007 父の威厳
息子ヨハンは、私を力強く睨み付けている。
今しがたヨハンの願いを叶えるべく善処した父に向かって酷すぎないか?
しかも、また腰をやってしまい、動けずにいる父に向かって酷すぎやしないか?
妻を失い早十年。久しぶりに名を呼ばれ、若き日を思い出し妻に会えたような気がしたのに、余韻ぐらい味わわせてくれ。しかも、ベルティーナ嬢は私に合わせて、昔、妻が着ていたようなドレスまで着てきてくれたのだぞ。こんなジジイに嫁ぐ気持ちを整えてここまで来てくれたのだ。健気で良いお嬢さんじゃないか。
「名前を呼ばれた瞬間、亡き妻を思い出したのだ。スッと身体が軽くなり腰の痛みが和らいでいった」
「それ、母上を思い出して向こう側の世界に逝きかけていたのではないですか?」
「ヨハンっ!? それは酷すぎだっ。初恋を拗らせて嫁も取ろうとしないお前に協力してやった隠居辺境伯を馬鹿にし過ぎだろう!?」
「それ、ご自分で仰って悲しくないですか?」
確かに虚しい。この虚しさを埋めてくれるのは、きっと人の優しさだけであろう。それと、好きな女性を前に百面相を繰り広げる息子を見ることだな。
その為にはもう少しマルセル様ポジションでいたい。
どうせ互いの気持ちを確認し合ったら、頑張った父の存在なんて無に帰するのだろう?
「……一週間でいい。そしたら全快するかもしれない」
「しませんよ。張り切ってまた腰をおかしくするだけです」
腰を痛めて約一年。もう癖になってしまってちょっと張り切るだけでベッド生活だ。
別にそれ以外の病気は何もなく健康ではあるが、部下の手前、腰痛だけで寝込むのが恥ずかしくて、病気を理由に現役は引退して隠居生活の身である。
そんな味気ない日々に舞い込んできた、ヨハンの初恋の女性を巡る婚約騒動。
え? 父上の力を貸して欲しいだと?
ロジエ伯爵に一泡ふかせてやりたいだと?
可愛いことを申すではないか。
近隣諸国を蹂躙してきた日々と同じように、攻略せねばと血が滾るではないか。
しかし今はまだ、ベルティーナの意思を無視したような状況である。ここはしっかりと時間をかけてヨハンに決めてもらわねばならない。
「ふんっ。いいか。これはヨハンの為の一週間なのだぞ!」
「はい?」
「二年前の事も謝罪せず、迎えに来ました。なんて言えないだろう? まずは過去のわだかまりを清算してこい」
「そんなもの、一日で終わります」
「駄目だ。少なくとも一週間はマルセル様と呼ばれたい。そこは引き伸ばせ」
しまった。父の威厳をすっ飛ばして寂しさが勝ってしまった。
「…………」
「ヨハン。女性との愛はじっくり育むものだ。一日でだなんで雑なことをしてはならないのだぞ」
「――分かりました。では、婚約式の日まで、どうぞ三十も年の離れた女性の婚約者にでもなって療養くださいませ。アーノルト辺境伯様」
ヨハンは冷たい笑みを私に向けてそう言うと、契約書を手に部屋を出ていった。
父上って呼んでくれないのか。
これはこれで寂しい。