008 私の立場
私が案内された部屋は、マルセル様の療養部屋の真上の部屋でした。天蓋付きのベッドに大きな鏡台とクローゼット、キャビネットの上には庭で見た赤い薔薇が飾られています。
「良い香り……」
「お気に入りいただけましたでしょうか?」
「ええ。ありがとう」
案内してくれた若いメイドは、私の言葉に顔を綻ばせました。ですが、この部屋の家具は新しく、どれも新品に見えます。ヨハンのお母様の部屋ではなかったのでしょうか。
「ヨハン様の命で必要なものは用意いたしました。ご確認いただいて、足りないものなどございましたら何なりと、このマールにお申し付けください。ベルティーナ様の身の回りのお世話は私が担当いたしますので」
「よろしくお願いしますね。マール」
「はい。後程ヨハン様がいらっしゃいますので、屋敷内をご案内してくださいます。あ、クローゼットもご確認くださいませ」
「ええ」
マールがクローゼットを開くと、中には上質なドレスが並んでいました。母のドレスとは違いデザインも新しく、カーティアとも違い露出も少ない上品なドレスです。
「これは……」
「お気に召しましたか。よろしければ袖を通していただきたいです。サイズの確認をさせてください。こちらのドレスは――」
マールが言いかけた言葉を止めました。
部屋に誰かが訪ねてきたからです。ヨハンかと思いましたが、マールが扉を開くと一人のご令嬢が立っていました。
「ごきげんよう。ベルティーナ様」
「あら。シエラじゃない」
それはヨハンの妹のシエラ=アーノルトでした。
アルドと同い年の彼女とは、あまりお話しした事がありませんが、アルドからよく話は聞いています。
第二王子様へ嫁いだフィエラ様とは見た目は似ていますが、性格は正反対で、とても活発なお嬢様だそうです。
因みに、アルドの初恋はフィエラ様でした。
学園生活に出会いを求めたのは、初恋の女性が結婚してしまったことも一つの要因だったのかもしれません。
「ベルティーナ様。お部屋は気に入って頂けましたか?」
「ええ。素敵なドレスも用意していただいて。もしかしたらシエラが選んでくれたのかしら?」
「いえ。これは全部お兄様ですわ。あの、私もアルドのようにベルお義姉様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「それは構わないけれど……」
ヨハンが準備してくれただなんて。
後でお礼を言わなければなりません。
「駄目ですか? ベルお義姉様に勉強も見ていただきたかったのに……」
「ええ。勿論よ。あ、でも、私はお義姉様ではなくて、義母親になるので」
「は? 義母親ですって!?」
シエラは驚き、納得がいかないといった表情で声をあげました。私ごときが母親を名乗るなんて、おこがましいにも程があったのでしょう。
「無理に呼ばなくていいのですよ。私は……」
言いかけた時、開いたままの扉をノックしたヨハンと目が合いました。ムスッとした顔でこちらを見やり、少し機嫌が悪そうです。
「シエラ。ベルティーナ。何を騒いでいるのだ?」
「お兄様っ!? ちょっとよろしいですかっ!」
部屋に現れたヨハンはシエラに引き摺られるようにして連れていかれました。
やはり、後妻の立場とは難しい様子です。
見知った仲であれ、受け入れることは難しいのでしょう。ですが、寛大なマルセル様の期待に応えるべく、私はアーノルト家の一人として尽くしたいと思います。
「あの。ベルティーナ様。もしよろしかったら試着しませんか? ヨハン様も選んだ甲斐があったとお喜びになると思いますので。どれになさいますか?」
「えっと、でしたら……これに」
マールに言われるまま、私は目の前にあったワンピースを手に取りました。
◇◇
「あの、お兄様。どうしてベルティーナ様が義母親などと仰っているのですか? お兄様はベルティーナ様とご結婚されても良いと仰ったではありませんか! ロジエ伯爵様を欺きアルドのお姉様を助けてくださるのでしょう?」
シエラは俺の部屋に入るなり興奮気味で不満を並べた。
大好きなアルドの力になれると喜んでいたのは知っている。しかし今は俺も苛立ちが抑えられずシエラに構う余裕はなかった。
「落ち着け。ロジエ伯爵との契約は万事上手く運んだのだが、アーノルト辺境伯様がダダをこねているのだ。詳細はそちらに問いただしてくれ」
「は? お父様はご乱心かしら?」
「さぁ? 俺もよく分からん。アルドとの約束は果たせるから、心配するな」
「分かりました。お父様にお伺いしてみますわ」
シエラは呆れた様子で俺の部屋を出て行った。
数週間前、シエラはアルドからベルティーナの婚約が妹のカーティアに取られ続けていることを聞いたそうだ。学園でもカーティアの悪い噂を聞いていたことから、どうしてもアルドの力になって欲しいと俺に頼み込んできたのだ。
誰とも結婚する気がないなら、アルドの姉を嫁にもらい助けてやって欲しい、と。
シエラは知らない。
俺が二年前にベルティーナに婚約を申し込んで振られたことを。
いや。あれは恐らく違ったのだ。
俺は、ベルティーナを酷く傷つけてしまった。
ベルティーナは入学当初から常に首席であり続けていた。
家柄も並みで見た目も並み、そして大人しい性格だった彼女は、周囲から孤立していた。
秀才過ぎて話が合わないだとか、生まれ持った天才だとか周囲から妬まれ距離を置かれていたのだ。
でも、俺は知っていた。
彼女は誰よりも読書家で努力家だということを。
みんなベルティーナのことを知りもしないくせに陰口だけは叩く。
そんな悪意を彼女の耳に入れたくなくて守りたくて、俺は次席を理由にずっと彼女の隣を独占した。
ガキみたいに次は勝つだなんてほざきながら。
初めはちょっと警戒していたベルティーナだったが、アルドの話をしたり、二人で課題に取り組む内に笑顔を向けてくれるようになった。思い返せばあの頃が一番幸せで、ずっとあのままの関係でいたかった。
卒業と同時に、ベルティーナの両親が婚約者候補を探し始めたとアルドから聞いて、俺はすぐに父を説得して婚約を申し込んだ。
ベルティーナが良い返事をくれると、信じていた。
婚約を相談する両家の席に、あの屑女が現れるまでは。
「まぁ。なんて素敵な方なのかしら。ヨハン様。私、カーティア=ロジエと申します。貴方のような素敵な方と婚約できるなんて、とても嬉しく存じますわ」