011 二年前のあの日
部屋に訪ねてきてくれたヨハンは、先程よりもご機嫌な様子でした。
卒業の時のダンスパーティーを思い出します。
ヨハンは、あの日私の手を握ってくれた時と同じ顔をしています。ちょっと強がっていて緊張して、でも嬉しそうな、そんな顔がとても懐かしいです。
「ベルティーナ。シエラが迷惑をかけたな」
「いいえ。あの……ヨハン。アルドの無理なお願いを聞いてくださり、そして、アーノルト辺境伯様にもお力添えいただき、感謝申し上げます。私はヨハンに酷いことをしてしまったのに……」
「ベルティーナ。その事は――後で話そう。それから、話し方……普通でいいから。敷地内を案内するよ。ついて来てくれ」
ヨハンは私達をじーっと見つめるマールをチラッと見やると、言葉を濁し私の手を引きました。
そして部屋を出る際、急に立ち止まり振り返って一言発しました。
「マールは、ついて来なくていいからな」
「えー。あ、はい。畏まりました!」
一瞬嫌そうな顔をしたマールですが、すぐに笑顔を作り私達を送り出してくれました。廊下へ出るとヨハンはマールがついてきていないことを確認し、歩きながら小声で言いました。
「ワンピース、似合っている」
「えっ。あ、ありがとう。お洋服もお部屋も用意してくれて。それから――」
「あ、隣が俺の部屋だから。何か困ったらすぐに来てくれ」
「え、ええ。分かったわ」
私の部屋の左側の部屋がヨハンの部屋のようです。
マルセル様の自室かと思っていたので、少しだけ驚きました。
◇◇
私達がいたお屋敷は本館で、執務室や応接室、それから大広間などを巡り、今は外へ出て敷地内を案内してもらっています。
シエラのお部屋は東側の別館で、以前はフィエラ様も一緒に住んでいたそうです。
西側には使用人の住まいと、塀の向こうは私兵達の宿舎と訓練施設があるそうです。
あの塀の向こうで、アルドは訓練に明け暮れていたのでしょう。
ヨハンと一緒にいると、まるで学生の頃に戻ったようで気持ちがとても軽くなりました。
「アルドも明日から訓練に復帰する。いつでも会えるぞ。急に住まいを移って苦労するかもしれないが、アーノルト家の者に言い辛ければ、アルドに言ってもらっても構わない」
「はい。ご配慮いただきありがとうございます」
「だから、そんな言い方しなくていいから」
ヨハンが少し呆れたような笑顔を私へ向けます。
困らせるつもりは無いのですが、どうしても言葉を交わそうとすると敬語になってしまいます。
「ですが、ヨハンは昔よりも成長していて、もう立派な辺境伯様のように見えるのです」
「まだ爵位も継いでいない。俺は父上の足元にも及ばないよ」
「そんな事――。私、ヨハンのお父様に精一杯尽くします。このご恩を返すためにも、貴方のためにも。ねぇ。お父様はどんなご病気なのかしら。出来れば教えて欲しいわ」
「……うん。あっちで話そうか」
ヨハンは本館と別館を繋ぐ中庭を指差しました。
赤や白、それからピンクの薔薇が咲き誇る素敵な庭園です。その中央に佇むガゼボでお話しすることになりました。
ヨハンは何から話そうか思案しているのか、少し悩んでから口を開きました。
「父は……腰を痛めているだけなんだ。部下の手前、重病人ぶっているだけなんだ。まぁ、腰を動かしちゃいけない時期もあるから、安静にしなきゃいけないのは本当なんだけど」
「まぁ。本当に?」
「ああ。だから、命に関わるものではないし。たぶんまだまだ長生きするな。余生が少ないみたいに言っていたのは、ベルティーナを嫁にもらう為に、ひと芝居してくれていただけなんだ」
なんとお優しい人達なのでしょう。
困ったように笑顔を見せるヨハンを前に、私は涙を溢れさせてしまいました。
マルセル様のご病気も重いものではないと分かりホッとしましたが、そんなのんびりしている場合ではありません。
「今すぐ、マルセル様にお礼を……」
「それは後でいい。二人で行こう。それに、これはアルドの頼みだから、ベルティーナひとりで背負うことではないよ。父も君を見て一目で気に入ったようだから、適当にあしらっておけばいい」
「そ、そんなの駄目よ。私……ヨハンにも、ちゃんと謝っていないのに、こんなに良くしていただいて……」
「ベルティーナは何も悪くないよ。アルドから、君の縁談が妹に回されている事を聞いた。それは……俺の時もだったんだろ? あの時、一方的に責めてしまって、本当に申し訳なかった」
ヨハンは私に深く頭を下げました。
彼は何も悪くないのに。
むしろ私が傷つけてしまっただけなのに。
「私が悪いのよ。ヨハンは私に会いに来てくれて、気持ちを伝えてくれたのに、……何も言えなくて。本当にごめんなさい」
「謝らないでくれ。……もし話せるなら、あの日なにがあったのか、教えてくれるか?」
「ええ。私の両親は、妹の婚約者を先に決めたがっていたの」
私は二年前の記憶を辿り、あの日の事をヨハンに話すことにしました。
◇◇
二年前。やっと両親が私の婚約にやる気を見せ始め、最初の縁談のお相手はヨハンでした。
私はそれが嬉しくて、ドレスも新しく新調しました。でも、私が新しいドレスを仕立てる様子を見ると、妹も新しいドレスを欲しがり、両親は妹の分もドレスを注文しました。
この時は、特に何も考えていませんでしたが、両家の顔合わせの日に、妹はドレスを着込んで私に言ったのです。
「ベルお姉様。今日の婚約ですけれど、私が行ってきますわ。お父様もお母様もそれでいいって仰ってますから」
「な、何を言っているの?」
「だって、隣の領地だったら近くて便利でしょ。病弱な私も、すぐに両親に会えるし最高じゃない。それに、婚約なんてどうせ政略結婚なのよ。向こうはロジエ家と繋がりが欲しいだけなのだから、娘なんてどっちでも同じでしょう?」
常識外の言葉を並べられて、私は理解が追い付きませんでした。ですが、今回のお相手はヨハンです。ロジエよりも家格は上であり、彼ならもっと格式高い令嬢と婚姻を結ぶことも可能でしょう。
ただの政略結婚として申し込んできた訳ではない筈です。
「でも、ヨハンは違うわ」
「ええっ!? もしかしてお姉様、ヨハン様の事をお慕いしてらっしゃるの? なら、尚更やめた方がいいわ。好きな人と結婚すると、いいように使われて損するだけよ。ただ自分に好意を寄せてくれている男性を選んだ方が、絶対に得するんだから」
「そんな事……」
妹が自信満々に言い切ると、支度を終えた母が現れました。
「ベルティーナ。カーティアから話は聞いたかしら?」
「お母様。この縁談は私に来たお話です。どうか私に」
「あら。思い上がりもいいところね。貴女は長女だから名前が書かれているだけよ。先方はロジエ家と縁を持ちたいの。勘違いしないで」
母は厳しく言い付けました。その瞬間、私は目眩に襲われました。
母も妹と同じ考えだったのです。
「そんな……」
「私の姉もそうだったわ。私がお慕いしていた人だったのに、姉だからってだけで婚約者に選ばれていたわ。カーティアには、そんな思いはさせたくないのよ」
気だるそうに言い切り、母は冷たい視線を私へ向けています。私は震える唇を開き、母に尋ねました。
「では、私なら、お母様と同じ思いをしても良いのですか?」
「え? あらぁ。そう。ヨハンが好きなの?――それなら尚更、良いと思うわ。私も姉に仕返しできたみたいで嬉しいもの」
そこまで話した時、隣からメキッという木が軋むような音が聞こえてきました。ヨハンへ目を向けると、ガゼボの手すりに彼の指がめり込んでいます。
「よ、ヨハン?」
「あ? ぁあ。すまない。続けてくれ」
一瞬だけ殺気の満ちた声が漏れてきたような気がしましたが、目が合うと空色の瞳は光を取り戻したので、話を続けることにしました。




