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魔王の娘、今は奴隷  作者:
第二章:『八人めの七英雄』クライズ
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十二:賢者は友として

 王宮の廊下は無駄に広々としていて、床に敷き詰められた大理石を踏む靴底の感触もなんだか落ち着かない。


 向こうから誰かの人影がやってくる度に脇へ避けて頭を下げなければならないのも、とてつもなく面倒くさい。給仕女(メイド)などとすれ違う時はいつもぎょっとされる。何故ならこの慣習は身分の上下によって道を譲るべき序列が決まっていて、使用人というのは基本的に、城で最も身分が低い人間であるからだ——ただそれでも王城に勤める者はいかに使用人であろうとも貴族の子息女であって、平民の自分が我が物顔で彼女らを押し退けるわけにもいかないのだった。


 長い廊下を進み、目的の部屋の前へ辿り着く。扉を守る衛兵に来訪の旨を告げると、ややあって中に通された。


「やあ、ご苦労だね」


 出迎えた人物は、こちらへ視線を向けると執務机の椅子から立ち上がった。


「わざわざ呼びつける必要はあったのか? ヴ・ト」


 だからクライズは——それまで取り繕っていた慇懃な態度を崩し、知己たる賢者へいつものようにぶっきらぼうに告げる。


「私が赴いてもよかったが、なに、ふたりの愛の巣にお邪魔するのも気が引けたのでね」


『深淵を(すく)う賢者』ヴ・トは、性別も年齢も定かならぬ相貌で肩をすくめ、悪戯っぽく笑った。


「遠慮せずに来ればいい。茶くらいは出すのに」


 だからクライズも、苦笑と冗句でもってそれに応える。


「宮廷魔術師筆頭さまにご満足いただけるものを出せるかは自信がないけれど」


「お茶といえば、サータシャが呆れていたよ。あいつは呼びつけておいてお茶のひとつも出さない、って」


「……あの時は、グィネスにもらった牙茶(きばちゃ)しかなかったんだ」


 嘘である。本当は余裕がなくて、もてなそうという発想すらなかった。

 当時は必死だったのだ——エメの全身を覆う傷痕があまりにも痛ましくて、見ていられなくて。早くなんとかしなきゃと、そのことしか頭になかった。


「ああ、()()は牙茶を毛嫌いしていたね。異文化への敬意が欠けていてまったく嘆かわしい。妖精族(エルフ)侏儒族(ドワーフ)の文化的不仲はそういうところからきているんだ」


「あいつは単に味覚が子供なだけだよ。酸っぱいのと苦いのが嫌いなんだ」


「はは、一番歳下のきみに言われていては世話がない」


 会話は気安く、互いに対する遠慮はない。たとえ数百年を生きる霊族(ニンフ)であろうとも、宮廷魔術師筆頭という身分であろうとも。

 クライズにとってのヴ・トは——いや『七英雄』たちは——そういう相手なのだった。


「首輪の術式、ありがとう。今のところ完璧だ。無理を言って悪かった。グィネスにも(たしな)められたよ」


「あの程度、友への贈り物としてはささやかなものだよ……と、言いたいところではあるが。まあ、神代遺物(アーティファクト)並の代物に仕上がっているのは事実だし、そこは汲んでおいてくれると助かる。私としてもきみに貸しを作っておくべきところだったからね」


 ただ、たとえ気安くとも遠慮がなくとも、ふたりの関係に天秤がないわけではない。

 クライズ=テレサという存在は、今も昔も——五年前、魔王討伐の旅に同行した頃より——王国が秘密裏に雇う暗殺者であり、その管理を任されている賢者ヴ・トは、クライズにとって直属の上司であるのだ。


「ドルトデルタのことか」


 クライズは気配を鋭くさせる。


「まったく……しれっと利用してくれたな、ヴ・ト」


「利用したことは否定しない。が、きみにとっても渡りに船だったことは確かだろう?」


 腹蔵(ふくぞう)じみた会話。ヴ・トは楽しげに目を細め、一方でクライズは溜息を吐く。 


「ドルトデルタ伯爵……いや、()()()()()()()は、先日買い手が見付かったよ。北方のエラバ鉱山だ。半年も保てばいい方、だそうだよ」


「そうか」


 彼の行く末について特に感慨はない。

 ただ、エメがあいつに二度と脅かされることがないのであれば、それで。


「なんにせよ、私もきみも、それぞれの目的は達成されたし万事は丸く収まった。よしとしようじゃないか」


 にこやかなヴ・トの表情にはしかし、有無を言わさぬ響きがある。文句は受け付けない、ということだ。もちろんクライズにとっても否やはないのだが、それでも自分が王国の掌の上にあることを改めて意識させられた。


 つまるところ——クレイナード広場での邂逅に端を発したドルトデルタ伯爵とのいざこざとそれにまつわるクライズの行動は、賢者によって上手いこと取り込まれ、政治的に使われたということだ。


 ドルトデルタ伯爵は(かね)てより、その嗜虐趣味で領民たちを密かに害していた。拉致監禁し、拷問して殺す——王国の諜報部はこの非道を把握しており、彼のことを処分する機会を虎視眈々と窺っていたのである。


 そこに予期せず絡んできたのが、エメとクライズだった。


 ドルトデルタがエメの前の主人であること、そして彼女を再び手中にせんとして強制買い上げの申請を出したことを知ったヴ・トは、これ幸いとクライズを利用した。わざと黙って許可証を発行することで、クライズの屋敷を襲わせたのだ。

 そうしてドルトデルタは返り討ちに遭い、政府は彼の身柄を確保する。

 クライズはエメを傷付けた男への復讐を果たし、政府は厄介な貴族を労せず処分できた——というわけだ。


 ヴ・トが狡猾なのは、ここでクライズに正式な依頼を出さなかったことである。


 依頼を出せば非公式にとはいえ記録が残る。そこいらの凡百な貴族であればまだ良いが、相手はフーリエナ家——かの聖人クレイナードを祖とし、近年においては聖騎士ジュリエを輩出した名家。国政に深く関わっていないにせよ、箔があり民衆からの知名度も高い。ましてや問題行動を行なっているのは本家の当主ときている。ドルトデルタの凶行をいかに止めるか、彼をいかに処分するかというのは、実はなかなかに厄介な案件であったのだ。


 今回、クライズは正式な依頼を受けず、ドルトデルタを捕縛した。これは要するに()()()()()()()()()()()()()()()であり、政府が関与した記録も証拠も残らず、もちろん国庫は裏金すら動かない。


 つまりこの一件。クライズは身勝手な復讐に対するお目こぼしをもらって、政府は以前から悩みの種だった案件がひとつ、何故だか勝手に解決した。

 互いが互いを利用し合い、互いが得をした。

 そういう話になったのである。


 本音を言えば、いい気持ちはしない。ドルトデルタが強制買い上げ許可証を受け取ったことでエメの身が危険に晒されたのは紛れもない事実だからだ。


 だが一方で、エメの身を守ったのもまたヴ・トの組んだ術式である。ヴ・ト本人が口にした通り、あれは神代遺物(アーティファクト)級の護身具だ。王族ですらこれほどのものは持っていないだろう。手に入れるのに払った対価は金ではない。世界で唯一あれらの術式を組める人物——『深淵を掬う賢者』たるヴ・トの()()だ。


 故に、不満はあっても文句はとても言えない。せいぜいできるのは、じっとりと睨んでやることくらい。


 まったく——と。

 クライズは飄々と微笑むヴ・トに、その視線を送った。五年前からこっち、何度も何度も繰り返してきた、かの賢者への密やかな反抗だった。


 ヴ・トが『賢者』の称号を与えられた所以は、なにも魔術の技量がずば抜けているからだけではない。

 万物の微細を観察し、状況を見極め、(かなめ)に楔を打ち込むことで望んだ結果を獲得する。石をひとつ投げるだけで三羽も四羽も鳥を落とす。そんな離れ業をやってのけるからこその二つ名、(さか)しい者。

 深淵にあって、深淵の中から、砂金を掬う——まるで、装置のように。


 恐ろしい存在だ、と思う。

 ヴ・トと付き合うのは深淵を覗き込むに等しい。暗く開いた混沌の穴へと首を突っ込み、砂金を求めるに等しい。もし仮にかの賢者がよからぬことを企んでいたとしても、深淵を覗き込んだ時点で抗うことはできまい。ただ巻き込まれ、呑み込まれ、流されるしかないだろう。


 だがそれでもクライズは、ヴ・トと距離を置こうという気はしない。何故なら、ヴ・トがクライズを信頼してくれているのと同様に、クライズもまたヴ・トのことを信じているからだ。

 幾百年の長きにわたり王国に仕え、ただの一度も不正を行わず、ひたすら国の発展に寄与してきたその善性を。

 五年前に出会った時からずっと変わらない、まるで我が子に向けるような、クライズを見る眼差しを。


 ——それに、たぶん。


 経緯はともかくとして、起きたことを見るならば。

 クライズは今回の一件で、自分の生業と改めて向き合うことができた。エメとともに生きる中、暗殺という後ろ暗い仕事に対して——エメに対して、胸が張れるようになった。


 きっと自分たちふたりには、あの夜のことが必要だったのだろう。エメの目の前で人を殺すことが、エメに自分の行為をちゃんと真正面から見てもらうことが。


 あの通過儀礼をもたらしたのは。エメが『宵の兇状』たちに襲われる原因となったのは。

 それは、今目の前にいる——。

 

「ところで、きみのことを呼びつけた肝心の用件なのだけど」

「……なんだ、ドルトデルタの一件についてじゃなかったのか?」


 さて、どこまでこいつの計算のうちなのか。

 そんなことを考えていると、どうやらかの賢者にはまだ目的があったらしくそんなことを言ってくる。


「いや、それとも無関係ではない……というより、フーリエナ家に関することなんだが」


 ヴ・トは居住まいをただし——それまで浮かべていた軽薄な表情をわずかに引き締め、


「きみの幼馴染の体調ももう万全に快復したといっていいのだろう? そこでだ……彼女を同行させて構わないから、少しばかり『遠出』をして欲しいと思ってね」


 右手の人差し指を、ぴん、と立てる。


「……『遠出』とは」


 クライズは目を細める。

 人差し指を立てたその仕草。真面目な表情。

 そして、特定の単語だけをわずかに強調した喋り方。


 賢者は——かつて『七英雄』として一緒に旅をした仲間であるヴ・トは、


「『ジュリエの墓参り』に行ってきて欲しい。彼女の霊前に、今回の経緯を報告してやりたい。ついでにルルゥにも声をかけるといい。昔馴染み同士水入らずで、小旅行がてら頼むよ」

 

 迂遠な言葉で、新しい依頼をクライズに申し付ける。



 ※※※



『帰らざる聖騎士』ジュリエの『墓』——。

『墓』の場所と『墓参り』という言葉の意味。

 それは『七英雄』とクライズにしかわからない符牒である。

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お手数ですが本作に関して、こちらの活動報告をお読みいただけたらと思います。
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