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魔王の娘、今は奴隷  作者:
第二章:『八人めの七英雄』クライズ
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四:お菓子に少女、花に虫

 およそひと月半ぶりに訪れるクレイナード広場は、夕刻の奴隷(いち)とはまったく別種の活気に満ちていた。


 つまり、並んだ屋台である。


 王都には昼間から営業している飲食店がほとんど存在しない。日が高いうちは酒が売れないし二階に据えた連れ込み宿も機能しないしで割に合わないからだ。では彼らは昼間になにをしているのかというと、こうして広場にこぞりて屋台を並べるのだった。


 屋台であれば人員は少なくて済むし、酒を出さずともよいし、夜から朝まで働き通しな飯炊女(めしたきおんな)たちもゆっくり寝ていられる。おまけに料理の宣伝にもなる。弁当持参で働いている者たちも、軽食を一品とか飲み物を一杯とかで金を落としてくれる。


 店の種類と食べられる品は多種多様。肉もあれば魚介もある。串焼きもあれば汁物もある。麵麭(パン)もあれば焼飯(ピラフ)もある。果汁(ジュース)もあれば発泡飲料(エール)もある。もちろん菓子を出す店もある。和気藹々とした人混みとあちこちから漂ってくる食欲をそそる香りは壮観のひと言で、エメが目を輝かせるのも当然だった。


「ねえクラ……ご主人さま、その、なに食べてもいいの? ……ですか」


「うん。まずはお腹にたまるものにしようか。希望はある?」


「あっちの、火焔鳥(かえんちょう)の串焼きが美味しそう! じゃなかった、美味しそうです。あ、でも……鬼栄螺(おにさざえ)の壺焼きも……。わあ、あの焼飯(ピラフ)、すごい大きなお鍋で炒めてる! 背黒猪(せぐろいのしし)の煮込みもある! よくルルゥさんが狩ってきてくれてたよね、懐かしい……。ねえねえ、クライズはなにが食べたい?」


 もはや言葉遣いを取り繕えていない。


「一品ごとの量は少ないはずだから、目についた先からでも構わないよ。もちろん全部制覇なんてできないけど……」


「本当!? じゃあ、やっぱり背黒猪からかな……もう七年以上食べてないかも」


「あの獣は南の方にしかいないらしいからね。ところで、目についた先からとは言ったけど、お菓子の屋台もあるからほどほどに」


「ふわっ!? お菓子もいいの!?」


 甘い匂いに気付いて身を竦ませる様は、もはや子供である。


 楽しそうにクライズの手をぎゅっと握り、「うう……」とまた迷い始める。お菓子の分のお腹を残しておくため品を絞らねばならないと考え始めたのだろう。


 ひと月半前、まさにこのクレイナード広場で再会した時のことを思い出す。


 身体中が傷だらけで、痩せ細ってふらふらで、固形物では胃を壊すのではないかというあの状態——ようやく見付けたという歓喜よりもあまりの痛ましさに顔が歪んだ。明日にも死んでしまうのではないかとすら思った。でも、今のエメはあの頃とはもはや別人のように元気で、クライズは嬉しくなる。


 よくぞここまで回復してくれた、本当に。


 ただ一方、エメのそんな様子に安堵しつつも、心中だけでやや顔をしかめる。

 想定外のことが起きていたからだ。


 それは——エメの容姿と、周囲の反応だった。


 エメが美しい少女だというのは理解していたつもりだ。それこそ遥か子供時代、テレサ村で暮らしていた頃から彼女はとても可憐で、きっと惚れた贔屓目ばかりでもないのだろう。


 けれどそれにしたって、まさかここまで耳目を集めるものだとは。


 すれ違う者たちがはっとしたような顔でエメをまじまじと見る。

 そこから呆けたように釘付けになる者、唇の端を意識せず歪める者、頬を染める者。男も女も区別なく、種族ですらも関係なく、彼ら彼女らは足を止め作業を止め、エメのことを注視する。


 そしてその後の反応もまた似たり寄ったりである。エメの頭部に生えた角、片方の折り取られたそれを認め、彼女が魔族であると気付くと、ややあって気まずそうに視線を逸らし、或いは憎々しげに舌打ちする。一部にはあからさまに下賎な欲望の視線を向けてくる者もいた。

 美しさへの陶酔と魔族への差別感情という矛盾したものが彼らを戸惑わせているのだ——そういえば、奴隷商組合(ギルド)の受付嬢も似たような反応をしていた。


 クライズ自身、感覚がずれていたのかもしれない。


 自分の知る女性陣は『七英雄』の面々だが、彼女らは例外なく王国の誇る美貌の持ち主として讃えられている。第一王女のお付きであるサータシャはもちろん、聖騎士ジュリエの凛乎(りんこ)とした鎧姿は今でも語り草だ。ルルゥにしても『月下に光る黒金剛石(ブラックダイア)』などと詩人に謳われているらしい。


 だがクライズにしてみれば、言われてみればあいつらも顔立ちは整っていたな、程度なのだ。


 サータシャからは旅の途中ずっとつっけんどんな態度を取られていたから、小うるさいくせに実は親切なひねくれ者、くらいの認識しかない。ジュリエは元来の性格が男性に近かったし盾役と斥候として連携することも多かったので戦友としての気安さがくる。ルルゥに至っては血の繋がりはないとはいえ姉だ。


 確かに彼女たちと比べて、エメの美しさは決して負けていない。贔屓目を加えればエメが一番可憐で美しいとすらも思う。しかし、そもそも沈魚落雁(ちんぎょらくがん)たるサータシャたちを「まあ美人なのでは」くらいに考えているクライズには、『七英雄と比肩する美しさ』がどんなものなのか本質的によくわかっていなかったのだった。


 ——なんにせよ。

 エメが街中でひどく目立っているのは、クライズにとってあまり好ましいことではない。


 深く頭巾(フード)でもかぶって顔を隠せればいいのだが、三年前に定められた法により、魔族が頭部を布や兜で覆うことは禁止されている。奴隷になった証である折られた角を常に見せねばならないのだ。

 隠蔽魔術を首輪に付与しておくべきだったかとも思う。とはいえこちらも法には触れる。


 もうひとつだけ彼女を目立たせなくする手段があるにはある。しかし——それはあくまで『ある』というだけで、今できるかといえば無理である。なにせそれにはクライズの『祝福(ギフト)』を、魔力翼を展開するほどに使う必要があった。


 当のエメは屋台に夢中な様子しか見せておらず、周囲の視線に気付いたふうではない。いや、正確にはおそらく()()()()には気付いている——ただそれはあくまで奴隷の自分に対する蔑みだと思っているのだ。よもや見惚れられているとは想像だにしていないのだろう。


 そして彼女は、そうした侮蔑の視線を向けられることにすっかり慣れてしまっている。


「ね、ねえ。前菜というか、最初に少しだけお菓子を食べるのってありかな……」


 クライズの袖をぎゅっと握り、こちらを窺ってくる顔には不安があった。が、その不安はどう見ても衆人の視線によってもたらされたものではない。もっと子供じみた類のやつだ。


「あ、あのね。妖精族(エルフ)は食事の前に蜜蝋(みつろう)を一欠片口に入れる習慣があるんだって。そうしたら食欲が増して、ご飯が美味しくなるとか……」


「どこで知ったの、そんな知識」


「ん、この前読んだ本に書いてあった」


 屋敷で退屈しないよういろんな分野のものを無作為に取り寄せていたのだが、どうやらいらぬ知恵をつける結果になったらしい——とはいえ、エメが我侭を言ってきてくれるのはクライズにとってむしろ嬉しくさえある。


「わかったよ。でも小さいやつだよ。あの砂糖菓子のお店はどう?」


「本当!? やった! えへへ……クライズ、すき」


 にまにまとクライズの外套に頬を擦り付けてくるエメ。もはや言葉遣いのことは頭にないようだ。


「じゃあ行こうか。次になにを食べるか決めておいて」


「うん、考えた。やっぱり背黒猪がいいな。でも屋台ちらっと見たけど、煮込みだけじゃなくて串焼きもあったんだよね。串焼きの方がたぶん村で食べてたのに近いから、そっち。あと焼飯(ピラフ)はその隣の屋台の、刻んだ翡翠菜(ひすいな)が入ってるやつ。それとね、お魚も珍しいから少し食べたい、あとは……」


 めちゃくちゃ早口だった。あと注文が多い。

 クライズは苦笑しながら幸福感を覚える。こんなに楽しんでくれてるのなら、まあ、周囲の視線も気にはならなくなるだろう——と。


 そう思い、引っ張られるがままに歩き始めた、その時だった。


「おいガキ。お前が連れてる奴隷、ちょっと貸してもらえねえか?」

「すげえな。こんな上玉、魔族の中にもなかなかいねえぞ。……こいつは見っけもんだ」

「なあに、今から楽しんで、そうだな。明日には返してやるからよ。ひひ!」


 エメとクライズの前に——ふたりよりもふた回りほど体格の大きな、柄の悪い男たちが立ち塞がった。

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お手数ですが本作に関して、こちらの活動報告をお読みいただけたらと思います。
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