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「お疲れ様でした」
ソファに身を沈め、従者のランベルトが差し出したティーカップを手に取り、一口飲む。
馴染んだ香りと味が喉を通り抜けていくのを感じながらハインツはふう、と息を吐いた。
プティノと出会った翌日。
転移魔法陣がある王家直轄領まで馬車で移動し、王宮に戻ったのはもう夜中に近い頃だった。
王都へ連れてきたルドルフは、今夜は教会で預かるとヨハンが連れて帰った。
明日改めて国王へ報告に来るという。
カタリーナも家へ戻るはずだったが、王妃が現れて『話したいことがあるから泊まって行きなさい』と有無を言わせず連れて行ってしまった。
さすがにこの時間から国王への報告はしなくてもよいだろうと、ハインツもまっすぐ自室へ戻ってきたのだ。
「いかがでしたか」
「聖鳥の無事と加護を得たのは良かったが……新しい問題も出てきた」
「新しい問題?」
「次は聖竜に会いに行かなければならない」
「聖竜……確かウィバリー領ですね、東部の」
「ああ」
「殿下も行かれるのですか?」
「カタリーナが行くならば私も行く。それにこれは国に関わる事態だからな」
「ふむ、カタリーナ様の方が先なんですね」
「なんだ」
にやけた顔の侍従を睨む。
「いえ。実は殿下の不在中に一悶着ありまして」
「一悶着?」
「陛下がおっしゃったんです、殿下たちの婚約者を交換したらどうかと」
「は?」
思いもよらない言葉にハインツは思わず大きな声をあげた。
「それは……カタリーナを兄上の婚約者にすると?」
「他国の姫よりも、聖獣の加護を受けたカタリーナ様の方が王太子妃にふさわしいのではないか、と」
「……それで」
「即刻宰相に却下されました、隣国と問題を起こす気かと」
「だろうな」
未来の王妃である王太子妃と、ゆくゆくは公爵位を授かり臣下に降る予定の第二王子妃とでは権力も扱いも大きな差がある。
国益のための結婚が争いの火種となってしまったら意味がない。
「それと王妃様がお怒りになりまして。『まだそうやって女を政治の道具としてしか見ていないのか』と」
「ああ……」
「それきり王妃様に目も合わせてもらえず、陛下は今ひどく落ち込んでいます」
はあ、とハインツは大きく息を吐いた。
——帰ってきた時に王妃がカタリーナを連れていったのもそれが理由か。
おそらく今頃は彼女に王への不満をぶちまけているのだろう。
ハインツが生まれる前、王の女性問題が原因で王妃との仲は最悪だったという。
王妃とは政略結婚なのだから別に好きな相手を侍らせて何が悪い——というのが当時の王の主張だったらしい。
確かに王族の結婚は基本、政略結婚だ。
だが、それでも相手を尊重しなければならないはずだ。
「まったく父上は……」
「ちなみにコルネリウス殿下もまんざらではなさそうでしたね」
「は?」
「まあ、一回しか会った事のない他国の姫君よりも、よく顔を合わせるカタリーナ様の方が好感度は高いですよね、美人だし、性格も良いし、それに……」
ハインツがものすごい顔で睨んでいるのに気づき、ランベルトは慌てて口を噤んだ。
「兄上も兄上だな」
「——お言葉ですがハインツ殿下」
に、とランベルトは口角を上げた。
「殿下も以前ならばそれでも構わないと思われたのでは? 今はすっかりカタリーナ様に心を奪われているようですが」
従者とは思えない遠慮のない言葉にハインツは眉をひそめた。
彼の言葉は不敬だが——だが、確かにその通りだった。
王子として、結婚相手を選べないことは幼い頃から受け入れていた。
自分の相手と選ばれたカタリーナは見目も良く、性格は穏やかで頭も良い。
お妃教育も文句ひとつなく学び、教師達からの評判も良い。
結婚相手としては申し分がないと思っていた。
だが、ただそれだけだった。
他の令嬢よりは情があるが……それでも恋とか愛とか、そういう感情を抱いたことがなかった。
それはカタリーナも同様だったようで、二人は淡々と最低限の交流を務めるだけだった。
そんな二人の関係を危惧した両親、特に母親である王妃からハインツは叱責された。
その時に過去の国王の行いについて延々と語られたのだが……息子の前で、妻から女遊びの顛末を暴露され、見る間に顔を青ざめさせていく父親の姿はあまりにも居た堪れず、こういう夫婦になってはならないとハインツに決意させた。
——だがこれまで女性の気を引くなどという経験がなかったハインツにはどうしたらカタリーナと心を通わせれば良いのか分からず、安易にランベルトの助言に乗ってしまい悪い結果を引き起こし、更に母からの叱責を受けることとなった。
あれは本当に失敗したとハインツはつくづく思った。




