魔族の国と小さな村
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その国に名前はなかった。
『彼ら』にとって『国』とは自分たちの行使する暴力のことであり、暴力により他種族を支配しているという事実そのものであった。
欲望のまま気の赴くまま好き勝手にやれていればそれだけでよく、故にわざわざ固有の名など必要としなかったのだろう。
実際、その体制は『国』と呼ぶにはあまりに稚拙だった。
敷かれた政策は恐怖。
税とは略奪。
課される労働とは苦役。
報酬は死と惨。
支配階級たる彼らはただそこにあり、ただ横暴に振る舞い、ただすべてを恣にした。
多種族——只人族も妖精族も侏儒族も小躯族もその他の少数民族も、一様に一切の差別なく、貪り奪い犯し殺し試し使う対象として扱った。
厳密な意味では、支配など行なっていなかったとも言える。彼らは人々の生活に対してなんの口出しもなんの統制もしなかったからだ。収穫を増やす施策も、備蓄食糧の管理も、開拓や狩猟の制限も、なにも。
行ったのはただひとつ——『人間』という種の頂点に立つことだ。
腹が減れば村を襲い、欲求が溜まれば人を攫い、暇をもて余せば徒らに殺し、気に障れば首を刎ねる。
媚びへつらってくるならば気分次第でそれなりに扱うが、気分を損ねれば打ち捨てる。抵抗されれば暇を見て適当に遊ぶし、叛乱されれば鼻で笑いながら徹底的に叩き潰す。つまりは獣や虫のように他種族を扱ったということである。他種族が栄えようが滅びようが、殖えようが絶えようが、まったく知ったことではなかった。
暴虐が行われていたのは、二十年の間。
たったの二十年だ。
だが——そのたったの二十年で、大陸は歴史に記録される限り最悪の荒廃を迎えることとなった。
土鬼族や霊族、中背族など、幾つかの種族がほぼ滅び絶えた。夜妖精族などは数を極端に減らし隠れ里へ身を潜めるようになった。かつて大陸で共存していた竜族や神獣などの知性ある非人類たちは、人類社会の惨状に眉をひそめて呆れ、山脈の向こうへ去ってしまった。
どれもこれもが、「彼ら』が思うままに振る舞い始めてから、わずか二十年の間に起きたことだ。
『彼ら』——その支配階級の名を、魔族という。
あらゆる人間種の中で、最も大きな魔力の器を持った種族である。
体内魔力の含有量、外界魔力を取り込める量、そのどちらにおいても、魔族より優れた種はほとんどいない。勝てるのはせいぜい竜族くらいのものだろう——もちろん竜族にしても巨大な体躯があってこそであり、肉体の嵩で割って比較するならば魔族は竜族すらをも上回る。
魔力を司るのは、角だ。
頭部から生えて、一対二本。鱗とも爪とも甲殻ともつかない質感をしている。形状は個人によって異なっており、真っ直ぐ長く伸びた者もいればぐるり湾曲している者もいる。左右に張り出していたり前方に突き出ていたりもする。この角は膨大な体内魔力を制御するための機関であり、同時に外界魔力を無尽蔵に取り込むための器官でもあった。
そして彼らは、角で制御された魔力を背中から放出することで術と為す。背骨と肩甲骨の間あたり、皮膚の下に存在する放出器官は、体内魔力と外界魔力を混ぜ合わせ、漆黒の墨状物質として現出させる。それは翼様の形状でもって背に展開された、言わば顕現する力の証である。
一対の角と、黒い翼。
生み出される魔力はどんな大規模魔術をもたやすく行使し、かてて加えて、身体能力をも強靭にする。
彼らはそれを武器とし暴力として、すべてを支配していた。
支配するようになった。
魔族の部族長であったある男が、『魔王』となってより以降。
※※※
大陸の中央、魔族の支配に唯一かろうじて対抗できている只人族の国家『ミドガルズ』があり、その国土の南端、王都からおよそ二百粁ほど離れた場所に、ある小さな村が存在した。
森を含めた周囲一帯が結界によって巧妙に隠され、魔族の侵略から守られた隠れ里だった。
そこは、あらゆる種族が共存する楽園だった。
只人族はもちろんのこと。
妖精族も、侏儒族も、小躯族も。
ほとんど滅びたはずの、土鬼族や霊族や中背族も。
山奥に引っ込んだはずの夜妖精族も。
そして——現在進行形で暴虐の限りを尽くしていた、魔族すらも。
争いを嫌い、あるいは争いに疲れ、外の世界から逃れた者たちの集まりだった。
彼らは村長——ひとりの心優しい魔族の女性の下で、ひっそりとささやかな平和を享受していた。
村の名を『テレサ』という。
そんなテレサ村に、ひとりの少年がいた。
歳の頃はわずかに十一、親はない。
村長である女性、テレサミア=アニーズ=リトルリア=ジキタリスの家に、居候という形で暮らす。
名前をクライズという。
村長のテレサミア——テレサには、ひとりの娘がいた。
名前をエメという。歳の頃は十。クライズのひとつ下。
テレサの下、彼とは家族同然に育てられていた。
活発で元気なエメが、内気でおどおどとしたクライズを連れ回す様は、まるで姉弟のようだった。
元気が過ぎるせいで失敗をしてよく泣くエメをクライズが優しく慰める様は、まるで兄妹のようだった。
そして仲睦まじく寄り添い合う様は、まるで恋人のようだった。
「クライズはわたしのお婿さんになるのよ! そしたら次の村長なんだから、もっと強くなりなさい」
エメはよくそう言って、引っ込み思案なクライズを叱咤した。
「ぼくはどんなエメでも大好きだよ。いつかお嫁さんになっても、きっとずっと」
クライズはよくそう笑って、勝気なエメの頬を真っ赤にさせた。
それはふたりにとって当たり前に来るはずの未来だった。
幼くとも互いの想いは定まりきっていたし、変わることはないと確信していた。
——結界が破られ、テレサ村が襲撃されるまでは。
※※※
その日、村は暴虐と惨劇、そして炎に包まれた。
クライズとエメは幸いにも死を逃れはするものの、混乱の中、離れ離れになる——されてしまう。
慟哭の中、互いの名を呼びながら。
互いの安否すら知れないままに。
魔族による大陸支配が始まってから十六年め。
今から遡ること、七年前のことである。




