじゃないですかぁ? でも、私はそうじゃないんです。ヨハン様みたいな殿方に守っていただかないと生きていけないんですぅ」
それがベルティーナの答えなのか?
確かに、俺は一度もベルティーナに勝てなかった。
万年次席止まり。
そんな俺では夫にできない。そう言いたいのか?
「ヨハン様。私はベルティーナお姉様とは違いますわ。ヨハン様が必要なんです。お慕いしているのですわ」
ベルティーナとは違う?
要するに、ベルティーナには俺は不要で好きじゃないから、妹を寄越したのか。
ベルティーナに自分の思いを伝えたことはない。
そして、ベルティーナから伝えられたことも。
「ヨハン様ぁ。私は――きゃっ」
「失礼する」
無意識の内に、俺は屑女の腕を振り払い、馬小屋を目指していた。
こんな奴等と話していても埒が明かない。
ベルティーナに真意を問う為に、俺はロジエ領へと馬を走らせた。
◇◇
初めてロジエ伯爵の屋敷を訪ねた。
執事に名を名乗り、アルドを呼んだ。
「ヨハン様? わぁ。当家に来られるのは初めてですね!――ひぃっ。何かありましたか!?」
呑気に出迎えたアルドは、俺と目が合うと震え上がり後退りした。
多分、俺は、随分と酷い顔をしていたのだろう。
「ベルティーナに話がある。会わせてくれ」
「は、はい」
◇◇
応接室で待っているとベルティーナが現れた。
今思えば、ベルティーナは顔色が悪く泣いた後だったのかもしれない。
あの時の俺は、後ろめたくてそんな顔をしているのだと思い、顔を合わせて早々に彼女を責めてしまった。
「そんなに俺との婚約が嫌だったのか? ベルティーナ。君の気持ちを教えてくれ」
「……ごめんなさい。私はっ――」
開口一番、ベルティーナは謝罪の言葉を口にし、言葉を詰まらせ涙を流した。
婚約を申し込んで謝られると言うことは、拒絶されたということだ。ベルティーナは何か言いかけているが、その先の言葉を聞くのが怖かった。
はっきりと存在を否定されるのが嫌で、俺はベルティーナよりも先に言葉を発することを選んだ。
「二番手の男なんか必要ないんだな。君に勝つことも出来ないような男との婚約は、迷惑だったのだな」
「違うわっ。ヨハンはっ……」
顔を上げたベルティーナは俺と目が合うとポロポロと大粒の涙を溢れさせ、口をつぐんだ。
俺はベルティーナにとって何だったのだろう。
言葉が出てこないということは、何でもなかったとのことなのだろうか。
頭の中が真っ黒に塗り潰されていく。
婚約を申し込む前に抱いていた自信は欠片も残っていなかった。
「ベルティーナ。俺はずっと前から君に好意を寄せていた。あんなに近くにいたのに、君の気持ちを確認せず婚約を申し込んですまなかった」
「ごめんなさい。――わ、私より、カーティアの方が……」
彼女は嗚咽を漏らしながら、妹の名を口にした。
庭での言葉が呼び起こされ、虚しさが込み上げてくる。
「すまない。誰に何と言われようと、君の妹とは婚約できない。辛い思いをさせてすまなかった。失礼するよ」
俺は泣き続けるベルティーナになす術もなくソファーから立ち上がり、彼女に背を向けた。
ドアノブに手をかけ、俺は彼女の心にこれっぽっちも存在しなかったのか、他に好きな人がいるのか、結局なにも不確かなままだと気付いた。
だが、それを明確にする勇気は俺にはなかった。心が壊れてしまいそうだったから。
だけど――。
「もしも、ベルティーナの心が変わることがあったら、迎えに来てもよいだろうか?」
ベルティーナは一瞬だけハッと動きを止め、身体を震わせたまま声を殺してまた泣き始めた。
これ以上追い詰めて、俺は何がしたいのか。
自己満足を押し付けただけだと感じた。
「すまない。こんなことを言われたら気持ち悪いよな。忘れてくれ。学園での時間も。俺と過ごした全ての時を」
何て糞みたいなことを言ってベルティーナと離れて屋敷に戻ると、父がロジエ伯爵を追い返したところだった。
ロジエ伯爵は終止頭の可笑しな事しか述べなかったそうだ。ベルティーナは気立てのよい娘だから、カーティアが婚約してからでないと嫁に行けないと言っているだとか。ベルティーナは妹弟のことを一番大切に思っているから、蔑ろにするような相手とは婚約できないだとか。
でも俺が急にいなくなってカーティアが泣いて戻って来たので、ロジエ伯爵からこの話は無かったことにすると突っぱねてきたらしい。
その振る舞いに静かにキレていた父は、あんなに可愛がっていたアルドとも、暫し距離を置くとまで言った。それについては、ベルティーナに良く似たアルドを俺から遠ざけたかったからだったと後から知ったけれど。
そしてシエラが学園に通い始め、またアルドと再会したことで、俺はロジエ家の内情を知ることとなった。
ロジエ伯爵についてよくよく考えてみると、やはり、それ相応の対価無しではベルティーナは譲れない。ということだったのだろう。ついでに、妹の方が気に入られれば、それはそれで良しとしていたのだ。
だから今回は、妹ですら嫁にやりたくないであろう父の後妻という縁談を装い、ベルティーナを呼び寄せ、そして妹弟の縁談についても契約に盛り込んだからか、やっとあの狸親父からサインを得ることが出来た。
さて、俺が味わった無駄な屈辱をロジエ伯爵へどうお返しするか。
と、その前に、ベルティーナに謝らなくては。
あんな両親の前でも常に落ち着いていたベルティーナ。今までどんな扱いを受けてきたのかも心配になるほどだ。
しかし、ベルティーナの顔を思い浮かべると、また自信が無くなってきた。この計画を考えた時はあんなに自信に満ちていたのに。
やはり、父は正しかったのかもしれない。
「一日だなんて、雑すぎるよな」
時間をかけて誤解を解いて、二年前に止まった二人の時間を取り戻すのだ。
俺は気合いを入れ直して隣のベルティーナの部屋へ向かった。
「ん? 何だこれは?」
扉のノブには「お色直し中。御用の際はノックしてね」と書かれた札が掛けられていた。
マールの仕業だな。シエラとふざけてよく変な遊びをしている。取り敢えずノックしてみると、扉は直ぐに開かれた。
「あっ。お待ちしておりましたよ。ヨハン様!」
満面の笑みで出迎えるマールの後方には、赤茶色の髪をアップにまとめ、落ち着いたえんじ色のワンピースを着たベルティーナの姿があった。
二年前と変わらぬ品のある立ち姿。
マールよ。いい仕事をし過ぎだ。
余計に、緊張するじゃないか。