05
「ですが旦那様……!」
「あんな我儘娘など放っておけ」
翌朝。
カタリーナたちが食堂へ向かおうとすると、前方から何か言い争うような声が聞こえてきた。
「どうなさったのですか」
気配を感じてこちらを見た伯爵夫婦にヨハンが声をかけた。
「ああ、朝から騒がしくて申し訳ない。実はビアンカが家出をしたようで」
「家出?!」
「……部屋に書き置きが残っていたんです」
夫人が手にしていた手紙を差し出した。
「――『私はこの家にいなくてもいい存在なんだから好きにさせてもらいます』ですか……」
受け取った手紙を読んでヨハンは顔を上げた。
「それで、本当に出ていったのですか」
「ええ。転移魔法陣を使った形跡がありましたので……」
「まったく、後継を決める大事な時に。本当にあの娘は自分のことばかりだ」
伯爵は大きくため息をついた。
「旦那様、人を出して探しに……」
「その必要はない」
「ですが」
「どうせすぐ戻ってくる」
そう言い残すと伯爵は足早に立ち去っていった。
「――お見苦しい所を見せてしまい申し訳ございません」
残された夫人はカタリーナたちに頭を下げた。
「いえ……」
「……夫も心配はしているのですが。それを表に出すのが苦手なものですから」
そう言って伯爵が立ち去った方へと視線を送る。
「娘の扱い方が分からないようで……」
「ああ、そうなんですね」
「本当にビアンカ様を探さないでよろしいのでしょうか」
「……転移魔法陣で行かれる場所は顔見知りも多いですし。我儘は言うけれど良い子ですから、無茶はしないと思います」
そう答えると、夫人もその場を立ち去っていった。
「あれ? ビアンカ?」
モンテール港の波止場で独り、座り込んでぼんやりと海を見つめているビアンカの姿に気づいてダンは立ち止まった。
「――おはよう」
「どうしたの、こんな所で」
「家出してきたの」
「は?」
「だって私はいらない存在なんだもの」
「……何かあったの?」
ビアンカの脇に置かれた大きな鞄を横目に隣に腰を下ろしたダンに、ビアンカはこれまでのことを話した。
「ふうん。でも領主様もビアンカのこと、いらないとは思ってないと思うけど」
「政略結婚には使えるからね」
「そういう訳では……」
「もういいの。もうあの家には帰らないから」
「……貴族をやめるの?」
「そうなるわね」
「家を出てどうするの」
「そうねえ。どこかで働かせてもらおうかな」
「――あのさビアンカ」
海を見つめてダンは口を開いた。
「俺、隣国へ行くんだ」
「え?」
「父親の下で向こうの管理事務所で働くことになった」
「え……船には乗らないの?」
「人手不足らしくてね。またそのうち船には乗るつもりだけど」
ダンは父親と一緒に、何艘もの商船を持つ大きな商会で働いている。
父親は元々船長を務めていたが、怪我をして船を降り、今は最大の取引先である隣国の港にある管理事務所の責任者を務めていると聞いていた。
「そうなの……いつから行くの?」
「……今日」
「今日?!」
「その前にビアンカに会えればと思っていたんだけど。良かった」
ダンはビアンカの顔を覗き込んだ。
「ビアンカも一緒に行く?」
「……え?」
「最低でも二年は向こうにいるから。もし一緒になりたい相手がいるなら連れて来ていいって言われてるんだ」
「一緒に……なりたいって……」
思いがけない言葉にビアンカの目が見開かれた。
「――ビアンカは領主様の娘で、身分が違うからって諦めていたけど。貴族をやめるんだろう? だったら俺と結婚もできるよな」
「え、結婚って、私たちそういう関係では……」
ダンとは幼馴染で、身分は違うけれど仲の良い友人だと思っていた。
「分かってる。すぐに結婚しようとは言わないよ。でも、二年後帰ってきてもビアンカと再会できるか分からないだろう」
ダンはビアンカの手を握りしめた。
「一緒に隣国に行って、向こうで俺とのことを考えて欲しい」
「ダン……」
真剣な顔で自分を見つめるダンをビアンカは見つめ返した。
ダンは思いつきや冗談でそんなことを言うような人間ではない。
――これまで態度に出さなかっただけで、本当にビアンカのことをそう考えていたのだろう。
「結婚のことは置いておいても。家出するんだろう? だったらいっそ国を出てしまうのも悪くないんじゃないかな」
「……それは……そうかも」
「向こうの国もいい所だよ。事務所のある港はビアンカが好きなオマールエビが名産なんだ」
「もしかしてラディ港?」
「そう」
「行きたい!」
ビアンカは目を輝かせた。
「俺よりエビかよ、まあいいけど」
ダンは苦笑した。
「ビアンカのそういう所に惚れたしな」
「――惚れ……」
ダンは立ち上がると、顔を赤くしたビアンカに手を差し出した。
「どうする? 行く?」
「……そうね、ここの港の人たちは私のこと知ってるし。どうせだったら誰も知らない所に行こうかな」
「ああ、それがいいって」
差し出された手を取り、ビアンカも立ち上がった。
「荷物はそれで全部?」
「ええ」
「家に伝言とかはしておく?」
「――ううん、いいわ。家出だもの」
「そうか」
手を繋いだまま、二人は桟橋へと向かって歩き出した。




