愛しいかけら
「今日は暖かそうですね」
「そうですね。最近は暑いくらいの日もありますよ?」
個室の病室で、俺は河西看護師長さんと話をしていた。
自分の看護は、新人とは言え、娘であるよつ葉が担当してくれている。逆にそうお願いした。
学業で看護学生をしていた頃といまでは全く立場も違う。
あの純白の白衣を着ているということは、それだけの責任を持った存在であるということだ。
そんなよつ葉に少しでも練習台として使ってもらいたくて、病棟での処置については、先輩看護師に見てもらいながら、点滴の処置なども任せてもらっている。
「河西さん、もうすぐこの点滴が終わったら、外に出ていてもいいですか? 敷地からは出ませんから」
「あら、構いませんけど。お嬢さんには伝えなくていいんですか?」
そう、この河西さんは自分とよつ葉の血が繋がっていることを知っている。
「じきに気づくとは思うんですけど、ちょっとひとりでやりたいことがありまして。中庭にはいますから」
「分かりました。寒くなる前に帰ってきてくださいね」
点滴が落ち終わるのを待って、河西さんがラインを外してくれる。
ナースステーションにはたまたま全員出払ってしまっているようで、表から見えるところに、よつ葉を含めた誰の姿も見られなかった。
エレベーターで1階に降りて、通用口から外に出る。こちらからの方が中庭には近道になるから。
河西さんの言っていたとおり、今日は夏日になりそうなほどの暖かさだ。これなら少しの時間にはなるけれど、外で体を動かしたりするにはちょうどいい。
ベンチが空いているのを見つけて、そこに座って空を見上げる。
いい天気だ……。
昨年の今ごろ、体調に不安を感じながらも、まだ働いていたっけ。
結局は昨年夏の猛暑で体調だけでなく、精神面までも崩れてしまい、休職となりいまに至る。
それでも、いつまでも甘えているわけにはいかない。その事がいつも頭のなかにあった。
あの日気づくまで……。
意識が戻ってきたときに、白衣の看護師さんに指導されながら、ひとりの学生さんが俺の処置をしてくれていることに気づいた。
普通なら、それは大したことじゃない。大学に附属する病院であれば、看護科の学生が実習として入ることは珍しい話じゃない。
「あ、気づかれましたね。大丈夫ですからね」
その声を聞いて、顔を見た瞬間。
俺のなかに足りていなかったものが、一気に戻ってきたことを感じた。
『よつ葉だ……間違いない』
家庭の事情で俺だけがひとりになった。本当なら二人姉妹なのだから、妹のよつ葉だけは引き取りたいと思ったが認められなかった。
そうか、あいつに言われるがまま、教師に進んだ訳じゃなかったんだな。
こうして看護学生でいるということは、全く違う道に進んでいると言うこと。
やはりよつ葉は意思の強い子だった。
そして、どういう経緯があったのかは分からないけれど、俺はよつ葉の受持ち患者となった。
あれからいろいろなことがあった。
よつ葉にしてあげられなかったことを少しずつ叶えてあげられるようになった。
それでも、やはり自分が病院という世界のなかでは、やってあげられることにも限度がある。これを打破しなくては。
よつ葉は見事に自分の夢を叶えた。そんなよつ葉の姿を見ていて、俺もリハビリに専念するようになり、退院までもう少しというところまで持ってきた。
この中庭の散歩も、そんな体力回復のための1メニューでもあるから。
「小林さん、探しましたよ。心配しました」
そのとき、聞きなれた声がした。
「よつ葉……」
目の回りが少し潤んでいる。きっと自分のことをあちこち探し回ったのだろう。
「ごめんなよつ葉、勝手に出てしまって」
「もぉ、心配したんだから……」
横に座って、俺の手を握る。
聞けば、病室にいないことで驚き、それこそ病院内を隈無く探してくれたんだそうだ。
半べそをかきながら河西さんに電話をして、そこで真相を教えてもらい、河西さんには外出許可を取っていることを知って、ここまで駆けつけてきたということを話してくれた。
「ごめんな。よつ葉に心配かけてしまって」
その力、手にかいている冷や汗の状況だけでも、相当な心配をかけてしまったんだと。
「大丈夫。ちゃんと無事でいるって分かったからね」
ふたりで手を繋いで座っているベンチ。
片方は院内着に上着を羽織っただけ。もう片方は看護師の白衣。この組み合わせを見て、俺たちの関係をすぐに正確に想像つく人がどれだけいるだろうか。
「すっかり新緑だな。よつ葉が就職した先月はまだだった」
「うん」
この子は寒いのが苦手なタイプだったっけ。先月の新人研修の頃はまだ寒い日もたくさんあったと思う。
それでも、一歩ずつ成長していく娘を見ていて、自分もこのままじゃいけない。
「よつ葉も夢を叶えたし、あとは俺だけだ……」
そのとき、何気なく下を見てしまった。本当はよつ葉には悟られたくない気持ちもある。
そのときに、俺は偶然芝生の上に生えていたクローバーの中に一本だけ見つけた。
「あった」
「へっ?」
しゃがみこんで、一本の草を長めに摘み取った。
「なかなか見つからないだろう? これだけクローバーがあっても、埋もれてしまって、なかなかこいつだけを見つけ出すのは大変だ」
四葉のクローバー。そう、これには俺にとってどうしても譲れない想いがある。
「パパ……」
「四葉が出来るのには諸説ある。遺伝的なものだという説もあれば、若葉の時に傷がついてしまって、それが修復されていくうちに葉が四つになるとか」
「うん……」
そう、今ごろの季節だったと思う。
当時の妻、よつ葉の母親のお腹の中にいるのが女の子だと分かったとき。
姉のふた葉ははじめての子だったし、芽生えからゆっくり育っていくという意味を込めてつけたんだ。
しかし、この子は違った。
自分と同じ教師にするというレールをすでに子供たちに敷こうとしていた妻に俺は反対した。
ふた葉はそれでも構わない。おままごとでも幼稚園の先生ごっこをしているほどだったから。
でも、まだ生まれてもいないこの子には、自由に好きな人生を選んで欲しい。
それがもし、誰かを幸せにするような仕事に就いてくれるのなら、そんな嬉しいことはない。
『この子はよつ葉と名付ける』
俺はそのことだけは絶対に妥協しなかった。
「よつ葉、四葉のクローバーの花言葉は幸運。幸せを運んでくれる、そんな子になって欲しいと俺が名付けた」
「パパ…ありがとう……」
聞けば、ここに来るまでに家庭内でも学校でも本当に苦労を重ねてきて、心は傷だらけにもなっている。
それなのに、こうして俺だけじゃない。病で不安を抱えた人たちに安らぎを与えるという仕事を選んだ娘には、本当に脱帽としか言えなかった。
「大事にするね」
「そこまでのものか?」
「もちろんだよ!」
ティッシュの上にそっと緑色の四つの葉が分かるように形を整えて載せてから、手帳に挟み込むよつ葉。
今はよつ葉に世話になっている。それでもいつかは、この子を支える側になってやらなくちゃいけない。
よつ葉の笑顔を守るために……。
それが、俺のこれからの人生の目的になるのだから……。
小林様、
素敵なプレゼントをありがとうございました。




