二:侏儒の言葉
その店は城下町の北東、裏通りの隅にあった。
店舗だと言われなければ——いや、言われても誰も信じないような建物である。
出入り口は民家の玄関のようで、看板すら出ていない。
店主には最初から商売をする気がないのだ。故に、一見の客は誰も軒を潜らない。
クライズはそんな店へ、エメを伴って訪れた。
扉を二回、少し間をおいて五回。この合図によって自動で出入り口の魔術錠が開かれる。
屋号の書かれた看板は、中にあった。
ぞんざいに削られた木板には『ロロンゾロフの鍛冶屋』——。
だが、鍛冶屋と謳いつつ店内には陳列品のひとつもない。その看板の他には奥手の勘定台だけがかろうじての店構えであった。
おまけに強烈な酒の匂いまで漂っている。隣のエメが少しだけ顔をしかめた。
「ごめん、エメ。説明し忘れてた。酒くさいのはこの店の常だ。嫌だろうけど我慢してほしい」
「ううん……じゃなかった、いえ、大丈夫です、ご主人さま」
「ここではその喋り方じゃなくてもいいよ」
現在の魔族は、激しい憎悪と嫌悪、差別と迫害の対象である。故に、立ち居振る舞いにも厳しい目が向けられていた。
言葉遣いについてもそのひとつだ。少なくとも屋敷の外で、あたかも友人に接するように主人と喋っていたらすぐに見咎められ難癖をつけられてしまう。
もちろん奴隷は個人の所有物であり、所有者の意思に添っているのであればどのような言動でも法に触れることはない——が、あくまでもそれは建前。
魔族に直接の恨みを持つ者は多い。人並みに過ごしている、ただそれだけで怒りの羅針盤がぐるぐる回り始めて血迷うような輩は、小石を蹴れば当たるほどにいるのだ。
「いいの? ……じゃなくて、結構です。どこにいてもきちんと奴隷に相応しい言葉遣いをしなきゃ……しなければいけない、ません、ですからっ」
「ぐちゃぐちゃになってる……」
思わず苦笑した。
先日、クライズが自分の過去、つまりこの三年間にしたことを打ち明けた際——エメは『これまでのことに区切りをつけてふたりの新しい関係を始めよう』と心に決めたらしい。
それ自体はいいことだと思う。なにも知らずに過ごしていたテレサ村での暮らしには二度と戻れないし、互いの出自に目を瞑っていることももはやできないのだから。
ただ、その方法がやや問題だった。
どうもエメは『クライズの奴隷である現状』を受け入れることで、その前向きさを表明しようとしているようなのだ。
最初は、奴隷時代の嫌な記憶を思い出してしまうのではないかと心配だった。
ただ数日を過ごしてみると、取り越し苦労であることがわかった。クライズの傍にいることで本能的に安心してくれているらしく、怯えた様子や過去の記憶に苦しむ素振りもない。それどころか言葉遣いを徹底できずにぼろぼろになるという微笑ましい有様である。
——まあ、いい気分転換にはなっているみたいだ。
どのみち、これから外出する機会は増える。というより、屋敷の中に引きこもるような暮らしはさせたくない。第三者にいらぬケチをつけられぬよう振る舞うのは大事なことだろう——本当なら外でも好きに喋ってほしいし、そうさせて文句を言わせないだけの力がクライズにはあるのだけれど。
「だって……なんかこう、咄嗟には切り替えられないんだもん」
頬を膨らませるエメはとても可愛らしく、思わず頭を撫でる。
「ふわあ……」と呆けたような声が、細い唇から溶けだしてきた。
「なんじゃ、ぬしらは。人の店で睦むでない」
そんなことをしていると——。
店の奥、勘定台の向こうから、のそりと人影が現れた。
野太い声に、酒灼けした赤ら顔の中年男性である。
乱れたもじゃもじゃ髪、収穫前の羊ほども蓄えた髭。逞しく筋肉質な体躯は小山のようだが、それでいてクライズよりも、エメよりも頭ひとつふたつ分は小さい。
典型的な侏儒族の特徴を持ったその男は、クライズの顔を見て、
「ああ、ぬしか」
と片眉を下げたのち、
「なるほど……そこの娘が、ぬしの」
隣のエメを見てわずかに目を細める。
検分するような視線に怯え、エメが身体半分だけクライズの背に隠れた。
「大丈夫だよ、エメ」
だからクライズは笑って、彼女の背を押して前に出す。
「紹介する。この人は、グィネス……グィネス=ロロンゾロフ」
ただそれでも、忌憚なく朗らかに、というわけにもいかない。
何故ならこの男とエメは、会ったことのない赤の他人ではあるが——剣呑な関係を持つ間柄でもあるのだから。
「彼は王国から誉名を与えられている。『蛮勇無双たる戦士』グィネス。……『七英雄』のひとりだ」
※※※
相変わらず酒は呑めんのだろう、と。
グィネスは残念そうに言うと、ふたりを店の奥へと促す。そこにある長卓に着かせると、牙茶を出してきた。
狼麦を煎じた茶に干した梅を潰して混ぜたもので、ドワーフの伝統的な——酒以外では唯一とされる——飲み物である。
旅をしている時には何度も振る舞ってくれたものだ。疲労と二日酔いにいいらしい。疲労回復効果は確かにあったと思う。二日酔いはどうだか知らない。
クライズにとっては懐かしい味だが、エメにとってはどうだろう。
「……すっぱいです」
エメはおそるおそる飲むと、途端に口をすぼめた。
「合わんか?」
「いえ、美味しいです……すっぱいけど」
「そうかそうか。ならばよい。どうもこいつはドワーフ以外には好みが分かれるようでなあ。酸いが故に飲んだ者は狼のように口を尖らせるから牙茶というのよ。サータシャなどは結局最初の一回きりで、あとは頑なに飲もうとせなんだ」
呵々、と笑うグィネス。
だが、直後、髭の奥で描いた三日月をすとんと水面に落とし、
「……嬢ちゃんが、魔王の娘か」
エメもまた、問われて湯呑みを置き、真摯な顔をして答える。
「はい……私の名前は、エメ。エメリルア=ディス=テレサ=ジキタリスです」
「ディス……それに、ジキタリス。なるほど確かに魔王の姓名よな」
グィネスはそこでようやく、クライズたちの対面に腰掛ける。彼が座ったのはドワーフ用の椅子で、脚が長く、目線はクライズたちと同じ高さになった。
そして、深く息を吐き——語る。
「儂は……儂らは、五年前、神託によって選ばれ魔王討伐の旅に出た。そして二年の時を経て、ぬしの父……魔王ディスを討ち倒した。直接的に手をかけたのはそこの小僧だが、それでも儂は小僧が魔王を殺したとは思わん。魔王を殺したのは魔族以外の人類種であり、盟主国たるミドガルズであり、勅命により討伐を引き受けた儂ら。『七英雄』たる儂らだ……そう、思うとる」
それは独白のようで、それでいて告解のようで、だからといってひとりよがりなものではなく。
ふたりへなにかを伝えるために紡がれた言葉だった。
グィネスに、エメが問う。
「それは……クライズを庇ってそう仰っている、のでしょうか」
「ないとは言わんよ。大人は子供を庇うものだからな」
暖かい昼下がりのような表情。
彼は昔からよくこういう顔をする。
斧を持たせればまさしく誉名の通りに蛮勇無双、質量を持った嵐のような男であるが、本来の性格は決して荒々しくはない。むしろ思慮深く気遣いに溢れている。
「壮年に片足を突っ込んだ儂のようなオヤジはもちろん、他の『七英雄』も……まあハイトやサータシャなどは今でもまだ若かろうが……それにしたって小僧に比べれば大人よ。旅に出た時、この小僧はまだたったの十三だった。たとえいかなる大功があろうが、十三の子にすべての責を負わせるなどできるものか。当時十三——こいつはな、嬢ちゃん。儂の息子と、同い年なのだ」
そう——旅の最中、この戦士は『七英雄』たちにとって、もちろんクライズにとっても、父のような存在だったのだ。
だが、彼がそう在ったのには、やはり理由がある。
「ご子息がいらっしゃるのですか?」
「いる、ではない。いた、だ。息子がひとりと娘がひとりな」
エメがはっとしてわずかに俯いた。
迂闊な相槌を打ってしまったという顔をする。
「ぬしの父親……魔王に、儂は家族を殺された。もう十年にもなるか。妻に、ふたりの子も」
それはきっとエメにとって、ひどく残酷な言葉なのだろう。
だがクライズはグィネスを止めなかった。
止めていいものではない。
これは、必要なことなのだ——グィネスにとっても、エメにとっても。
「当時は酷い世だった。住んでいた小国は魔族に滅ぼされ、国民は散り散りになった。儂ら家族は隠れ里を目指した。故国で噂になっていたのよ。あらゆる種族が……魔族さえもがともに平和に暮らす、楽園のような村が大陸の南の方にある、と」
「それ、って」
テレサ村。
クライズとエメが育ったあの隠れ里——。
「……だが結局、そこへは辿り着けなんだ。儂らは道半ば、魔族の人間狩りに出くわした。妻と子たちは殺され、そして儂ひとりがおめおめと逃げ延びた」
グィネスは湯呑みの中の牙茶を啜る。酒ではなく、牙茶を。
酸味で感情を引き締めるように。汚れた牙を洗うように。
「儂は復讐を誓った。身体を鍛え上げ、虐め抜き……そうすることで自分でも持っていることを知らなんだ『祝福』が目覚めた。儂は魔王麾下の魔族と渡り合えるほどに強くなったが、嬉しくなどありゃあせん。己が『祝福』持ちだと先に知っておれば家族を守れたやもしれんのに、なにを今更と口惜しさしかなかったわ。これは祝福などではない、ただの呪詛だとな……小僧も嬢ちゃんも、同じように思ったことがあるだろう?」
諧謔に満ちた自嘲に、エメはしかし頷かなかった。
代わりに問いを、もうひとつ。
「グィネスさま。その……私を、魔王の娘である私のことを、恨んでいますか」
「ふん、それは儂が尋きたいくらいだ。嬢ちゃんは儂を恨んでおるか?」
それに侏儒は笑う。
今度は憂うように。
「妻子を殺され、そして仇討ちをした。だが——嬢ちゃんがまさにそうであるように——儂が殺した魔族の身内にとってみれば、儂もまた家族の仇なのよ。仇を討ってみれば我もまた仇。殺して、殺されて、仇を討って、仇を討たれて……その繰り返しじゃ。まったくままならんし、うんざりする。ただ仇討ちをしただけなのに『七英雄』として祭り上げられるのも願い下げよ。故にこうして隠居しておる。誰も来ぬ店などをやって、無聊を慰めておるのだ」
「私は……あなたを恨むなんて、そんなことは」
エメはさすがに口ごもった。
「意地の悪い物言いをしたな、すまん。嬢ちゃんが小僧と睦まじくしているのを見れば、ぬしの心持ちはそれだけでわかる。それにな……いや待て、おい小僧、思い出したぞ。ぬしらがここにきた用件を」
それに気まずさを感じ、いたたまれなくなったのか。
グィネスは唐突に話題を変えて立ち上がった——或いは本当に話の途中で思い出したのかもしれない。そういう気ままさがドワーフという種族にはある。
いそいそと客間の奥に引っ込んでいくと、ややあって戻ってくる。
そしてクライズへ、平たく底の浅い木箱をひとつ。
投げるように寄越す。
「依頼の品だ」
「うん、ありがとう」
そもそもクライズが店に来た理由は、これだった。
兼ねてより頼まれていた品が完成したから取りに来い——そう文をもらい、参じたわけである。
「希望通りに仕上げてあるぞ。しかしまったく難儀な注文をつけおる、少しは遠慮せい」
「悪かった。ちゃんと報酬は払う」
「術式と術核の提供は賢者だからな。そっちに不具合があっても儂の責ではないぞ」
「それは信用してる。もちろんあんたのことも……ヴ・トには礼を言っておいてくれ」
「自分で言え。ぬしの方が会う機会は多かろう」
それもそうか、と苦笑したクライズに、
「ねえクライズ、それ、なに?」
怪訝な表情でそう尋いてくるエメ。
「ああ、これは……」
今ここで箱を開けて見せるべきか迷う。
なにかと問われれば、これは彼女への贈り物ではある。それもクライズの想いと覚悟を込めたとっておきの。
だが、だからといって——喜んでもらえるかどうかはまた別問題だった。
指輪や耳飾りなどといった色気のあるものではない。もっと厄介で、面倒で、それそのものだけで見るならば気が滅入る——今のエメが必ず身に付けなければならないものなのだから。
「もう一軒行くところがある。そこで教えるよ」
「ふうん」
そう言うならひとまず脇には置くけれど気にはなってるんだからね、とでも言いたげな顔だった。
だからクライズは——さっきのグィネスよろしく、ドワーフみたいにいきなり話題を変えてごまかす。
「もう一軒行ったら昼ご飯を屋台で食べよう。好きなものを買ってもいいからね」
「え、本当? やった!」
※※※
買い食いなどという他愛ない甘言で少女をごまかす少年と、あっさりとそれにごまかされて喜び始める少女を眺めながら、グィネス=ロロンゾロフは、ふたりに気付かれぬよう目を細めた。
——大陸には『侏儒の言葉』という慣用語がある。
侏儒族——ドワーフは冶金や錬金などの物作りに関しては一本気で一徹、作業に集中し始めたら脇目も振らないが、こと会話に関しては一転、気まぐれでそぞろで、ふとした弾みでいきなり話題を変えたり急に打ち切ったりする傾向がある。
他の種族はそれを揶揄し「一貫性や論理性のない行き当たりばったりな言動」のことを『侏儒の言葉』と形容する。
当のドワーフにとっての真実は、少し違う。
別に自分たちは気まぐれやなんとなくで会話を切り上げたり話題の方向転換をしているわけではない。
そこにはそうするだけの理由がちゃんとある。ただ、他の種族には理由を教えたくないというだけなのだ。
その一本気で脇目も振らぬ気質が故に。
会話に気持ちが乗るとつい、余計なことを言ってしまいそうになる。だから不意に恥ずかしくなって話題を切り替える。もしくは急に口を噤む。
ドワーフ同士において、たとえば年頃の男女が会話する中で片方がいきなり『侏儒の言葉』を発したら、それはほとんど愛の告白に等しかったりする。
さっきの、グィネスの言葉。
『嬢ちゃんが小僧と睦まじくしているのを見れば、ぬしの心持ちはそれだけでわかる。それにな……』
彼はそこから、こう続けそうになった。
続けそうになって、やめたのだ。
『儂には、息子の他に娘がいたと言ったろう』と。
『その娘はな……生きておれば嬢ちゃん、ぬしと同い年なのだ』と——。
やいのやいのと楽しげに昼食の話をするふたりへ、グィネスはそっと、口の中でだけ語りかける。
「小僧、嬢ちゃんよ。……どうか幸せになっておくれ。儂はそれを望んでおる。きっと儂の家族も、ぬしらを見ればそう言うだろうさ」
それは侏儒の言葉として、ふたりには届かぬまま。




