孤独王
或る所に孤独王と呼ばれる者がいる。元はただの人間であったが、十代にして虚脱の境地に達し己が人生を悲観、以降は遁世し誰も近寄ることのできない暗闇の中で唯ひたすら自分の死を待っているという
その話を聞いた小暮という男が、その孤独王に会ってみたいと思い立った。小暮は生まれてより恵まれぬ自分の境遇にいよいよ嫌気がさしていた。そんな事を抱いているためか、普段は真面目でおとなしい性格ながら、酒が入ると「死んでやる」と叫んでは周囲の者を困らせている迷惑者であった。そんな自身の不甲斐なさにまた打ちひしがれては、今日に至るまでずっと自分の気持ちを汲んでくれる者を探し求めていた。そんな小暮のことを周囲の者は初めのうちは面倒を見ていたものの、徐々に呆れてしまい、ついに小暮は一人になってしまった。小暮は自分を理解してくれそうな唯一の存在に微かな希望を見出し、彼を探す旅に出た。
旅を始めてすぐに小暮は不安に駆られた。孤独王は「誰も近寄ることのできない暗闇の中」にいるのだ、どうやって会うというのだろう。仮に会えたとして、彼は私と話してくれるのだろうか。
旅に出てからどれくらい経っただろうか、途方もなくただ歩いた果てに、彼は小さな居酒屋の前で足を止めた。古臭い提灯と暖簾が人除けのように垂れ、中からは人の声など全く聞こえない閑散とした有様。入るのがいささか拒まれるようなその居酒屋に、小暮はふいに興味がそそられた。暖簾をくぐると中には頬杖をついた物憂げな男が一人、カウンターの隅で目の前の酒にも手を付けずただじっと座っていた。
「あの、ここ、やってますか。」
久しぶりに声を発するものだから少々小声になった自分に恥を感じて縮こまりながらその男を見ると、男は長い間考えるような仕草を見せた後、少しだけ目線をこちらにそらし、
「あぁ、うん、店主は今いないけれども、やっていますよ。」
と言う。何とも不思議なもんだと思いながら、小暮は軽い会釈をしつつ男から三席ほど離れた席に座った。店主がいないので何も頼めないことに気付き、少しの間をおいてまたも小声気味に
「あの、店主は今どちらに。」
と問うてみた。
「あぁ、彼は今日ここには来ませんよ。彼は僕の友人でね、たまに無理言ってこうして僕のために開けてもらってるのですよ。」
小暮は恥ずかしさで熱くなった。脇から汗が滲むのが分かった。あぁ、ここはこの人のための空間だったのに、自分のせいで邪魔をしてしまった、と。
「それはすみませんでした、そうとも知らずずけずけと入ってしまって・・・。」
「いやいや、いいのですよ。来客なんて珍しいもんで、こちらとしては嬉しい限りですよ。どうです、折角いらっしゃったんです、飲んでいかれませんか。」
男の柔和な表情と口調が何とも心地よかったせいか、小暮はその男に奢ってもらうことになった。入ってきた時はまるで死人のような眼をして固まっていたのに、話し出すと終始にこやかな表情を崩さず、話下手な小暮の語りを上手い具合に相槌を打ちながら聞いていた。最初は伏し目がちでこわばっていた小暮もこの男の前では少しずつ笑顔が芽生え、だんだんと話が弾むようになった。
「そうか、君は孤独王という奴を探しに遠路はるばるここまで来たのかい。はぁ、すごいもんだ。そんな活力があるというのにどうしてその孤独王とやらに会いに行くんですか。」
「私のこの暗澹たる心持ちを少しでも汲んでくれそうなのが、その孤独王ただ一人なのです。私は私を理解してくれるものが欲しいのです。」
「そうかぁ、それは難儀なもんですな。自分以外の誰かに理解してもらおうなんざ、何とも難しい話じゃありませんか。」
「そうですね、やはり孤独王に会ったところで私は救われないのですかね・・・。」
「いやぁ、そういう事を言いたいんじゃないんです。私はね、こう思うんですよ。人は自分かわいさに常に生きている。どんなに人の為らしい事も、全て当人の満足のためです。親が子に愛情を注ぐのも、友人が困ったときに助けてくれるのも、慈善活動だって、全部人が自分の存在意義だとか欲求を満たすためのもんだと思うんです。だから真に自分を思いやり、理解してくれるのは自分一人というもんじゃないんです?自分を愛してはいかがでしょう。」
小暮は男の説く彼なりの持論にひどく共感した。他人は所詮他人なのだ。理解を求めるのはただの我儘というもの。あぁ、そうか!誰にも満たせぬというのならそれが叶うのはただ自分だけなのだ、と。
「なるほど、そういうもんですか。そうか、私は他人のために生きているつもりで他人にただ依存し期待していただけなのですか。そうですか、ただのエゴだった訳ですか・・・。」
その夜の小暮は不思議と悪い酒癖が出なかった。どころか男との話に思慮をめぐらせ、まるで知性の深淵を覗き込んでいるよな高揚で満足していた。
やがて話し終わると小暮は晴れやかな笑顔を見せていた。今までの人生観が音を立てて崩れ去り、代わりに毅然とした自分が生まれたのがはっきりと分かった。小暮は何度もその男に感謝の意を述べ、帰っていった。
それからの小暮は別人のようであった。他人の目を気にしなくなったのだ。周囲からは「変な奴だ」「面白いやつだ」の賛否両論が飛び交ったが小暮はそんなことに構いもせず、人の注目を集めていった。次第に人気者になった彼には孤独のこの字も無かった。
時が経ち、彼はふとあの男に会ってみたくなった。不確かな記憶を頼りにようやくあの居酒屋に着くと、そこには店主らしき人物が店を切り盛りしていた。
「ご主人、あなたのご友人とかいうここの客の男はいらっしゃいませんか。」
小暮は明るい笑顔で店主の顔を見つめながら問うた。
店主は一切表情を変える事なく小暮を見て言った。
「あぁ、アイツですか、ついこの間自殺してしまいましたよ」
小暮はその瞬間、「あっ」という声を漏らしてしまった。
孤独王、あなたはついに愛せなかったのか、と。
初投稿の上に校閲が疎かな為、稚拙な文体、及び誤字、誤表記があるかもしれません。ご容赦下さい。
評価があれば長編にも挑戦したいと思います。
評価のほどよろしくお願いいたします。