06
(困ったわ……)
茂みに身を潜めたディアナは小さく息を吐いた。
葉の間から伺う先には、こちらに狙いを定めた二つの赤い目が光っていた。
(こんな所に魔獣がいるなんて)
これまでこの森で魔獣を見かけたことなどなかったのに。
犬のような見た目と大きさの魔獣だった。
人間に気づいているのに襲ってこないのは、ディアナが潜めている藪に生えているのが魔獣避けの効果がある植物だからだ。
つまり、この藪から出ればすぐに襲われてしまうだろう。
ナイフは持っているが、こんな小さな刃では魔獣と戦ったことのない身を守れる気がしない。
魔法も多少は出来るが、家事に役立てる程度で攻撃魔法など使ったことがない。
——魔獣が諦めるまで待つか、それとも……隙をついて逃げるか……。
迷っていると別の方向からガサリ、と音が聞こえた。
(うそ……でしょ)
視線を送ると別の魔獣の姿が見えた。
その魔獣もやはりディアナの存在に気づいているようで、こちらへゆっくりと向かってくる。
二体の魔獣に挟まれてしまっては逃げようがない。
(どうしよう)
絶望的な気持ちに襲われる。
こんな草原の片隅の森に人間が来ることは滅多にない。
……だからこそ、この森に住んでいるのだが。
たとえここで魔獣に襲われて死んでも、どうせ独りで生きている身、大した問題はないのかもしれないけれど。
——ふと頭に青髪の男の姿がよぎる。
自分が死んだら……彼はどうなるだろう。
食事も取らずに淡々とあのベッドの上で横になってるような気もするけれど。
それでも……彼を独り残す訳にはいかない。
(どうする? 強行突破? でも……)
走って逃げられるはずもない。
やはり諦めるまで待つしかないのか。
(でもまた増えたら……ああもう、どうしたら)
ぐるぐると思考が回りだしたその時、更に別の足音が聞こえた。
また魔獣かと思い身体を強張らせたディアナの耳に、空気を切る音と鈍い音、そして唸り声が聞こえた。
「もう一頭!」
男の声と共に、再び肉を切るような音が響いた。
「お見事ですね」
魔獣を斬った剣を鞘にしまうハインツにヨハンが声をかけた。
「初めてとは思えません」
「フリードリヒの指導のおかげだな」
フリューア領に行った時は遭わなかったが、今後魔獣に遭遇することもあるだろうと出立前にフリードリヒに魔獣との戦い方を学んだのだ。
――本当にすぐ遭遇することになるとは思わなかったが、事前に心得などを知っていたおかげで冷静に対峙することができた。
「大丈夫ですか?」
魔獣が息絶えているのを確認すると、カタリーナは傍の茂みへ向かって声をかけた。
思いがけない女性の声に、ディアナははっとして頭を上げた。
ディアナと視線を合わせたカタリーナは、一瞬驚いたように目を見開いた。
「……あ……はい」
「——ここはサンセベルーが生えているのね」
ディアナから視線を逸らすと、カタリーナは藪を見渡した。
「サンセベルー?」
「魔獣が嫌う植物です。加工して作った魔獣避けは旅人に人気があります」
ハインツに答えて、カタリーナは何枚かその葉をちぎり取った。
葉を手の中に握りしめると意識を集中し魔力を注ぎ込む。
やがて手を開くと、中から三粒の黒い小さな玉が現れた。
「今度魔獣に遭遇した時はこれを投げつけて下さい。さっきの大きさくらいの魔獣なら逃げますから」
カタリーナは作った玉をディアナに差し出した。
「———え……あ……」
突然の出来事に、戸惑いながらもディアナはその玉を受け取った。
……悪い人達ではなさそうだ。
そう判断してディアナはフードを深く被り直すと藪から出た。
「……ありがとうございます」
「君はこの辺りの人?」
頭を下げたディアナにヨハンが尋ねた。
「……はい」
「私たちは教会の任務で人探しをしているんだ。最近この辺りで見慣れない男性を見た事はない?」
ディアナの脳裏に青髪の男の顔が浮かんだ。
——この人達は何者なのだろう。
ディアナは三人を見渡した。
人探しをしていると言った男性は穏やかそうな顔の、二十代だろうか。
残りの男女は十代後半くらいだろう。
どちらも冒険者のような格好をしているが……その口調といい、どこか品があるように感じられる。
「男性……ですか」
「多分ね」
「多分……?」
「もしかしたら人じゃないかも?」
ヨハンは首を捻った。
「人間か、小さくなった……トカゲとか?」
「トカゲ……?」
探している相手が人間かトカゲとは、どういう意味だろう。
悪い人たちではなさそうだけれど……怪しい。
「もう一人の連れが知ってるんだけど。心当たりはない?」
「……え……と」
あるといえばある。
家にいる青髪の彼。
トカゲではないけれど……ほとんど食事を取らない所など、人間離れした所はある。
でも……彼のことを教えてもいいものなのか。
何故彼を教会が探しているのか……それは彼にとって良いことなのか、悪いことなのか。
「——うーん、上手く説明できないのが難しいな……」
「リーコスが来るまで待つか?」
ヨハンとハインツが顔を見合わせた側でカタリーナは迷っていた。
リーコスの加護を受けて以来、自分の能力が変化していくのを日々感じていた。
薬を作るのも、以前は煮るなどの工程が必要だったのが、最近は魔力を直接注ぐだけで思う通りの薬が作れるようになっていた。
そして、リーコスと同じ能力の一つも備わったようだった。
カタリーナは魔獣に襲われそうになっていた女性を見た。
今は深くフードを被り顔が見えないが、先刻藪に隠れていたのを覗き見た時にその顔をはっきりと見た。
顔立ちにも特徴は現れていたが……彼女と目が合った瞬間、分かってしまったのだ。
リーコスたち聖獣が、見えると言ったその繋がりのようなものを。
カタリーナは視線をハインツへと移した。
——どうしてこんな場所に、彼女がいるのか、その理由も想像がつかなくはないけれど。
だがそれを伝えていいものか……それは彼女や、ハインツにとって良いことなのか。
そもそも彼女は、自身の『血筋』を知っているのか。
「カタリーナ?」
視線を感じたハインツがこちらを見た。
「どうした」
「いえ……あ」
首を振ろうとすると、リーコスが側に来る気配を感じた。




