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魔王の娘、今は奴隷  作者:
第一章:『魔王の娘』エメ
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四:過去と未来を憂う

 治癒がすべて終わったエメの姿に、ルルゥとサータシャは思わず言葉を失った。

 その麗しさと可憐さを王国中から讃えられ、数々の詩歌に(うた)われること()まぬ夜妖精族(ダークエルフ)妖精族(エルフ)——ふたりの目から見ても、エメの美しさは驚嘆そのものであったのだ。


 その白い肌は、体温で溶ける寸前の淡雪のごとく。

 その紅い瞳は、水晶で閉じ込めた紅山慈姑(アマリリス)のごとく。

 その黒い髪は、新月を迎えた秋夜のごとく。


 目鼻立ちは透き通った鋭さと(たお)やかな柔らかさが矛盾とともに同居する。故に、ぞっとするほど冷たく見える一方で、すべてを受け入れてくれるような優しい印象も受ける。

 魔族の特徴たる角は側頭部から前面に向かって緩やかに湾曲しながら先端を伸ばす。片方が折り取られてしまっている様は痛々しいが、その不完全さが彼女の美をより高みに導いているのではないかとすら感じられた。


 長い奴隷生活のせいで未だ体躯は痩せており、今にも崩れてしまいそうに儚い。だがこの先、健やかな暮らしを経て肉がつけば、それは妖刀のような色香となって見る者を斬り裂くだろう。

 ましてや彼女はまだ歳若い処女(おとめ)。将来、女として磨かれていけば、もはやその刃がどこまで届くようになるのかはわからない。


 ルルゥは思う。

 かつての友——魔族随一の美貌と讃えられたテレサミアによく似てはいるものの、娘たる彼女は、それよりも更に上をいく、と。

 傾城(けいせい)と呼ぶのも生ぬるい。傾国という形容すら足りない。(かたむ)くとするならば、この世がではないか。


 サータシャは思う。

 彼女の出自は知っている。事情も聞かされている。

 ならば自分のしたことは——魔王の娘の傷を治癒しその美貌を(あらわ)にしたのは——再び大陸に混乱をもたらす過ちだったのではないか、と。


 そんなふたりの思いを他所に、娘——エメが再び寝間着(ネグリジェ)を着込むと、


「終わったのか? 入っても?」


 ずっと気配を伺っていたのだろう、クライズの声が部屋の外から聞こえる。


「あ、ああ」


 我に返ったルルゥの返答とともに、クライズが扉を開けて入ってきた。

 歳頃の少年であるはずの彼は、エメの——同性たるルルゥとサータシャすらもが息を呑んだ彼女の美貌を見て、ほんの少しだけ目を見開いた後、しかし心を奪われたり見惚れたりした様子はなく、ただ安堵と慈しみをその顔に浮かべて笑った。


「よかった、エメ」


 幼馴染が美しい少女に成長していたことは彼にとって即ちそれを傍で見届けられなかった断絶、悲嘆であり、ましてやたとえ傷だらけの状態であったとしても、彼女の持つ輝き、その本質を見誤ることなどない。だからこそ心に浮かんだのは安堵だった。

 そして心を奪われるというならば、今更である。彼の心はもう、とうに幼い頃からずっと彼女のものなのだ。



 ※※※



 傷痕をも元に戻す高等魔術は、かけられた側にもそれ相応の負担を強いる。

 思いの外体力を消耗していたエメは上手く立ち上がることができず、そのまま休むことになった。

 食事は既に用意されていて、今回のは麵麭(パン)粥に加えて肉と野菜の出汁を吸い取った具なしの煮込み(シチュー)。ゆっくりと充分に滋養を摂取し、寝台(ベッド)へ横になる。


 クライズがサータシャを見送りに部屋を出たので、エメはルルゥとふたりきりになった。


 彼女とも七年ぶりの再会で、話したいことはたくさんある。村が焼けてからどうやって逃げ延びたのか、今までどんなふうに暮らしていたのか、今なにをしているのか。

 けれどエメの口から出た問いは、ルルゥについてではなかった。


「クライズに……なにがあったの?」


 愛しい幼馴染の少年は、記憶にあった印象とあまりに異なっていた。


 見間違ったりはしない。

 別人かも、だなんて欠片も思わなかった。

 だけどエメの知っているクライズは、弱気で、内気で、いつでも自分の後をおっかなびっくりついて回るような、そんな男の子だった。()()彼が順当に大きくなったとして、絶対に()()はならない。


 陰鬱な光を宿す両目は、なにか悪いものに憑かれたようだった。

 精悍さの中に割れそうなほどの鋭さを同居させた顔立ちは、危うい振り子を連想させた。

 サータシャとやり合う時に向ける鋭い殺気は、まったく文字通り、相手の命を冷静に撫でていた。


 それはまるで——勝気でお転婆で底抜けに明るい性格だったエメが、奴隷として三年間を過ごすことで魂を摩耗させ、すっかり性格が変わってしまったのと同じように。

 だったら自分(エメ)と似たような酷いことが、(クライズ)にも起きていたのではないか。


 ルルゥはややあって問い返してきた。


「あいつが昔と違っていることが、嫌だったか?」


「ううん、嫌とかじゃない。ただ……知りたいの」


「……お前と離れ離れになってから七年。いろいろなことがあった。クライズにも、それに私にもだ」


 その声音には鉛が含まれている。


「私の傷を治してくれた人……サータシャ、様。クライズのことを、仲間、って言ってた。あの人とクライズは、私のいない間、一緒になにかをしていたの?」


「ああ、そうだ。……ついでに言えば、私もだな」


「ルルゥも? ……なにをしていたの?」


 少なくともルルゥに関しては、七年前と変わったという印象はない。

 だったらクライズだけ、どうしてあんなに——。


「だが、今はその仔細を私の口から話すことはできない。それはあいつ本人が、お前に直接語るべきことだ」


 しかしルルゥはそれでも首を振る。


 有無を言わせぬ空気があった。

 だからエメは納得できなくとも受け入れるしかない。


 ただ、彼女の言葉をエメは信頼しようと思った。正確には、クライズのことを。

 クライズはいずれ必ず話してくれるのだろう。なにがあったのか、七年間どういう人生を過ごしてきたのかを。

 今はきっと、話すために必要ななにか——時間なのか環境なのか覚悟なのかはわからないが——の、準備をしているのだ。


 そう考えると心が落ち着いた。


「ただ、ひとつだけわかってやって欲しい。……どんなに変わったように見えたとしても、クライズはクライズだ。たとえ枝葉は色を変えても、張る根と幹は腐っていない。あいつの中には今でも、お前と一緒にいた頃のクライズがちゃんと在る」


 だからルルゥの懇願に、エメは笑って頷く。


「うん、わかってる。だってクライズは、檻の中で俯いてた私を、迷いなく見つけてくれたもん」



 ※※※



「無理を言ってすまなかった、ありがとう」


「いいわよ、別に」


 屋敷の玄関を出た先。

 サータシャは、見送りをするクライズの謝辞にぶっきらぼうな返答をした。


「あんたがずっとあの娘のことだけを考えて旅をしてたの、みんな知ってるから。……ま、私が黙って城を抜け出したことがばれてたらどうしよう、ってのはあるけれど」


「それはハイトにでも庇ってもらえばいい」


「簡単に言うわねほんと……私もハイトもそんな単純な立場じゃないのよ、もう」


 皮肉を込めたサータシャの言葉に、クライズが薄い溜息を()いた。


「ままならないな、英雄は」


 彼の言葉に、まったくよ、と心中で苦笑する。


 サータシャはほんの五年前まで、ただの町娘だった。

 なのに神託によって『聖女』に選ばれ、魔王討伐へ赴くことになった。

 二年の旅を経て、仲間とともに大願を成し遂げ『七英雄』のひとりとなった。

 そして今や——かつての町娘はとうとう王宮勤め、第一王女のお付きだ。


 日々の仕事は忙しく、立場は重く、責任は大きい。もはやあの頃には二度と戻れない。

 だからサータシャの胸にはいつも、クライズへの羨望がある。


 七英雄とともに旅をした『八人め』の少年。

 自分たちとともに戦いながら、いや、()()()()()()()()()()()()()()()、それでも英雄と数えられることなく、ただの一般人として暮らしている。

 幼馴染の少女(想い人)のために、名誉も功績もなにもかも、すべて不要と切り捨てて。


 ——あんたはいいわよね。


 そんな文句が思わず喉まで出かかり、ぐっと唇を嚙む。

 決して言ってはならないことであると自覚していたからだ。ただそれでも、思いを馳せることは止められない。


 愛しい人のことだけを考え、己の存在すべてを相手に捧げ、ただそれのみに邁進するというのはどんなにか幸せだろう。それはサータシャにとってひどく魅力的な生き方だった。叶うならば()()()()()()()()()()


 だが、無理だ。

 サータシャには、それに彼女の想い人である『彼』には今や——自分と同様、『七英雄』としての責任がある。立場がある。地位がある。身分がある。

 それらのしがらみすべてを捨て去ることなど、絶対にできはしない。


『いいわよね』——『あなたには幼馴染しかいないから』と。

 だからサータシャがクライズへの羨望を口にしてしまえば、自然と論調はそうなる。なってしまう。

 そしてそれはあまりにも残酷な、人でなしの言葉だ。


 おまけに彼の幼馴染はつい一昨日まで、生きているのかどうかすらわからなかったのだ。

 そんな悲しい幻影に、あやふやな希望に、彼はすべてを捧げてきた。

 そしてこれからは——痛ましい現実にすべてを捧げなければならない。


「あんた、これからどうするつもりなの?」

 

 眩しいほどの羨望は、身を焦がすような痛みでもある。

 だからサータシャは、(そね)みの言葉を吐く代わりに少年のことを案じた。


「これはお伽話じゃない。もっと手酷くて、残酷ななにかよ。王子様がお姫様を助けてめでたしめでたし、なんて話にはならないわ。この先はあの娘にとっても、あんたにとってもつらいことになる。だから……」


 だから、言う。


「ハイトの……私たちのせいにしたっていいのよ、他の王国民がそう思ってるように。知らないままでいた方が幸せでいられるなら、その方が……」


「ありがとう、サータシャ。だけど無用だ」


 クライズは首を振った。

 静かに——微笑みながら。


「これは僕が選んだ道だ。僕が自分で決めたことだ。だからすべて話すし、すべて僕が背負う」


「……あんたがあの娘に憎まれることになっても?」


「それでも僕のこれからは変わらない。僕はエメを二度と手放さない。なにに換えても必ず守る。これから先、なにがあろうとも。僕がどう思われようとも」


 その()、その()に、宿った光。

 サータシャは思い出す。


 ああ、これは——五年前と同じだ。

 私たちが旅立つ日、『一緒に連れていって欲しい』と訪ねてきた時と同じだ。

 血と魂と命を()べたような覚悟に焦げ付いた、決意の光だ。


「あの時、私、なんて言ったんだっけか」


 気圧されたっけか、それとも反発したんだっけか。

 覚えていない。ただ少なくともしばらくは、この少年のことが嫌いだった。余裕のなさに苛ついた。張り詰めた殺気に辟易していた。まるで旅を急かされているようで。責務に追い立てられているようで。


「あの時って?」


「ううん、なんでもない。……ま、頑張んなさいよ」


 サータシャは、クライズの頭をぐしゃぐしゃとぞんざいに撫でてから、ひらひら手を振り背を向ける。


 今でもこいつのことは、別に好きというわけではない。

 他の『七英雄』たちにしても、無警戒に信じているのはお人好しのハイトと同郷のルルゥくらいなものだろう。

 彼の存在と功績は決して外に漏れてはならないし、その力もまた王国にとって埋伏の致死毒となり得る。


 けれど少なくとも、自分は——自分たちは知っている。

 こいつが、己の血と魂と命を焚べ成し遂げたことを。

 その尊敬と畏怖に値する、生き方を。



 三年前——。

『七英雄』が正面から魔王城へと攻め入る中、それを陽動として密かに単身で潜入し、魔王を暗殺せしめた者がいた。


 それがこの少年、『八人めの七英雄』クライズ。

 秘密裏に王国から与えられた任務であり、決して歴史に残ることのない偉業だった。


 今『七英雄』たる自分たちが大陸中から賜っている栄光、浴びている賞賛の数々はすべて、本来、彼が受けるべきものなのだ。

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お手数ですが本作に関して、こちらの活動報告をお読みいただけたらと思います。
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