09
「大丈夫ですか」
並んで台所に立ち、湯を沸かしながらカタリーナはディアナに尋ねた。
「え?」
「突然色々なことが起きて、混乱していますよね」
「――あ……はい」
こくりとディアナは頷いた。
「本当のことなのか……まだ信じられなくて」
森の中に母親と二人、息を潜むように生きていた。
そんな自分の父親が国王だということ。
そして森で倒れていた男性が、実は人間ではなくこの国を守る聖竜で、その力が失われ危機的な状況であるということ。
それらは俄かに信じられるものではない。
――確かに、王子と自分はよく似ているけれど。
ディアナはちらと隣に立つカタリーナを見た。
最初薮の中から見た時は茶髪の普通の少女だったが、今は魔法によって変えていた外見を戻している。
輝くような金髪に白くきめ細やかな肌のとても美しい少女だ。
その王子の婚約者で侯爵令嬢だというカタリーナは『深窓の令嬢』というべき存在なのだろうが、なぜか慣れた手つきで自ら鍋を用意しお湯を沸かし、パンを蒸している。
一人ではないとはいえ、こんな荒れた森にやってくるのも不思議だ。
「私の家の方針で、学園が休みの時はギルドで冒険者をやっているんです」
そんなディアナの疑問が伝わったのか、カタリーナはディアナを見てそう言った。
「え?」
「ハインツ殿下と婚約してからは薬草採取だけですが。それで、冒険者なら食事くらい自分で用意できないとと簡単な料理なら作れるんです」
ギルドへ行くときに持っていくお弁当は屋敷の料理長が作ってくれるが、時々ギルド近くの小屋でフリードリヒと二人で料理を作ることもある。
――料理と言っても簡単なスープや肉を焼くくらいだが、それでも台所に入ることすらない貴族からすればかなり異例だ。
「そうなんですか……」
「だから割と庶民の生活にも慣れています。殿下はそういう世界を全く知らないので、きっと今とてもショックを受けていると思います」
「ショック……ですか」
「お姉様がこんなところに住んでいるのかと。確かに食糧はありませんが、この家自体は多くの庶民が住む家とそう変わらないんですけれどね」
カタリーナはギルドや知り合いの冒険者に頼まれて、直接病人を見ることもある。
だからディアナの家のような、あるいはもっと粗末な家に触れる機会があるのだが、貴族の世界しか知らないハインツにとっては未知の世界なのだろう。
この家に来てから彼の顔色が良くないことに気づいていた。
彼にとってこのような場所で暮らすことは想像もできないに違いない。
「……やっぱり、住む世界が違いますよね」
ディアナは自嘲するような笑みをもらした。
「父親が国王だと言われても……私は貧しい庶民ですから。できれば、殿下たちとは関わらずに生きていきたいです」
もしも王宮に来いと言われても、そのような場所で生きていける気がしない。
――何よりそこには王の正妻である王妃がいるのだ。
侍女の産んだ子など、見たくもないだろう。
「そうですね……ここに今後も住むのは難しいでしょうが、でもこの土地から離れずにはいられると思います」
「本当ですか」
「はい。何せディアナ様は『特別』な方ですから」
「特別?」
「ええ」
にっこりとカタリーナは笑顔で頷いた。
「美味しい……」
蒸して柔らかくなった、淡い色のパンは温かくて優しい味がした。
(柔らかいパンなんて……初めて)
ディアナが手に入れられるのは黒くて硬い、酸味があるパンで、それすらここしばらくは食べていなかった。
「薬草入りというから苦いのかと思いましたが、香りがいいですね。とても美味しいです」
食べながらヨハンが言った。
「すごいな、食べる側から体力が回復していく」
感心したようなハインツの言葉に、ディアナも意識してみた。
(確かに……力が湧いてくるみたい)
温かな、熱のようなものが腹の奥から身体中に満ちていくようだ。
それと共に浄化されるような、心がすうっとする心地良い感覚も覚える。
「この薬草パンは料理長と工夫しながら作ったんです」
皆に褒められて、少し照れ臭そうな顔でカタリーナは言った。
美味しくなるよう工夫したとはいえ、やはり薬草は苦味がある。
アルムスター家の家族は食べ慣れているが、初めて食べるハインツたちの口に合うか正直不安だったのだが、皆の表情を見る限り味に問題はないようだ。
「このパンは……聖獣も食べられるのですか」
ディアナはカタリーナの足元でパンを頬張っている聖狼へ視線を落とした。
体力や魔力が回復するのならば、もしかしたら……。
「聖獣は人間の作ったものは食べぬ。これはカタリーナの魔力が込められているから私なら食べられる」
ディアナの心を読んだようにリーコスが答えた。
「……そうですか」
「そもそも聖獣は食べなくとも困らぬ。ドラコーンも……」
ふいにリーコスは立ち上がった。
「プティノが来る」
言葉と同時に室内が赤い光に満たされた。




