004 母の期待
母は私の部屋へ、使用人に古いドレスを運ばせました。
何故か母も私の部屋に現れたことに驚きましたが、母はドレス選びを手伝ってくれるようです。母のドレスは型は古いですが、質素で上品な物でした。
「どれももう着ないからベルにあげるわ。ひとつだけ選んでお直ししてもらいましょう」
「はい。ありがとうございます」
「でも、ベルが後妻……ね」
母は私を哀れんだ目で見つめ、溜め息を吐きました。母も、後妻は反対なのでしょうか。波風立てず静かに嫁いでしまいたいので、私に構わないで欲しいのですが、そんな事は口に出せません。
「お母様?」
「ベルもこんな家にいるのは嫌でしょう? お父様は断っても良いと仰っているけれど、嫁いでも構わないのよ。そろそろ潮時みたいだし」
「えっ?」
「だって、縁談相手は落ちぶれてきたし、貴女がいたらカーティアは婚約できないもの。毎回毎回、貴女が邪魔をしているでしょう? さっさと嫁いで欲しいってずっと思っていたの」
「私は邪魔なんてしていません」
「してるわ。みんな断る理由に貴女の名前を出すのよ。カーティアが可哀想だわ」
私へ来た婚約の申し込みなのですから、それは当然のことだと思うのですが、お母様の心労をこれ以上増やすことは良くないと思い、私は口をつぐみました。
「何かしら? その反抗的な目つきは。産まれた瞬間から、貴女は私を苦しめ続けてきたわ。周りはみんな男児が産まれたのに、私だけ女の子だった。どれだけ陰口を叩かれたか」
その言葉は初めて聞きました。
お母様が私を避ける理由がやっと分かりました。
「それに追い討ちをかけるように、二番目も女の子。でも、カーティアは貴女とは違ったわ。身体が弱くて私を必要としてくれた。カーティアは私がいないと生きていけない子だったのよ」
私も身体が弱ければ愛されたのでしょうか。
私が男児だったら……愚問ですね。
母はカーティアの名を口にする時、とても幸せそうに笑みを浮かべています。
「カーティアのお陰で私の人生は好転したわ。主人もカーティアを通して私に目を向けるようになったし、アルドも産まれた。でも、ベル。貴女を見ると昔を思い出すの。私は、その度にとても惨めな気持ちになるのよ。だから、後妻でも良いから、早く嫁いで頂戴。――返事は?」
「はい。お母様。私は、アーノルト辺境伯様に嫁ぎたく存じます」
「そう。ドレスは選んだら使用人へ渡しておきなさい。期待しているわ。ベルティーナ」
私は初めて母の期待を背負いました。
学生時代、両親からの期待に潰されそうになる学友を何人も見てきましたが、期待されるだけ羨ましく思っていました。
ですが、親の期待というものが、こんなに胸を締めつける物だとは知りませんでした。
ひとつ勉強させていただきました。お母様。
◇◇
私は藤色のドレスを選び使用人へ渡し、母が置いていった他の古いドレスをクローゼットへと片付けました。
婚約の話し合いは一週間後。
ヨハンのお父様であるアーノルト辺境伯様とは、お話ししたことがなく、遠目でお顔を拝見したことがあるだけです。
アーノルト辺境伯様はアルドが八歳の頃から指導してくださっていたので、アルドから、そして同級だったヨハンからも話は聞いていますが、悪い方ではないと思っています。
だから私は、後妻でも良いのです。
私はずっと、今の自分の置かれた状況を心の何処かで仕方がないことだと諦めていました。婚約を申し込んでくださった令息方にも迷惑をかけてきましたし、こんな私を嫁にもらっていただけるだけで十分有難い話でございます。
父がどう判断するか分かりませんが、母は背中を押してくれそうです。私の為に力になりたいと言ってくれたアルドの為にも、私も行動を起こさなければなりません。
そして、力を貸してくれたであろうヨハンの為にも。
今回のお話が、もしヨハンからの婚約の申し込みだとしたら、恐らくまたカーティアへと話は回されてしまっていたでしょう。それが二度目の求婚だったとしても。
きっとヨハンは、そう考えてこのような形を取ったのだと思います。
私だって、一度目の時のように……。
あの日と同じ思いはしたくありません。
今なら、あの日言えなかったことをヨハンに伝えることが出来ると思います。
決して、あの頃の私達には戻れないけれど。
◇◇◇◇
「後妻なんてあり得ないんですがっ!!」
アーノルト家の執務室にてアルドは叫んだ。
職務中のヨハン=アーノルトは、アルドに目を向けることなく書類の束に視線を落としたままである。
「聞いてらっしゃいますか? ヨハン様っ!?」
「うるさい。父に聞こえたらどうするのだ」
アーノルト辺境伯への嫁入りは嫌だ。
そう言っているのと同じ事。
本人に聞かれて良い言葉ではない。
「あ、申し訳ありません。ですが――」
「俺が婚約を申し込んだら、またあの屑女がくるだろう。少しは頭を使え」
「……く、くず……」
「お前のもう一人の姉のことだ」
「あ、ああ。そうでしたか。――ではなくて。僕はてっきりヨハン様がベル姉様と婚約してくださるのだとばかり思っていたので、もう何が何だか……」
「アルドは考えが顔に出やすい。詳細を教えるつもりはない」
頭を抱えて狼狽えるアルドに、ヨハンは同情しつつ冷たくあしらった。
落ち込んでいるくらいが丁度良い。
姉を後妻として娶られるのに浮き足立っていては怪しまれる。演技など出来ないのだから、可哀想だが少しだけ悶々としていてもらいたい。
「ええー。酷くないですか? ベル姉様を安心させてあげたいのに」
「ならば、一度で良いから俺に剣で勝ってみせろ。アルド。お前は次の手がすぐ顔に出る。表情を殺すことが出来るようにならないと無理だろうな」
「僕、これでも学園では一番強いのですよ。相手の裏をかくことだって出来るんですから!」
アルドは胸を張ってそう言った。
同年代でアルドに勝てる奴はいないだろう。
しかし、それは剣の技術と力によるものであって、裏をかいているわけではない。
「自惚れるな。それは相手が弱くて読みが甘いか、分かっていても速さで避けられないだけだ。安心しろ。――ベルティーナは…… 」
言いかけて恥ずかしくなったのか、ヨハンの言葉は尻すぼみに消えていった。
「へ? 今、何と仰いましたか?」
「こほんっ。ベルティーナに、来週迎えに行くと伝えておいてくれ。父の代わりに俺が行く。それから余計なことは絶対にロジエ領内で口にするなよ。何処で誰が聞き耳を立てているか分からないのだからな」
「分かりました。ベル姉様を俺のだって仰るくらいですから、信じます!」
「……なっ」
「では、失礼します」
アルドが深く一礼し執務室を出ると、ヨハンは溜め息混じりに呟いた。
「聞こえていたなら……聞き返すなよ」