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太陽系興亡史  作者: 双頭龍
第4章 策動するシャムシ達と近付く戦乱
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第6話

 書き方が変わっているから違和感があるところがあると思います。違和感を感じたらぜひお知らせください。また間違い等もご指摘いただけましたらうれしく思います。

 あくまで『思う』と書いてあるのは、私とか作者とか書いてあるとき以外、コウジの意見です。作者はまったくこれっぽっちも思っていないこともぬけぬけと書いてあります、実は。

 また、念のため書きますが、このお話はフィクションであり、ここに書かれているいかなる政治的、また技術的出来事も私は確認を完全には取っておりません、てか取れません、ここで得た知識を話して、恥ずかしい思いをされても一切責任の取りようがありません、悪しからず、よろしくお願いいたします。と言いますのも、とある書籍にM88戦車回収車(英語的には装甲回収車か)がM1戦車とワンセットで登場したと書いてあったのですが、よくよく考えるとベトナム戦争から活躍してるよねという話になり、さらにM88ハーキュリーズと書いてあったので調べてみると1997年開発のM88A2で、何にせよワンセットで登場はしてないような気がするよね、となったことから注意書きを書くことにしました。まあ本にしろウィキにしろ、多角的に情報を調べる必要がありそうですからね。


 さて、これら旅団の装備、武装を設計するためにいちいち時間はかけてられないので、CADといわれるシステムをサエル達に渡すことになった。

 

 CADコンピュータ支援設計(computer-aided design)とは、コンピューター上で設計をするシステム、または設計支援システムのことである。簡単に言うと人の手では面倒な設計という作業をコンピューターの支援ですることによって効率化を図りましょうということだ

 

 サエル達に渡したソフトウェアは空間投影技術とグローブ型コントローラーをタブレットと連動させ設計から仮想空間上での試作までを行う物であった。

 

 この便宜上CAD、としか言えないシステムは、もちろんエルザが型落ちした骨董品をくれたのである。


 実際にはここからCAM、コンピュータ支援製造 (computer aided manufacturing)システムとかによって製造されるのだろうが、この世界にはそんな便利な物は、なくはないだろうが、おねだりしにくい。

 現在電子工学に夢中になっているのが生徒に3人ほどいるので、そいつらが電子回路や電子部品を理解して機械工学を勉強している連中と一緒に簡単な装置を作るのが先か、エルザがくれるのが先か、になるとコウジは思っている。


 彼らはこれを使用して色々なものを設計だけはしている。もちろんその中のごく少数は実際に作っているが、やはり加工面で困難が多いようだ。そのため最初に製作するのはごく少数の試作品に止まっているが、少数でもこれの恩恵は十分得ているようだ。ただ大量生産をするためには加工に対して何かしらの、例えば工作機械を設計する等の工夫が必要だろう。

 

 これらのことを考慮に入れて主要装備品の設計と諸元を見ていこう。


 まずは歩兵の友でもある小銃から。小銃は結局ボルトアクション式に落ち着くことになった。特にややこしいボルト周りの設計と試作をこのCADがしてしまったのが決定打であった。

 この細かな部分の組み立て、さらにはこちらでしか生産できない重要部、銃身や鉄合金製品、の生産をすることになっているが、できる限り早く外注ができるようになってほしいのだそうだ。初期であるのでこちらで組み立てをするが、基本的には組み立てなんかも外注することができるだろう。何しろ開発生産しなければいけない装備が多すぎる。

 すでに一部の鍛冶職人に鉄の扱い方を説明しているのだが、大規模設備で生産する方が大量生産に向いてることは言うまでもないのでどうしようかと最近コウジは悩み気味である。そこに降って沸いたような難民の話がさらにコウジに大規模施設の構想に向かわせることになるのだが、シャムシはそんなことはまったく知らなかったし、予測できたらすごい事である。

 

 次に携帯型ロケット砲であるが、これはロケットを作ろうとしていた奴が試しにCADで作った製品である。この利点は圧倒的破壊力と、それに対しては費用と製造コストが比較的低いことである。最初は単純にロケットを作るつもりだっただけなのだが、いつの間にか先端に火薬を詰め込みロケット弾になっていた。生産はサエル達に丸投げするつもりだったらしいが、丁重にお断りされてしまった。他の仕事をさせられるのならと、うって変わって自ら生産責任者となってしまった、そのほかのロケット弾と砲を含めて。


 携帯型はM72 LAWに似た、と言うかコウジが教えたのだが、使い捨てのロケット砲で、現地での再装填は不可能である。口径は70mmで重さは本体2.4㎏、ロケット2㎏の合計4.4㎏である。M72に比べて2倍ほど重いがこれは本体がプラスチックやアルミを使用していないためだ。逆にそのおかげで再利用できる部分が増えたりしている。

 射程は1キロは飛ぶが、たぶん有効射程200メートルぐらいだそうだ。この有効射程の短さと命中精度の距離による減衰率はロケット兵器全般の欠点であるが、これでも十分であろう、この時代においては。兵器分隊の担当員は少なくとも木箱に入れた3本は持ち運べると思う。


 次が80mmのロケット砲である。これは携帯式ではなく、据え置き式の直接照準砲で約3キロの射程とジャイロ効果のおかげで1キロの有効射程を誇る。

 ジャイロ効果とは、自ら回転する物は外部からの力がかからない限り、その力を回転の方向を保つ性質を持ち、さらにその回転する力が大きい場合は姿勢を変えられにくいという性質である。砲や銃のライフリングもこれと同じ効果である。

 さすがにそれ以上射程が伸びると速度が速くないために全力で走った場合避けれる可能性があるので、1キロとしているが、基本静止目標に対しては3キロはまっすぐ飛ぶ、風さえなければ。もちろんそんな場所や条件は戦場において探せるわけがない。さらに3キロを飛翔した後はどっちに行くか判らない。

 重さは8㎏で砲本体の長い筒を前後に分解可能である。分解も簡単で、ひねって三箇所のボルトとナットで固定するだけ、このボルトとナットは外注である。ロケット砲弾は3.5㎏で旋動式、有翼式(スピン安定式ともいう、無尾翼式もある)である。翼は進行方向に対して、少しある一定の角度にずれており、進むと勝手に回転して弾を安定させる。


 最後の多連装ロケット砲は重量級の兵器である。130mmで重量42㎏のロケット砲弾がレールの上下にぶら下がっており、このレールが3本荷車に固定されている。射程は8キロほど届くが、これも生産を容易にするために他のロケット砲弾と同じく補助翼以外には一切難しい装置は組み込まれていない。発射機側、つまり多連装ロケット砲側には同時発射を可能にするために有線式電気式雷管を発射薬に組み込んでいる。

 そのせいで命中精度は最悪だがこの兵器の有用性は砲兵大隊の合計18門で108発ものロケット砲弾を集中することにある。

 つまり命中精度の悪さを発射する砲弾の数で補うとともに、大量同時使用によって瞬時にそれも大量に一定地域に火薬を叩き込むことが可能になるのである。

 砲架はただのレールでまったく重くないそれどころか重量軽減のために抜き穴が打ってある。それが3本柵状になってつながっていいる。当然重さは軽く4メートルのレールが1本7㎏で砲全体で合計35キロ。この砲をロケット弾を装填せずに2頭立ての馬で牽引する。ロケット弾は6発を箱に詰め、4頭立ての荷車で運搬する。発射時に弾を装填して敵の前線を一気に破壊する。 

 

 ロケット砲といわれると、どちらかと言うと最新の技術を利用した兵器であるような気がするが、まったくそんなことはない。ロケットは少なくとも黒色火薬が発明されて、それからしばらくたってから発明されていたと言われている。もっとも最初のロケット砲は単なるロケット花火で騎馬を驚かすのがせいぜいであったそうだ。13世紀モンゴル軍との戦闘で使用された記録が残るのが最古である。その後の火砲が発明されたことを考えると火薬を砲として使ったのはロケットが最初であるとも言われている。

 その後の歴史的な背景のおかげで発明の地ではあまり使われなくなったロケット兵器だが、次に歴史上に出てくる時は強烈な印象を叩き込まれた方に与えることになる。

 それこそがインドのマイソール藩王国と英国の戦いにおいて使われたマイソールロケットである。このマイソールロケットは鉄製で軍で最初に使用されたロケットで、植民地支配を確立しようとする英国と抵抗するインドの諸勢力の戦い、と言いたいが諸勢力が英国を利用してでも潰しあう戦いの中で英国の東インド会社に対して使用された。

 この、これら一連のマイソール戦争の後、つまりマイソールの敗北の後、英国側に接収されたこの兵器を研究して作られたのがコングリーブロケットである。この兵器は命中精度の悪さを集中運用によって補った。試験的に最初にナポレオン戦争時に使われたのだが、ブローニュに2千発もこれを叩き込んだ。小規模な火災を多数発生させただけに終わっているが、効果は英国にとって絶大だった。翌年のコペンハーゲン攻撃にも、その他の火砲等とともに使用されたのだ。その後の米英戦争やアルジェリアに対する砲撃、ビルマ戦争、マリオ戦争、パラグアイ戦争などにも使用されている。

 アメリカの国歌である星条旗にもその一端が描写されているので探して聞いてみてほしい、ロケットといっているから。訳によっては、この件を砲弾や砲火など、ひどい場合には赤矢等と翻訳されていることがあるが、実際はこのコングリーブロケットのことである。マクヘンリー要塞戦のことをこの歌詞が歌っているように英国船はロケットを発射したはいいが空中で爆発している。米側もその心理的効果は絶大だったようで、この戦争の後ロケット部隊を整備していることからもうかがい知れる。当初この部隊は英国と同じコングリーブロケット式を使用していたが、その後独自に開発したヘイルロケットに切り替えている。このロケットは回転によって安定させる旋動式を利用をしているロケットで、南北戦争にも使用されている。

 用兵思想の欠如によってこれらロケットが絶大な戦果を発揮する事はなかった。しかしだからといってその有用性が変わることはない。一般的大砲との比較で言うと、口径の同じ30cm砲の場合、大砲となると

砲身の長さにもよるが、砲だけで59tもある。一方ロケットは6連装ではあるが1.1tほどで圧倒的に軽い。砲弾の方も398㎏に対し、127㎏と軽い。(30cm NbW 42と七年式三十糎榴弾砲の比較、ただし射程は砲の方が長い、これがPHL-96になったとしてもトラック含めて21t、砲弾845㎏、射程40キロから80キロと圧倒的になるが方や大正時代の兵器だから比較になるかという問題が出て来てしまう)

 では何故ロケット砲が大砲に取って代わらないか、と言うと、何度も書いているが圧倒的に命中精度が悪いのだ。もちろんこれに誘導性能を持たせてしまうと話は変わるが、もうそれはロケットなのかミサイルなのか判らなくなる。 

 

 次に、さっき話に出てきた大砲の装備について説明したい。


 まず初めに迫撃砲から。迫撃砲は砲の中では非常に作りが単純である。その単純さは上に向けて発射するために反動を吸収するための駐退機や元の位置に戻すための復座機が基本的に必要ない(もちろん付いているものもある)。そのおかげで砲兵装備というより歩兵装備という印象があるものの、その効果は絶大になる。

 最初に歩兵が支援を受けると思われる、軽迫撃砲は口径50mm、射程は500メートルである。重さも5kgと軽量で簡単に持ち運びが可能だ。中隊規模でこの軽迫撃砲を運用する班が中隊長の下に付いている。

 次に歩兵が支援を受けるとすると中迫撃砲だろう。これは口径80mmの迫撃砲で重さ50kg、射程3.1キロをたたき出す。

 最後が重迫撃砲だが120mm、重さ292kg、射程6キロである。重くて運用が難しいので車両を配備するまでは試作の形で大量には製作しないだろう。ただ逆に固定砲台として使う可能性はある。これらにはライフリングが刻まれることになっている。これで練習して大型の榴弾砲のライフリングにつなげるつもりなのだそうだ。


 最後が榴弾砲になるのだが、設計試作しかしない予定である。というのも砲身である鉄を大量に製作することと重過ぎることがその原因だ。また、その利点である射程と命中精度を考慮に入れても、技術的に砲身の長さをどれくらいの物に出来るか、また使用頻度に耐えれるか、が少々頼りないのだ。


 以上のことを考慮に入れて歩兵大隊は携帯式ロケット砲、軽迫撃砲、そして中迫撃砲、または生産が間に合わなければロケット砲を装備する。

 砲兵大隊は多連装ロケット砲のみを装備し、騎兵大隊は牽引砲中隊に中迫撃砲を優先的に配備する。

 

 「といった具合で生産しようと思っているんだが、どうだ?」

 コウジはシャムシに生産する装備の段取りを説明する。


 「任せるよ。あとで試射するときにでも呼んでくれれば見に行くから。資金的には大丈夫かい?」

 金の心配をするときはすぐ顔に表れるシャムシと、直接的には関係ないのに聞き耳を立てるイシュナであった。


 「まだ大丈夫だろう、それより次に入学する連中はどうなりそうなんだ? 色々と面倒を任してすまないと思っているが、こちらにもそれなりに予定があるからな」

 開発、生産は厄介だけど、どうせ俺は口を出すだけになりそうだ。一方学校の運営は口も当然出すが口だけではやっていけない。

  

 「次の戦のせいで予定が狂っているよ。そのおかげで今回は軍人が少ない、その代わりに去年様子見だった重臣の子弟が非常に多いけどね」

 やはりか。今回の戦の影響は既に出始めている、うちの学校にも。去年様子見だった重臣達の子弟が来るのはいいが派閥的に融通しろ、と直接的な意見を押しかけてきて言ってくる奴も多い。入ってしまえばそんな余裕はなくなるだろうが下働きを押しつけてくるのはやめてほしい。何事も自分でしろ、というのが一応うちの学校の信条だ。

 まあ生徒の本分はあたりまえであるが勉強であるから、食事等はこちらで用意している。


 この時代の学校の場所にもよるのだろうが、基本的に現代の学校とさほど変わらない。教師には謝礼を払う必要があるし、教師のご機嫌伺いもしなくてはならない、普通の市民なら。


 一方裕福な連中なら個人的に教師を雇って、教えてもらうことになる。うちの学校も謝礼は、つまり学費はその親の出せる額に応じて変動するが、高くはない、しかし安くもないと言う所だ。

 特に今年からは学部を増やし、本格的に生徒数を増加させる予定なので前回の3倍は生徒が入ってくることになる。

 また医学部のための病院と各学部のための各種研究施設も開設している。特にこの医学部は、今いる医者、といっても民間療法の段階ではあるが、すら入学を希望しているほどだ。もちろんこちらが求めるレベルの教師が確保できないので、彼らの中から教えることが得意な医師に図書館を開放して自ら学びながら兼任で教師として教えて貰うことにしている。

 もちろん不得意な医師もいるのでその者については自ら図書館で学び、研究や治療を担当して貰うことになるだろう。

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