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初めてキーワードに『サイコホラー』設定してみました。今はそんな気持ち。
自分で書いたくせに、自分でもよくわかってない。
尽つくす想太そうた、27歳。独身。某芸能事務所に所属。
「ねえ、M君」
ただし、裏方として。所謂マネージャーとして。転職3ヶ月目の僕には、とてつもなく荷が重いこのガ、ではなくタレントの。
お洒落な木目のテーブルを挟んだ向かい側で、M君は、氷たっぷりのカフェラテのストローを咥えていた。残った片手で、直置きしたスマートフォンに指を滑らせている。当然僕など眼中になかった。
「休憩しにカフェに入ったわけじゃないんだけど、覚えてる?」
「覚えてるよー」
間抜けた語尾の伸び方は、まあ、高校生らしいと言えば高校生らしい。人によっては可愛いとさえ思うのかもしれない。が、僕は違った。腹に溜まった黒い沈殿が、更に密度を増すばかりだった。
「じゃあ、なにしに来たんだっけ」
「必要だから電話してるのに、どうして俺は電話に出ないのかという疑問の解決と、どうすれば出てくれるようになるのかの相談のため」
「わかってるなら、今はちょっとそれしまってもらえない? ていうかなにしてるの? 僕、話してる途中だよね」
「ちょっと待って。今いいとこ」
いっそ取り上げてやろうかと手を振りかざしそうになるのを我慢して、膝の上に落ち着かせた。
ややあって、M君はようやくスマートフォンを鞄に入れた。言えばそこそこ素直に応じるのが、M君の厄介なところだった。
はいどうぞ、とばかりに目を合わせてくるM君に、僕は小さく咳をしてコーヒーカップを持ち上げた。
「で、なにしてたの? 人が話してるときでも優先しなくちゃいけないようなこと?」
「スマホでも結構面白いパズルとか謎解きとかできるんだって知っちゃったんだ! 今さっき、新ステージの通知があってさ。まあもう終わっちゃったんだけど、たまには楽しいかなと思って」
「そうだね。たまにはいいね。でも今はダメ」
「あ、そっか。先に疑問の解決だね」
そうじゃないけど、問う前に暴露してくれそうなのでひとまず黙る。問い質す手間だけでも省けるなら、空いた時間にわざわざ車を飛ばし、お気に入りのカフェを紹介した甲斐があった。平日の昼間だからか客もそんなに多くはなく、上手く隅の席を取れたので人目を気にする必要も最低限に抑えられた。ツキはこっちだ。
そう。ツキはこっちにあるはずだった。新卒で勤めていた会社が上層部のごたごたから僅か2年で倒産し、当然まともな貯蓄などあるはずもなく、今更家族を頼るのも情けないのでその日暮らしを延々続け、細々と続いていた人間関係のツテでようやくこの仕事を紹介してもらい――僕は心身お財布と共に潤う予定だった。なのに。
「んーとね、じゃあ、昨日の夜8時前くらいのやつ」
社内のその界隈で、たまたま一番若かったから。それだけの理由で、マネージャー不在のM君の手綱、じゃなくて予定の管理を任されてしまった。それまでのマネージャーは夢を追って退社したとのことで、外野としては送り出すほかにない状況の直後に入社してきたのが僕だったとめでたく迎えられたものの、年齢どうこうは建前であのツテはもしかしたら、と邪推せずにはいられなかった。だいたいひよっこの僕に有名なM君を任せようなんて、裏がないはずがなかったのだ。今となっては、その裏がよくわかる。
M君は再びカフェラテのストローを咥え、悪びれもせずにチョコレートパフェ付属のスプーンを小さく振った。一応一大人として、僕の奢りである。
「ごめんごめん。ちょっとお姉さんといいところだったから」
口に含んだブラックのコーヒーが、急遽流動性を失った。カップを手に持ったまま、僕は静止していた。淵の内側で、濃い表面が揺れていた。M君の顔は見えなかったけれど、声のトーンから浮ついていることは明らかだった。
ソーサーにカップを静かに置いた。コーヒーは、まだ半分も減っていなかった。
「なんて?」
無駄と思いながらも聞き返した。視線の自重をどうにか堪え、真正面に据えた。M君は、やむなく悪戯を暴露するかのような無邪気な笑顔だった。
「だから、お姉さんといいとこだったの。聞こえてたでしょ? 頭に浮かんでるそれだよー」
直後の僕の目玉は、ハイエナの如く両端を行き来した。近くを通った人はいなかったし、隣接のテーブルは無人だった。そこここのスピーカーから吐き出されるジャズ調のピアノは、少し離れた席に着く人々の会話を掻き消していた。ときどき視線が飛んでくるけど、それだけは致し方がない。
「年上の人がいるってことでいい?」
直接的な表現はやめておいた。念には念を入れるに限る。M君は、僕のその意図を見事にぶち壊した。
「そんなのじゃないよ。ってか想太君知ってるじゃん。俺って、今のとこ特定の彼女ってできたことない」
故意に膝をテーブルに打ちつけた。上手くその単語周辺の周波数を分散させることができた。と思う。が、それだけではどう考えても不自然なので、立ち上がろうとして勢い余った事故のような芝居を打った。
「大丈夫?」
座り直す僕を、M君は不思議そうに見ていた。僕は頷きながら、
「君の頭が大丈夫なのかが知りたい」
「あ、大丈夫だよ。ちょっと危うかったけど、平均81点でなんとか。特に今回は物理がさあ」
「テストの話じゃない!」
せっかく誤魔化した興味の嵐が、音をたてて集約される。そんなイメージが沸き上がると、はっと冷静さを取り戻した。いざ辺りに注意してみると、心配したほど目を惹きつけてはいないらしい。とりあえず胸を撫で、更に落ち着くために、冷えたコーヒーを一口流した。
これが仕事紹介の裏だった。言い方はいろいろあるけれど、要するにM君は、今までなんのスキャンダルやタレコミもないのが奇跡的なくらいに自由奔放であること。その監視兼お守りをするのが、マネージャーに課せられる義務というわけである。
前任のマネージャーが夢を追って退社したとか嘘だろ。今更確認できないそれを、僕は既に確信していた。
「M君。次の予定までまだちょっと間があるから、落ち着いて話そうか」
「わかった。俺、想太君の言うことなら聞けるかも」
「じゃあまずその想太君って言うのをやめてもらいたいところだけど、今はいいや。はっきり言うからよく聞いて」
興味津々で促すM君を前にして、僕は改めて決意した。前のマネージャーは、これが言えず退陣に追い込まれることとなったのかもしれない。
「M君。君には常識というものがまるでない」
パフェの底のスナック部分を、M君はスプーンで抉り出していた。僕の目をまっすぐ見つめながら、何故かそっとした動きでそれは口に運ばれた。かりかり、と控えめな音が聞こえた。
「そうなの?」
スプーンをパフェの器に戻し、カフェラテのグラスを引き寄せたM君の細い指先に、少しショックを受けたようなしおらしさを見た。
いい兆候である。正直どこから突っ込んでいいのかわからないし、およそ10歳年下の高校生にしょんぼりされると心苦しいけど、この子がモンスターに育ってしまったのは、周囲の大人に原因があると僕は思う。M君が数年前に芸能界に現れてからこっち、要するに持てはやされすぎたのだ。若くしてブレイクした過去の人たちが己を過信した結果、どんな末路を辿ったか。一緒に仕事する身となった今、M君に悲惨な将来を迎えて欲しくなかった。
僕は故意に口を閉じていた。M君は一頻りカフェラテのストローを掻き回し、伏せがちだった睫毛を持ち上げた。アンニュイな先刻が嘘みたいな、けろりとした表情だった。
「本当にそうなのかな。だって昨日もそうだけど、遊ぶときはちゃんと最低限の節操を保って」
「違う違う違う!」
大きな声を出して、またもやひとりではっとした。さっきと同じようにこっそり周りを確認し、もう一度コーヒーカップを持った。残りは半分もないくらいになった。
確かにその話から展開したけど、なんというかニュアンスがあるだろ。例えば普段はですます口調なのに、こうして向き合ってみると、巧妙にタメ口を使うこと。ほかにも具体例は数多いのに、常識というワードがM君の中で直前の話題にしか結びついていないことに、僕はとてつもない衝撃を受けていた。今の10代ってこんな感じなのだろうか。いや、もしかしたら僕の時代も実はそうで、頭の中で勝手に改竄しているだけだろうか。
正直に言おう。僕はパニクっていた。
「どうしてそういう発想にしかならないの? 僕が言ってるのはそういうことじゃないよ」
「だってその話だったじゃん。あ、もしかして論点がずれてたとか? じゃあもうひとつ俺の倫理で、適当にあそ」
「だ、か、ら、さあ!」
危機感の欠片も恥の一欠けさえもない発言が出てくる前に、というかもう無意識に、M君の言葉を遮ってテーブルを叩いた。通りがかった若いウェイトレスが、肩を跳ねさせて振り向いた。つい目を合ってしまい、即座に僕は顔を逸らし、思い至ってM君を見た。M君は下を向き、意味ありげに鞄の中を漁っていた。
M君の手が鞄の中でぴたりと止まり、再び僕が視界に据えられた。
「続けて」
「え?」
「言おうとしてたこと言ってよ。大丈夫、録音して訴えたりとかしないから」
毒のない純な笑顔に、出鼻を挫かれる思いだった。怒声の対象に仕切り直されて妙に落ち着いてしまい、僕は椅子に腰掛け直して、緊張するとつい手が伸びてしまうポケットの煙草に辛うじて触れなかった。
「だからね」
膝の上で両手を丸くし、知らず下げていた目線を持ち上げた。M君は相変わらず鞄に片手を入れたまま、興味深そうに僕に注目していた。
「適当にそんなふうに遊ぶってこと自体、褒められたものじゃないと思うんだよね。それに絡むいろんなことを、本当にいろんなことを、君はまだ判断できないし知らないこともたくさんあるから、触らないのが無難なわけ。誘われることがあったとしてもね。あ、その判断できないことや知らないことはいいんだよ。そこはまだ大人に任せておけばいいから」
「うん」
「で、これは常識というよりも倫理観や個人の価値観にも関わってくることだけど、そういう知識があるってことはね。漫画でもゲームでもなんでもいいんだけど、それに関わるストーリーも、なんとなく眺めてきたんじゃないかと僕は思うの」
「言われてみれば」
「そうだよね。じゃあ、そのストーリーの中で、気分のまま遊び呆けるキャラはどうなった?」
「最近読んだ漫画では、処刑執行人のひよこにバケツに入れられてた」
どういう漫画だよ。辟易したが、僕はこの暴れ馬の手綱を握っておかなければならない。求められるのは、上手い立ち回りだった。
「そうでしょ。適当なことばかりしてると、ロクなことにならないって解釈できるよね。ほかの漫画でも、似たようなことしてるキャラクターは、改心しない限り悲惨な末路を描かれてるんじゃないかな」
「なるほど。確かにそうかも。やっぱ想太君が言うと違うね」
「どういう意味?」
やたらと嬉しそうな笑顔から、ついさっき、M君が発した僕の言うことなら聞けるかもという台詞を思い出した。
「名前は人を表すって言うじゃん。俺の名前なんてなに表してんのか全然わかんないけど、想太君見てると、あれって案外嘘でもないのかもって思うんだよね。太く想い尽くすって、ものすごくキレイでピュアそうな感じじゃない?」
「そうかな」
尽などという物珍しい苗字と、想太などという創作がかった名前のせいで、何度か言われてきたことではあった。が、当の僕からしてみれば、自分の名前から自分以外を見出すなんて不可能だった。
「だって、今までに、さっきみたいについ思わずって感じで声荒げた人なんていなかったもん。それってつまり、真剣に俺の話聞いてた人なんていなかったってことじゃん。もちろん芸能繋がりで関わってきた人たち限定だけど」
暴論だと思いかけて留まった。考えてみれば、こんな業界なのだから、M君の人格自体には関心のない人間がいてもおかしくはない。高校生とは言え、既に一般人では到底並べない財力と人脈と影響力を持つM君に、邪心を持って近づく奴も少なくないことは容易に想像できる。
「だから、怒ってくれたの嬉しい」
自然と頬が持ち上がるのを、M君は堪えきれないようだった。怒られた認識があるようにはとても思えない無邪気ぶりで、僕はというと、前向きな感想を得られるなんて想定外もいいところだったので、出てくる言葉もなくM君を見つめて固まっていた。
「とりあえず、知らないお姉さんにご飯もらったり泊めてもらったりするのはやめるね。例えば放置してある廃ビルの探検とか、健全な遊びを楽しむことにするよ。前に有楽町で面白そうなの見つけたんだ」
「全然健全じゃないし面白くない。君はまだ高校生なんだから、夜は家でおとなしくしてないとダメなの。補導の対象なの。売れっ子の君を法外に仕事させないために、どれだけの人が苦労してるかわかってる?」
しかもその廃ビルの探検は、知らないお姉さんがダメならとお兄さんに参加を求める構図が悲しくも想像できてしまった。やっぱりM君には気を抜けない。
再び僕が背筋を伸ばした頃、M君は、すっかりパフェを食べ終えていた。器を横にどけ、残っているカフェラテのストローを口に含みながら、やっと鞄から引き抜かれたM君の手には、さっきしまわれたスマートフォンが握られていた。
いや、さっきのスマートフォンには、ストラップはついていなかったような。今目の前にあるそれには、ピンク色のビーズを編み合わせて作った小さなクマがぶら下がっていた。
「本題に戻ろっか。どうしたら俺と手早く連絡がつくのかって話だけど」
「あ、うん」
大したことじゃないのに、キツネにつままれた気分だった。害意のないM君と、ピンク色のクマを交互に見合わせて、さっきの記憶の画像を頭の中でより克明に浮かび上がらせ、更に僕は首を捻った。
「これ、さっきいじってたのと違うやつ。俺、スマホふたつ持ってるから」
「同じ機種に見えるけど」
「だって同じ機種だもん。同じカバーだし。このクマがあるかないか。わかりやすいでしょ」
わかりやすいけれども。スマホが普及する前、僕が学生だった頃は確かに携帯電話を使い分ける人はいた。が、今そんな人は見たことがなかった。
「最初はただの思いつきで、意味なんてなかったんだけどね。気付いたら一般公開用とそうじゃないのに分けてた。想太君にはこっち教えてあげるよ。こっちなら出るから」
「お姉さんといいところでも?」
つい毒が出たが、M君は無害に笑った。本当に他意はなさそうだった。
「だから、そういうのはやめるって。最悪、終電までには家に帰る。ちょっと一般公開用の人間関係を整理しようかな。見誤ってるかもしれないし」
M君はクマを揺らしながらスマートフォンを操作した。僕のスマートフォンが震え始めた。初めて目にする数字が並んでいた。
「ちゃんと見極めしてきたつもりだけど、本当に俺と友達になってくれてもいいって思ってくれてて、俺が自分でもそう思える人がいるかもしれないし。正しい判断が求められるね」
「僕はM君の友達?」
「俺はそのほうがいいけど、想太君的にはなしでしょ。飽くまで仕事関係の繋がり」
「わかってるならいいよ。それと想太君っていうのやめてね。一応年上だから」
「残念だなー。年上の人って、話も早いしいろんなこと知ってて大好きなのに。事務所のうるさいオジサンは嫌いだけどね」
あはははは、と実に軽かった。先述を聞いていたのかいなかったのかわからない声だった。
「そろそろ出る? 遅刻したらいけないし」
M君のお墨付き電話番号をアドレス帳に登録しながら、画面上側の時刻から目算した。次の予定までは、まだ少し余裕があるのだが。
「ちょっと秋葉原寄っていこうよ」
「なんでいきなり」
「ぶらっとしたいときが想太君にもあるはず。ああ、でも気まぐれだから、ひとりで行ったほうがいいかな。間に合うように戻ってくるから、想太君はここで休憩してて」
「間に合うって何時に? そんなにぶらぶらしてる時間ないよ」
「わかってるって。多少家に帰ってなかったりはしてたけど、仕事に遅れたことないでしょ。今日も大丈夫」
僕がもう一度呼び止める前に、M君は席を立った。その拍子にテーブルの伝票も取った。
「怒ってくれたのと教えてくれたお礼に払っとくよ。ここのパフェ美味しかったし」
有無を言わせぬ勢いだった。半分浮かせた腰を、どさっと下ろした。つい手綱を放してしまった。でも僕には、もうひとつ手綱を与えられた。あの話し口だと、たぶん、僕以前のマネージャーには用意されなかった制御盤だった。登録したばかりの電話番号を小さな画面に拡大表示させてみた。
試してみる価値はあるな、と思った。
続くよ。




