015 招待状
ベル姉様がアーノルト家に囲われてから早三週間。
日に日に顔色が良くなっていくベル姉様に僕は満足している。
ヨハン様も機嫌が良く、稽古もつけてくれるし、辺境伯様のご病気がただの腰痛だった事も身内の特権で教えてもらえたし、良いこと尽くしだったのだけれど――。
学園から帰ってくると、執務室に呼ばれた。
扉を開け、まず視界に飛び込んできたのは床に散らばった書類。それから、書類を握り締め、真っ赤な顔でソファーにふんぞり返って座っている父の姿だった。
「アルドっ! お前は知っていたのか!?」
父がテーブルに叩きつけたのは結婚式の招待状だった。それにはロジエ家に届いたものとは違い、姉とヨハン様の名前が記載されていた。
人様の招待状をぐちゃぐちゃにしたのか。僕は溜め息が溢れそうになったけれど何とか飲み込んだ。
「グライン伯爵の家には、こんな招待状が届いたそうだぞ!」
「はい。先日父上からお預かりしました契約書にも、そう記載されておりました」
「な、何だと!? エイベルっ。エイベルを呼べっ」
父が呼びつけると、エイベルは契約書を持ってすぐに現れた。
多分、廊下で待っていたんだろうな。
来るのが早すぎるよ。
「旦那様。契約書はこちらです。こちらを紛失もしくは消失されますと、違約金が発生いたしますので、お取り扱いにはお気をつけくださいませ」
「うるさいっ。早く寄越せっ!」
父はエイベルから契約書と虫眼鏡を奪い取ると、読み始めて直ぐに舌打ちした。そして違約金に関する文面へ移行したのか、顔色がどんどん青白くなっていく。
内容を読んで大人しく理解を示してくれればいいんだけれどな。
「父上。契約を結んでいただきありがとうございます。このような契約内容を取り付けることが出来たのは、父上の手腕のお陰です。この契約によって、今後のロジエの発展は約束されたようなものなのですから」
「はっ。こんな契約を結んだのは、相手が死にかけの辺境伯だと思ったからだ。それがヨハンだと言うのなら、この契約に書かれた優遇措置を今すぐに執り行うべきだ! そうだろう!?」
父は当たり前の権利を主張していると言った顔で僕に同意を求めた。
だからさ。契約書を読んでよ。
「それは如何なものでしょうか。契約書にもう一度目を通していただいて――」
「明日、アーノルトへ行く。ここまで馬鹿にされて黙っておられるかっ。もし要求に応じないなら、ベルティーナを連れ帰ってくる」
「そんな事をしたら、婚約を破棄することに為り兼ねませんよ」
「知ったものかっ!? こんな小さな文字で私を欺きおって。私の要望をはね除けようものなら、契約を白紙に戻させてやるっ」
そんなこと出来る筈ない。
ヨハン様、怒るだろうな。
でも、式で騒がれるよりは、前もって黙らせておいた方が都合が良いとも言っていたな。
「父上。僕もお供致します」
「そうだな。明日、アーノルト辺境伯に必ず謝罪させてやろう」
謝罪するのは父の方になるだろうけれど、僕はこの人の息子として、最後まで見届けようと心に決めた。
◇◇
アーノルト家の朝はとても早く、日の出と共にマルセル様は目を覚まします。
ですので、私も日の出と共に起床することにしました。寝惚け眼のマールに支度を手伝ってもらい、マルセル様の部屋を訪ね、二人で散歩へ出掛けるのが日課でございます。
今までマルセル様は、また腰を痛めて迷惑をかけてはいけないと思い、執務中心の生活を送っていたそうです。しかし、それでは心労が溜まり、我慢の限界が来る度に軽い運動をして腰を痛めてしまう、ということを繰り返していました。
毎日の適度な運動、そして執務を減らすことを助言したところ、以前よりも腰の調子が良いと喜んでおられます。
「いやぁ。ベルティーナのお陰で、訓練にも復帰できそうな程だよ」
「それは……賛成致しかねます」
「そうか?」
マルセル様は残念そうに肩をすくめました。
一度訓練を見学させていただきましたが、あれをご高齢のマルセル様がされるのは許容範囲外だと判断しました。
本人の意向も大切ですが、散歩や素振りくらいが丁度良いのではないかと、ヨハンと相談したばかりです。
そろそろ本館を一周し終えるところです。
この後、東館の庭園を散歩します。
それが毎日の散歩コースです。
私よりも少し早いマルセル様の歩調も大分慣れてきたところですが、ここからもっと歩調の早い方が加わります。
「ヨハン。おはようこざいます」
「だから。部屋に起こしに来てくれと何度言えば……」
本館から飛び出してきた寝起きのヨハンは、とても不満そうです。
ですが、マルセル様の執務を減らした分は勿論ヨハンが担っています。それに加え結婚式の準備や領内の仕事もほとんどヨハンがこなしているので、朝くらいもう少し寝ていても良いのです。むしろしっかり寝て休んで欲しいのです。
「ヨハン。朝くらい自分で起きろ。ベルティーナはお前を想って起こさないでいるのに。全く、ヤキモチ妬きは困るなぁ」
「…………」
このように、仲の良い親子の様子を毎朝楽しんでいます。
朝食の後、シエラの勉強をみようと、シエラとマールと三人で東館へ移動しようとした時、ロジエから馬車が到着したとの知らせを受けました。
今日は学園が休みなので、アルドが来てもおかしくない時間ではありますが、いつもアルドは従者と二人で馬に乗って騎士団の訓練に来ますので、様子が違います。
執事は気まずそうに言いました。
「アルド様と、それからロジエ伯爵もご一緒にお見えです。ベルティーナ様のお相手がヨハン様だと分かり、いらしたご様子です」
「父は、今どちらですか?」
「応接室にご案内しております」
「ベルお義姉様は行かないでください。お父様とお兄様に任せておけばいいですわ」
「いいえ。私も行くわ。父も私を呼んでいますよね」
執事はシエラに睨まれながらも、ゆっくりと頷きました。
シエラは私の腕に両手を絡め離そうとしません。
私を心配してくれているのでしょう。
私はシエラの頭を、そっと撫でました。
「シエラ。大丈夫です。ヨハンとアーノルト辺境伯様もご一緒ですから。それにこれは避けられないことなのです。ロジエ伯爵は、私の父なのですから」
「でも……。ごめんなさい。私が間違っていたわ。ベルお義姉様。お話し合いが終わったら、勉強をみていただけますか? 私、部屋で待っていますから」
シエラの前で不安な顔を見せまいと何とか笑顔を貫きましたが、私の手は微かに震えています。ですが、シエラが待っていてくれると言ってくれた事が嬉しく、勇気が持てました。
「ええ。勿論よ。すぐに終わらせてシエラのところへいくから、待っていてね」
「はい! ベルお義姉様!」




