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016 私の父

 応接室には、既に父の怒号が響いていました。


「相手がヨハンとは、どういうことかね? 契約書の文字がわざとらしく小さ過ぎて見間違えたのだよ。契約書を白紙に戻してくれ」


 マルセル様もヨハンも、そしてアルドもそれに淡々と耳を傾けています。私が部屋に通され、一番扉に近いヨハンの隣の端の席へ着くと、父はこちらを睨み口を開こうとしましたが、ヨハンの言葉に遮られました。


「ロジエ伯爵様。契約の際、確かにお読みになったと仰っていましたよね。見間違いで契約を白紙に出来るとでもお思いですか? 契約不履行として賠償金を請求しますよ」

「ヨハンっ。義理の父に対して何だその態度はっ!?」


 父はヨハンの毅然とした態度が気に障った様子で、私へ向けていた怒りをヨハンへと移しました。

 ヨハンはその敵意に対しても、無機質な表情で受け流しています。

 そして、場の空気を一変させるように、朗らかな笑い声がマルセル様から上がりました。


「はははっ。これは息子が失礼したな。己の常識に反する事を言われると、すぐに反発してしまうのだ。普段はもう少し婉曲的な言い方が得意なのだが、義理の息子になる故、ロジエ伯爵に甘えているのだよ」

「甘えだと? 金で脅して大切な娘を奪い取ろうとすることがか?」

「はい。そうです。お義父様に甘えているのです」


 ヨハンの笑顔に父は顔をひきつらせ狼狽えております。隣に座るアルドも同様ですが、ヨハンは笑顔のまま言葉を続けました。


「ところで今日は何のご用ですか? 白紙にすればロジエは破産されるでしょうから、ご冗談だったと受け取っておきます。ご不満な点を簡潔に述べて早々にお帰り願いたいので、仰っていただけますか? こちらの事情で申し訳ないのですが、父の体調を考慮しまして、なるべく短い時間でお願いしたいのですが?」

「な、……。ならば簡潔に言おう。私は娘をアーノルト辺境伯の後妻だと思い承諾したのだ。よって、周りに誤解されない為に、優遇措置をアルドの代まで引き伸ばした。それなのに、相手がヨハンだと言うのなら今すぐその優遇措置を発動してもらおう!」


 父は力強く言い切りました。

 私とヨハンの婚約については認めてくれるともとれる言葉に、少々驚きました。やはり、アーノルトから示された措置の内容について、父は満足しているのでしょう。


 ヨハンは笑顔を崩さず返答しました。

 

「何故ですか? アルドが爵位を継いでから実施した方が、アルドの地位も確立され、長い目でみても有益ですよ」

「しかし、今すぐ実施した方が、私の力でロジエ領を盛り立てることが出来るではないか。その上でアルドに引き継いだ方が、ロジエの為なのだ」

「……本当に、ロジエの為ですか? 只でさえ今代のロジエ伯爵が娘の縁談で愚行を働き、貴族の間ではいい笑い話にされていると言うのに。アルドの代で革新的な事を掲げることが出来なければ、ロジエは衰退しますよ」


 父はヨハンの言葉を受け、みるみる顔を赤くし、椅子から勢い良く立ち上がりました。


「何だとっ!? そうか。そっちがその気なら、ベルティーナは連れて帰る。ロジエ家から嫁が欲しいならカーティアを寄越してやる」

「ベルティーナを連れ帰ることも契約違反ですよ。花嫁修行の為、ベルティーナはアーノルトでお預かりする旨が契約書に書かれていますから」


 テーブルにおかれた契約書の一部分を指差し、ヨハンは父へ丁寧に説明しますが、虫眼鏡がなければただのゴマ粒にしか見えません。ヨハンはどこに何が書かれているのか把握している様子です。


「うるさいっ。そんなもの読めんっ。契約は白紙だっ」


 父が怒鳴りながら契約書を鷲掴みにしようとすると、隣に座るアルドが先に掠め取りました。


「父上。契約書を破損させると違約金が発生しますのでお止めください。それから、虫眼鏡を使いましたが、僕は全文読めましたよ。契約時に同行していたエイベルも全て承諾していましたし――」

「アルド。お前は誰の味方なのだっ。ロジエ家が馬鹿にされているのだぞ!」


 アルドは顔色を曇らせ、契約書をテーブルに置くと、そっと父の手を握りました。


「そうでしょうか。僕はアーノルト辺境伯様とヨハン様を支持いたします。ロジエにとって何が有益か、今一度、考えていただけませんか?」


 父は、ばつが悪そうにアルドの手を払いのけようとしましたが、アルドは悲しい眼で父を見つめ、決して手を離そうとはしませんでした。

 ヨハンはそんな二人を見て言いました。


「アルドが跡継ぎで良かったですね。そうでなければ、ロジエを契約違反で潰しているところでした。アーノルトとしては、それでも構わないのですよ。ロジエを破産させて、伯爵夫妻とあの妹は屋敷から追い出して、アルドはアーノルトの養子にもらいます。勿論ベルティーナとの結婚に、なんの変更もありません」

「そ、そんな事が……」

「出来ないとでも? ロジエの為に教養を身に付けてきたアルドが可哀想なので、円満な契約を結ばせていただいたのですが。まだ、ご理解いただけませんか?」


 いつの間にか、ヨハンの顔から笑顔が消えていました。

 父は怒りと羞恥心からか、拳を小刻みに震えさせ、その感情を爆発させかけた時、場の空気を和らげるが如くマルセル様の穏やかな声が部屋に響きました。


「ヨハン。いくら義父だと言っても甘えすぎだ。怯えていらっしゃるではないか。――ロジエ伯爵。息子がまた失礼なことをしたな。こちらとしてはこのままの契約で話を進めたいと思っている。しかし、それが出来ぬと言うのならば、先程ヨハンが言った通りの未来が待っていると――覚悟してくれ」


 マルセル様の優しい警告に、父は顔色を青くさせて俯きました。そんな父に、マルセル様は、ある提案をします。


「私ももう隠居の身。息子の背中を見守ることも中々楽しいぞ。そろそろ伯爵も隠居してはどうだ?」

「い、隠居だと……?」

「ああ。貴様の愚行で、ロジエがこれ以上周りから白い目を向けられる前に、アルドに引き継いだ方が良いだろう。アルドはまだ若いが、アーノルト家が支援することを約束しよう。お互い真面目で優秀な息子を持って幸せだな。式も私達に任せておきなさい」

「……っ。――し、失礼するっ」


 父が扉へと向かおうとすると、私と目が合いました。そして私の隣へ来て恨めしくか細い声で尋ねました。


「ベルティーナ。お前は知っていたのだな」

「私は……」

「後妻のフリをして父を欺き、さぞかし面白かっただろうな。女であっても、お前には期待していたのに……」

「えっ?」


 父の言葉を聞いて、私は耳を疑いました。

 後ろで心配そうに父の袖を掴むアルドも、驚いています。

 父は微かに笑みを浮かべて言葉を続けました。


「女など所詮、他貴族との繋がりを持つ為の道具に過ぎん。お前は、よい縁談を招く青い鳥だと思っていた。しかし、不出来な妹を見捨てて自分だけ幸せになろうとはな。傲慢な女だ。お前の顔など二度と見たくない」

「…………」


 心のどこかで分かっていた父の本心を目の当たりにし、私は言葉を失い俯きかけた時、背後から椅子が倒れる音が聞こえ、顔を上げると、私と父の間にはヨハンが立っていました。

 

「ロジエ伯爵。ベルティーナは道具じゃない。訂正しろ」

「うるさいっ。こんな娘が欲しいならくれてやるっ。そうだ。私は隠居するのであったな。ああ、身体の具合が悪くて仕方ない。私は式には出られん。父親も祝いに来ない花嫁なんぞ見たことがないな。精々、恥をかくといい」

「貴様っ。いい加減にしろっ。お前がこの世に存在する限り、ロジエの発展はない!」


 父の胸ぐらに掴みかかったヨハンを見て、私は反射的に立ち上がり、彼を止めました。


「ヨハン。止めてください。父が失礼いたしました」

「ベルティーナ。それは君が謝ることではない」


 ヨハンはそう言ってくれましたが、目の前の人は、紛れもなく私の父です。私は怒りに染まる父の瞳を見つめ返しました。


「いいえ。この方は私の父なのですから。――お父様。今まで育てていただきありがとうございました。不出来な娘で申し訳ございません。私は父の見えぬところで、道具としてではなく、人として幸せになりたく存じます。どうぞ、今後はロジエの名を貶めることなく、ご自身のお身体を第一に考え、静かにご療養くださいませ」

「……っ」


 父は何か言い返そうとしましたが、アルドに腕を引かれて言葉をつぐみました。


「父上。帰りますよ。アーノルト辺境伯様。ヨハン様。お騒がせして申し訳ありませんでした。ベル姉様をよろしくお願いいたします。失礼します」




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― 新着の感想 ―
[一言] あ〜。妹が不出来なのは理解してたんだ〜。 他のこの手の話だと理解してない親が多い中(笑)なかなか出来た人じゃないか!(笑) ま、道具たしか見てない点は同じかな〜。
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