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太陽系興亡史  作者: 双頭龍
第4章 策動するシャムシ達と近付く戦乱
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第4話

 いつの間にか朝鮮戦争の解説に入ってしまいましたよ(笑)。何故こうなった? 

 しかも長いから後編に続く。まあ自国の周辺の歴史を知ることは判断の基準としては、良いことかな? それがかの国であったとしても。

 工兵分隊9人を4つに小隊長と副小隊長の38人で戦闘工兵小隊。同じ編成で渡河小隊。2個戦闘工兵小隊と1個渡河小隊、中隊本部、で戦闘工兵中隊。2個建設工兵小隊と渡河小隊、中隊本部で建設工兵中隊。通信支援のための各種通信小隊3つで通信支援中隊。この3つの中隊と本部中隊、大隊支援中隊、大隊本部で合計662人の工兵大隊を編成する。


 支援大隊は各大隊に派遣している各種大隊支援中隊と、医療中隊2つ、本部中隊、大隊本部、派遣している人員を除き338人で編成している。

 

 幕僚とその補佐、60人で構成される旅団司令部と、旅団司令部の護衛と旅団司令部の業務を担う旅団付中隊

 を加え、3個歩兵大隊、1個砲兵大隊、1個騎兵大隊、1個工兵大隊、1個支援大隊、を隷下に置く。


 これら旅団の総合計は4712名である。

 

 さすがにこの編成を考えるのはコウジでも疲れたそうだ。もっと義理の大叔父の話を聞いとけばよかったと思うコウジであるが、こういうのは大抵、聞きたいときにはすでに手遅れであることが多い。


 もっともエルザ達の軍の編成を参考にすればという意見もあるかもしれないが、あまりに技術の格差が大きすぎて、参考にならないことはない、だが一方採用することは出来ない。今の段階において。

 彼らの過去の軍の編成を参考にした箇所もあるのだが、どちらかと言えばコウジが過去アメリカでの酒の席でアメリカの元兵士やこれから士官になる者達から聞いた、この旅団戦闘団の編成を基にしている。


 アメリカの大学には兵士を満期、または名誉除隊で奨学金を貰い進学している者も少なくはないし、ROTC

(Reserve Officers' Training Corps)といわれる各軍で分かれている予備役将校訓練課程もある。彼らは、たしかに貧しい人もいる。例えば元々は不法移民だったように、また白人であっても貧困層であるように、さらには情報を得る手段が無かったりしてその他の奨学金を得てなかったりと。


 よく誰とは言わないが誰かに批判されるように、たしかに貧しい人間を大学進学やそのほかの利益で軍が吊り上げていると言った批判は、間違いではないかもしれない。


 しかし正解でもないと思う。うちの大学には空軍と陸軍の予備役将校訓練課程があった。彼らの志望動機はただで大学にいけるからというものではなく、もちろん金銭的な面も軽視していない、その後の進路に対して強い要求があるからであった。例えばパイロットにと言っていた学生もいたし、軍に残りたい、軍に行った後、軍需産業で働きたい、といったのもあった、もちろんコウジは彼らのその後を知らないが、そういった例もあるのだ。その軍務に就かなければならない数年の間に自分が戦場に駆り出されれば国との賭けに負け、駆り出されなければ賭けに勝つ、と冗談交じりでコッソリ酒の席でコウジに言っていた生徒すらいた。誰だって自分が死ぬのは嫌なものなのである。

 

 同時に国家として、視点を変えてみてみると、主に義理の大叔父が話していたことになるが、国家の主権の根本である軍隊の、そのさらに根本である個々人を、誰が好き好んで戦場に送りたいものか、と。それでもその国家の非常事態である事態に対処するために我々は宣誓までして軍人になっているのだ。そのときになって人がいないから出来ませんでした、とは言えない。そのための兵員充足率をあげるためには色々とアメリカでさえ努力をしているのだ、と。


 丁度自民党の55年体制の崩壊した頃に防衛庁の防衛課で勤務していたのだが、戦後一貫して戦略上維持してきた陸自の定員数を削減させられそうな時に防衛課に勤務させられていたのだ。思い入れは非常に高かったのであろう。このときに陸自は18万の兵員定数を削減させ、13個師団体制と言う看板を架け替えることになったのだ。もちろんその前から防衛部防衛課では将来構想の検討に入ってはいたのだ。

 18万と言う定員、13個師団という基本作戦基盤単位は、ある意味、その定員と作戦単位と言う意味により保持している、正確には保持すべき、戦力の枠組みである。一般的にはこれらは仮想敵国の脅威度合い、国際情勢、地政学、国家財政、国家の体制や政治状況、国民との各種データーとの兼ね合いで決定されるものであるし、さらには同盟諸国との関係性も考慮に入っているだろう。

 18万は1正面の侵攻を数ヶ月持久する為の戦力として、この体制を考えた当時、算出したらしい。地上戦力の概算評価において何万人、何個師団、何個旅団というのは、見方としてはまっとうである。これが航空戦力なら作戦機何機、海上戦力なら何隻、何トンと言うのと大体同じだと思う。

 もっともこの18万、13個師団とて絶対的軍事合理性の上で決定された戦力概算ではなかったと言われてもいる。(もちろんそうでないと言う意見もある、がはっきりとしているのは、はっきりとしたことが実は不明と言うことであったりする)例として一つ挙げることができるのはアメリカとの政治的な交渉の中で、特に池田・ロバートソン会談の中でと言う意見がある。(もちろん反論もある。これは非公式の意見交換であり、実際にどの程度影響を与えたのかは不明である、という反論が、当時この会談に出席していた自民党の参議院議員で、その後総理大臣になった宮澤 喜一氏によって同じような意味でされている。もっとも、通説を広めたのもこの人であるので評価は悩ましいところである。当時の政治状況等も影響したのではないか、と私は勝手に思っている。間違っていたらごめんなさい)


 この会談は幾多もの書籍、論文によって書かれていることもあり内容とその背景辺りを説明する。


 この会談がされた当時は、ソ連の共産化政策政策の成功に伴い鉄のカーテンの向こう側である東欧の共産諸国はもちろんのこと、アジアにおいても1949年には毛沢東率いる中国共産党が蒋介石を台湾に追いやり、中華人民共和国を樹立、中国が赤化した。さらに前年、朝鮮北部において朝鮮民主主義人民共和国を樹立していた、北朝鮮が李承晩政権の反共主義政策により北に逃げた南朝鮮労働党と合併、朝鮮労働党を結成し南北お互いが自らの唯一の正当性と相手の非合法性を主張して対立を深め、後に武力による南朝鮮の「解放」を目指す朝鮮人民軍が南進したことで朝鮮戦争の勃発に至った。


 もちろんこの朝鮮戦争についての推移は知っての通りであると思うが、一応簡単に説明する(これが簡単か? という話もある、てか自分で言うのもなんだが長すぎ)。


 北朝鮮の宣戦布告なしのこの戦争は、当初の韓国側が事前に察知し、米韓上層部が完全に軽視した通り、T-34をはじめとする圧倒的な機甲戦力と、質、量を完全に引き離された砲兵戦力、工作員を使用した韓国軍への後方撹乱によって、完璧な奇襲攻撃から始まることになる。もちろん韓国軍もただ手をこまねいてはいなかった。各地で旧日本軍出身者を含む兵員を先頭に猛烈なる反撃を、旧軍と同じく戦車への肉弾攻撃や待ち伏せを多用、したものの、戦力の逐次投入を余儀なくされ、ソウルは陥落した。


 その後マッカーサーが現地入りし、在日米軍の半分である2個師団の投入を約束し、大統領の承認が届く前に戦略爆撃を開始する。そして派遣予定戦力の半分の承認が済んだ時点で1個師団を投入するものの、先遣隊は敗北する。ソ連の安保理での拒否権行使を懸念して国連軍を隙をついて編成するものの、米韓両軍は各地で敗北、米軍指揮官自らスーパーバズーカを敵戦車に発射し撃破するほど激戦であった、彼は組織的抵抗の後、山中に潜伏するも最後は捕虜となり戦後解放されている。

 

 そして国連軍は釜山に追い詰められていく。


 韓国にダンケルク、欧州でナチスが英欧州派遣軍と仏軍を電撃戦で包囲した時の欧州派遣軍+仏軍が救出された場所、はない、と釜山橋頭堡の戦いで撤退を拒否した国連軍は、空軍、海軍の圧倒的火力支援の元、徹底抗戦をし、釜山の周辺において、ようやく北朝鮮軍の進撃を止めた。

 

 当然、防御に成功した後は反抗作戦をと言うことになる。そしてついに反抗作戦が開始される。

  

 マッカーサーは仁川上陸作戦、米軍側クロマイト作戦を立案する。これは38度線近辺のソウルから40キロの地点にある仁川に上陸し、北朝鮮軍補給線に対して、これを分断しせしめ、同時に釜山橋頭堡から国連軍が包囲軍を攻撃、北朝鮮軍を挟撃しようとする作戦であった。仁川の細評な海図が日本に保管されていたこともあり、また日本と言う後方物資集積地があったことにより、米軍は2個師団を上陸させるつもりだったが、兵員が足りないとか、物資が無いとか、上陸師団数が少ないとか、輸送船が足りないとか、といったありとあらゆる困難を、日本の民間企業に物資を発注するとか、日本の民間船の参加等によって、無理やり排し、ついに上陸作戦を開始する。

 同時に釜山橋頭堡側の第8軍もスレッジハンマー作戦を開始、当初は後方連絡線分断の効果は無かったものの、最終的に包囲軍の督戦隊まで編成して行われた強固な抵抗を排し、包囲突破に成功。上陸軍と各地で合流した後、38度線に迫る。

 

 国連軍各国、特に主力である米韓は、お互いに38度線を突破して朝鮮統一を目論む。もっともアメリカはソ連や中国の大部隊が北朝鮮に入っていない場合、またソ連と中国が参戦する意図の発表がない場合、朝鮮における我々の作戦が反撃される恐れのない場合に限るとされいたのだが、マーシャル国防長官がマッカーサーに貴下が38度線の北を進撃するのに、戦術的、また戦略的に制限を受けていないと思われたい、と曖昧な打電をしており、マッカーサーは韓国軍の越境の後、アメリカ軍の第1騎兵師団を38度線を越えて進撃を開始させた。また国連でも、国連軍召集の時と同じように、今度は安全保障理事会を避け、アメリカ国務省の発案で総会により、全朝鮮に統一され、独立した民主政府を樹立することが国連の目的とする決議が賛成47票、反対5票で採択され、マッカーサーの行動にお墨付きを与えた。


 しかしこの決定が中国のこの戦争おける参戦を決定付ける。元々は参戦やむなしと言う意見が党内で優勢だったのだが、緒戦で北朝鮮軍が勝っていたものだから本格的、実際は既に義勇軍と言う形ではなく極秘裏に参戦している、開戦当初から、に参戦する機会を失っていたのだ。色々な外交ルートを含むルートによってこの参戦は警告されていたのだが国連軍側は完全にこれを無視する。実際の参戦にはまだ猶予があるのだが既に義勇軍の名を借りた中国人民解放軍、第4野戦軍は行動開始を命令されていた。

 

 そんなことを露にも思わないマッカーサー、トルーマンをはじめとする国連軍首脳部はこの月の終わり国連軍を中朝国境線である鴨緑江に到達させ、まさしく統一間近となる。既に強大な隣国が牙を完全に剥いていると知らずに。

 

 この少し前、日本を人知れず出港した部隊がある。そう連合国占領下の日本において連合国軍最高司令官総司令部の要請、事実上の命令、によって編成された掃海部隊である、日本特別掃海隊だった。その前から色々と国連軍側に物資や船を提供しているし、いまさらだろうと言うこともいえるのだが、これは完全に戦闘行為であるので意味は異なる。大東亜戦争後一貫して絶対的非戦を貫いてきてはいないのだ、この国は、実は。これは第10軍の上陸のための機雷の掃海であった。この第10軍と元からいる第8軍が二方面より進撃する計画であった。ここでもマッカーサーが色々と、指揮権関係と補給で、やらかしてはいるが、まあおおむね順調だった。なおこの特別掃海隊はMIA(Missing in action)作戦行動中行方不明、を1名を出している。おそらく戦後第一号戦死者だと思う。ただし北朝鮮とかでその後生きていたらごめんなさい。


 米軍におけるKIA(Killed in action)戦死とMIAの違いは、MIAは生死が確認できるまで生きている軍人として給金が支払われ、年功による昇格・昇給も適用されることである。政府としてはこの出費は痛いものなので、何とか経費削減のために理屈をつけて戦死扱いにしようとし、それが遺族の神経を逆撫ですることに繋がっているのだが、まあぜひ一考に入れておいてほしい。

 

 ついでにこの情報は中共やソ連から社会党、共産党に提供され国会で追及されていたりする。


 そして中国義勇軍約20万が参戦する。当初マッカーサーは連合国軍最高司令官総司令部参謀第2部部長、チャールズ・アンドリュー・ウィロビー、から上がってきた過小評価された情報を元に楽観視していたのだが、実際は本格的参戦であった。


 このチャールズ・アンドリュー・ウィロビーと言う人は少々評価が複雑で、この彼のおかげで日本は共産化を防げたともいえるし、A級戦犯であった者達が戦後も影響力を維持できたとも言えるし、さらには逆コースやレッドパージにも関与しているとも言われる。ついでに東京裁判に対しても、この裁判は史上最悪の偽善だった。こんな裁判が行われたので、息子には軍人になることを禁止するつもりだ。なぜ不信をもったかと言うと、日本がおかれていた状況と同じ状況に置かれたのなら、アメリカも日本と同様に戦争に出たに違いないと思うからだといっている。

 まあもっとも自分の気に食わない人物を徹底的に貶めてたりもするのだが。


 朝鮮半島の西部を第8軍、東部を第10軍、中央を韓国軍が鴨緑江を目指し競争させるものであった当初のマッカーサーの作戦は事ここに至って破綻することになったのだ。


 中国軍の猛攻で、韓国第2軍団が撃破され背後にまで迫ると、第8軍は中国軍の介入を認めることになる。後退と防御を命じ、壊滅的打撃を受けながらも清川江に後退した第8軍は橋頭堡を確保し、防戦を開始した。


 中国軍は国連軍の陣地に攻撃することは不利と判断し、一旦攻勢を中止したのだ、次なる攻勢の為の準備のために。

 そして前線から中国軍が消え、代わりに北朝鮮軍が国連軍の前に現れ、監視の目を遮断、誘引するとともに、後方に中国軍が密かに反撃陣地を構築し、次の攻勢の準備に取り掛かった。


 中国軍側は、一時的に撤退した中国軍を国連軍が深追いしてくれることを望んだ。そしてそのための各種工作もしている。


 前線からの厳しい情報が多数上がってきているものの、それでもマッカーサーは前線から上がってくる情報をかたくなに信じなかった。中国の本格介入に対しては即時全面攻撃で速やかに戦争を終わらせるべきだ、と考えていたのもこの件の悲劇の一因であっただろう。


 そして中国軍の誘引戦略に惑わされ、防御に徹している第8、10両軍に前進を命令する。


 それは結局、中国軍の目論み通りであった。


 マッカーサーは鴨緑江に向けて進撃競争の再開を命じると共に、統合参謀本部に対し、中国軍の進入路となっている鴨緑江にかかる橋梁への爆撃の許可を要請した。


 マッカーサーはトルーマンに宛てとある脅迫めいた進言をしている。


 北朝鮮領土を中共の侵略に委ねるのなら、それは近年における自由主義世界最大の敗北となるだろう。アジアにおける我が国の指導力と影響力は地に墜ち、その政治的、また軍事的地位の維持は不可能となる、と。


 トルーマンと統合参謀本部は従来の方針に反するマッカーサーの申し出を呑まざるえなかった。もちろん戦略的には完全に間違いとも言えないが、どちらかと言うと政治的にトルーマンは追い詰められていたからだ。

 もっともここら辺の戦略的、また地政学的ジレンマは明治維新後の日本が直面した物と同等の物である。自由主義世界の敗北云々はさておき、日本を維持(維持と言うのはある程度安定的に、という意味である)するためには朝鮮南部が必要で、朝鮮南部を維持するためには北部が必要だ。しかし北方を維持するためには中国東北部、満州が必要だ。といった物である。この意見の合理性は無いといえば無い、しかしあるといえばあるのだ。


 そしてまさしくマッカーサーは中国軍の用意した罠に完全にはまる形で鴨緑江に向けて軍を進め、中国軍は国連軍の目的や機動を認識した上で防御陣地を待ち構えていた。


 米軍の前線部隊の指揮官らは迫りくる危険を充分に察知していたが、マッカーサーは自分の作戦の早期達成を妨げるような情報には一切合切耳を貸さなかった。

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