あの緑色の世界にちなんで
湖のほとりで足のさきをちょこんと湖面につけるような物語です。そこにひろがる波紋を描いています。読む人の心にひろがる波紋をおもいながら。
たとえば命が3時間タイマーで動いているとしたら。
人は命を継続するため常にそのタイマーを回し続けることになる。
その3時間タイマーを3時間経つ前にリセットして元の時間に戻せばまた3時間は安心だ。命を継続できる。そしてまた3時間経つ前にリセットすればいい。その繰り返しで命を継続することができる。寝る前にリセットして睡眠途中で何度か起きなくてはならないだろう。それはちょっとばかり面倒なことになるかとおもうが、そうしなければ死んでしまうことを考えたら面倒なんて言ってられないとおもう。
僕はタイマーをリセットすることを気にすることなくそのまま眠ってしまいたい。まるで休日前夜のように。明日の朝は早く起きることはない、ゆっくり眠ろうと目覚まし時計をセットしないで眠りにつくような気安さで、僕は眠ってしまいたい。その夜は、その最後の夜は、素敵な夢がみられそうな気がするんだ。たぶんその夢には君があらわれる。まるで最後にお別れをするみたいに。
僕は涙を流さないとおもう。君の前だからという理由もあるけど、これまでに君を想って一生分の涙を流したから、僕にはもう涙は残ってないとおもうんだ。君は涙を流してくれるかもしれないけど、僕は笑ってこたえるよ。あの時、君に言えなかったことを、死ぬまえに、死を覚悟した人が最後に口にする言葉みたいに。その時、僕はタイマーをリセットせずに眠っているからすでに手遅れではあるんだけど、目の前に君がいたらたぶん口に出してしまうとおもうんだ。いちばん伝えたかったことを。
僕はそんな素敵な夢をみながら永遠の眠りにつけるのなら、こんな幸せなことはないっておもえるから。3時間タイマーをリセットせずにベッドの側に置いて瞼をとじたい。
ある人は言う。
「生きたくても生きられない人だっているんだから」と。
「だからどうしたんだ」って僕はおもう。その言葉は「生きたくても生きられない人」が発した言葉じゃない。なんの覚悟もなく生きている人がなんの覚悟もなく発した言葉だ。アルコールが全くダメな人に「お酒が飲めないなんて人生の半分損してる」と言うその言葉くらいくだらなくて意味がない。LINEスタンプのように気軽にやり取りができ、それがあげられるのなら、その「生きたくても生きられない人」に送ってあげたいくらいなんだ。僕の役立たずの命を誰かが効果的に使ってくれるのなら、それで喜んでもらえるのなら最高じゃないか。でも。
望むと望まざるとに関わらず自分の命は自分のものだ。誰にも譲ることはできない。
選ぶと選ばざるとに関わらず生きるという選択肢しかないのだとしたら、死ぬことを考えるのはあまり意味がない。
だけど、どうしようもなく「死にたい」とおもうことがあるんだ。厳密に言うと「死にたい」わけではない。「生きていたくない」という方が合っている。
死ぬことは悲しいことなんだろうけど、生きてるほうが悲しくおもえることもある。死んだことがないからそんなことが言えるのかもしれないが、それは死んでみなくてはわからないことだから誰にも否定はできない。僕が正しいことを言っている可能性だってある。
それでもどうしようもなく生きていくしかないのだとしたら。
「どう生きるか?」
雨の月曜日。僕は電車に乗り住み慣れた街を離れていた。時速80㎞、およそ一定の速度を保ちながらそれほどの速さで僕は街を離れていた。それは僕に感傷にふける時間も与えてくれない配慮に欠ける速度だった。
僕はその配慮に欠ける速度ではしる電車の窓から感傷にふけることなく、ただぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。
窓の外はほとんど見るべき景色はなかった。森のように木々が我が物顔で立ち並びのび放題の無数の雑草がそれぞれに陣取り合戦を繰り広げていた。たまにそこに古い一軒家が現れ、たまにそこにどんな人が住むのか想像もできない朽ち果てたアパートが割って入ったが、それ以外はずっと代わり映えのない緑色の景色だった。僕はぼんやりとその緑を眺めていた。
緑がいつもと違う緑だった。だけど本当の緑だ。そんなふうに思えた。
雨に色はないけれど雨の色をさがしてみた。それは雨の月曜日にぴったりの素敵な課題だった。
木々や植物たちにはそれぞれの色があるけれど、それを無視して総称で緑ということがある。
だから僕はこの日の雨を緑とよびたい。
もっというとそれは車窓から見える景色のように雨に滲んだ緑色。または絵具の、ごく一般的な緑色を塗った絵に君が涙を落としたあの絵みたいに。
森の絵だったかな。
君はめちゃくちゃに同じ緑色を塗って不満そうにしていた。
「草原かい」と僕が茶化すと君は泣き出した。大粒の涙がぽたっぽたっと音を立てて緑色に塗った画用紙の上に落ち、次から次へと涙があふれてこぼれて緑色の絵はあっという間に水浸しになってしまった。
僕はその緑色の上にライオンやシマウマやゾウなんかを描くのかなって思って「草原」かと言ったのだけど、目の前で号泣している君に鼓動を聞かれてしまいそうなくらい心臓が騒ぎ自分が言ったことを後悔さえしたんだ。
咄嗟にそんな君にかけてあげられる言葉が出てこなくて無力さも感じてた。いや君じゃなくても女の子に目の前であんなふうに泣かれたら誰だってびっくりするよ。たぶんだけど。あの時君にかけてあげられる言葉なんてなかったんだ。
なぜ君はあの時あんなにも泣いたんだろう。
君の涙で濡れた緑色はところどころが滲んで緑一色だった絵が本格的な水彩画のようにみえた。
「本格的な」なんて言ったら失礼だね。あの頃君は画家になりたいと公言していて毎日何十枚もの画用紙に絵を描きまくっていた。お世辞にも芸術的な代物と言えたもんじゃなく、ただの画用紙の無駄遣いのように思えたけど。何かを表現したくて、何かになろうと必死でもがいている君が、可笑しくもあり羨ましくもあったんだ。
漠然とだけど、将来的に画家として有名になる人や天才と呼ばれる人の子供の頃はこんなだろうっておもってたんだ。
君は絵を描き始めると誰とも話しをしなくなり、部屋に閉じこもり食事をすることもなくその行為に集中した。一日や二日なんてのはざらで長いときは一週間に及ぶこともあった。さすがに一週間も食事をすることなく過ごしていたわけではないだろうけど、それこそ生きるために最低限必要なものを口にし命を絶やさぬように最低限必要な水分を補給していたのだろう。それは3時間タイマーをリセットするみたいに。
その荒業のような数日間を終え目にする君は、監禁されやっと救助された少女のように痩せ細って頬がこけ顔はげっそりとなっていた。歩くのが精一杯というようにふらふらしながら部屋から出てきたんだ。おまけに手や足には元々何色だったのかもわからないくらいありとあらゆる色の絵具がついていた。服だってそうだし髪や顔にさえも絵具が飛び散って張り付いていた。
そんな姿で君は決まってこう言った。
「ダメだ」
数日間、声を発してなかったものだから聞き取ることが困難な声量だった。その声は掠れていて人が死ぬときに最後に発する命の底から絞り上げたような声に聞こえた。僕はあの声が忘れられないよ。
それほどまでに悔しかったのだと思う。君は命を懸けて挑んでいたんだと思う。
第三者の僕が言うと安っぽくて大したことないようにおもわれるかもしれないけど、命を懸けて挑み敗れはしたものの無事に生還した君の姿は素敵だった。
たぶんその時も君は泣いていたんだろう。でもろくに水分補給もしていない数日間を過ごし体中の水分は枯渇し液体としての涙を流すことはなかったけど、たぶん君は泣いていたんだろう。
そして毎回のようにその後病院へ運ばれて、閉じこもっていた日数と同じくらい入院した。そんな君を見て宇宙飛行士みたいでカッコいいとさえ思ったよ。
僕がこれから宇宙飛行士を目指してもなれないように、君みたいにはなれないなっておもうんだ。それほどに僕は凡人なんだと君をみていておもったんだ。
僕はもう君の名前を呼ぶことはないだろう。いっそ忘れてしまいたいけど死ぬまで忘れることはないだろう。だから君を思い出したとき、こうして君を語るとき、君のことを「緑」と呼ぼう。いつまでも引きずっていてはいけないことだけど、いつまでも忘れたくない素敵な記憶だから。僕が何度も何度も、喉が擦り切れるくらい呼んだ君の名前を、別の名前にすり替えて記憶を曖昧にしよう。君が何度も何度も、その小さな命を削って描き続けたあの緑色の世界にちなんで。またはこの日の緑色の雨のように。
僕は君の前から姿を消すことで生きていけるとおもったんだ。あの頃にはそんな揺るぎない想いがあったんだ。
だけど君を失うことで僕はすべてを失ってしまった。いったい何をやってるんだろうね。
僕は君が描いたあの森の絵が大好きだったよ。あの頃君はいつだってあの森にいたね。君のからだはすぐそこにあるのに君はそこにはいなかった。僕は君のパレットの上の無数の緑色のなかに君の姿をさがしたよ。ほんとうの緑を。だから初めてあの森で、あの緑色の世界で、君をみつけたときは僕はほんとうにうれしかったんだ。僕は君をみつけることができたんだって。これまで生きてこんなにもうれしいことなんてなかった。この先を生きてこれ以上うれしいことなんてきっとないと思った。だからうれしくて、そして悲しかった。
僕はこの電車でどこかに向かっている。この電車には然るべき目的地がある。そこに線路があり行く先に点々と駅があり目的地となる終点の駅がある。
僕には目的地がない。その時点でこの電車とは気が合わないみたいだ。僕には降りるべき駅もなく辿り着く終点の駅で降りる目的もない。やっぱり何から何まで気が合わない。窓の外の緑を眺めているけれどそれがそこにずっとあるはずもない。配慮に欠ける速度ではしるこの電車が僕が眺めていた景色を消すだろう。それは僕がテレビ番組の録画をしたテープに、誰かが違う番組を録画がするみたいに呆気なく消されてしまう。電車は「そんなことはあたりまえ」だと僕を笑うだろう。まるで誰かが録画した番組を観ながら笑うみたいに、周りもみんなで笑うんだろう。
僕は電車の窓枠に頭を凭せかけて切符を手に取り眺めてた。目的地ではない終点の駅までの切符を。
電車は決められた速度ではしり、決められた時間にその駅に着くだろうが僕には決められたものなど何一つない。この電車とはよっぽど気が合わないらしい。
人生を長い長い線路の旅にたとえることがある。気の合わない友人が核心に迫る助言をくれることもある。終点の駅までの切符は降りた時点でただの紙切れになる。その切符はそこで命が尽きる。
だけどその終点の駅では新しい切符を買える。どこまでも続く線路は様々な駅につながっている。そして3時間タイマーのように時間の制限もない。どの切符を買おうか迷っている間に命が尽きる心配もない。
どう生きるか?の問いに僕は答えられない。
だけど、どう生きるか?に関係なく僕はどこかの駅までの切符を買うことを決めた。線路がどこまでも続くなら。また車窓に緑色の景色がみえるなら。
本作品は元となる長編作品の冒頭部分と一部改編により書き下ろしたものを構成し短編作品にしたものです。
生きることは素敵なことだけど、残酷なまでに悲しいこともある。
愛することもまた同じように。