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魔王の娘、今は奴隷  作者:
第三章:『帰らざる聖騎士』ジュリエ
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五:奴隷の言葉、英雄の名

「お嬢さまになにをするか、この薄汚い魔族が!!」

 兵士のひとりがエメをそう罵倒した瞬間、クライズの胸中を支配したのは己への怒りだった。


 ——寸歩、間に合わなかった。


 エメが少女の救助を開始したのは、クライズが偽竜の首を抉り地面へと落下させたのとほとんど同時である。戦闘行為の最中であろうとも、彼女の「手伝ってください」という叫びを聞き逃したりはしない。だから偽竜の確かな死を確認した後、すぐ向かおうとした。エメが兵士によって突き飛ばされたのは、まさにその瞬間だった。


 偽竜を倒すのがあと二秒——いや、一秒早ければ、割って入れただろう。


 もちろんエメの首輪に刻印されている簡易結界術式は、暴力から彼女を守る。突き飛ばされた衝撃も見た目ほどではなく、均衡を崩したせいで軽く尻餅をついたという程度だろう。()()()()()()()()()()()()


 槍を向けてきた兵士はひとりだけではなく、合計で四人がエメを囲んでいた。

 それはまるで、少女を——さっきエメが崩れた積荷の中から引っ張り出した彼女を、守るような配置だった。


 クライズはエメのところへと駆け寄る。

 そして兵士たちを無視して背を向け、しゃがみこんだ。


「エメ、大丈夫?」

「……っ、うん」


 問いながら手を取る。


 崩れた積荷を素手でどかそうとしたせいで傷だらけだった。ただ幸いなことにどれも浅い。クライズはエメの首輪に触れると魔力を流す。宝玉のひとつが淡く輝いた。刻み込まれていた治癒術式が起動する。ごく低位のものであるが、こうした擦り傷であれば痕も残らないだろう。


「すぐじゃないけどじきに治る。頑張ったね」

「こんなのまで組み込まれてたんだ……ありがとう」


 微笑んでみせるエメだが、明らかに顔が曇っていた。それは手に負った傷のせいではない。

 クライズは治癒魔術を起動させた指で、彼女の頬をそっと撫でる——ごめん、と。


「おい貴様、なにをしているっ! その魔族から離れろ!」


 それからようやく立ち上がり、背後のうるさい男へと向き直った。


「彼女は僕の奴隷だ。『離れろ』? お前になんの権利が?」


 できるだけ感情を抑えたつもりだったが、逆にそれがいけなかったのだろうか。

 兵士は怯むどころか気色ばみ、


「その奴隷はお嬢さまに危害を及ぼそうとした! 主人であるなら貴様が責任を取るべきだろう!」


 そんなことを叫ぶ。


「……危害? お前は、潰れた積荷の中から人を助けることを危害というのか」

「黙れ! 薄汚い魔族がお嬢さまに触れるというのがそもそもの無礼だ!」

「随分と偉いんだな、そのお嬢さまというのは。どこの貴族だ?」

「アイナリリア商会のご令嬢、ティセ=アイナリリアさまだ。知らんとは言わせんぞ」


 アイナリリア商会。

 おそらく今、王国で最も勢力のある貿易商だ。


 各地に支部を持ち、強固かつ大規模な流通網で日用品から芸術品、食料から嗜好品に至るまでのあらゆるものを右から左に動かし、王都の復興作業にも大きく貢献していると聞く。確か低いが爵位ももらっていたはずだ。


「そのご令嬢が、こんな小さな隊商(キャラバン)で? 責任者は誰だ」


 兵士の背後、肝心の少女を見遣るがどうやら気を失ってしまっているようで、兵士のひとりに抱きかかえられたまま声もない。ではと停まっている残りの馬車に期待を寄せるも、大人の出てくる様子はなし。かろうじて侍女(メイド)らしきお仕着せ(エプロンドレス)を纏った女が数人、おっかなびっくり幌から顔を覗かせているだけである。

 せめて両親とか親戚とか、そういう奴はいないのだろうか——少なくともこの兵士どもより話のできる人間は。


「お嬢さまはおいたわしくも失心しておいでだ。だから私が話をしている」


 兵士が怒りの形相とともに、構えた槍の穂先を上げ、クライズの眼前に突きつける。


「じゃあ、あんたがお嬢さまの代わり、ってことでいいのか?」


 よく見ればこの男、他の兵士たちよりもいっとう立派な鎧を着ている。年齢も他の奴らよりは高い。偉そうな口ひげを蓄えてもいる。おそらくは護衛隊長かなにかなのだろう。


 クライズは心中で溜息を()く。

 件のご令嬢とやらを除けばこの男が一番上。ということはつまり——相手には()()()()()()()がいない、ということだ。


 正直なところ、怒りよりも先に呆れがきていた。


 偽竜の襲来時には怯えてなにもできず、庇護すべき相手が崩れた積荷の下敷きになってもなお案山子のまま、あまつさえ助けてもらった相手に対してこの言動。あまりにも不佞(ふねい)であり、あまりにも愚昧すぎる。


「質問の意味がわかるか? そこのお嬢さまとやらが偽竜に襲われたことの責任を取るのは、この中の誰なんだ」


 皮肉を投げると、護衛隊長と思しき男が激昂した。


「ふざけるな! そもそもあの偽竜も、元々は貴様ら魔族が作り出したものだろう。こんな王都近くに偽竜が現れるなどあり得んことだ……ともすれば貴様らがあれをけしかけたのではないか!?」


「……なるほど、そういう理屈でごまかすのか」


 己の失態を自覚していたからこそ、こいつらはエメを責めたてたのだろう。

 護衛の任を授かりながら、偽竜に襲われても震えるばかりでなにもできなかった。そんな中で魔族が現れ、主人の救助という重大な責務までもを横取りされた。これではなにひとつとして立つ瀬がない。


 だから八つ当たりのようにエメへ暴言を吐き、突き飛ばし、更にはお前の仕組んだことではないかと糾弾することで、己の無能ごと押し付けようとしたのか。


 まったく詭弁もいいところだが——許せることではない。


 クライズは腰の短刀へ手をかけた。偽竜を屠ったばかりのそれは血脂をろくに拭わないまま鞘に納められていて、上塗りで更に汚れたところで後で手入れをしなければならないのは同じである。

 アイナリリア商会とことを構えたとならば多少の厄介は(こうむ)るだろうが、非は向こうにある——。


 しかし。

 鞘から刀身を抜き放とうとしたその時、エメの声が背後からあった。


「お待ちください、ご主人さま」


「……エメ?」


 振り返る。

 エメは立ち上がり、凛とした佇まいでクライズに視線をくれた。

 そうして前に出、兵士と対峙する。

 対峙して、


「差し出がましいことをいたしました。ご無礼をお許しください」


 跪き——頭を下げた。


「……っ!」


 クライズは思わず唇を咬んだ。


 エメの平伏はつまるところ、自分を止めるためのものだ。

 これ以上はやめて、彼らと争わないでと。私に免じて刃を抜かずにいて欲しい、と。


 かっとなっていた頭が冷えていく。他でもないエメに(たしな)められたことで、兵士たちへの怒りは自省へと変わる。


 クライズがここでこいつらと諍いを起こすのは、場を収めようとする彼女の決意のみならず、さっきの救助活動をも反故にするのと同じだ。崩れた積荷の下から少女を助けだした、あの尊い行いを無為にすることだ。少なくともエメ自身はそれを望んでいない。突き飛ばされたことも侮辱されたことも呑み込んで、やり過ごすつもりでいる。


 だがそんなエメの覚悟と決意は、愚かな兵士どもにまでは伝わらない。

 奴らはむしろこちらが下手に出たのをいいことに調子付いた笑みを浮かべた。


「は、奴隷ごときが頭を下げたところでなんの意味がある? まあいい、そこの主人ともども、王都まで同行してもらおうか。貴様らには偽竜を操り、我々アイナリリア商会を襲わせた嫌疑がある。しかるべきところに出てじっくりと審議してもらうぞ」


 あまりに横暴な物言いだが、小賢しくも一抹の()はあった。

 なるほどそう(うそぶ)いてクライズたちを同行させれば、再び偽竜なり魔物なりが現れても安全だ。また王都に連れ帰り訴えをもって司法へ突き出せれば、自分たちの醜態を吹聴されることもなくなる。


 ただいかなる思惑があろうとも、たとえ保身に必死であろうとも、エメの覚悟を、誇りを、傷付ける行為であることは変わりない。


 そしてこの場において——()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……悪いが、それは断らせてもらう」


 静かながら断固とした、鋭利な声が兵士たちへ突き立った。


 前に出てきたのはルルゥだった。

 笹葉(ささば)の耳、雨雲の髪、誰彼(たそがれ)の肌、菖蒲(あやめ)の唇を持った美しき夜妖精族(ダークエルフ)——その有無を言わせぬ気配に、兵士たちが気圧される。


 彼女はエメの頭を柔らかく撫で、クライズの肩を軽く叩き、ふたりの家族を無言で(ねぎら)った後、その態度とはまったく正反対の怒気を纏いながら、眼前の愚物どもに告げる。


「我らの旅はミドガルズ王国よりの()()である。故に、貴公らの要請に従い王都へ戻ることはできない」


「な、っ……国からの(めい)だと!? 嘘を抜かすな! 素性も知れぬ、風体も見窄らしい、たかが三人ぽっちの輩がっ」


「だが貴公らの訴えは承った。魔族の奴隷を使って偽竜をけしかけ、かのアイナリリア商会のご令嬢を害そうとした嫌疑か……なるほど仮に真実であれば由々しき問題、とても放置していてよいものではない」


「わかっているのなら……」


 そしてルルゥは気炎とともに——彼らにとっての殺し札を切った。


「王都へ帰った後、司法へ届け出るがよい。()()()()()()()()()()()()()()だ」


「は? ルル、ゥ……?」


 護衛隊長の男はぽかんとする。

 当然だ。

 王都に、いや、この大陸に暮らす人間であれば、それは必ず聞き覚えのある名だからだ。


「王都在住のダークエルフに同名の者はいない……そもそも王都にはダークエルフ自体が私ひとりしかいない。私の名と種族を告げれば問題なく国は受理するだろう」


「ダークエルフの、ルルゥ=メイサイヤ? ……しかも、国命で?」


 見る間に顔が青ざめていく。護衛隊長だけではなく、周囲の兵士たち全員の。

 ようやく思い至ったらしい。


 自分たちが、誰に命を助けられたのか。

 誰の恩を足蹴にし、あまつさえ因縁をつけたのか。

 誰に冤罪を押し付け、脅迫までしたのか。

 

 ルルゥ=メイサイヤは——大陸に名を轟かす『七英雄』のひとりは、冷然と言い捨てた。


「アイナリリア商会のご令嬢、ティセ殿の率いる隊商(キャラバン)か。こちらも把握した。護衛の兵たちよ、貴殿らの名は不要だ。その程度、ここで聞くまでもない」


「あ、あの、ちょっと待って……待ってください。お話を、どうか話を……」


「無用」


 そうしてルルゥは兵士たちを一瞥することもなく歩き始める。クライズはエメの手を握り、彼女の背に続く。

 なおも追い縋ろうとする気配を背中越しにひと睨みした。あからさまなまでに込めた殺気に、数名がへたり込む。


 彼らは無言のまま、クライズたちがその場から去るのを見送った。



 ※※※



 感謝してもらいたかったわけではない。

 恩を着せるつもりもない。

 見返りを求めてやったことでもない。

 だけど、だけど、だけど。


 ——『魔族のくせに』。

 ——『奴隷の分際で』。


 心ない言葉に唇がわなないた。指先が震えた。頭を殴られたような心地がした。

 怒りではなかった。だってその言葉は——決して()()()()()()()のだ。


 何故なら、馬車を襲った偽竜を生み出したのは、そもそも魔族で。

 それを先導したのは魔王、つまりはエメの父親で。

 だからあの隊商(キャラバン)が襲われた遠因は、自分にあるのだから。


 でも——けれど——ああ、それでも。


「……クライズ」


 横を歩く少年の手をぎゅっと握り、エメは言う。


「私、悔しいよ」


 エメを突き飛ばした彼らはもはや遥か後方にある。

 今でもまだ莫迦みたいに立ち尽くしているのだろうか。振り返って確かめることだけはしたくない。

 だから前を向いて、歩く先を見据えて、涙をこらえながら。


「……エメ」


 吐露した思いに、愛しい少年は握る手をぎゅっと強くしてくれた。


「僕は……いいや、僕らは。きみのしたことを誇りに思う」


 感謝してもらいたかったわけではない。

 恩を着せるつもりもない。

 見返りを求めてやったことでもない。

 だけど、だけど、だけど!


 隣に寄り添う少年と、前を歩く女性が、私の行為を誇りに思ってくれたのならば——。


「うん、ありがとう」


 せめて胸を張ろう。胸を張って、歩こう。

 旅はまだ折り返し地点ですらない。こんなつまらないことで暗い気持ちになりたくはなかった。






次話は今回の件のちょっとした補足回。短いと思いますがご了承ください。

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お手数ですが本作に関して、こちらの活動報告をお読みいただけたらと思います。
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