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魔王の娘、今は奴隷  作者:
第一章:『魔王の娘』エメ
2/31

一:買われた奴隷、魔王の娘

 奴隷(いち)はいつも活気に満ちている。


 夕刻、陽の沈む二時間前。

 クレイナード広場——五百年ほど前に祀られた聖人の名を冠したそこに、商品はずらりと並べられていた。


 かつて王の暴政に異を唱え牢獄で断食による殉教を選択したという伝承を持つ聖人だが、その崇高な逸話はもはや忘れられ、広場に威厳を与えてくれたりもしない。朝には朝市、昼には屋台、そして夕刻には奴隷市——王都民の生活に根ざした賑わいの場、それがクレイナード広場の役割である。


 開催の告知を聞きつけて集まってくる者たちに、老若男女はもちろん種族の区別はない。只人(ただひと)族であろうと妖精族(エルフ)であろうと侏儒族(ドワーフ)であろうと小躯族(ホビット)であろうと、王国民であれば誰にでも、奴隷を所持する権利は与えられている。市場において枷となるのはその権利を行使する富があるかどうか、その一点のみだ。


 露台(ろだい)の上に並ぶ奴隷たちは、おしなべて見かけが若い。

 男も女も、ひどく整った美しい容姿をしている。

 身体は洗われ髪も整えられ清潔にされている。


 奴隷の身に付けるのは奴隷契約の魔術式が込められた首輪、それと無地で質素な安布のみである。

 被せられた上着は一様に、背中がぱっくりと、円形に切り取られている。

 安全の証——魔力翼根(よくこん)に封印術式が施されてあることを見せるためだ。

 そして頭部に生えた二本の角は、うち一本がぞんざいに折り取られている。

 魔力の源であり魔族の誇りである角を、屈服と服従の象徴とするためだ。


 そう。

 市に並べられた奴隷はすべて、魔族であった。


 もちろん魔族以外の奴隷というものも存在しないわけではない。どんな種族であっても条件によっては奴隷に堕ち得るし、逆に条件を満たせば奴隷から解放もされる。

 だが、王国において唯一、奴隷以外の身分となることが許されず、いかなる手段を用いても奴隷から解放されない種族がある。


 それが、魔族。

 ほんの三年前まで大陸に君臨し、自分たち以外のすべての種族を抑圧し蔑み弄んでいた、かつての支配階級である。



 ※※※



「さあ、こちらはいかが!?」


 商売人特有の、はりのある声が広場に響き渡る。


「齢は十九の雌、さるご貴族のお下がりだ! 炊事洗濯掃除に(ねや)と、万事丁寧にこなせるよ! 欠損もなければ態度は従順、大事に仕込まれたことがよくわかるだろう!」


 露台の中央に立たされ紹介されている商品は、ひとりの女だ。


 長い黒髪、白い肌、嫋やかな四肢、そしてぞっとするほど美しく整った容貌。

 いずれも魔族によく見られるものである。もちろん要素のひとつひとつ――黒髪も白い肌もすらりとした肢体も美しい容姿も、魔族の専売特許というわけではない。が、すべてを兼ね備えた総合的な美貌といえば、人は誰しも魔族を連想する。


 商人の宣伝に従うように、女奴隷は目を伏せて一礼する。

 その表情は穏やかで、薄い微笑みを浮かべていた。

 すべてを諦めた末のものなのか、心中に(えん)(ぞう)を潜ませているのか、或いはとうに心が壊れてしまっているのか、それはわからない。ただ、美しさと従順さを兼ね備えた奴隷は得てして高値がつく。そして人間は総じて高値を支払った品を大事に扱う。少なくとも彼女にとって、品のある微笑みと佇まいは大事に扱われるための——生きるための術なのだ。


 広場に集まった見物客たちが、それを見て好き勝手に会話を弾ませていた。


「値が張るだろうなぁ」

「お前の給金じゃ手が出ないだろ」

「てめえだって同じだろうが。……ま、俺らが買うとしたら、あっちが精々だろうさ」


 陳列の隅。

 檻に入れられたままひと(から)げにされた奴隷たちの集団を、彼らは顎で指す。

 それは今回の競りにおける最安値、投げ売り品たちであった。


 露台の上にいる娘と比べれば、その差は瞭然だ。

 身体に巻きついているのは襤褸布で、髪も整えられていない。全体的に薄汚れていて清潔さもない。

 何故なら檻の中の者たちには見てくれを整える価値がないからだ。

 痩せ細って今にも死にそうなもの。明らかに正気を失った虚ろな目でなにごとかをぼそぼそと呟くもの。身体中に醜い傷跡を刻んだもの。手足に欠損のあるもの。どう見ても病に罹っているもの。


 こうした傷ものたちは『不良品』という身も蓋もない形容をされる。

 露台に上らせてさえもらえず、値段も二束三文。売られた先で待っているのはさて、どんな仕打ちだろう。間違いなく言えるのは、安物を大事に扱う人間も、不良品を長く使おうとする人間も、そうそういないということだ。


 だが、そんな奴隷たちの境遇といたたまれない容貌に、同情する者はいない。

 人々は知っている。よく知っている。今はこんなにみすぼらしいなりをしていても、鎖に繋がれて大人しくしていても——彼らは魔族なのだ。三年前まで、自分たちを、まさにこうして奴隷のごとく、いやそれ以下に扱ってきた種族なのだ。


 もし背中に封印が施されておらず片角も折られていない状態であるならば、彼らは残酷に笑い蔑んで唇を歪め、手足の鎖など造作もなく引き千切るだろう。背から漆黒の魔力翼(まりょくよく)を生やし、万物を破滅させる圧倒的な魔術を使い、自分たちを襤褸屑のように屠るだろう。


 故に『不良品』たちに向けられる視線は、侮蔑であり安堵である。

 いままで好き勝手にやりやがっていい気味だ、という侮蔑。

 力を奪われていて本当によかった、という安堵。


「よし、落札! 二万五千シル()でそちらの旦那がお買い上げだ!」


 露台の商品——『不良品』ではない女奴隷の値が決まる。

 落札したのはいかにも金肥(かねぶと)りした中年の男であった。

 女奴隷を見る男の目には、隠そうともしない劣情があった。なにを目的としているのかは瞭然である。


 それでも男の視線を受けて、女奴隷は穏やかに微笑んでいた。

 見物していた者たちは悟る。ああ、あれは心が半ば壊れているなと。


 二万五千シルとなれば五人家族がひと月はゆうに暮らしていけるほどの額であるが、高級娼館に二、三回も行けば飛んでいく数字でもある。容貌だけを見るならばこれほどの妓女はなかなかいまいが、さて、心を伴わない人形と考えれば果たしていい買い物だったのかどうか。


「さあさあ、続いてはこちら!」


 買い上げられた奴隷はさっさと降ろされ、右から左で露台にあげられる次の商品。今度は細面の若い男。婦人方がひそひそとし始める。


「齢は十七の雄、つい先月捕まえたばかり! まだなにも仕込まれちゃいないが、その分……、」

「少しいいか、おやじ」


 ——と。


 競りの啖呵を遮る者があった。

 少年である。少なくとも背格好と声からはそう感じられた——というのも、冠帽(フード)付きの外套(コート)をすっぽりと着込んでおり、顔貌(かおかたち)や年齢がまるで定かではなかったからだ。


 ただ、商売のために張り上げていた声を途中ですぼめてしまうなど、商人にとってはそうそうあるものではない。しかも、その者が発した声がごく静かなものであるにも拘らず、である。

 殺気や怒号とはまったく別種の、まるで——鋏で紙をすとんと切るかのような、遮断だった。


「な、なんだ?」


 自分がなぜ口上を止めたのかよくわからない。そんな戸惑い顔で商人が問うと、そいつは、すうと腕を上げて、


「そこの奴隷を売ってくれ。言い値を払う」


 指差したのは、露台に上げられた男の奴隷でも、隅に立たされていた順番待ちの奴隷たちでもない。

 檻の中——ひと絡げに放り込まれた『不良品』のひとりだった。


「いや、お客さん。競りには順番ってものがある。ましてやあんたが差してるのは『不良品』、最後の最後に投げ売りするやつだ。悪いが今時分は掻き入れどき、大枚はたけるお大尽のために質のいいのをせっせとさばかにゃならんのだ。だからしばらく待って……」


「言い値を払う、と言った。それで割り込みの詫びにはならないか」


「……っ」


 そいつの言葉はごく短く、端的だった。抑揚もなく穏やかだった。

 が、それでも——黙らせも遮らせもできない、なにか圧のようなものがあった。


 商人は、そいつが指差した奴隷を見遣る。

 女——少女だった。


 ぼさぼさの髪、薄汚れた身なり。覗く目には光がなく、感情もうかがえない。顔立ちは整っているようだが、あまりにみすぼらしいため実際のところは判然としない。痩せこけているせいで十四、五歳くらいに見えるが、ひょっとしたら十七、八くらいはいっているのかもしれない。

 膝を抱えて檻の中に座り込むその手足には、無惨な傷跡があちこちに走っている。おまけによく見れば右頬から首にかけて引き攣ったような火傷痕もある。四肢の欠損がないのが不思議なほどである。


 値がつくにしてもせいぜいが五千、下手をすると千。それでも売れ残る可能性すら充分にある。単体ではどうしようもないから薬剤か魔術の実験用にまとめ買いされるのがせいぜいだ。


「いや、その……こんなもんに言い値と言われても、競りを止めるほどの額には……」


「だったら三万シル出す」


 少年の言葉に商人がぽかんとし、見物客がどよめいた。


「は? 桁をひとつ間違っちゃ……」


「三万だ。文句があるか?」


 手を強引に取り、布袋を押し付ける。確かな重さに商人の手が下がる。

 中を確認した商人は本当に金貨が入っているのを見てしばらく忘我していたが、すぐにはっとし、控えていた丁稚たちに慌てて「おい、引き渡せ」と指示を出した。


 檻から出された奴隷の少女は、命令に従ってのろのろと檻から出る。

 さすがに、と言うべきか、光もなく空っぽだったその瞳に、困惑のような色が浮かんでいた。


 放っておけば三日で死ぬような奴隷を三万シルという莫迦げた値段で購入した少年は——首輪の契約術式を手早く更新すると、自分の行動も狂人を見るような商人の視線もざわざわと不穏な周囲の反応も、とにかく一切を意に介することなく、少女の手を取った。


 そして広場から去っていくふたりを、残された人々は訳がわからないという顔で見送るのだった。



 ※※※



 自分を買い上げた新しい主人の後ろ姿を、その少女は(ぼう)とした視線で眺めていた。

 手を引っ張る力は緩く、歩みは早くも遅くもない。相手がこちらの歩調に合わせてくれているからだが、それには気付かなかった。

 何故なら彼女の——どうせまとめて買われるのだからどうでもいいやと虚無で満ちていた心は——代わりに、不安と戸惑いでいっぱいになってしまっていたから。


『不良品』の自分が、競りの順番を無視して単独で買われた。それがなにを意味するのか。

 こんな傷だらけの身体を気に入ったなどという偏った趣味を持っているのでなければ、ひょっとして——。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()


 決して露見してはならないから、ひたすらに隠し通してきた。

 幸いなことに、人間社会ではもちろん魔族たちの間でも顔はほとんど知られていなかったので、その他大勢の奴隷に紛れて大人しくしていればよかった。前の主人にも、奴隷商にも気付かれてはいない。生まれは特殊だったにせよ王城に入ったのは七年前で、貴い身分として暮らしたのはわずかに四年。それまではただの村娘として育った身だから、態度や言葉遣いから勘付かれることもない。


 でも、だったらなぜ、この新しい主人は、檻の中に放り込まれた『不良品』の山の中から、自分を名指しで購入したのか——。

 

 彼女はひそかに身を震わせる。

 もし露見してしまったのなら、恐ろしくおぞましい運命が、自分を待っているだろう。




 少女の名は、エメ。

 エメリルア=ディス=テレサ=ジキタリス。

 かつて三年前まで大陸を支配し暴虐の限りを尽くしていた魔族の王——ディス=アラヤ=ミスト=ジキタリス、その実の娘であった。

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お手数ですが本作に関して、こちらの活動報告をお読みいただけたらと思います。
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